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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

kimi(サグラダファミリア版)

作者: LEIN

「あ、あの子こないだの子じゃない?」


「うん…。」背の高い方が、ふっくらと小柄なもう一人に問いかける。



 OL風の二人連れが、信号待ちで止まっているバイクを見つめていた。


茶色の、顎紐で結ぶタイプの可愛いヘルメットをしている。




「女の子だよね?」


「男の子じゃない?」


「いや…胸は微妙にあるような気がするよ。」


「ちょっと可愛くない?」背の高い方が、小さい方に更に問いかける。


「なんだか”ジャニ”みたいな感じだよね」興味深々な目で背の高い女は続けた。


 小さくてぽっちゃりした方は、黙ったまま上目づかいにジッとバイクの主を見つめていた。


「やだ!利奈!ヤバイんじゃないの?」


いたずらっぽく、美人な方が肩を叩く。


「うちら、今、ちょっとレズっぽくない?」


屈託なく、背の高い女は笑って肩を叩いた。


ぽっちゃりは、急いで目を反らし、「そんなの気持ちわるいってーの!」と高笑いしてみせた。



聞こえているのか、いないのか、バイクの主は、信号が変わると、ギアを入れ、颯爽と行ってしまった。


ぽっちゃりした女は、言葉とうらはらに、じっと、バイクの後姿をいつまでも追っていた。






馨は、マンションの自転車置き場にバイクを置くと、メットを外した。


フルフェイスのメットにしときゃよかった!と馨は思う。


いちいちウザイんだよ。こっちの世界に来る度胸もない癖に。



フルウェイスのメットと、スーツに包まれているこの瞬間だけは、誰の目も気にせずに自由でいられる。



玄関のドアを開けると、馨はスーツを着替える時間ももどかしそうに、パソコンの置いてある、大きな机の椅子に座った。




そして、端正な顔の中の、漆黒の大きな瞳を左右にくるくる動かしながら、机の上のデスクットップパソコンをつけた。


指は、もう自動的に電源スイッチを押す。



スイッチの黄色の光が、横に長四角を作っている。


その光が穏やかな黄緑色に変わり、ギギギと音を立ててパソコンが動き始める。


馨は木の椅子に腰掛けながら、作ってきたばかりのココアで両手を暖めた。



検索ウィンドウに、「women's looms」と素早く入れると、いつもの薄紫色のサイトがある。


画面を見るだけで、馨はほっとしたような表情を浮かべた。





このサイトには、二人きりで話せる小部屋が11ある。



普通ではない僕達が、日常では困難を極める「出会い」を求めて、皆がここに集まる


常人にはわかりっこない、滑稽な程の心の奥からの渇望。


それに突き動かされ、姿の見えない相手との濃密な時間を過ごす場所−。




急いで帰ってきたのに、11ある、「密会の部屋」は全て満室になってしまっていた。



馨の端正な横顔から、落胆の色が見えた。


”彼”は溜息をついて、天井を見上げる。ここでの濃密な話しは長引くからだ。



部屋の主は、何人かと話して満足するか眠くなるまで、去る事はない。



一つ部屋が空くまでに、まだまだかかるだろう。




そうタカを括りながらココアを飲み、何気なくエンターキーを押すと、早くも11番ROOMが空室になっている。



馨は慌ててココアを置き、急いで入室をクリックした。


そして素早く指を滑らし、すらすらと部屋のトピックを書きはじめた。



−近くに住んでいる方、お話ししましょう−


これが馨のいつも常套句だった。




エンターキーを押すまでは、部屋が取れたかどうかはわからない。今も何人かが空き部屋めがけて飛び込んでいるはずだ。



間に合うか!とエンターキーを押すと、部屋が出来ていた。なんとか一番乗りを確保できたらしい。



後は、今夜のネコを待つだけだ。



一仕事を終えたように、馨は椅子の背もたれに寄りかかった。



今日はツイている日らしい。5分もしない内に、「ゆか☆ さんが入室しました」と、画面に浮かび上がった。


ツーショット部屋は二人の為に自動的にロックされた。




「こんばんは」と馨から入力する。


今日の初めてのお客さんはどんなひとだろう。


「こんばんは」と、「ゆか☆」の返事が書き込まれる。


「オハツだね☆」


「たぶん、オハツ、かな」


皆、HNハンドルネームをよくチェンジする。


初対面のつもりが、実は以前に話した相手だったりするのだ。



この子に会った事はあったっけ?


でもこのテンションの高さだと、きっと高校生あたりだろうな。



「馨 失礼だけど、年齢聞いてもいい?」


「ゆか☆ 14だよ♪」


うわ、こりゃほんとに若いな!と、馨は苦笑した。


「ゆか☆ かおるは?」


「馨 僕は17になったばかり。」


一瞬、ゆか☆返答が止まってしまった。


「ゆか☆ 僕って…男?」


「馨 いや、いちおう女だよ(笑)」


「ゆか☆ もしかして、バリタチさん?」


「馨 バリタチ…。まぁそんなとこかな。」



ふぅん、と、「ゆか☆」はつまらなそうな返事をした。


馨は少し申し訳ない気持ちになった。



「馨 最近、フェミタチの方が人気あるからなぁ(苦笑)」


「ゆか☆ っていうか聞いてよ!彼女と最近うまくいってないの」



14の癖に「彼女」がいるなんて生意気な!


しかもバリタチが苦手な割には、ずいぶん、どっかと居座っている。




なんでも、「ゆか☆」の彼女は15歳。


最近、メールの返信がなかなか来ないらしい。




「ゆか☆ あぁ、散々愚痴ったら、スッキリした!」


ゆかの文字が心なしか輝いて見えた。



「馨 おいおい、僕は愚痴られ損かよ。」


馨は苦笑した。


「ゆか☆ ゴメン!! でも、ただ、じっと聞いてくれただけで嬉しかったんだ!」



普通は雑談目当ての相手を落としてしまうみたいだ。けれども、馨は落とす事ができない。




「ゆか☆ 馨ちん、またお話し聞いてくれる?」


「馨 もちろん!」


「ゆか☆ ありがと☆」


少々疲れながらも、「ゆか☆」が心の落ち着きを取り戻してくれて嬉しい。





「ゆか☆ ところでゆかから質問なんだけれど」



「馨 うん?」



「ゆか☆ 馨ちんはいっつもここにいるみたいだけれど…」


「馨 うん?」


「ゆか☆ 彼女を作る気はないの?」


馨は困ってしまう。


「馨 彼女を作りたいからいるんだよ。でもそう簡単にはいかなくてね。」


「ゆか☆ 正直な人だね。あ、馨ちん、ゆかそろそろ落ちるね。」



ゆか☆は、これからお風呂に入るという。



「ゆか☆ 変な想像しちゃダメよ!あ、馨もいい彼女見つけるんだよ☆」



苦笑しながらも、


ディスプレイの前で、「ありがとう」と目を細めて笑っていた。




「ゆか☆」が部屋から退出し、僕はまた、一人になってしまった。





−近くに住んでいる方、お話ししましょう−


 無論、こんな事は嘘。


「お話しする」、だけで済むような馨ではない。



もう何人とここで話し、そしていくつの夜を越えた事だろう。




「お前はそうやって、ヤル事だけ考えているから、ロクな出会いに発展しないのさ」



ビアンバーで、OZIが水割りのグラスを片手に、タバコを吹かしながら僕に言っていたのを思い出した。


「もっと”心”で結びつく事を考えなきゃな」




もっともらしい事を言いやがって。地に足がついたようなOZIに馨は苛々した。


もちろん、僕だってそうしたいと願っているんだ!


だけれど、どうしてか上手くいかない。




どうして女共は僕から離れてしまうのだろう?


なぜ?なぜ?なぜ?




「ゆか☆」が出て行ってから、なかなか次の「お客様」が来ない。


もう1時だ。そろそろ諦めて、今日は寝よう。




馨がサイトを閉じようとマウスを動かすと、


「こんばんは」


PCの画面に一言だけ書き込まれているのに気がついた。


馨は慌てて姿勢を正した。



馨 「ごめんね。待った?」


kimi 「少しだけね。」



「kimi」?なんで「kimi」なんだろう。チャットでのHNハンドルネームは自分でつけられるのに。



HNは親の世代が自分達につけた名前とは感覚とは別のものだ。普通はもうちょっとナルシスに溢れた名前をつけるものなのに。



馨 「kimiさんって言うんだ?」


少し間を置いて返事が来た。


kimi 「変わっていると思ったでしょう?」


馨 「いや、別に。」


本名が、「公子」とか「貴美子」なのだろうか?


それはおいておいて、このひとからは、返事がなかなか返ってこない。


いたずらだろうか?


そう訝っていると、kimiからの返信が書き込まれた。



「kimi ここにはよく来るのね」


「馨 うん。ほとんど毎日のように来てるかな?」


「kimi 私は、実は初めてなのよ。」


「馨 そうだと思った」


馨は納得した。


「kimi どうしてわかるの」


馨はちょっとためらった。


「馨 入力が、少しだけ遅いから」


彼女を傷つけていないかと少し心配になる。


「kimi ごめんなさい」


やっぱり言わなければよかったかな、と思いつつ、


「馨 いいんだよ。ここに初めてきた人は、大抵そうなんだ。」


と少しフォローしてみた。


「kimi そういえば、さっきの部屋では速すぎて話についていけなかったの」



初めてというこのひとに少し興味が湧いてくる。


僕達には、慣れっこの、少しケバケバしい紫と黒と黄色のチカチカ派手な場所。


初めての人には、一昔前のキャバレーみたいな、このサイトがどう映るのだろう。


それに、ビアンサイトに入る時は、誰でもドキドキするものだ。


「馨 どう?ここに入ってきて」


kimiは驚きを隠せない様子だった。


「kimi まるで別世界がいきなり目の前に広がったみたいだわ…。」


馨も、ここを始めて「アンジュ」に教えてもらった時は、不思議の扉、妖しい世界の扉を開いてしまったような気がしたものだ。




「kimi おまけに専門用語が沢山出てきて、わからない事だらけよ」


「馨 例えばどんな?」


「kimi タチ、ネコ、トランス、フェミ、FTM?」



僕らには当たり前になっている言葉達。


ビアンチャットを始めた頃には、僕も「タチ」だの「ネコ」だのがわからなくて困惑した覚えがある。



「馨 あのね、”タチ”はビアンの攻め側で、”ネコ”はビアンの受け側」


「kimi つまり…、タチは男っぽい人で、ネコは普通に女らしい人?」


「馨 というか、僕らみたいに、男っぽい”タチ”もいれば、どっからどうみても女らしい”タチ”もいる」


じゃあ…と彼女がためらいがちに尋ねる。


「kimi 馨さんは、かなり男らしい?」


「馨 いや…。」


「バリタチ」というと、何か「バリバリの男ファッションで決めた、カッコイイ人。もしくはイカツイ人」というイメージが僕にはある。



「馨 僕の事は、”ボーイッシュなタチ”とでも思ってくれると丁度いいとおもう。」


 ビアンの集まるクラブで、頭を撫でられながら、「可愛い」とドラッグクィーンからおでこにキスされてしまう僕は、言ってみれば「ボーイッシュなタチ」というところなのだろう。




「kimi ”ボーイッシュなタチさん”ね。わかったわ。ところで、馨さんは、ここで彼女を探しているのかしら?」


「馨 そうだよ」


 答えると、それならお邪魔じゃないかしら?とこのひとは訊ねてきた。


やはり、特に相手を探しているという訳ではなく、インターネットをしている間に、迷い込んでしまったのだ。


時計を見た。もう1時か。待っていても誰もこない事もある。


それと、何も知識がない彼女が、他の部屋に行っても、落とされてしまうのは可哀想だ。


今日はこの「kimi」がラストのお客さんで、そろそろ部屋を畳む事にしようと決めた。


「馨 一応そうなんだけれども、別にいいよ。なんでも聞いてよ。」


「kimi 優しいのね。貴方は。」



優しいじゃなくて、単にお人好しなのだ。


「口説き」ではなく、普通のトークをするのも、新鮮な気がした。


一通り、用語について説明すると、この人は満足したようだった。



「私がチャット、不慣れだったので疲れたでしょう?」


「そんな事ないよ…」



子供にはない、落ち着いた雰囲気の彼女に、僕は好印象を持つ。



「馨 ねぇ」


「kimi ねぇ」


僕らは同時に同じ言葉を入れてしまった。


「馨 kimiさんからどうぞ」


「kimi 今日はとっても楽しかった。優しくしてくれてありがとう」


「馨 僕もなんだか不思議と楽しかったよ。こういうのも新鮮だね」


「kimi 私、チャットって、今日が初めてだったの。緊張したわ!チャットって面白いのね!」


このひとが、少しワクワクしているように僕には思える。


「馨 そうさ。僕なんか、もう完全な中毒だよ」


「kimi よかったら、明日もお話できないかしら?もっといろいろなお話を聞かせてほしいわ」


そう!その言葉をなぜか僕も言いたかったんだ。


「馨 じゃあ、部屋を作って待ってるよ。明日の10時でOK?」


「kimi 了解。じゃあ、また明日会いましょうね。きっとよ。」



---------------------------------------




もうすぐ5時。バイクを止めて、本社ビルに戻る。



ここは居心地のいい職場だ。

「よう!兄ちゃん」隣のデスクから人懐っこい声がする。



「よ!岡本君」


「なんだ、そそくさと仕事終わるのかぁ?」眼鏡の奥の目がいたずらっ子のように笑っている。


「爺さんに構ってる暇はないよ」

「なんだぃ、姉ちゃん。男とデートか?」


「んなもん、いないってば」


「ちょっと待ちなよ。一杯やって帰ろう。」


「駄目。今日はバイクだからさ。」


最後の書き物を終えると、僕はとっとと荷物を持ち、走るようにロッカールームへ行った。


自前のバイクに跨り、まだ日の高い街の中を駆け抜けていく。


風が地肌の間をすり抜けていく。なんて心地いいんだろう!!



