悪役に定評のある演劇部員が〝魔王〟になったら
初の短編です。
長編もですが、短編も難しい……
その空間は、息を吐く事さえ許されない程に静寂に支配されていた。
大きな椅子に足を組みながら腰を下ろしている男は何をするわけでもなく、ただじっと……目を閉じていた。
遠くの方で忙しない足音が聞こえると、男はゆっくりと目を開けた。
「魔王様…っ、大変です !!」
焦りの表情で入ってきた従者の1人であるエルフに、男ーー魔王は、ゆっくりと口を開いた。
「……どうした?」
「ア、アミュレッド様が……我々を裏切り、反乱を起こしているとの情報が入りました! 現在、アミュレッド様率いる反乱軍が、城の方へ向かって進軍を続けていると…!!」
魔王は少しだけ眉を動かしたが、その表情に動揺は見られなかった。
「……いかが致しますか?」
魔王の影から現れた忍びのような格好をした男が、魔王の耳元で問いかけた。魔王は少しだけ考えるような素振りを見せると、冷淡な声色で言い放った。
「裏切り者に慈悲は無い。我が直々に粛清する。お前達は一切、手を出すな。……この場所は後に戦地となる。……我が良いと言うまで、別の拠点で身を潜めていろ」
「はっ」
魔王の言葉を合図に忍びの男は一瞬で姿を消した。
未だに跪いているエルフに声をかけると、即座に顔を上げて魔王を見た。
「お前も下がれ。そして、この城を出てエルフ達の集う村に避難しろ」
「あ…はい!」
慌てて立ち上がったエルフに魔王はそれから…と言葉を続けた。エルフは、その場で言葉の続きを待った。
「……報告、感謝する」
「え……」
エルフが魔王を驚いた表情で見たが、当の魔王はもう話す事は無いとばかりに、エルフに背を向けた。
「は……はいっ!!」
これはあくまで余談だが、部屋を出たエルフの表情筋は暫く、緩んだままだったらしい。
チラリチラリと目を忙しなく動かす。右左、前後ろ、上下……誰もいない。気配もしない。
(…………よし、誰もいないな)
最後の最後まで警戒し、自分以外の存在が居ない事を確認すると……
「はぁ……」
キリッと引き締めていた表情筋を緩め、組んでいた足を解き、伸ばしていた背筋を少し丸めた。今の彼には、魔王と呼ばれるだけの威厳が欠片も無かった。
それもそのはずだ。何故なら、彼は…
《1時間42分15秒後、貴方を元の世界へ転送します》
あくまで、魔王の代理に過ぎないのだから。
ーーーーーーーーーー
この世界の魔王は、元いた世界では小鳥遊玲という名前の、普通の高校に通う普通の生徒だった。
演劇部に所属し、自分の中ではそれなりに充実した日々を過ごしていた……ただ、ある1点を除いては。
「これ、玲君の分の台本ね」
そう言って手渡された台本は、主人公用の物でもなければ、ありがたい事に村人Aのようなモブ用の物でもない。盗賊、怪盗、裏切りの騎士、悪魔…………全部、悪役じゃねぇーかっ!!!
家に帰って、何度台本をベッドに叩きつけた事だろう…
正直な話、俺は悪役ではなく、ヒーローなどといった所謂、主人公に憧れていた。
演劇部に入ったのだって、思いきり自分の理想のヒーローを演じられると思ったからだ。
それなのに、いつからだったか…彼が通う学校の演劇部では悪役=小鳥遊玲という式が成り立っていたようで、気付いた時には彼は悪役の常連となっていた。細い目(しかも、若干つり目)、声変わりのせいで青年らしさが全く感じられない低音ボイス(しかも、無駄に響く)。
その容姿と声が悪役に適しているからと、部長直々に悪役を演ってみないかと言われ……実際に演じてみたところ、まさかの大好評。
その評判は他校の演劇部まで届き、俺は瞬く間に〝彗星の如く現れた天才(※ただし、悪役に限る)〟として、一部の演劇部に崇められる存在となった。
そして、その評判は演劇部という枠を超え……
「小鳥遊さん…ですね。貴方に、少しの間だけ魔王になって頂きたいのです」
「……は?」
〝異世界転生管理局〟と呼ばれる怪しい集団の耳にまで届いたらしい。彼らは突然、現れて魔王になってほしいと頼んできた。
未だによく理解出来ないし狐につままれたような感じもするが、彼らの話によると、近々、魔王に転生するはずの人間が未だに死んでいないらしく、転生させようにも出来ないらしい。
死ぬ日や転生する日を変更する事は難しいようで、やむを得ない場合のみ、代理を立てることで日程を遅らせる事が可能らしい。
なんでも、その人間を死へと導く死神は新人…いや、新神のようで、死神としての役割よりも良心の方が勝ってしまったとかで、中々、その人間を死へと誘えないらしい。
死神がその人間を殺して、無事に転生の手続きが終わるまでの間だけ、玲は魔王代理として、一時的に、あくまで形のみの転生をしてほしい…という事らしい。
俺は、一体……どんなファンタジー世界に紛れ込んでしまったのだろう?これは現実逃避とかではなく、話を聞いたばかりの彼の素直な感想だった。
「貴方の演技を見た時、天の声が私に囁きました。魔王の代理を頼めるのは、彼しかいないと…」
テン ノ コエ……?
ナニヲ イッテルンダ コノヒトハ……?
ギリギリで人類として枠組みされている彼の残念な脳みそは、既に悲鳴をあげていた。
「混乱してしまうのは分かります。しかし、我々にも時間が無いのです。どうか……我々の頼みを聞き届けては頂けないでしょうか?」
「そう言われても……」
「もし我々の頼みを聞き届けて頂いた、その時は……貴方の願いを、何でも1つだけ叶えて差し上げます」
「やります」
難しい話はよく分からなかったが、〝願いを何でも1つ叶えてくれる〟という甘い言葉に、考える事を放棄してしまった玲は、結局、頼みを聞き入れてしまった。
聞き入れた瞬間、彼の意識は闇の底へと落ちていき、目が覚めた時には、この無駄に広い部屋の大きな椅子に座っていた。
ーーーーーーーーーー
この世界に来て1週間ほど経った時の事だった。彼は他の魔物から崇められはするものの、親しいとまでは言えない微妙な距離を保たれていた。寧ろ、一部からは恐れられているのでは…と思う時もあった。
魔王だから仕方ないのかも知れない……だが、少し前まで友人達と肩を並べて勉強し、笑い合いながら部活に励んでいる生活を送っていた俺にとっては正直、寂しいものだった。
どうにか距離を縮められないかと思考を巡らせていると、1人の幼い少女が話しかけてきた。
「魔王さま……わたしと、遊んで」
まさに純真無垢を表したような可憐な少女だった。少女の背中には、本やアニメなどでよく見た天使の羽が付いていた。
(作り物……じゃないよな?)
少女よりも羽に意識を持っていかれた俺は、慌てた声で少女へと駆け寄り、抱きしめた女性の登場によって我に返った。
「す、すみません…っ! この子、まだ貴方様の事をよく分かっていなくて……どうか、どうか…慈悲を…っ! 御無礼の罰は、私が受けますから…っ!!」
地面に頭を擦り付けるように頭を下げる少女の母親であろう女性に、玲は言葉を失った。
しかし、彼はすぐに冷静さを取り戻し、頭を下げ続ける女性の前で跪いた。周囲が何やら騒がしいが、彼は気にも留めなかった。
「……天使の女、頭を上げろ」
まるで、そこに台本が用意されているかのように、魔王として言葉を吐いた。
天使の女性が恐る恐る顔を上げた事を確認すると、再び口を開いた。
「……安心しろ。そんなに怯えずとも、俺はお前達に危害を加えるつもりは無い」
「え……」
呆然とした表情で俺を見つめる女性から視線を外し、少女へと向き直った。
「天使の子よ、名は何という?」
「……マリア」
「マリアか、良い名だ……マリア、お前は我と遊びたいのか?」
「……うん」
頷いたマリアに、玲はフッと笑みを浮かべた。
「良いだろう。して……お前は、どのような遊戯を、ご所望だ?」
彼の知らないところで、彼の周りの世界が変わった瞬間だった。
その日を境に、玲は何かと魔物に声をかけられる事が多くなった。
「魔王さま……これ、あげる」
「ん? 何だ、これは?」
「お守り……お母さんと、友達みんなと作ったの」
手作りだというお守りは、ペンダントだった。手に持つと、シャラッと軽い金属音を発しながら、鎖が玲の指の間を通り抜けた。
ペンダントトップは、針金のような細い金属が複雑な模様で巡らされた事で形成された小さな空間の中に透明なガラス玉のような物が入っている、巧妙でシンプルなものだった。軽く降ると、ガラス玉が音を立てて揺れた。
「光に当てると、すっごくキレイなんだよ!」
群がる子ども達の内の1人がそう言うと、玲は太陽の光に当たるようにペンダントトップを高く掲げた。
すると、透明だったガラス玉は、虹色に輝きだした。
「これを、俺にくれるのか…?」
「うん……」
「そうか……ありがとう」
マリアを中心とした様々な種族の子ども達が、嬉々とした表情を俺に向けていた。それだけの事が嬉しくて、俺は緩みきった頬をそのままにして、彼女達に御礼を言った。
「あら、魔王様。今、新作のパイが焼きあがったところですの。良かったら、味見してみます?」