マンションまでひと走りして、エレベーターを昇る。ドアを開けると、僕の城が広がっている。



畳にすれば8畳もないであろう部屋と4畳ほどのキッチン。


落ち着いたベージュでカーペットから、カーテンまで統一している、お気に入りのスペースだ。



「一人暮らしは寂しくない?」と聞かれるけれど、特にそう思った事はない。



なぜなら僕はそう、パパとママに守られているとわかっているからだ。



実は、そのパパさんと、ママさんは、一昨年からNYに住んでいる。



小さい頃に、東京から九州へ転校したママは


「日本国内でも大変なギャップに苦労をするのに、この子を外国になど行かせたくない!!」と泣いてパパに猛反対してみせた。



父さんは、コーヒーひとつ、母さんがいないと作れない。


まるで一昔前の父親のような人だ。


仕事場では、「鬼」と呼ばれているような人。



それなのに、そんな父さんが、実は母さんがいなくては一日でも耐えられないという事も僕にはわかっている。


 僕を「自分の傍においておきたい」、と必死に説得するパパ。


「子供をおもちゃみたいに、好き勝手に動かさないで!私はここに馨と残るから!」と、めずらしく頑固になっているママ。



その日も二人は言い争っていた。


もう、二月も話し合っていて、らちがあきはしない。


それぞれに想いがあるのはわかっているのだけれど、僕は二人の口論に耐えられなくなってくる。



苛々(いらいら)が頂点に達しそうになったその時、僕の頭の中に、ある光景が浮かんできた。


パパが一人でぽつねんと淋しそうに座っている。ママが実家に用があって家を空けた3日目の事だった。



「馨」

「うん?」

「…なんだか我が家から太陽が消えてしまったみたいだ」



僕だって、パパとなんだかんだお話しているのにそれはないだろ、とあの時は呆れたものだ。


パパときたら、母さんがいないだけで「毎日が夜中」になってしまうのだろうか。



ハッと我に返った僕は、「馨に提案があるんだ」言い争う二人に必死で割って入った。



そして、2週間かけて口説きに口説いた末、セキュリティ会社2社と契約する事、ママの姉の家が隣にあるマンションに住む事を条件に、僕は一人ここへ残った。




もうあれから2年程になる。



僕は頭を切り替え、机の椅子を引いた。そろそろあの人を待つ部屋を作らないと。



PCでいつものあのサイトを探す。


どうにか9時30分には部屋が開くと、コピーペーストしていた文字を貼り付ける。


−kimiさん、来てください−

 


心の中がざわざわとしているのに気づく。


どうして僕はわくわくしているのだろう?と馨はハッとする。



どうやら、「違う世界を覗いて興味深々」チックな人だ。


別に僕じゃなくても、気のいい、親切なビアンがいれば、その人にいろいろ聞けばいい話だ。


いや、もう既に聞いているかもしれない。



10時じゃなくて、もっと早く部屋を開いておけばよかった、と後悔する。



銀色の四角いフレームの針時計を見上げると、時間は9時58分になっていた。



時計の秒針が10時を指す。


僕はもう一度エンターキーを押す。



と、kimiさんが入室しました。というトピックが画面に踊った。



「kimi こんばんは!」


「馨 こんばんは!!」


来てくれたのだ、kimiさんは。


特別これから口説ける相手でもないのだけれど、何かワクワクするものを感じる。


きっと彼女が「大人の女性」だからだ。


僕は大人の女性のチャットでの、落ち着いた、それでいて人生の深みを知っている口調が大好きだった。



「kimi お待たせしちゃったかしら?」


「馨 いや、ワクワクしながら待っていたからいいんだよ」


「kimi 30分も待っていたのね」


チャットの部屋の外からは、誰が、どんなメッセージで待機しているのかがわかるようになっているのだ。



「馨 見てたの!?」


「kimi 早かったのね」


「馨 だったら声を掛けてくれれば良かったのに。意地悪だなぁ(笑)」


「kimi 見ていて面白かったわ。また会えて良かったわね」


馨はちょっと拗ねた。


「馨 ネットナンパ放ったらかして待ってたのに。」


「kimi あら、馨クンは恋人を探しているんじゃなかった?」


いつの間にか、僕は「馨さん」から「馨クン」になっている。


急に子供に落とされたような、ガッカリするような、でも、確実に距離がちぢんたような嬉しさを感じる。




「馨 まぁ、そうなんだけど、僕はもてないからね。」


「kimi そんな風には思えなかったわ。チャットではリードしてくれるし、いろいろと案内もしてくれたし…。」





「馨 僕の場合はやり方が無茶苦茶なんだよ(苦笑)」


「kimi 無茶苦茶ってどんな?」


「馨 うーん…。」


「kimi まぁ、いいわ。馨クンってどんな子なのかしら?」


「馨 そんなの一口では言えないよ」


「kimi 芸能人では誰に似てる?」


「馨 言われた事もあるけれど、自分じゃ似てないと思う。しいて言えばインド人?」


「kimi えっ?」


「馨 夏にカンカンに日に焼くとするでしょう?そしたら、僕はインド人か、ポリネシア人にでも間違えられるんだ(笑)!」


kimiは赤い万年筆をぴたりと頬に当てた。



「馨 kimiさんは芸能人に例えると?」


「kimi 誰にも似てないわよ」


「馨 じゃあ身長は何センチ?」


「kimi 164よ」


僕と同じだ、と馨の文字が嬉しそうに弾んでいる。


「kimi 私も同じなのね。じゃあ体重は?」


「馨 61キロ。kimiさんは?」


「kimi そんな事、女の人に聞くものじゃないわよ(笑)」


馨は眉毛を下げて、困った顔をしている。




「馨 だって、知りたいんだもん。じゃあ、痩せてるか、ぽっちゃりさんかだけでも教えてくれないかな」


「kimi 痩せてると言いたいところだけれどね。出てる所は出てるわね」


「馨 じゃあ、”グラマー”なんだね!」


「kimi そうよ。」


「kimi …何か余計な期待をさせちゃったかしら?」


「馨 したした!」


「kimi グラマーなおんなが好き?」


「馨 もちろん!」


「kimi なぜ?」


「馨 …だって、母性を感じるじゃないか。」


「kimi 馨クンは単にデブ専なんじゃない?」


馨は少し困惑する。


「馨 デブ専って事はないいよ。。だってさ…、柔らかい方がいいでしょ?」


「kimi おっぱいが?」


馨はひゃっと椅子から落っこちそうになった。


「馨 …おっぱいは特にだよ。正直、柔らかい胸の間に顔を埋めながら僕は死にたいと思う」


「kimi 胸フェチなのね」


「馨 そうかもしれない。」


柔らかな胸を吸いながら、挟まれながら、永遠に甘えつづけられれば、僕は何も後悔する事はないだろう。


「kimi 何か想像してるでしょう?」


「馨 ちょっとだけ、ね。」


なんて正直に、こんなテーマで会話する子なのだろう、この子はとkimiはあきれる。


「kimi いつもこんな事をチャットで話しているのかしら?」


馨はうーんと、天を仰ぎながら、今までここで何百人と話した会話を思い出していた。




「馨 確かにちょっとHな話は多いかもしれないなぁ。。」


「kimi チャットでHを迫るとかもする?」


「馨 そんな事しないよ。あんなバーチャルHつまんないもの」


「kimi バーチャルHって?」


しまった。墓穴を掘ったかもしれない。このひとは入りたてで、チャットで、”あの事”が行われている事すらも知らないのだ。


「馨 つまりその…。」


「kimi つまりどんな?」


「馨 チャットしながら、画面の向こうで、アレをなさっている状態とでも言えばいいのか…。」


「kimi つまりは、テレフォンセックスならぬ、チャットセックスって事?」


馨はちょっと困ったように頭を掻いた。


「馨 まぁ、そういうこと」


「kimi 馨クンが毎日来てるのは、それを楽しむためなのかしら?」


「馨 まさか!」




いかにチャットHが面白くないかを、どう説明しようかと必死になる。



「馨 あんなのさ、あっだの、「ああああああああ〜」だの…」


「kimi うん?」


「馨 よく、そんな言葉、恥ずかしげもなく打てるなぁと…」


「kimi そうかしら?」


「馨 だって不可能じゃない?いたしながら打つんだよ。「イクー」とか(爆)!」


「kimi キーボードが濡れちゃうわね。」


「馨 ………。」


「馨 …………。」


「馨 ………………………………………………………………………………………………。」


「馨 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!。」



「kimi 大袈裟ね(笑)」


「馨 なんて事を!!(笑)」


「kimi ふふ。」


「馨 Hそのものは大好きだけれど、なんでチャットHをしたいのかがまったく僕にはわからないよ」


必死に馨は抗弁する。


「kimi それはね…女も、淋しい夜もあるの。」


「馨 そんなものなの?」


「kimi ええ。許してあげなさい。」


馨は困惑した。



「馨 見えない、触れない画面の向こうの相手に、興奮できる気持ちがわからないのよ


「kimi 興奮しないの?」


馨の心臓が早鐘を打った。。


「馨 しないってば!!!」


「馨 だって、やるだけやったら、「あーすっきり」ってな感じで、おやすみなさいだよ。」


そうだ。チャットHに来る女の人は、ただ、マスターベーションがしたいだけなのだ。



 話をHな方向に強引にもっていき、「想像してみて」となる。そして、それに応対していくうちに、いつしか返答が切れる。


「馨 気持ちよくなったら、落ちていくのがチャットHだよ。」


勝手なものさ、と馨は笑った。


「kimi 面白そうだわね。チャットH。」


「馨 やりたいの?」


「kimi 冗談よ。」


馨は慌てた。


「馨 あれは面白くないよ!こっちはウンザリしながら、「乳首吸っていい?」とかやってるの。早く終わってくれないかなー、とか思いながら(笑)」


「kimi ふーん」


「kimi ねぇ…」


「馨 うん?」


「kimi 馨は自分でしないの?」


「馨 自分でって?」


「kimi 一人Hよ」


「馨 な、なんという質問を。。。」


「kimi (笑)。で、どうなの?」


「馨 いや…」


「馨 やり方わかんないもの。」


この子は、マスターベーションのやり方も知らずに女を口説いているのか、とkimiは笑ってしまった。ちょっとからかってみたい、意地悪な気持ちがもたげてきた。


「kimi ねぇ…」


「kimi 君は女の子相手に寝た事ある?」


「馨 …」


「馨 あるよ。」


自分を頂点に導けないのにどうやって相手の女を絶頂に導くのかしら?


「kimi H,Hって言うけれど、ビアンの人はどうやってするの?」


「馨 指だね」


「kimi 指だけで絶頂に導くの?」


「馨 もちろん。だって僕たち、ついてないもの」


まずい質問をしてしまったかしら、と思いながらも、興味を抑える事ができない。


「kimi 自分でできないのに、相手にはできるのね?」


「馨 うん。最初の人に、丁寧に教えてもらったから。」


教えてもらえなければ、今でも僕は、経験がないまま、どうしようと頭を悩ませていたかもしれないと、馨は真面目に語っている。


「kimi 自分は絶頂に行った事がないのに、相手が達した事がわかるのかしら」


失礼だな、と馨は少しむっとする。


「馨 数打ちゃ、嫌でもわかるよ」


「kimi 相手のひとはちゃんときてくれる?」


「馨 うん。時間も待ち合わせ場所もちゃんと約束してるからね」


「kimi 断られた事は?


「馨 そりゃあるさ。2回あるよ。」


2回?ほんとに2回だけ?


kimiは信じられずに、馨が傍にいるのならば、大声で訊ねてみたかった。




「馨 なんとそのうちの一回は3時間も待っていたんだ!」


「kimi すごいわね。諦めてかえりなさいったら」


「馨 …だって、淋しいじゃん?」


「kimi うん?」


「馨 僕はものすごくワクワクして出掛けるんだよ。どんな人かな?僕の事、気にいってくれるかな?今度は彼女になってくれそうかなって…。」


「馨 来てくれなかった時は、真面目にベンチで泣いてた」


「kimi 抱けなかったから泣くの?」


「馨 たぶん、淋しくて淋しくて、見捨てられた子供と同じような気持ち」


「kimi 女一人来なかったぐらいで。次にまた会う子を探せばいいんだからいいじゃない」


馨は、このひともやっぱり僕の淋しさをわかってはくれないんだ、とガッカリする。


「kimi もう一つの断られたお話を聞かせてくれない?」


「馨 いいよ。」


「馨 JRの駅で待ち合わせて、先についていたんだよね。」


「kimi うんうん。」


「馨 メールしたら、「こっちに向かっている」って。で、その後、「着いた」っていう電話があったから、安心して、飲み物買って飲んでいたんだけれど…。


「馨 それからメールしても一向に来ないんだ。高架下でずっと待ってた。4時間待ったかな。あれは虚しかった(爆)!」


パソコンをする時と、本を読む時だけかける眼鏡をずらしながら、kimiは考えていた。


「kimi ねぇ…、その時、何を飲んでいたの?」


「馨 リポビタンDだよ。」


kimi オヤジ臭いわね。



馨 僕はよく飲むよ。リポビタンDとか、デカビタとか…


kimi オロナミンCとか…


馨 うんうん。栄養価もあるし。


kimi 飲みながら待ってるのね


馨 喉渇くしね。何にも入っていないものより、同じ飲むなら、身体にいいものがいいよ。


kimi …。


馨 何?


馨 何だよ?


kimi ほんっとうに馬鹿ね!


馨 は?…


kimi そりゃ引くに決まってるわ。


馨が目の前にいたら、頬を思いっきり、つねってやりたい気分だ。




kimi 馨クン、いいこと? 女の子はムードが大切なの。いつもはそれでもいいけれど、これ


から夜を過ごす事になる相手が、いきなり高架下でリポビタンD飲んでいたらガッカリするでしょう。


馨 そうかな?


kimi そうなの!!まったく何をやってるんだか。


馨 うーん?


kimi …。


kimi ごめんね、笑いが止まらなくなっちゃったわ。


kimiはPCの前でお腹を抱えていた。



馨 ギャー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



どうやったら、このとんま君はわかってくれるのだろう?




kimi お願いだから、そういう時には、コーヒーでも飲んでいて。UCCのミルクじゃだめよ。


馨 コーヒーではあれが一番好きなのに。


kimi ダメよ。美味しくなくてもいいから、ショート缶のコーヒーにしなさい。


馨 紅茶花伝は?


kimi だめ。想像すると笑っちゃうもの。ドキドキして会いに行ったら、相手が紅茶花伝の大きい缶飲んでると思ったら…。


馨 いっぱい飲めてお得じゃない?


kimi いいこと?あなたはいいかもしれないけれど、相手は貴方にこれから身を預けるのよ?


馨 わかった。これからは考えるかも。


kimi かもじゃないの。約束しなさいよ。


馨 約束はできないちゃ


kimi 意外と頑固ね〜。


馨 だって守れそうにないもん。


kimi バカ…。


馨 あっ…。


馨 嫌われちゃったかな?


kimi だから”彼女”ができないのよ。


馨 そうか…


kimi ショボンとしなくていいから


馨 うん…。


kimi まぁいいわ。




「kimi」は結構、突っ込んでくる人みたいだ。何が「まぁいいわ」何だろう?そんなに「リポビタンD」が気に障ったんだろうか。




「馨 僕はいつだって本気なんだよ。本気で会いに行くんだ。最初から身体を求めるけれど、それは寝ないと安心できないからなんだ。」



馨はいかに自分が真剣にそう思っているのか伝えたかった。



「馨 そこから始めて繋げようとしているのに、どうして受け止めてもらえないんだろう。」


みんなみんな逃げてゆく。身体を預けただけで。


抱いたら自分のものになる。抱かないと女の子は逃げてしまう。


僕には抱かないまま口説ける自信も、友達からはじめる余裕もなかった。


一種の病気みたいなものなんだろう。


わかってはいても、この狂おしい思いを、自分でも止める事ができない。


まず抱かないと安心できない。すべての話はそれから。


待ってなんていられない。


まずは自分の腕の中でモノにしてしまって、安心しきりたい。


他人から見れば狂っているんだろう。


誰にも僕の気持ちなんてわかりっこない。


どの女もわかってくれなかった。


いつかわかってくれて、僕の丸ごと全部を、全身で受け止めてくれる女神のような人が現れるという夢にすがって生きている。


だから今夜も口説くんだ。



いくら説明してもわかってもらえない虚しさ。


このひとだって、わかったふり、賢いふりをしているけれど、所詮女だ。


僕の気もしらないくせに。


泣きたいような、ひとりぼっちで世界から取り残されてしまったような虚無感に脱力してしまう。




馨 そうだよ、所詮、こんな僕を受け止めてくれる人なんていないのかもしれない。




急にkimiに対して、冷たい気持ちが起こってくるのを抑える事ができなかった。




kimi 馨クン


馨 うん?


kimi 明日は私が部屋を作っておくからきなさい。


馨 えっ?


kimi 仕方がないからモテナイ君の愚痴に付き合ってあげるわ。どうしたらいいか、一緒に考えましょう。


kimi …時間は9時でいいかな?



僕の気持ちをわかってくれようとしている。暗闇からサーッと一筋の光が見えたような気がした。




馨 OKです!!


kimi じゃあ行くわね


馨 うん、ありがとう。


kimi じゃあ、おやすみなさい、”モテナイ君”。



kimiは先に部屋を出ていった。


kimiは辛辣だけれど、博愛精神に溢れた人なのかもしれない。


これから一緒に考えよう。


kimiならば、わかってくれる。


きっと、僕の全てをわかってくれる。





-----------------------------------




重厚な木製の扉を開けると、そこには夜空が窓いっぱいに広がっていた。

カウンターから、手を挙げている男がいる。


「ここだ、貴子」


田中貴子は、暖かく手を振る男を見つけると、ほっと力が抜けた様子で近寄っていった。


そして、手の持ち主の横にすべりこむ。


矢沢隆俊とは10年以上の付き合いだ。




「マティーニを」

「かしこまりました」


この男に、高級な黒のスーツがよく似合う。いつもながらの端正な佇まい。女の注目を集めるのに十分な魅力を持った男。



矢沢はじろじろをわざとらしく貴子を上から下まで眺めた。

「相も変わらずいい女だな」

「あら、お世辞でも嬉しいわ」

貴子はいたずらっぽく片目をつぶってみせる。



「こんな夜中に会えるとはな。」


「なんだか近くにいそうな気がしたのよ。」


「具合はどうだ?」


「大丈夫。もうしばらくで戻れると思うわ」


「もう、復帰してこないのかとハラハラしてたんだぜ。」鬼コーチがいないと、締りもなくなるからなと、矢沢はいたずらっぽくからかった。


「皆は元気かしら?」


「あぁ。何とか貴子の埋め合わせをやっているよ。俺は”戦友”が復帰できそうなだけで嬉しいが。」


「”戦友”か。」


「あぁ」


矢沢はウィスキーのロックを煽った。



「女としても、お前がいなくて淋しかったよ。」耳元で矢沢が囁く。


「嘘おっしゃい。3人の妻に囲まれてハーレム状態でしょ。」


カウンターの下で貴子は矢沢の脚を軽く蹴飛ばしてやった。


まぁな、と、矢沢は高笑いをした。白い歯となんの衒いもない笑顔が眩しい。


「どいつもこいつも勝手な事をいいやがる。間を取りもつのも大変なんだぜ。」


だが、優しい目をして、それでも女は全て可愛いものだよ、と付け加えた。


「本命の彼女ははもうどれぐらいになるんだっけ?」

「7年かな」

「いい加減に結婚してあげなさいよ」

「俺は一つの所に留まれる男じゃないよ。」


いたずらっぽく矢沢は笑う。若い頃の矢沢は、凛々しい青年だった。今は目尻に皺が出来て、何も知らない青年ではなくなったけれど。

若さゆえの固さが取れ、渋みを増した今の矢沢も大好きだ。ハートの暖かい人柄だが、よく日に焼けた強靭な肉体からは、野生の動物のように性的な磁力をも放っている。


ブルブルと震えるような音が微かにした。矢沢はそそくさとスーツの内ポケットを探り、携帯電話を取り出した。


メールが来たらしい。なにやら入力し、まめまめしく返信している姿が似つかわしくなかった。


「貴方もメールも使えるようになったのね」


「なに、仕事の呼び出しなんて面倒なだけでね。これは愛を語る小道具みたいなものさ。」


見てみるかい?と差し出された携帯には、若い女の写真が載っていた。


「何よこれは?」


ピースサインをしている女の下にとペンキで描いたような「れいこだよ」というピンクの文字が、踊っている。



「綺麗な子じゃない」

少し腹立たしく感じながらも認めざるを得ない。

「もっともオツムの方はからっぽそうね」

「あ、ひょっとして妬いてるのか?」

「まさか。女が女を見る目は厳しいだけよ」


そんな貴子が可笑しくて堪らないというように、矢沢は笑う。


「この子とはあなたの会社の人なの?」


「いや。いわゆる”出会い系”ってヤツで出会った。」


本当に?貴子は驚きで目を丸くしている。


「あなたが出会い系に手を出すとは思いもしなかったわ」


貴子は少しがっかりした。


「俺とお前の仲じゃないか。固いこと言うなよ。」


 この”ようこ”という人妻と、”ミーナ”という女子大生ともメールが繋がっているんだ。ようことはメールだけだが、そう遠くない内に会えるはずさ、と、年甲斐もなく嬉々としている。


「貴方の所の社員さんが、こんな滑稽な姿をみたらどう思うかしら?」

「とんだバカ社長だと呆れるだろうな」

「出会い系の魅力って何?」



矢沢はこぶしを顎に当てた。

「スリルだな」

貴子は遠くを見ているような、矢沢の赤くなった横顔を見つめた。


「飲み屋の女なんて、すぐに寄ってくるし、もう飽き飽きだね。だが、ここで約束するとするだろう?そして出会う。しかも見知らぬ相手との初めての対面だ。その緊張感がたまらないんだ。」


「いきなり、一晩だけの相手を見つけたりもする?」


「あるね。だが、そいつはさすがの俺でも難しい。相手は来るかどうかわからないよ。来ても、大抵は物影からこっちを物色してるんだから。」



「あら、女は男ようには簡単にいかなくってよ。ただ、快感を得られればいいわけじゃないもの。」


貴子は人差し指でグラスの縁をなぞった。


「今夜抱かれてもいい相手かどうか、生理的に受け付けられるだろうか、一晩でも心がときめくか。じっと考えているのだと思うわ」


「まるで”経験者”みたいな口振りだな」


「まさか。でも、うまく逢引に漕ぎ着けた事ある?」


「まぁね。だが、いきなり抱くなら、勝算は3割だな。」







「ねぇ…」


「なんだ?」


「いきなり約束をして、ほぼ全員を抱ける男がいたとしたら、どんな人かしら」


「そんな奴はこの世にいないだろう。」


矢沢は笑ってロックを飲み干した。


「さっき言っていたじゃないか。女ってのは警戒心が強い生き物なんだろ?」


 矢沢は怪訝な顔で貴子の方をみた。


その言葉を頭に聞きながら、貴子はカウンターを見つめていた。




「お前、何を考えている?」


貴子は顔色ひとつ変えずに答える。


「何でもないわ。」







貴子は手を挙げてタクシーを止める。


「渋町へ」

「わかりました」


タクシーは動き出し、貴子は深く腰をかけ外を眺めた。


いくつもの灯りを追い越してゆく。


私は張り詰めたこの街が好きだ。


どこかで別れたら、二度とすれ違う事もない街。


皆が他人同士の街。



私が張り詰めたこの街が好きなのは


自分自身も張り詰めて生きてきたからかもしれない。



時間が刻々と進んでいくのがわかるこの街の中


すれ違うのは他人ばかり


どこからこれだけの人間が溢れ出て、


みんなどこへ帰るのか


人が波のように押し寄せて


もう、「物」のようにしか見えない。



それでも、それぞれに心を持ち


痛みをもち


あるときは喜び、ある時は悩みのどん底に陥るのだろう


でも、すべては他人事ー



私がここまで来るまでの道程は長かった。


男もそう


何人の男が、私の上を通り過ぎただろう


そこには喜びもあったけれど、


必ず終わり、というものはつきまとう



「ここで結構よ」


タクシーを止め、マンションへと帰る


12階のボタンを押し、エレベーターに写った自分の顔を、見た。


もう若くもない。焦りにもにた感情が、私を急かす。


このまま、沢山の砂粒のように


埋もれて過ぎてしまっていいの?


人ひとりの存在が、とてつもなく軽いこの街で−


-----------------------------------------




田中貴子はベットの上でそわそわと落ち着かなく時計を見つめた。




今日もあの人は残業だろう。


新しい都市開発のプロジェクトとやらで、この所、3時間も寝ていない。



貴子は立ち上がって、居間へと向かった。



重厚なカーテンを開け、夜の街並を見つめる。



この最上階からは、巨大な大都市も全て一望することが出来る。



ここの夜景が貴子のお気に入りだった。


けれど、今は、無情な淋しさを感じる。




一人きりの長い夜をずっと過ごしてきた。


あの人が嫌いになったわけではない。


むしろ愛している。








結婚という形は取れないけれど


この二人の自由な関係が私は気に入っている。


あの人は私との関係に満足しきっている


だからこその安心感なのだろうけれど



このままでいいの?




誰に会うわけでもないのに、貴子は化粧台に座る


私はまだ、綺麗かしら?


鏡の中でいろいろな表情を作ってみる


次の瞬間、まだ映ってもないはずの老いの影を、背中に見た。


たまらなくなり、貴子は枕を鏡に投げつけた。



貴子は自分が情けなくなった。

ベットの周りで振り回した枕は、羽根があちこちに飛び散ってしまった。


向こうの鏡台には、髪の毛を振り乱し、どうしようもなく憐れな自分がいた。


涙が顔中をぐちゃぐちゃになり、髪の毛は涙で顔に張り付いていた。



ハッとしたかのように、涙をタオルで拭い、髪の乱れを整えた。



キッチンでホットミルクを作ると、白い大きなカップが落ちないように、両手で包むように、PCの前に向かう。



カップに口をつけ、何かを決意したかのように、キーボードにせかせかと指先を走らせた。




部屋を作ると、3分もしないうちに、馨が飛び込んできた。


「こんばんは!!」


kimi こんばんは


馨 今日もkimiに会えて嬉しいよ♪


kimi 待っててくれたのね。ごめんなさい…。


馨 なんかkimiにしてはしおらしいね。


kimi ううん。ちょっと眠かっただけよ。


馨 昨日の今日だもんなぁ。長々と話しちゃってごめんよ。


kimi いいのよ。


kimi こうして話していると、気も紛れるわ。。


馨 僕はいい暇つぶしかよ!(笑)


kimi まぁ、そんなとこかしら?


馨 ひっどいなぁ(苦笑)。今日ね、kimiが来る前にここで話していたんだよ。またひっかかりそうかも…。


kimi ほんっとうに懲りない人ねぇ。で、相手はどんな子?


馨 なんか大人っぽくてね。35歳だって。


kimi あなたは、年増好きなの?


馨 年増!?年増って言わないでよ!!


kimi あら、怒ったの?


馨 そりゃそうさ。あのね、女の魅力は30代からだよ。女盛りは40からって言うじゃん??


kimi そんな諺あったかしら。


馨 なくてもいいの〜。僕ね、30歳からの大人の女の人ばっかり集めた写真集を作りたいと思った事あるよ。格好いい洋服を着てもらって、ヘアメイクもバッチリでね。


kimi 馨クンが考える、「イイ女」を有名人で例えるとどんな女?


馨 そうねぇ。もう2、30年若い江波杏子とか…。


kimi うんうん(笑)^^


kimi ってどうしてそんな古い人を?


馨 レンタルで借りてみたんだ。youtubeっていう動画サイトでもいろいろ見れたんだけど…。


kimi うん。


馨 極め付きは欧陽非非だね!もうおん歳60超えてるみたいですが@@@


kimi 欧陽非非!!(爆笑)


馨 いい女じゃん(笑)。非非って、めっちゃ脚が綺麗なんだぞ。


kimi まぁ、確かに(笑)。


馨 まぁ…ビアンチャットに欧陽非非は来ないだろうけどさ。


kimi …つまり馨クンはセクシーな女性が好きなのね。


馨 そうそう。有名人なら、ライオンみたいな女の人が好きって事かな。こう野生動物のフェロモン全開!!みたいなw


kimi 若い子には全く興味がないの?


馨 十代、二十代も相手がその気なら口説くよ。その年代でも、僕よかよっぽど大人の人がいるから。ただ…。


kimi うん?


馨、そういう人でもね、チャットではなんせ話しが面白くないんだ。大人の人ってチャットでも深みがあるからね。


馨 チャットだって、恋したいじゃない?


kimi こんなバーチャルな場所で?


馨 そうだよ。僕は断言できる。”チャットでもいつの間にか恋の深みにハマる事はある”ってね。


kimi 馨も経験済みなのね。


馨 そうだよ。僕も最初は遊んでたのと、仲間とオアシスみたいな時間を過ごしたかっただけなんだ。だから、恋愛はないだろうと思ってた。チャットはバーチャルだと思うかもしれないけれど、やっぱり雰囲気とか、文字に出る人間的深みってのがあるんだよ。


kimiは、普段はかけない眼鏡を上に持ち上げて直した。


kimi 初心者だからまだわからないけれど、そういう気分ってあるのね。


kimiはわざと他人事のように言ってみる。


馨 ああ。ある意味、現実よりも濃かったりする。文字だけなのに、相手の内面が感じられて、気がついた時には、現実なんてふっとばす。つまり、こっちの方がリアリティのある”現実”になっているんだ。


kimi ふふふ。馨は想像力豊かなのね。


馨 妄想が逞しいともいう?(笑)


馨 でもね、僕、一度もネカマに引っ掛かった事がないんだぜ。


kimi ねかま??