「パイか……お前達の作る菓子は、どれも美味いからな。一口、貰おうか」
玲に話しかけるのは子どもだけに限った事では無かった。時には、こうして新作のお菓子の味見をお願いされたり…
「……中々やりますね、魔王様」
「お前もな」
魔物と剣や魔法を交えて、模擬戦をしたり…
ちなみに彼は当然、剣も魔法も扱えないが、御都合主義という有り難いお恵みのお蔭で、魔王という地位に恥じぬ力を手に入れていた。
「魔王様……私、最近、気になる方がいて…」
「え、それって…この前、言ってた…」
「もぉー! 私が、ちゃんと魔王様に言うから、外野は静かにっ!」
いつ、こうなったのか定かでは無いが、いつの間にかサキュバスやセイレーン達の恋愛の相談相手になっていた。
「おぉー、魔王様! 貴方もこっちに来て一杯どうだい?」
「いや、俺は……」
「まぁまぁ、偶には良いじゃねぇですかい。ほら、座った座った!」
男の魔族達を中心とした酒盛りの仲間に、半ば強制的に加えられるようにもなっていた。
元の世界の彼ら未成年だが、この世界では300年以上も生きているため、酒を飲んでも問題は無い。問題は無いのだが……中身は学生のため、彼は自重して酒を魔法で水やお茶に変えて飲んでいた。
そんな流れで彼の生活は、一人きりが多かったものから常に側に誰かがいるものへと変わっていった。
今まで悪としての魔王を演じていただけに魔王や魔王に関わるもの全てに、悪いイメージしか抱いていなかった。
だが、彼らは魔王の手下とはいっても、普通に優しそうな奴らばかりじゃないか。
玲はここに来て初めて……悪役以外の役を貰えた気がした。
しかし、そんな魔王を全ての魔物が受け入れたわけでは無かった。世界を恨み、憎み、世界を破滅させようとしていたはずの魔王が突然、平和ボケでもしてしまったのかと思うような変わり様に、それを良く思わない者達もいたのだ。
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長い回想を経て、玲の意識は現在の時間まで帰ってきた。
どうやら、とうとう元の世界へ帰る日がやって来たようだ。朝からずっと脳内で響き続けるカウントダウンに、初めは何事かと驚いたが、冷静になって聞いてみたら、嫌でも察した。
それにしても、自分が元の世界に帰る日に反乱とは……
自分が帰った後に、魔王として転生する顔も知らない誰かに、思わず憐れみの笑みを浮かべた。
その時、バンと力強く開かれた扉に、玲は驚く素振りも見せずに、扉を開けた人物を見た。
予想通り、反乱の主犯であるアミュレッドだった。
もう既に、未来予知で知っていた。反乱軍が、ここまでやって来る事を。分かっていて、彼は城にいる従者達を適当な理由を付けて城から追い出し、自分以外は誰もいない状態にして、彼が来るのを待っていたのだ。
「もう既に俺が反乱を起こしている事は伝わっていたはず……何故、逃げなかった?」
「逃げる必要が無いからだ」
玲の言葉を宣戦布告と受け取ったアミュレッドは腰にさしている剣に触れた。
「それは……俺達を根絶やしにするだけの力がある事への余裕か?」
「いいや、違う」
首を振る玲にアミュレッドは訝しげな表情を向けた。
「お前は……ある奴らに復讐がしたくて、我の元へ来たのだったな」
「あぁ、そうだ……それなのに、最近のアンタはどうだ? 魔王らしい事は何一つせず、まるで気でも狂ったかのように人が変わった。そんな、今のアンタの下に……俺は、俺達は、いられない」
アミュレッドの周りには、複雑そうに顔を歪ませる者達がいた。
アミュレッド自身も、本人が気付いているか否かはさておき、彼らと同じ表情を浮かべていた。
《元の世界への転送まで、残り15分26秒》
元の世界へ帰るまで残り、約15分……丁度いい。
この世界に残された全ての時間は、俺だけのものだ。こうなったら最後まで付き合ってもらうぞ、魔王の舞台に…っ!