馨 正式名称”ネットオカマ”。バーチャル上でだけ、女になりすましている男の事だよ。現実はオカマでもなんでもなく、只の男なんだけどね。


kimi それって、気持ち悪いわね。


馨 うんうん。普段もオカマならいいけど、パソコン打っているその中身は男そのものだから。


kimi 私も遭遇する可能性はあるの?


馨 勿論。っていうか、ここネカマ多いよ。普通のサイトにいるネカマなら、変体趣味で笑えるぐらいのものだけど、ビアンの子を引っ掛けようとする馬鹿もたまにはいるらしいからのう。


kimi ネカマだと確信を持てる根拠は?


馨 カンだね。


kimi それだけ??


馨 そうだよ。僕ね、友達のサイトで遊んでいた事があるの。そこでは最初にルームに入った人がトンカチを持っていてさ。それがホスト。で、信頼できる仲間がきたら、その人にもホストトンカチをあげるわけ。


kimi この世界では馨は有名人ね。


馨 ネット上だけね(笑)。で、トンカチ持っていると、変な人とがきたら落とせるんだけれど、大抵最初に気がついて落とすのは僕の役目さ。


kimi ネカマじゃなくて落とされたらショックじゃない?


馨 そりゃそうだ。


馨 僕も最初は”麗”に落とされて、3回挑戦したからね。一人称”僕”だしさ。



kimi 私も最初はびっくりしたもの。


馨 やっぱりそうか(爆)!みんなのチャットだとね、僕が問い詰めると、ネカマは白状するか自爆してすごい事になるから、誰も咎めないんだ。カンがない人が下手に落としたりすると、落とされた子が後で違う名前で入ってきて、僕にささやきしてきて「さっきはショックだった」なんて事があるよ。


馨は嬉しそうに話している。



kimi 3回落とされても、挑戦したのは根性があるわね。


馨 根性なんてないよ。ただ、嬉しかったんだ。


kimi うん?


馨 僕にはね、この世の中に、どこにも”居場所”なんてなかったんだ。だから、初めてあのサイトをみつけた時には驚いた。「レズビアンのお部屋」って。「レズビアン」って書いてあるんだよ。しかも、そこでみんなが普通にキャッキャと雑談してるんだ。あの日が初めてだよ。「ここにいていい居場所」を見つけたのは−。


kimi だからネットにハマッたのね。


馨 そうなんだ。ネットがなければ今頃僕は…。



kimi うん?


馨 多分死にたいと思ったままだったよ。


kimi そんなに苦しかったの?


馨 うん。でももういいんだ。ビル・ゲイツは天才だよ。難しいハードの事は置いておいて、僕らは救われた。ビルこそ僕らビアンの救世主なんだ。みんな気がついていないだけでね。


kimi ビル・ゲイツがいなければ、私も馨とこうして出会う事はできなかったわ。


馨 そうだよ。だから僕らはもっともっと感謝すべきなんだ。マイノリティにとってのエポックメイキングな出来事だよ!


馨 …そう言えば、kimiはネットをいつから始めたの?


kimi それが本当につい最近の話なの。ひょんな事からパソコンが手に入ってね。


馨 ふんふん。


kimi いろいろ遊んでいるうちに、ここが目についたの。 


馨 そうなんだ。


馨 ねぇ、ちょっと気になってた事があるんだ。ビアンサイトにいる方に聞くのも失礼だけれど。


kimi 言って。


馨 kimiはビアンなの?


kimiはホットミルクを口元に寄せた。一口飲んでカップを置き、キーボードに指を奔らせた。


kimi もちろん私はビアンよ。


馨 そうだよね。


馨 変な事聞いてゴメン!


kimi 中学生ぐらいの時に、憧れている先輩がいたの。バスケ部のキャプテンでね。


馨 うんうん


kimi 恋心に似た思いだったわ。


馨 うん。


馨はたばこを吹かしながら、考えていた。中高生の時に同性に恋愛感情を抱くのはよくある事だ。と、すると、この人は普通の性癖の人なのだろう。


kimi 馨、今「なんだ、ビアンじゃないのか」って思ったでしょう?


馨 なんで?


kimi すっとぼけちゃって。憎らしい子ね!


馨 まぁ、正直ちょっと思った。


kimi 馨にとっては大した事じゃなくても、私にとっては今でも切なくなる思い出なのよ。


馨 なんとなくわかるよ。


kimi 2年も片思いしてたの。だから、私もビアンの素質があるのね、きっと…。


ふと、馨に自分の嘘を見透かされてるような気がした。


「それにね」とkimiは慌てて付け足した。





「今、好きな人がいるの。もちろん女の人よ。」


パソコンを切った後、kimiは机の前で動けないままだった。


「好きな人がいるの、もちろん女の人よ」


私はどうしてあんな嘘を吐いてしまったのだろう?


馨は少しがっかりした様子と大いなる安堵を得たようだった。





「私は、ノンケ。あなたとは別の世界の人間なの」


どうしてそう正直に言えなかったのだろう?


馨は「そっかぁ」と言いながら、明るく去って行った。


あの子は感はいいけれど、素直な子だから、私の言う事をそのまま鵜呑みにしているだろう。




それでも私の「また明日つきあってあげる」という申し出に、あっさりと「うん!」と楽しそうに返してきたけれど。


どうして私はパソコンなんてしているのだろう。





それも、夜な夜な、馨ばかりと話している。


それとも、私の嘘は気がついていて、知らないフリをしたのだろうか。


あの子なら、それも出来そうだ。


下手に気を回して、私を傷つけない為に−。




明日、馨は本当に来るだろうか?


恋愛の相手にもならない、退屈しのぎをしているだけの嫌な女だと思っているかしら。



そんな事は大した事のない事よ。だってリアルな世界じゃないもの。馨にとっても、私は数ある、通り過ぎて去っていく名もない女の一人に過ぎない。


考えを止めようとしても、堂々巡りになる夜があるものだ。部屋の明かりを消して、眠れないままベットにうずくまっていた。



いつしか、混沌が、私を暗く深い淵に落としていった。


--------------------------------------


馨はパソコンの前でついた肘をだらしなく崩して、「kimi」を待っていた。


今は7時半。約束は9時だけれど。


なんでこんなに早くから部屋を作って待っているんだろう?


ウィンドウをもう一つ開け、部屋の外からサイトを眺めてみる。


夜中は混雑を極めるこのサイトも、今の時間ではまだ空きが5つもある。




馨は@マークを片手でぽんぽんと打ち込んではエンターキーを押す。



「退屈だなぁ…」



だらしなく机の上で寝そべったまま思わず呟く。



エンターキーをぽんぽん打ち込んでいると、


「変な子 さんが入室しました」


と出た。


馨 こんばんは???


変な子ね …。


馨 いたずらですか??


どうせネカマか、男が覗きにきたのだろう。


変な子ね …。


馨 別にいいんだけど(笑)。



「変な子ね」さんが退室しました。と画面に映される。



また寝そべって、@マークをぽんぽんと打ち込む。



「馬鹿 さんが入室しました」


と、トピックが出た。


馨 はう???


馬鹿 …。


馬鹿 ばーか。


馨 い、いきなり馬鹿と言われてもw


馬鹿 早すぎるわよ。。


馨 んんん??


馬鹿 ちゃんと9時に行くからイイ子にしてなさい。


馬鹿 ネットナンパで遅れたらしらないからね。


馨 kimiかよ!(爆笑)


馨 わかったわかった。チャットHでもして時間潰してるわ〜♪


馬鹿 バカ。。。



kimiは微笑んでパソコンを閉じた。kimiは立ち上がると、浴びにシャワールームへと楽しげに


消えて行った。




kimiはキッカリ9時に現れた。


馨は急いで起き上がって、入力を始める。


馨 さっきはどうも(笑)


kimi おとなしくしてたのかしら?


馨 さぁ??


kimi さてはまた何かやってたのね。


馨 今日のは不発弾だってば^^



馨への親しみと裏腹に、貴子は、自分の世界を揺るがされてしまいそうな不安と、レズビアンという生き物への興味がむくむくと湧いてくるのを抑える事が出来なくなりそうだ。


その興味を、馨に悟られないようにせねば。


でも、聞かずにはいられなかった。




「そういえば、この間の35歳のひとはどうなったの?」と。


馨 あぁ、今日会ってみたよ。


kimi お茶でもしたの?


馨 僕がお茶だけするわけないでしょう。。。


kimi エッチしたの!?


馨 した。


なんともなさげに、いとも正直に答える馨に驚く。


動揺を抑えながら、努めて軽く返信する。




kimi 簡単に言うわね(笑)。


kimi 私っていうこんなイイおんながいるのに馨って人は。


馨 だってkimiは僕のものにはならないじゃん。


kimi まぁね?(笑)


kimi 私に期待してたの?


馨 バカか!(笑)。


kimi で、いきなり?


馨 いや、無理矢理っていうのは好きじゃないな。


kimi いっつも無理矢理襲ってるくせに。


馨 まったく人聞きが悪いな〜(笑)。


馨 僕は見込みがない事には入れ込まない性質なの。だってエネルギーの無駄でしょ?


kimi 私は馨の「使い捨てカイロ」にはなりたくないわね。


馨 あのねぇ。。。


馨 僕はいつだって真剣なんだよ?


kimi わかっているわよ


kimi で、今日のデートの首尾を教えなさいよ。


馨 あぁ、今日はね、朝の10時から待ち合わせたんだ。JRの駅でね。


kimi リポビタンDは?


馨 リポビタンDね。はいはい。


馨 飲みたかった。でもkimiがうるさいからジュース飲んで待ってた。で、さとみさんが現れた、と。


kimi 「さとみさん」…ね(笑)


kimi それで?


馨 「では…参りましょうか」ってな感じで、そのまま歩いてホテルに直行。


kimi 朝っぱらからセックスね。


馨 「セックス」って言うなぁ〜。


kimi どうして?「セックス」は「セックス」じゃない。他に言い方があって?


馨 いや、そうなんだけれど…。


馨 そういう事を堂々と言えるようになったらオバサンだぞ〜。


kimi そういえば若い頃は言わなかったわね。まぁいいじゃないの。


kimi さぁ、話しを本筋に戻してね。


馨 平日の真昼間だから、可愛い所に入れたの。ところがびっくり、フロントにお兄さんがいるわけ。


kimi あら。


馨 古びた所だったら、「恨めしや〜」みたいなオババが出てきて「いらっしゃ〜い。いっひっひ」ってな事もあるけれど、若いお兄ちゃんだから恥ずかしくてさ。


kimi 私はホテルでは女の子同士の経験はないの。


kimi ねぇ、断られたりはしないの?


馨 地方の子ならあるみたいだけれど、僕は一度も断られた事はないよ。


馨 都市部は寛大なのかなぁ。


kimi 馨クンが男の子にしか見えなかったとか。


馨 そうでもないよ。勘違いされても、近くによれば女とわかる程度だから。それに格好も昔ほど男っぽい格好にはしていない事多いしね。


kimi でも恥ずかしいのね。


馨 うん、めちゃくちゃ恥ずかしい…。


馨 さとみさんは堂々としたもので、僕の方がコソコソしてた(爆)!


kimi なんだか目に浮かぶわ。それにしても…なぜ午前中から?


馨 フリータイムがあるんだよ。


kimi フリータイム?


馨 カラオケみたいなもの。その間、ずーっと時間を気にせずにいられるんだ。僕はさっさと事を致して、ハイやったから出ましょうっていうのが嫌いで。


馨 始めに、そのひとがどんな女なのかを知りたいんだ。


kimi インタビューするの?


馨 そうだね。しばらくお話しを聞いていたいんだ。それからだよ、事を始めるのは。


kimi 馨が服を脱がせるの?


馨 うん。してもいいのか、とりあえず確認してから。


kimi 意外と慎重なのね。


馨 そうかな?


kimi 彼女は綺麗な人だったの?


馨 特別美人っていう訳じゃないよ。でも魅力がある人で。


馨 部屋に入って話をしたら、「遠距離恋愛の彼女がいる」って言うんだよ。


kimi あらら。


馨 僕はそんな事聞いてなかったよ!!彼女はいないって聞いていたから、誘ったのに。。




貴子は「女なら、それぐらいするわよ」と当然に感じつつも、馨の純情を可愛く思った。




kimi ショックだったでしょう?


馨 ひどくへこんだよ。


馨 しかも、彼女の事を愛おしそうに延々と話すんだ。僕はうんうんと聞いていたんだけれど、頭の中は絶望的な気分に襲われていたさ。


kimi ところで…その、彼女はどこに住んでいるの?


馨 北海道だって。


kimi 遠すぎるわね。


貴子は、だから一晩の相手として、最初から欺くつもりで、すんなりと夜の誘いを受けたのだと納得する。




馨 すごい美人らしいんだ、彼女。なんでバリタチもどきの僕と会う約束してくれたのかとハ

テナマークが浮かんだけれど。


kimi そんな話しをこれからセックスする時に言わなくてもいいのにね。


馨 僕がインタビューしたから仕方ないよ。聞かなければよかった、来るんじゃなかった、って頭を抱えたよ。


kimi 「僕は帰る!」って言ってやればよかったじゃないの。


馨 そうなんだけどさ。


馨 もしかしたら、もしかして僕が抱いたら、僕の彼女になってくれるかもしれないって、淡い希望がもたげたんだ。




甘いわね。相手は最初から、貴方を手玉に取っているのに。





kimi で…したの?


馨 もう一回確かめてみた。そんな話しの後だから。


馨 「いいわよ」って言ってくれたから、僕の彼女になってくれるかもと思ったんだ。


kimi 素敵なセックスだった。


馨 あぁ。その時は素敵だった。でも今は素敵だったと思えない。


kimi あら、美味しい思いをできたのに。


kimi どうして素敵じゃないの?


馨 「昨日はありがとう」ってメールしたら


馨 「ひさびさに何回もイケてスッキリした。お陰で大好きな彼女と会えるまで耐えられるわ。私のペットにならない?」だって。



kimi …。


kimi 馨?


馨から返答が返ってこないので、貴子は慌てた。


kimi 馨?いるの?


kimi 馨クン!


kimi 馨クン!!


kimi 馨ってば!!


馨 いるよ。


kimi 馨


馨が今、何を感じているのかkimiにはわかる気がした。


kimi 馨


馨  ペットだなんて…。ぼくには魅力がなかったんだ。


kimi そんな事ない。


kimi あなたがわかってないだけなの


kimi 馨を好きになってくれる人もいるわよ。


馨 慰めなんかいらないよ!!


馨 kimiに僕の何がわかるっていうのさ!


馨 本気で彼女を探して、このザマだ。みっともないと思うだろ!



貴子は何も言えなかった。馨の悔しさが自分の事のように伝わってくる。



kimi 泣かないで、馨


馨は机の前で両こぶしを握り締めていた。歯を噛み締めて、声も出さずに震えていた


kimi 馨…。


kimi ヨシヨシ…。


馨から、返答がなかった。今頃顔をくしゃくしゃにして、悔しくて泣いているに違いなかった。


貴子はしばらく待つ事にした。



kimi おちついた?


馨 うん…。


kimi よかった。


馨 うん…。


馨 なんでないてるってわかった?


kimi わかる気がしたの。


貴方は純粋すぎるから騙されるのよ、馨。




kimi あなたにはわからないだろうけれど、貴女は騙されたのよ。


馨 そうなのか?騙されたのか?


kimi ええ。


馨 本当に?


kimi 女という生き物に、ね。


馨はしばらく黙って机を睨んでいた。




馨 嫌いだ


馨 だいっきらい


馨 女なんて、みんな死んじまえばいい



困った。


確かに女は嘘吐きな動物だけれど。このまま女、そのものを嫌いになってほしくはない。


どう切り抜けようか、貴子は素早く頭を巡らせた。



kimi そうね、馨。私も思うわ。


kimi 女なんてみんな死んじゃえ〜!


入力した後、ちょっとふざけすぎかな、と感じ、貴子はハラハラしながら返事を待った。



馨 あはは


馨 ちょっとスッキリした。


PCの向こうで馨が笑った気がした。



馨 でもみんな死んじゃ困るね。


kimi なぜ?


馨 kimiまでいなくなっちゃ困る。


kimi あら、ありがとう。




貴子は、胸が熱くなった。



馨 kimiさ、


kimi うん?


馨 僕のお父さんとお母さん死んじゃったんだ。


kimi えっ…。


kimiは顔から血が引き、手から全ての力が抜けていくのを感じた。


kimi いつ…亡くなったの?


馨 二年前、僕が15の時だよ。NYにいたお父さんの仕事でね、二人がパーティに出るために乗った飛行機が墜落したんだ。


kimi …。


馨 でもね、僕、お葬式でも涙も出なかったんだ。


kimi いきなりだものね…。


馨 今でも実感が湧かないんだ。


馨 それに



馨は息を止めた。




馨 僕が殺したようなものなんだよ。


kimi どういう事?どうしてそんな事を言うの


馨 だから、早く死んでくれればいいと思ってたんだ。


kimi なんでそんなひどい事を…。


馨 二人は常識の塊みたいなまっすぐな人達なんだ。


kimi うん。


馨 とっても優しい人達なんだ。


kimi 馨を見てたらわかるわよ


馨 だから、僕が同性愛者だって知ったら、ママなんてきっと発狂してた。


kimi …。


馨 そんな目に遭わせないで、何も知らずに天国へ行けてよかった。


kimi …。


馨 僕はね、こんな身体も、僕を受け入れない社会にも絶望していた。


馨 二人さえいなければ、とっくに死んでたはずだよ。ビアンのチャットも知らなかったしね。


kimi 正直に言えばよかったじゃない!


kimi 親ならば、どんな事も許せるはずよ


馨 kimiは二人を知らないから。


馨 ママとパパの人生が終わるまで、僕は生ける屍だったのさ。


kimi 馨…


馨 僕が殺したんだ。そんな事思っていたから。


kimi お願いだから止めてよ!!


馨 どうしてさ?僕が殺したんだ。


kimi 馨が殺したんじゃない!!


馨 なんで見もしらない僕に怒るの。


馨 どうせkimiには、どうする事もできないのに。


kimi できるわ。私の事を親だと思いなさい!!


馨 …


kimi 親と思えなかったら、お姉さんでも、お兄さんでもなんでもいいから。


kimi 私が馨の新しい家族になるわ。


長い沈黙の後、画面に字が浮かび上がる。



馨 こんな出来損ないの身体でもか


kimi うん…。


馨 レズビアンの変態でもか


kimi うん。


馨 僕が殺したのに?


kimi そんな事言ったら、天国のお父さんとお母さんが泣くわよ。


kimi あなたには新しい家族ができたの。だから一人ぼっちじゃない。


馨 僕が殺したんじゃないよね?


kimi 何言ってるの。事故だったのよ…。


馨 うん…。


kimi 私は薫の家族だからね…。


馨 うん…。



その晩、動揺している馨が、二度とおかしな事を考えないように、私は子守唄のように、朝が明けるまで、お話を続けた。




kimi ねぇ、馨


馨 うん


kimi 馨は誰かに愛されたいと思っているけれど、誰に愛されなくても、馨は馨よ。


馨 愛される魅力もない、タチか。


kimi また、僕の事知りもしないのにって思っているのでしょう。


kimi でもね、さっきのバカ女よりは、馨の事、知ってるつもりよ。


馨 …うそでもありがとう


kimi 嘘じゃないったら。これだけ真剣に言ってるんだからわかりなさい。


馨 そうか


馨 はっはっは


馨 なんだか、理解者がいると思ったら、昨日の事も笑えてきたかも。


kimi よかった。


貴子は心底ほっとした。



kimi なんだか、貴方の”ママ”みたいな気分だわ。


馨 え?


kimi 私は27って言っていたけれどあれは実は嘘なの。


kimi 本当は42歳のオバサンよ。


馨 うそ…。


kimi びっくりしたでしょ?


馨 …。


kimi 言っておくけど、これでもモテルのよ。でも42歳じゃ、馨の話相手にしてもらえないと思ったの。


馨は、引いてしまったのだろうか。返答までの時間が果てしなく長く感じる。




馨 ねぇ。


kimi うん?


馨 じゃあ、僕の”ママ”になって。


kimi 貴方のママ?


思いがけない答えに、kimiは戸惑った。



馨 僕は、パソコンに出会うまで、誰にも自分の本当の気持ちを言えないままできたんだ。誰にも、だあれにも…。


kimi うん…。つらかったわね。


馨 僕、kimiになら、なんでも話せそうな気がするんだ。本当のママには話せないだろう事も、悩みも苦しみも、全部相談できそうな気がする…。


馨 あと、本当のママに話したかった事を、全部話したいんだ。あと、ママにもっと優しくしたかった。代わりにkimiに優しくしたいんだ。


馨 だめかな…。



馨はドキドキしながら、kimiの返事を待った。



kimi 大きな子供がいきなり出来たもんだわね。


馨 kimi!!





馨はkimiが傍にいるのなら、抱きつきたい気分だった。



kimiは、いつの間にか流してしまった涙を小指で拭う。





kimi さぁ、また明日から特訓よ。


kimi ママが馨をモテル男にする為にビシバシしごくわ!


馨 おっかないな(笑)。


馨 明日もお手合わせ…じゃないか、ご教授頼むとするかな。


kimi 私の特訓は甘くないわよ。


馨 そんなのもうわかってるって(笑)。


kimi アハハ


馨 今日は僕から先に落ちるから。


kimi ん?


馨 愛してるよ、ママ。



そう言い残すと、いきなりチャットを落ちてしまった。



これでいいのだ。今日は馨を見送りたい気分だった。


なんて馨は可愛いのだろう。


私に子供ができなかったから、その分を注いでしまっているのだろうか。



馨が、どうして無性に女の身体を求めるのか、そして、どうしてゆっくりと大人の関係を結ぶ事ができないのか、パズルのように一つ一つがつながっていく。



馨がわかり、自分も正直に年齢を打ち明け、ほっとすると、同時に不安にもなった。


案外シャイなあの子は、恥ずかしくて、もう私と顔を合わせないのではないかと、ふと心配が頭を過ぎった。




翌日、不安は的中した。


もう約束の9時を30分も過ぎたのに、馨は来ない。


9時35分に、馨は、やっと部屋に入ってきた。


馨 こんばんは…


馨は昨日泣いてしまった事が照れくさくて、こそこそと入室した。


kimi 遅かったわね


馨 すいません。




貴子 はいつもより馨が他人行儀なのに気がつく




kimi どうしたの?


馨 いや、どうもしてないんだけれど。。


kimi 昨日の事、気にしてるのね?


kimi 恥ずかしがらなくっていいわよ。


馨 いや、恥ずかしがってなんかないってば。


kimi 嘘おっしゃい


kimi オナペット馨


馨 ぎゃあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!


馨 やめてくれよーーーーーー\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\



kimi 馨の電動こけしはなかなか優秀っと


kimi めもめも


馨 めもすんなーーー!


kimi ママが馨をオナペットとして派遣して…、出張費は500円で商売できるかしら?うーん。


馨 ばかなんじゃない?(呆)


馨 っていうか…なんかキャラクターが壊れてきてるぞ


kimi そうね。最近ちょっとおかしいわ。


kimi 私らしくない…。シリアスで通ってきたのに。


馨 うへー(笑)。


馨 まじウケル(爆笑)!!


kimi 笑うところじゃないわよ。


馨 変わったひとだなぁ。


kimi 馨の方が変だわ


kimi 素直におなぺっとになっておけばいいものを。。。


馨 ………………。


馨 ………………………………………………………………。


馨 「ぇいこ@はおぇ;お」p9@いぷぺぽお


kimi 壊れないでよー


馨 …なっとけばよかったかもね。もったいないことをしたーー!


kimi やっぱり断ったのね


馨 僕が了承すると思ってたのか?


kimi 女体好きな馨なら、ありえるわ。


馨 女体って…。まぁ、大好きなのは否定しないけどさ(笑)。


馨 エッチは大好きだけれど、愛される希望のないエッチは虚しいだけ


馨 愛されたいんだ


kimi うん


馨 誰でもいいから…。


kimi えぇっ?


kimi それはだめよ。


馨 へへっ。


kimi っていうか…


kimi 本当に「誰でもいい」と思ってる?


馨 うーん…


kimi 考えるとこかしら?(笑)


馨 いくら僕でも犬や猫はちょっと…。


kimi そういう問題なの!?


馨 いや、本当に「誰でもいい」訳じゃないみたい


kimi 他人事みたいに言うわねぇ


馨 今考えてたんだよ。


馨 僕にもやっぱり「ちょっと違う」って事はあるよ。特にチャットはバーチャルだから。


kimi 思っていた人と違った?


馨 うんうん。勝手に想像が膨らんじゃうんだよね、会う前にね。


馨 で、会ったら、「ええーーー??」ってな事はあるよ。


kimi もしHする約束してたらどうするのかしら。


馨 それはキチンとご馳走になりますよ(笑)


kimi 好き嫌いなくなんでも食べるのね。


貴子はちょっと嫌味を込めて言ってやった。



kimi Hがしたいのか彼女が欲しいのかどちらなのよ


馨 Hもしたいけれど、そこから彼女を探してるんだ。


kimi 解り難いわ


馨 なんて説明したらいいんだろう…。


馨はパソコンのディスプレイの前で頭を掻いた。


馨 僕はね、最初に抱かないと安心できないんだ。どこかに相手が離れていってしまうような気がして、不安で不安で仕方ない。


馨 だから、抱いてしまえば、僕は安心できるんだ。


kimi それじゃあ、「セックス依存症」じゃない?


kimi もう少し余裕をもってみたらどうかしら


kimi いきなり抱こうとするのではなく、デートを重ねてみたらどうなの?


馨 僕には無理だね。


馨 駄目なんだ。離れてしまいそうで、不安で不安で仕方ないんだ。



それはきっと、馨のどこかに、何か埋められないものがあるからだわ、と貴子は分析する。



kimi チャットにトピックを入れる欄があるじゃない?


kimi あの欄にはいつもなんて入れてるの?


馨 kimiが最初に入ってくれた時と同じだよ。「近くの人、お話しましょう」。


kimi それだけ?


馨 「近隣で、実際に会える人来て下さい」の方がほとんどだね。


kimi だからよ、きっと。


馨 んん?




どうりで、セックスばかりが目的の女が集まるのはそのせいだ。


馨がそのセックスを通して、初めて安心して口説けるようになるというのだから、話はややこしい。





kimi で、どうやって会えるように話しを持っていくのか教えてくれる?


馨 まず、年齢、自己紹介、そして雑談をして、話しが合えば、「近々、デートしませんか?エッチもありで。」っていう風に。


kimi なんというストレートな!


kimi だって、ここはそういう場所はないじゃない?


馨 そういう場所って?






貴子は、以前の職場のレイコとの会話を思い出していた。


レイコと今の彼氏は出会い系で知り合って、今でも続いているらしい。


「あなたみたいな子でも出会い系を使うの?」


「ヤですね、先輩。今時当たり前ですよぉ」


あっ、っというようにレイコは肩をすくめた。


「すみません。つい友達言葉になっちゃって…」


ほんとにすまなそうに小さくなっているレイコに貴子は笑って肩を叩いた。



「いいのよ。私の世代には馴染みがないものだから。」


ぺろっとレイコは小さく舌をだした。


「これが今の彼なんです。」


貴子は目を見開いた。


「カッコいいじゃない!」


お世辞でも社交辞令でもなく、白いマフラーを巻いた彼は、爽やかな目をした好青年だった。


レイコは嬉しそうに

「彼は今、弁護士になる勉強をしてるんです。試験が近くなるとなかなかメールしてこなくなるから、「もう大嫌い!」とか入れると、焦ってメールを送ってくるのが可愛くて」


「なんだか彼、モテそうじゃない?」

「実はそうなんです。彼の学校の女の子がちょっかい出してくるの。頭にきてケンカになったんですけれど…」



レイコは声をひそめた。

「実は私の方が3人と付き合ってた時期があったりして」

貴子はレイコの顔をまじまじと見てしまった。ちゃめっ気たっぷりで、人懐っこくて、くるくると大きな目をしたこの素直そうな子が三股を?