「クククッ………あーっはっはっは!!!」
顔を俯かせた玲は肩を上下さたかと思うと、突然笑い始めた。
「…何がおかしい?」
「いやぁ、悪い悪い。まさか、お前達がそこまで俺の演技に翻弄されていたとは思わなくてな」
「演技だと……?」
「あぁ、そうだ……演技だ」
心底、愉快そうな表情で、玲はアミュレッド達を見つめた。
「平和ボケした我は、お前達の目には酷く滑稽に映っていただろうなぁ? まさか、魔王ともあろう御方が部下や子ども達と仲良く戯れてばかりで、自分達の復讐の事など既に忘れてしまったのかと疑いたくもなるよなぁ…? だが……それも、今日で終わりだ」
悪戯が成功した子どものような表情から、慈しむような穏やかな笑みに変わり、思わずアミュレッド達は動揺を見せた。
「詳細は言えぬが、最近、我の力は不安定だった。このままでは進軍も難しいと考え、少しの間だけ休養をとっていた」
「休養…?」
「そうだ。我は何事にも全力で取り組む。妥協は許さない。だからこそ、力が不安定な内は大人しくしておこうと決めていた」
「そ、それでは…今までは……」
「あぁ……魔王としての活動を、あえて休んでいた。そして今日、我は本来の力を取り戻す」
よくもまあ台本も無しに、こんな台詞が思い付くものだと、自分で自分に感心する。
「待たせたな、アミュレッドよ…。今日から我は、お前達の望む魔王に戻る。我と共に、この世界を変えよう」
そう言って玲はアミュレッドに歩み寄り、手を差し出した。
あとは、差し出した手をアミュレッドが取れば、この舞台は終幕だ。
《5秒前》
カウントダウンが秒読みを始めた。
《4》
《3》
《2》
《1》
「申し訳ありません……魔王様」
「……え?」
アミュレッドが握ったのは玲の手ではなく、隠し持っていた短剣だった。
ーーーーーーーーーー
「……ぶはっ!!」
目を開けて飛び上がると、そこは見覚えのある風景だった。
「俺の、部屋……?」
辺りを見渡すと、勉強机に投げ出された鞄。そして、壁に掛けられた制服があった。
最後に見た光景に思わず腹に手を添えたが、刺されたような感覚は無く、血も流れていなかった。
「貴方は、刺されていませんよ」
「うわっ?!」
先ほどまで自分以外誰もいなかったはずの空間に、スーツ姿の男が立っていた。
冷静になって確認すると、自分が魔王代理をするきっかけとなった〝異世界転生管理局〟という怪しい団体に属するという男だった。
「間一髪ではありましたが、運良く刺される前に元の世界に戻る事が出来ました」
「そ、そうですか…」
なんだか、まだ夢から覚めていないような不思議な感覚だ。
「小鳥遊さん、ありがとうございました。貴方のお蔭で無事に、転生の引き継ぎを済ませる事が出来ました」
「え、い、いや…俺は、特には何もしてないので…寧ろ、転生した人に迷惑をかけてるんじゃあ…」
「それならご安心ください。貴方が魔王だった頃の記憶はリセットしました。なので彼らは、新たな魔王の忠実な僕として、今頃、何事も無いように生活していますよ」
その言葉を聞いて、玲はホッとしたような寂しいような複雑な気持ちになった。
「では、約束通り……貴方の願いを1つだけ叶えて差し上げましょう。貴方は、何を望みますか?」
そう言えば、そんな話があったなと、初めはそれが目的で協力したとは思えない感想を抱いた。
そんな彼だからこそ、いざ、願いを叶えると言われてもすぐには思いつかなかった。
男は、そんな彼に助け船を出した。
「そう言えば…小鳥遊さんは、主役を演じたいと思っていたのではありませんか?」
あの世界に行く前の彼なら、勿論ですと即答していただろう。
しかし、今の自分は言葉を詰まらせていた。
少し考えて、突然、ピンと閃いた。
「それなら……」
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複数のスポットライトが、自分に当てられる。
主役並みに出番の多い悪役を演じていた時でも、これほどのライトには当てられなかったような気がする。
「魔王様、大変ですっ!! 勇者が城へ向かって進軍を始めたようです!」
「勇者が……?」
身体をスッポリと覆い隠したマントを大袈裟に翻しながら、俺はステージの中央へと足を進めた。
「面白い……ならば、我らも全力で迎え撃つまで。各部隊に報告しろ! 勇者との全面戦争だ、すぐに準備を始めろ、と」
「はっ!」
声高らかに言い放った玲の胸元で揺れ動くペンダントは、彼の偉大さを示すように虹色の光を放っていた。