ギャップに動揺したのを胸に抑えた。


「いまのたかしクンとは、このサイトで知り合ったんだけれど…」とレイコは携帯をチャカチャカ動かしながら、「ここにも入っていた事があって。でもたかしと付き合ってからは、覗く程度だけれど」。



先輩もどうですか?などと無邪気に薦める。

「ここは、ラブラブ恋人募集のコーナーで、ここは純愛プラトニックコーナー。で、ここは…」レイコはウフフと堪えきれない様子だ。


「何よ?」「今日会える人コーナー。つまり、時間空いてる者同士が、今からエッチしようコーナー!!」きゃははとレイコは無邪気に笑った。「みて、こいつ」。そこには茶髪でランニング姿のいきがった若者が斜めに身体を向けてこちらを見つめている。


「今、暇だよぉ。俺といい事しない?だって!」レイコはいったん笑い出すと止まらない。


「こんな誘いに乗る子がいるのかしら?」貴子は少々呆れながら、写真の少年を見ていた。


「いるからあるんですよぉ。レイコも一回だけ行った事がありますよぉ」

「ウッソォ!!」

「先輩、声が大きいですって」レイコはちらちら辺りを見回したが、実は大して気にも留めてそうになさそうで、更に活き活きと勢いづいている。


「実は3回試みた事があったりして」とペロッと舌を出す。

「で、どうだった?」


レイコが嬉しそうに目を輝かせる。


「コンビニで待ち合わせをしたんですけれど、じーっと遠くから見ていたら、それらしき男が

いたんですよね。」


「うんうん」


「格好はいいんだけれど、私、無精ひげを生やしている人は嫌いなんです。だから…そのままダッシュで帰っちゃった」


悪びれる様子もなくレイコはけらけらと笑う。


「あと2回は?」


「ひとりは叔父さんだから逃げちゃった。あと一人は、約束はしたんですけれど…」


「ん?」


「その人は一週間後って指定してきたんですよ。」


「それが何か問題あるの?」


「大アリですって。ああいうのは、その場の勢いがあるから行けるものでしょ。一週間も生活


してたら、その間に「あ〜、馬鹿な事約束しちゃった。もうしたい気分じゃないし」って冷静


になりますよ。」


「あはは、それはわかるわ」


「でしょでしょ?レイコの友達で実際にしちゃう子がいるんだけれど、その子も、「今すぐ」ならば行くけれど、日程をゴチャゴチャ先延ばしにされたらまず100パー行かない。」

女の欲望って、そんなものよね」貴子もそれはわかる。



男はいつでもやりたい動物だけれど、女は日常生活が始まると正気に戻るもの。


その疑問を馨にもぶつけてみたい気がした。




kimi ねぇ、馨


馨 うん?



kimi ここには「Hのできる人コーナー」っていうチャットがないでしょ。


馨 わかってないなぁ。ビアンサイトにそんなものあってもガラガラだってば。


kimi あらどうして?


馨 わかりやすく説明しようか。


kimi お願いするわ。


馨 kimi、発展場って知ってる?


kimi 何よそれは?


馨 ゲイが集まる場所があるんだ。サウナとか映画館とかね。そこで見知らぬ同士がいたすわけなんだけれど。


kimi いたす、ってセックスの事?


馨 うん。


kimi つまりは発展場=乱交場ってことなのね!


馨 乱交って(爆)!まぁ、近いけれども、ちょっと違う。


kimi どういうふうに違うのかしら。


馨 あくまでそこで出会った、自分の好みの相手を抱くわけ。


kimi 乱交じゃなくって、一対一なのね。


馨 ビンゴ!


kimi 想像できない。私には異次元の世界だわ。



頭がくらくらしそうになりながらも、話を元に戻さなければと貴子は慌てた。


kimi それが、ビアンには「Hのできる人コーナー」っていうチャットが出来ないっていう事と、どういう関係があるわけなのよ。



馨 わかるように言うから、ちょっと待って。


馨 ゲイのハッテンバは、日本全国にあるのに、ビアンにはハッテンバがないというのはどうしてでしょう?


kimi ビアンは性に関して、選り好みをするって事?


馨 まぁ、そんな感じ。危険面をクリアしても無理な部分がある。つまり、さぁHしましょうっていうチャットを作っても、ビアンの場合はガラガラになるよ。


kimi あら、それは普通の女も一緒よ?


kimi 余程のハプニングでもない限り、好きな男としかセックスしないもの。


馨 そう。ビアンも女の子だからね。


馨 特に受け、つまりネコはね。


kimi ノンケの女の子より堅いのかしら。


馨 それはまさに正しいね。この世界の方が、よほどプラトニックなんだよ。


kimi ほんとかしら?


馨 嘘だと思ったら、どこかのチャットで聞いてごらん(笑)。





馨の言っている事と、馨のやっている事は、随分と矛盾しているような気がする。


馨は攻める側だから、男みたいなものなのだろうけれど、相手のネコは?


慎重なはずのビアンの女達は、なぜ、そう易々と、馨の申し出を受けるのだろう?





kimi ねぇ、馨クン


馨 うん?


kimi ここってパソコンのサイトじゃない


馨 そうだよ?


馨 どうしたの?いきなり…。


kimi このサイトがもし、携帯なら、今からエッチしましょう、とか、外出中にも入れられて便利なのにね


馨 言われてみればそうだねぇ^^。


kimi 普通の男女の出会い系サイト見た事ある?


馨 あるわけないじゃん。僕はビアンだもん。


kimi ねぇ、馨はここのツーショットで会う約束するとするじゃない。


馨 うん。


kimi パソコンで約束したら、速攻で抱くの?



まさか!と馨が笑う。



馨 まず向こうの都合を聞いて、開いてそうな日に決めるね。だから大抵は土曜日の夜とかになるよ。


kimi ということは、チャットしてから数日後になるわけね。


馨 そうそう。


kimi その間、忘れられないように相手にメールしたりするのね。


馨 いや、特に僕からはしないよ。会う前にしつこいと思われたらなんだかイヤだもん。


kimi あまり日が開くと、向こうが忘れちゃうんじゃないかしら


馨 あはは。10日ぐらいなら忘れないよ(笑)。


kimi なるほどね。


kimiは赤い万年筆をピタリと顎に当てて、ディスプレイに写る馨の文字を見つめていた。


馨 どうしたの?


kimi あぁ。私なら、次の日に朝食を食べたら「あぁ、変な子と可笑しな約束しちゃったわ」で、馨の事忘れちゃうわね。


馨 ひどい女だなぁ(笑)。


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ひどいのは一体どっちかしら?



明日は約束があるからチャットに来れなくてごめんね。


そう言って去って行った馨。



スタンドを消して、ベットに潜り込む。


暗い部屋の中で私は考える。



明日も貴方はまた


わたしのしらない女を抱くのね


私は複雑な思いに駆られた。








翌々日の約束を私は破った。


馨はそれでも次の日も部屋を作り、私を待っていた。




kimi ハーイ。馨。


馨 昨夜はどうして来てくれなかったの?


馨は少し怒っているようだ。


kimi 私も毎日暇な訳じゃないのよ。


馨 そうか…。


馨 kimiに会わないと、僕はなんだか全てにやる気がなくなってしまうよ。


kimi ごめんなさい。


kimi で…、昨日の密会はどうだったの?



恐る恐る訊ねてみる。


馨 加奈子さんっていう人だったんだけど、まず加奈子さんに案内されて、和食のお店に行ったんだ。


馨 なんか小さな石の粒が敷き詰めてある、長い庭を通ってね。


kimi 高級そうなお店ね。


馨 そう。なんか街の中にあるのに、いきなり和の別世界だよ。


馨 二人だけの個室に案内されて、すごく緊張した。


kimi 緊張して味が解らなかったとか?(笑)。


馨 最初は何がなんだかもう(苦笑)。後から段々味が解るようになったら、目茶苦茶美味しい事に気がついたんだ。


kimi で…加奈子さんは綺麗だった?


馨 うん!美人だったよ!


馨 (ウットリ)。


kimi 幸せな子ね。で、それからどうしたの?


馨 お金を払おうとしたら「いいから」って手を抑えられて。


馨 会計占めて4万8千円也!!


kimi 彼女はお金持ちなのね。


馨 ロクにお酒も飲んでいないのに…。


kimi 馨にとってはそんな豪華な食事は初めて?


馨 あそこまではないよ。中産階級の子供だもん(笑)。


馨 和食も極めると目茶苦茶美味しいものなんだなぁ…。


kimi それからどうしたの?


馨 加奈子さんのお気に入りのバーに連れて行ってもらったんだ。


kimi うんうん。


馨 そこも凄かった。


馨 グランドピアノを演奏しててさ、みんなお金持ちそうで。


kimi アハハ!!


馨 「僕、こんな格好してきてよかったのかな??」ってオロオロしたっていうの(笑)。


馨 世の中には僕の知らないワールドが存在するものなんだなぁ…(シミジミ)。


kimi そうよ。馨が知らないだけ。


馨 kimiはそういう所に行った事あるの?


kimi ないわよ。


馨 じゃあ僕とおんなじじゃん。


kimi 悪かったわねー。


kimi で、それから?


馨 シコタマ飲んじゃったよ。優しい人で、僕がお酒好きなの見抜いたのか、「どんどん飲んで」って。


馨 グラスの残りがまだあるのに、すぐにボーイさんを呼んでくれるんだ(感慨)。


kimi ふむふむ。。。


馨 いろんなお酒を知ってるみたいでね、「なんとかなんとかがいいわよ」って、お酒のウンチクから説明してくれてね。


馨 なんだっけ。「タンカー」とかいうカクテルも勧めてくれて。。


kimi それを言うなら、「タンカレー」よ(笑)。


馨 そうそう。「カレーみたいな名前だな」って思ったの思い出した。


馨 アハハ。


kimi 「タンカレー」はかなりアルコールがキツクなかったかしら?


馨 舌が焼けるかと思ったよ(笑)。で、タンカレー?で僕はノックアウトされちゃったんだ。


馨 もう頭がフラフラになってさ…。


kimi 彼女がトイレに連れていってくれた?


馨 ううん。「大丈夫?」ってそのまま外に連れ出してくれて、ちょっと歩いたかと思ったら、そこが彼女の自宅だったんだ。


kimi 直接自宅?


馨 うん。そうだよ。


kimiは頭を巡らせた。女が見ず知らずの初対面の相手を、ホテルにではなく、家に上げるなんて!


馨 彼女は先にベッドに潜り込んじゃったんだ。真っ暗でさ。このまま一人で寝た方がいいのか、立ったままオロオロしてたら、彼女がベッドに招き入れたんだ。


kimi それで?


馨 彼女が僕の頭を胸に抱え込んだんだ。たまらなくなって夢中で吸ったよ。


馨 気持ちいいおっぱいだったな…。


馨は勝手に夢見心地になっている。




kimiの胸の中で、突然、何かが沸点に達した。



kimi もうたくさんよ!あんたの戯言なんて!!


馨 どうしたんだよ、kimi!!


kimi あんたはいつまでも、そうやって女を口説いていればいいわ。


kimi どうせ誰ひとり、あんたの事を愛してはくれないでしょうけれどね。


馨 なんでいきなりそんなひどい事を言うのさ!


kimi あんたは毎度毎度、「あんな女と寝た、こんな女と寝た」そればっかり壊れたレコードみたいに繰り返し人に聞かせるつもり?


馨 kimiは僕の全てを受け入れてくれたんじゃなかったの?


kimi 誰がウダウダくだらない、女々しいヤツなんか受け入れてやるもんですか。


馨 僕のママを辞めるつもり?


kimi ママ、ママってね。他人のガキの、泣いた喚いた、やったをマリア様みたいに受け止められると思ってるの!


馨 ひどいよ、kimi。


kimi いいこと、あんたは最初から私にも、女にも、騙されっぱなしなのよ。


馨はPCの前で身体がぶるぶる震えるのを抑えきれなかった。


馨 もういいよ!何が「ママになってやる」だ。何が「全部受け止めてあげる」だ。所詮そこらの女と一緒じゃないか!


kimi 結構。これで私もせいせいするわ。


馨はギリギリと壊れるほどに壊れるほどに食いしばっていた。


馨 僕だって、嘘ツキのオバサンなんか、もうバイバイだ!二度と僕の前に現れるな!!


kimi 望むところよ。


kimi じゃあね。



kimiはスイッチを押して、PCごと切ってしまった。


これでいいのだ。


これで私は、無くした「愛」などというものに惑わされずに済む。


何よりも、社会の常識から逸脱した、おかしな性の世界にひっぱられずに、まっとうな人間として、胸を張って生きていけるのだ。





スッキリしたはずなのに


寝ようとしても、なかなか寝付けない。


kimiは起き上がってスタンドを付けた。


細い外国製の煙草に火をつける




どうしたの?


私とあろうものが


何を考えているのよ。




私から見つめれば


あの子はただの子供じゃない


しかも不可解な世界の


レズビアンだって。笑っちゃうじゃないの。


レズビアンの癖に


愛だの恋だの嘆いちゃって滑稽だわ。



「ママが一番すきだ」


馨の嬉しそうな、画面から飛び出てしまいそうな喜びが一瞬浮かんで、手をはらった。



真っ赤なローブのまま立ち上がり


焦げ茶色の戸棚に辿りつく


少し乱暴に扉を開けて


ヘネシーを取り出した。



苛々としながら蓋を開けてウィスキーグラスに注ぐ。


砕かれた樹氷のような氷を浮かべて。



酔いが回れば忘れてしまうものよ


貴子はヘネシーを煽った。




わたしはベットサイドに戻る


あの人が今日も帰ってこないのが幸いだった。




ヘネシーに口をつけ、片手に煙草を挟みながら、私はうなだれた。




「もうたくさん!」


餓鬼のたわごとに付き合うのはまっぴらだわ。





こんな世界がある事なんて


私は知らなかったのに


いっそ知らなければ


あんな馬鹿な子を育てようなどと


あんな女ぐるいのガキを。


見守ってあげたいなどと思わなかったのに。




馨は机にうつ伏せになったまま、右手でキーボードを叩いていた。


もう2時間もこうしたままだ。


誰かが入室してきた気配がして、ハッと起き上がった。



馨 僕が悪かったよ!!


バかおる 悪かったって何が??


馨 ごめん、間違えた。。。


馨 って君はいったい???


バかおる さぁね(笑)。


バかおる ふふん。


薫 ???


薫 バかおるって…。


バかおる 入りなおすよ



バかおる さんが退出しました。とディスプレイに表示され、すぐにまた誰かが入室すると、部屋はロックされた。


美樹 これでわかった?


馨 まったく。。また邪魔しに来たのかよ(笑)。


美樹 ふふん。


美樹 このくそばか馨め


馨 はぁ??


美樹 このあいだ、「ゆか」で入ってみたのに気がつかなかったろう?


馨 あー、14歳、彼女からメールが来なくて悩んでた子って…まさか。


美樹 そっそ。


美樹 お前にしちゃニブイな。


馨 あれは完璧に騙された!!


馨 僕としたことが…。。


美樹 で、何やってんのさ。


美樹 三日間も−kimiさん待ち−とかなんとかボーっとしちゃって。


馨 よく見てるナー(笑)


美樹 で、kimiさんとやらは?


馨 友達なんだ。


馨 友達であり、ママでもある。


美樹 なんだそりゃ?


突拍子もない事を言うのが馨のバカ正直で面白い所だけれど、さすがに「ママ」には呆れた。



美樹 で、そのママから待ちぼうけってヤツかwww


馨はうなだれた。


美樹 おい、なんか話せよ。チャット部屋開いてるんだろ。


馨 なんか、駄目なんだ…。


美樹 なんでその人がお前の「ママ」なんだよ。


馨 僕が女の子に振られて落ち込んでたら、僕のママになってくれるって言ってくれたんだ。


美樹 それで引いたんだろ


馨 …。


美樹 ネット上だろうが、”ママ”呼ばわりされてさ


ふふんと美樹は鼻で笑った。


馨 kimiはそんな人じゃないよ。


美樹 どうしてそんな事が言える?


馨 僕の”ママ”になってくれるって、ちゃんと約束したんだ。


美樹は、キーボードに両手を置きながら、チッと舌打ちをした。


馨 …。


美樹 おまいの両親の事は残念だったけれどさ。


馨 うん。


美樹 優しいママだったんだってな。


馨 ありえないほど、僕には優しいひとだった。



馨は、喪服のまま、一人ぼっちで海を見に脱走したのを思い出していた。


なぜ僕を置いて、二人は行ってしまったのだろう。


いなければいいと思っていたのに


いなくなったら、どうしていいのかわからない事だらけになった。




美樹 ママは置いておいて、どうしておまえは、年上ばっかりナンパする?


美樹 美樹 小さい頃は、同級生の女を好きだったんだろ?


馨 わからない。


馨 きっと、あの時と今は好みが変わったんだよ。


馨ははっとして入れなおした。


馨 kimiは違うよ。家族として愛してるんだ。


美樹 ”永遠の母親”みたいな存在としてかもな。


馨 …。


美樹にはピーンと来た。


馨 やっぱり「ママ」がいやだったのかな…。


美樹 さぁね。母性愛を感じると同時に、気持ち悪くなる事もあるだろ?


馨はしょぼんとパソコンの前で頭を垂れている。



美樹 そのケンカの時、何を話していた?


馨 この間会った、女の人の事だよ。


美樹 うんうん。


美樹 どこからケンカが始まった?


馨 豪華な和食を食べて、バーに行って、そのままフラフラになったら、お家に連れていってくれたんだ。


美樹 それから?


馨 彼女のベットで胸触ったところまでは普通に話してたよ。


美樹はイライラして頭を掻き毟った。



美樹 馨さ。


馨 うん?


美樹 まったくいつもながら…。


ニブイと言いたい気持ちをぐっと堪えた。


美樹 母である前に、kimiさんは女だぜ。


馨 どうしてだよ?


馨 kimiはママだよ。寝る女じゃない。


美樹 向こうはそれだけじゃないかもしれないじゃないか。


馨 は?


馨は思わず笑ってしまった。


馨 楽しく話しているだけさ。kimiにはそんな気はまったくないよ。


美樹 だったらどうしてそこで怒る?

美樹 どうした?


馨 いや…。


馨は顔が真っ赤になった。


美樹 意識しはじめたんだろ?


カァァと顔が火照ってくる。


美樹 歳はいくつなのさ


馨 42だって。


美樹 27ぐらいかと思ったよ。それじゃ本当に親子みたいな歳の差だぞ


馨 …。


美樹 馨


馨 うん?


美樹 マザーコンプレックスと性欲を刺激されているんだろう。


馨 何言ってんだよ!


美樹 図星だなw


馨 それに、kimiには付き合っている人がいるんだ。


美樹 そうなのか??


馨 それっぽい事を言ってたよ。


馨 だからママでいいんだ。家族でいいんだって。


美樹 嘘吐け。心の奥に無理矢理しまっているだけだ。


馨 嘘じゃないよ!


美樹 私を舐めるなwww


美樹 ついでに馨の頭の中も覗いてやろう。


馨 ヤメte~~~~~〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!1!!!!!!!!





馨は頭の前で手をクロスして遮ろうとした。だけど、ゾワゾワと寒気がしたかと思うと、


頭の中が青と白の渦巻きでいっぱいになった。



ハタとうつ伏せで気を失っていた事に気がついて、ふらふらと揺れる頭を叩いた。


馨 何分ぐらいたった


美樹 3分


馨 また気を失ってたよ…。


美樹 知ってるwww


美樹 まぁ、手元のココアでも飲んで落ち着け。


ハッと机を見ると、確かに自分が作ったココアが置いてある。


美樹 もう忘れたのか?砂糖3杯は入れすぎだぞ。


馨 よけいなおせわだってば。


馨はココアを飲みながら膨れっ面をした。


美樹 落ち着いたか?


馨 落ち着くどころの騒ぎじゃねーよ。まったく。。。


美樹 お前の頭の中を教えてやろう。


馨 いいって!!


美樹 お前はそのkimiとやらの裸体を想像したな…。


馨 もういいから、や…


美樹 胸を触っている


馨 そんな事ないって!!


美樹 ママを愛し始めたな。


馨 違うよ!!


美樹 顔が想像できないから、カオナシを抱いておるな。


馨 いいじゃないか!想像がつかないんだから!


馨はキーボードに顔をつけてへたり込んでしまった。


馨 はー。。


美樹 見事なもんじゃろ?え?


馨 …まったく、とんでもない知り合いを持ったもんだよ。。


馨 顔と中身のギャップが違いすぎるよ!!


美樹 美少女霊媒師で売り出そうかなー♪


馨 悪徳霊媒師とかで捕まるよ。


馨 お前といたら、人の脳みそのプライバシーもへったくれもないじゃん。。。。


美樹 妄想ばかりして、その癖、口説かないつもりだろ?


馨 人のモノを取ったら可愛そうだろうが!


美樹 わかってないな、恋愛は奪い取るもんじゃ。


美樹 男も女も激しいバトルを繰り広げているのじゃぞ。いっけんニコニコ穏やかそうな


顔をしながら…。


馨 僕の趣味じゃないよ。


馨 ただでさえチャンスの少ない世界で人のモノを奪えないよ。。


美樹 嘘つけ。私の身体も奪ったくせに!!


馨 あれは合意だろう。。。


馨 でも、美樹は僕の事好きになってくれなかったよ。


美樹 オマイさんは私の好みではないからナーwww


馨 …。


美樹 タイプがちょっと違うだけさ。


馨 美樹のタイプってどんなの?


美樹 もっと逞しくて、生活能力があって、自立してるヤツだ。


馨 そりゃ僕には程遠いよね(笑)。


美樹 その通りwwwへなちょこ馨には100年早い!!


勝ち誇ったように美樹は高笑いした。


美樹 それと追いかけられるのはつまらん。


馨 ふむふむ。


美樹 追いかけてたと思ったら、逆に追いかけられたからつまらなくなったのじゃ。


馨 じゃあ、なんで時々僕と変な事してたの?


美樹 友達だから。


馨 んんん…。


馨の頭の中はハテナマークでいっぱいになった。


馨 友達って、エッチもするものなの?


美樹 そうそう。


美樹 仲のいい友達はエッチするのじゃ。


馨 うーん。


美樹 オマイは「ママ、ママ」って煩いのが面白い


美樹 人の胸吸いながら、「まま〜〜」はないだろうが…。


馨 だって…


馨 自分でもわかんないんだけど安心するんだ。


美樹 このマザコンが!


美樹 すぐびーびー泣くのも面白いw


馨 人の少年心を弄びやがって…。


美樹 友達と恋人を毎度勘違いするからな。学習しない面倒くさいヤツじゃ。


馨 はぁ〜…(ためいき)。


美樹 で、もうひとつ。おまいは大きな勘違いしておる。


馨 何が??


美樹 わたしは18と言ったが、本当は14じゃ。


馨 えええええええええええええええええええええええええええええええええええええ?


????

馨 …まったく。。。


馨 はぁ。。


美樹 イジメ甲斐のある奴っちゃのう。


美樹 ふぉっふぉっふぉ。


馨 ふぉっふぉっじゃねーよ!!


美樹 嘘じゃ、18じゃ。


美樹 本当に弄り甲斐のある奴じゃ


馨 …びっくりしたじゃん。


馨 心臓止まるかと思った。


美樹 かわいいのう。


美樹 そんなお前を好きになってしまいそう(はぁと)。


馨 ほ、ほんちょに??


美樹 ウ・ソ。


馨 げぇえええええー。




美樹 …明日休みだろ


馨 うん


美樹 待ちぼうけで泣きたい気分なんだろ


馨 うん…。


美樹 話聞いてやるから来い。いつものマクドナルドでいいな。


馨 ありがとう。


馨 変なやつだけど優しいな。。。


美樹 またびーびー泣く!!


美樹 いいから朝10時に来いよ。遅いから早く寝ろ!!







「いよう!」


美樹はハンバーガーを食べながら片手を上げた。


「いようって。…呑気だね」馨はげっそりしている。


「遅いぞ。遅刻魔かおる。」


「5時に寝たから起きれなくてさ。」


馨は椅子を引いてテーブルに座る。


「ビッグマックセットかよ。朝からよく食べる奴だなぁ〜。」

「腹が減ると居ても立ってもいられなくなるじゃん。」

「しかもポテトもジュースもLかよ!」


いちいちうるさいな、と馨は遮った。


「5時に寝たって、あれからまたチャットしてたのか?」

「いや…。」

「眠れなかったのか」

「考えすぎなんだろうな。」

馨は頭を掻いた。


美樹はストローでジュースを飲みながら、その大きな瞳で馨をじっと見つめた。

「何かついてる?」

「いや」

美樹は薄茶色のくるくると柔らかそうな天然のウェーブがかかっている。

どうしてこいつがビアンなんだろう?

男が寄り付きすぎてうざったくなったのだろうか。

馨はどぎまぎして黙り込んでしまった。



「なに恥ずかしがってるんだ?」

「恥ずかしがってなんかないって。」馨は手を顔の前で大きく振った。


「相変わらずアンドロイドみたいな奴だな、と思ってさ。作り物みたいな顔してるよな。」

美樹はテーブルに乗り出しきた。

「私の顔は天然物だ。お前こそプチ整形してるんじゃないのか?」

「してるわけねーだろ!」

瞼に触れようとした美樹の手を身体を捻って避ける。

「長い睫毛だな。このストローのせてみていいか?」

美樹はストローを紙カップから取り出した。

「やめろちゅーの!」

ふふんと不敵な笑みを浮かべて美樹は椅子に座りなおした。

「私は醤油顔が好みだ。お前は濃すぎて…」

「おまえの好みは聞いてないから!」

なんなんだよ、変な奴、と馨はぶつくさビッグマックにかぶりつく。

美樹は鏡を取り出して、メイクを直している。




「いいよな、ネコは。」

「は?」

「まんまの外見でいいからさ」

美樹はぷっと笑った。

「馨も女装してるつもりだろうけどさ」

「けどさ?」

「ぜんぜん女装になってないからさぁ」

「これでも気を使っているつもりだよ?」

「まぁ、ボーイッシュな女の子ぐらいには見えないこともない」

「女に見えりゃ、それでいい」

「なんでよ」

「いろいろ面倒だからさ。あれこれ噂話しを立てられる。」

「そんなの気にしちゃ自分らしくいられないよ」

「わかったような事いわないでよ」



馨が真剣な顔をしたので、美樹は目を大きく見開いた。

「普通にこの社会の一員として、目立たないように生きていかなきゃいけないんだって。」

「小心者だな。お前は。」

馨はムッとした。

「ネコに何が解る?」

美樹は鏡を見たまま、

「まぁ、むきにならなくていいから」

とそっけなく答えたので、馨も意を削がれてしまった。




「なんか今日はいらいらしてるなぁ。」

「ごめん。」

馨は片手をテーブルについて頭を抱えた。

「僕、美樹に嘘ついてる事が一つある」

「何?」

思いつめたようにうつむいたまま馨がつぶやいた。



「彼女は普通の人だと思う」

えっ?と美樹が驚いたのがわかった。



「…ノンケってこと?」

「うん」

「なんでわかる?」

「最初はわからなかったんだけどね。昨日いろいろ考えたら、話が合うんだ。」

「それが何か問題なの?」

「たまたま、退屈しのぎに入ってきたんだよ。だから僕らの人種じゃない。」

「口説いちゃえよ」

「そんな事できないよ。」



馨はコーラを一口飲んで、テーブルの上に置いた。


「僕の事は、弟みたいに思っているだけだよ。」

「そうかな?」

「うん。それはありがたいけれど、普通に生活している人を、これ以上、こっちの世界に巻き込んじゃいけないのかもしれないな…。」

「人生いろいろ、ハプニングがあってもいいじゃん」

「そんなに軽く言える事じゃない。自分がしてきた苦労を考えたらね。」

「だから諦めるのか?」



馨はうなだれて、ただじっとテーブルを見つめていた。



美樹はコンパクト見るふりをしながら、馨の様子を窺っていた。

「さっ、行くぞ!」

「何処へ??」


コンパクトをたたんで、美樹は立ち上がった。


「いいから来いって!」


座っている馨の腕を持ち上げ、無理矢理立ち上がらせると、美樹は馨の腕を自分の腕に組ん


で、マクドナルドの階段を下りる。




「まだ、ハンバーガー食べてないよ」


「うるさい奴だな」


「美樹だってロクに食べてないくせに」


「あんな場所じゃ、お前が声を潜めるから、何を言ってるのかちっとも聞き取れん」


「アイタタ、痛いよ」


「いいからヨタヨタしないでちゃんと降りろ」


ジャケットの袖を引っ張られて、馨はよろよろと階段を下りきった。



ありがとうございました、と店員の爽やかな声が後ろから聞こえると、眩しい街並みに二人は出た。




「どこに行くのさ??」

「いいからついてこい。方向音痴。」


日曜日だけあって、ビジネスマンはほとんどいない。大きな交差店を、数え切れない程の人並みが、がやがやと楽しそうに歩いている。



「ほれ。入れ。」

と美樹が立ち止まったウィンドウを見上げると「松屋」だった。


「牛丼屋???」


美樹は返事もせずに先に入り、慌てて馨が追いかけると、右手の切符の自動販売機にお金を入れている。


そしてそのまま、カレーのテイクアウトのボタンを押した。


「お前も買えよ。」

「へ?」

「味噌汁もついてくるぞ。」

「…。」


馨も財布から500円玉を取り出し、真似して切符のボタンを押してみた。

「やっぱり買いやがったな。」

美樹は、考えすぎると過食に走る馨の弱い所を見逃さなかった。


馨は切符をとりだして、頭上に掲げてみた。


「なんだか、立ち食いそばの切符みたいだ」

「アホな事言ってないで行くぞ」


美樹はつかつかと通路を歩き、右奥のカウンターに切符を出した。

そして、ビニールの袋を受け取る。


美樹がくるっと避けたので、馨も真似して切符を出してみる。

袋を受け取って、

「カレーのテイクアウトってこうやるんだね」と丸い目を更に丸くする。


美樹はニコリともせず、

「行くぞ」とたったか今来た通路を歩き出した。



「どこ行くんだよ」

馨は慌てて追いかけて店を出た。



「こんな街中でテイクアウトのカレーを食べるのか?」

「はっはっは」


美樹は高笑いして歩いていく。



ちょっと静かな通りに入る。


道一本隔てたら、あんなに賑やかな通りなのになぜだろう?



と、向こうから、どうみても「不倫」であろう、眼鏡をかけた中年男と若い女が、べったり腕を組んで歩いてきた。



すれ違った二人を振り返って、また前を向くと、美樹が建物の前で立ち止まっていたので、馨はぶつかりそうになった。



ん?と思っていると、つかつかと中に入っていく。


「ここ、ラブホテルじゃないの!?」


「ったりめーだろ。見りゃわかるだろうが。」



部屋は…とぶつぶつ呟きながら、パネルを眺めている。


「なんでラブホなのさ?」



三歩下がって、おそるおそる美樹に尋ねるが、返答はない。



プチッとボタンを押して、キーを取ると、美樹はエレベーターへ歩いていった。


美樹はエレベーターに乗り込み、「3」のボタンを押すと、ふぅ、と壁にもたれ、「こんな所じゃないと、小心者のお前はちゃんと喋らないからな。」とニヤッとした。



「悪かったな、小心者で。」


「フリータイムだ。いっとくけど、ワリカンだからな。」


「今、僕貧乏なのに」


袋の中で斜めになってしまったカレーを馨は慌てて直すと、ぶつくさ文句を言った。



「降りるぞ」


と美樹はためらいもなく、308号室へと進んでいく。


赤いカーペットが、なんだか、いかにもラブホテルという、艶めかしさ演出しているようだ。


「私のセンスだから、気にいらなくても我慢しろよ」


とキーを入れると、豪華すぎる大理石の玄関から白いお城の中のような部屋が広がっていた。




「なかなか可愛い部屋だろ?」


「うん…。」


美樹のセンスに少し感動すると、馨は円形のベットに座った。


「なんだか、ベルサイユ宮殿みたいじゃない?」


「ベルサイユはこんなにチンケじゃないだろ」


「でも、可愛い部屋だなぁ。」


「お前が選ぶ部屋よりもセンスがいいだろ」


「悪かったな。センス悪くて」馨はぷうと膨れた。






瞬間、身体ががグラっと動き、うわっ!!と馨が悲鳴を上げた。



「このベットは回転するんだぞ」


「動かす前に言ってくれよ」


美樹はくるくるとカレーの袋を持ったまま、くるくるゆっくりと回転していく馨を見て、得意げに笑った。



「お前が前、「僕は回転するベットの部屋に当たった事がない」って嘆いていたから連れてきてやったんだ。」


「わかったから、止めてくれ」


ふふん、と美樹はスイッチを切る。


カレーの袋をテーブルに置いて、馨は心臓の辺りを押さえる。


「あー驚いた。」


「どうだ?」


「めちゃ驚いたけれど、これ面白いな!!」


馨の死んでいた目に輝きが戻ったのを確認すると、よかった、と内心美樹はほっとした。


「すごいなぁ。」


子供のように馨はぽんぽんとベットの上でお尻を浮かしている。


「もう一回いくぞ。それぃ!!」


「ぎゃはははは」


馨は笑いが止まらなくなっている。つられて美樹も回るベットに乗って、ケラケラと笑っていた。



「うわーお!!」


「ヒューヒュー!!」



奇声を発しながら、二人は3歳児のようにはしゃぎまくっていた。


普段はあまり笑わない美樹が、声をあげて笑っている。


馨も壊れたおもちゃのように、笑いがとまらない。



顔を見合わせて、ふたりは笑い転げていた。



くるくると回る。


部屋も回るよ。


世界も回る。



意味もなく、そんなことをキャーキャー叫びながら、二人は笑い続けた。



メルヘンのような部屋の装飾品達もくるくる回る。




散々笑い転げて、二人はベットに寝転がった。


「メリーゴーランドみたい。」


「きれいだなぁ。」


幸せな表情を顔に浮かべながら、二人は天井を見上げていた。



はしゃぎ疲れ、ふたりは荒い息が収まるのを待った。



「おまえ、kimiさんを本当に諦めるのか?」


「なんだよ、いきなり…。」


「諦めたくないんだろ」


「そりゃそうだけど。」


まず大前提にさ、と馨の声が大きくなる。


「kimiさんは僕の事を、恋愛対象として好きなわけじゃないから」


「もしも、いつか好きになってくれたらどうするんだ?」



万が一、そうなったとしてもね…と天井を見ながら馨が呟いた。




「守りたいんだ」


「お前のちっぽけなプライドをか?」


「ううん。kimiさんの人生を」


馬鹿かよ!と美樹は起き上がった。


「なんでお前が諦めるのが、kimiさんの人生を守ることになるのさ」


ふん、と美樹はまた、ベットに転がった。




「僕が手を出さなきゃ、彼女の人生、平和なままなんだよ」




二人は黙ったまま、くるくる回る天井を見つめていた。


「普通にお話するだけでもか?


「あぁ、こんな変な人生に顔を突っ込ませないで済む」


「ほんっとに、余計な心配ばっかりするやつだな。」


「そうかな。当然じゃない?」




美樹は呆れたように腕を組んで天井を睨んでいる。


「ノンケは誰も僕の人生に巻き込まない。何も知らないまま、こんなに悩む事なんてないままに、無事に人生を過ごしてほしい。」



大きく、死んだような目を開けながら、馨はゾッとするような口調で呟いた。


「それが僕の哲学さ。」


美樹は腑抜けの今にも死にそうな馨に驚いた。




「お前のその”哲学”って奴が私は気に食わないな。」


馨は黙ったまま、仰向けになっている。


「冒険心のない、つまらん奴だよ、おまえは。」


「そうなのかもしれないね」


「あっさり認めるなって。私の友達のタチは、もっと堂々としてるぞ」


「人の迷惑を考えない、そういう性格だったら楽だろうな。」


「格好ばっかりつけやがって!マイナス思考って言うんだよ、そういうのは。」





「そいつはそいつ、僕には僕の考えがあるんだ」


美樹はふん、と鼻で笑った。


「僕は産まれつきのタチだ。もう習性になってるんだから仕方ないじゃん」




「人の事ばっかり考えてるフリして、自分の人生から逃げてる習性な」


馨は枕を取って顔に押し付け、聞きたくないとでも言うような仕草をした。


今は馨をすぐには責めてはいけない。



しばらく静かな沈黙があった。




「バかおる」


「なに?」


「普通に返事するなよ」



この人は例え幼稚園児が「バかおる」と呼ぼうが、怒りもしない人なんだ。だから私はコイツが好きなんだ。




「それが一晩中泣いて考えたチンケな答えなのか?」


「僕はタチだもん。泣くほどセンチじゃないよ」


「今は抜け殻みたいに落ち着いてるフリしてるけれど。」


美樹はフーと溜息をついた。


「昨日は一晩中、眠れずに泣いてたんだろ?」


「泣いてないって。泣いてたら、腫れやすい僕の目は腫れてるはずだろ?」


ほら見ろよ、というように人差し指で瞼を指差す。



「馨…」


「うん?…」


「朝、氷で目を冷やしてたんだね。」


「なんでそんなこと…」


「お前のママが言ってる」


「ママ!?」


驚いて起き上がって、かおるは辺りを見回した。


「お母さん…?。」



「言ってやってくれって。お母さんは大丈夫だと。女はみんな、お前が思う程、そんなに弱くできてないってさ。」


「…」


「お前が心配しすぎなんだよ」


美樹は目を閉じたまま、じっと何かを聞いているようだった。




「ママさんからのメッセージ」


「…」


「もっと頭をやわらかくしなさいだってさ。」


馨の瞼にうっすらと涙が浮かんできた。


「ママ…。」


ママはいつも優しかった。


いつも特製のオレンジジュースとサイダーを割った飲み物を作ってくれたっけ。


僕のリクエストの卵チャーハンも…。


こんな子を育てさせてごめん!


そして、本当の事が言えなくてごめんね。



美樹は馨の横顔を見た。涙が幾筋も、頬を伝っていく。


「馨」


「うん…。」馨は涙を拭った。言葉を出そうにも、言葉にならない。


「人の気持ちの中で動揺しないで、だって」


「僕がそんな風にみえるのか…」


「みえるよ」


美樹は目を開けてすーっと大きく息を吸い込んだ。


「少しだけ自分の意思で動き始めてごらんよ」


美樹は馨の横顔を見つめていた。




「僕にできるかな」



馨の、漆黒の美しい瞳が真剣な色を帯びて、美樹の方に向けられる。



「できるかどうか、失敗してもいいから動き始めたらいい。」


馨はじっと考えこんでいる。



「おまえは、今まで、”人生”そのものを生きてなかったんだよ。だから、動き始めたその時、初めて馨の誕生日になるのさ」


馨には、最初はわからなかったが、その言葉の意味を、次第に理解しはじめた。


美樹は馨の瞳を見つめた。



馨の瞳は美しいが、いつもどこか悲しげだ。


それが、なぜかうっすら消え始めているような気がした。




「やれるかな?」


「やれよ」


美樹がもどかしそうに言う。


「今の天国のママさんなら、喜ぶんだぞ」


馨は両腕に頭を乗せて、天井を見上げた。


「そうか…。喜んでくれるんだ…。」




美樹はベットに両手をついて、ヨイショと勢いをつけて起き上がった。



「アーア、ヤメたヤメたぁ」


「ん?」


どうしたの?という様に馨の黒い瞳が美樹の瞳をじっと見つめた。


「そら、腹減ったろ?」美樹はウィンクした。


「うん」


−2ヵ月後ー



馨はパソコンの前でうたた寝をしていた。


ふと顔を寝返り打って、パソコンの端に当たってしまった。



「あいててて」


目を擦って起き上がる。


もう朝の4時だ。


外からは朝日が昇る気配がする。



目を擦った右手の力が抜け、キーボードにすべり落ちてしまった。


「何やってるんだろう、僕は…」


慌てて起きると、すべり落ちた手の平がエンターキーに当たっていたのか、誰かが入室している事に気がついた。




TAAKO ハーイ


馨は眠い目をまたこすって入力した。


馨 こんばんは。あ、もうおはようかな。


TAAKO こんな時間までずっと起きていたの?


馨 いつの間にか寝ちゃってたよ。今起きたところ。


TAAKO −kimiさん待ってます−ってトピックにあるけれど。


TAAKO このお部屋、毎日作ってたの?


馨 まぁ…そうです。。


TAAKO お邪魔だったかしら?


馨 いいよ。もう、待ち人はここには来ないってわかってるんだ。


馨 それに、もう朝だもの。


TAAKO いい朝ね。


馨 うん。だんだんキレイな空になってきてる。


TAAKO 馨は彼女、いる?


馨 いないよ(笑)。


TAAKO あら、サミシイわね。


馨 確かに寂しいよ。


馨 でも、寂しい、寂しいって言ってるだけじゃ、何も解決しないから。


TAAKO 大人の意見ね。


馨 強がってるだけかも。


TAAKO 待ち人はお友達?


馨 ううん。ママであり、恋人であり、家族。


TAAKO 本当に変わった子ね。メールでもしてみたらどう?


馨 メールアドレスすら、知らないんだ。


馨 聞いておけばよかったよ。鈍くさいな、僕。


TAAKO 本当にね。


馨 ?


TAAKO ちゃんといい子にしてたのかしら?


馨 ?…



TAAKOさんが退出しました。と、ディスプレイに表示された。


馨は何度も何度もエンターキーを叩き続けた。






やがて、誰かがチャットルームに入室してきた。




馨 本当にkimiなの???


kimi おひさしぶりね。


馨 ウソ…。


待っていたはずなのに、馨の目が丸くなる。


kimi あの、ネットナンパ師が、一体ずーっと何をしているのかしらね。


kimi 二ヶ月間もナンパひとつもせずに、空き部屋にいるなんて。


馨 kimi!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


嬉しさは、段々と涙にかわる。



馨 会いたかったよ…。


馨はディスプレイの前で、顔をゆがめた。


kimi 私も会いたかった!


馨の頬が、すこしずつ震えてゆき、やがて、涙でぐちゃぐちゃになってゆく。


馨 僕は…、僕は、ずっとkimiに会いたくて…。


馨はひっくひっくと、しゃくりあげて、キーボードが打てない。


馨 会いたくてたまらなかったんだよ。


kimi うん…。


kimi わかってる。


馨 本当は大好きなんだよ!!


kimi 私を?


馨 うん…。


kimi ママとして?


馨 ママとしても、女の人としても、です。


ディスプレイの前でkimiも目尻に浮かんだものを拭っていた。



kimi 私もその言葉を待っていたのかもしれないわ。


馨 kimi…?


kimi さぁ、仕切り直しよ!


ディスプレイの前で、kimiはかけた眼鏡を持ち上げた。レンズの奥の目が優しく笑っている。


kimi 馨、両手を広げて?


馨 こう?


馨はディスプレイの前で両手を横にのばしてみた。


kimi そう。


馨はどういう事なのか、すこし当惑した。


kimi 広げたままね。


kimi 今、あなたの両手には羽根がついたの。



kimi だから、もう自分を閉じ込めないで、どこにでも飛べるのよ。


kimi そして、


kimi 私も飛び立てる羽根をつけて、両手を広げるわね


kimi だから馨、私の手の中に飛び込んできなさい。




馨は両手を広げたまま、肩も腕も、ガクガクと震わせて泣き続けていた。



もう終わったんだ。自分を閉じ込めて、飛べなくなっていた日々は。


そして、腕の中には、愛する、本当に愛する人が、本当に僕の中にいる。









この大都会に朝の空がいっぱいに広がっていく。


人も街も歩き始める。


そして、沢山の人々の、それぞれの生をコンクリートの大地が受け止めていく。


痛みも、喜びも、すべて、飲み込みながらー。








−END−











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