エリーナ砂漠 5
家に戻った私を逸早く察したのはティリーンであった。片手を上げて合図する彼女に会釈して返す。どうだったかと聞いてくる彼女に気分の良いものではなかったと告げて布団に横になる。そこへ心配をしてくれていたエリが飛び込む。そこそこ成長した身体が腹部に唐突な衝撃を加えてきたので詰まったような声が出るが、なんとかそれを誤魔化して彼女を落ち着ける。首を血が出ない程度に切ったくらいで他は目立った外傷はない。戯けるように見せると眉根を寄せる彼女も安堵をつく。昨日のように大量に少女たちが送りつけられたりしないので心休まる時間を過ごす。暇なまであった先ほどの戦闘を横になりながら再度考察する。この砂漠地帯に住む種族は往々にして戦闘技術が低い。こんな普通人が来ないような場所であるので仕方ないのだが、あまりにも原始的すぎる。もし何処かの国が領土を奪うために強襲をしかければ抗うすべもない。それでは良くないだろうと考えた私は、彼らを鍛えるべきかとも思考するが、またそれによって戦いの均衡が崩れることを恐れる。理性という道が交通整備されていない彼らでは力を手に入れた瞬間に他種族に攻め入る可能性が高い。戦闘の際に合図もなく飛び出した奴等を見ただけだが、あれだけでも彼らが戦闘に対して好意的な印象を持っていることを裏付けられる。戦闘狂に戦闘の楽しさを教えこむ様な真似はできない。さて、ならばどうしたものか。皆に最低限の人間の倫理を教えるのも手ではなるが、それでは時間が掛かり過ぎる。それに此方だけ教えたのならそれはそれで不安定になってしまいそうだ。悩みは尽きない。
「考え込んでいるところ悪いが、祝賀会をするそうじゃぞ。」
横たわった私に寄り添うように身を寄せたティリーンがそう言った。恐らく、今日の戦闘の勝利を祝して執り行われるものなのだろう。あの戦闘を私は素直に喜ぶことは出来ないが、盛り上がりを遮っては彼らの頑張りに申し訳がない。私は自分は行かないことを告げて、目を瞑る。ティリーンはそうかとだけ言って追求はせずに、エリを連れて会場へ向かった。
一人残った部屋の中で目を閉じていると、精神統一にも似た感覚を覚える。思考が明瞭になり考えがどんどんと纏まりを見せていく。自分がどうしたいのか未だに分からないが、それでもこのままで良い筈がない。私は早々に此処を出て行く事を決意した。最初から長居はしないつもりだったが、それ以上に此処に居たくない理由ができた。面倒くさいことをこれ以上考えたくないし、虐めに付き合う暇はない。脳裏に浮かぶあまりにも一方的だった今日の戦闘は忘れることは出来ないだろう。結論が出ると段々と力が抜けて眠気が襲ってくる。よくよく考えてみれば、睡眠時間をあまり取れていなかった。取り返すなら今の内である。久々に静かな環境で一人穏やかな眠りに誘われた。
ふわふわとした感覚が懐かしく感じる。最近なかったからあれだが、此処にやってきているという事は何時もの流れだろう。
『ふふ、お、起きてくれましたか。』
ふんわりとした素材で作られたいつもの衣装を身に包んだケティミが私の頭を撫でていた。それだけではなく、私の頭は現在彼女の柔らかい太腿の上に鎮座されている。程よく付いた贅肉が幸せを運ぶ。左右に頭を擦り付けるようにすると、彼女は恥ずかしがっていたが、この感覚を最大限に楽しむために数度繰り返す。もうと頬を膨らませながらも微笑む彼女に見蕩れながら、流石に重いだろうと頭を上げた。それは彼女の手によって不実行に終わるが、それならそれで良い。最近あまり話せていなかったケティミと久し振りに長々と会話を続ける。私の身体の中から外界を覗いている彼女にとってみれば、私の話など全てが知っていることだらけで面白みもないだろうに、彼女は文句も言わずに聞き入ってくれる。それが無性に嬉しくて、余計饒舌になる。
ある程度話も闌になり、次は何を話そうかと思考を巡らせていると、黙って聞いてくれていたケティミが突然口を開く。
『シャイニはこの砂漠地帯の住人たちをお救いにはならないのでしょうか。』
意味を知った上で聞くシャイニという言葉に若干の照れを覚えながらも、彼女の発言に疑問符を浮かべる。救うという言葉が出たのだ。救うと言われても意味があまり理解できない私は彼女に言葉の真意を訊ねる。すると、彼女はあっけらかんとこう答えた。
『彼らは今のところ上手くやっていますが、いつかは破綻する。それは火を見るより明らかでしょう。』
核心的なことを突かれた。確かに想像しなかったわけではない。有限である団体数。このどれもが戦い合う今の環境ではいつかどこかの均衡が崩れて破綻する。天下でも統一した気分に浸る団体が出てくる。しかしそれらはあくまでこの砂漠地帯の中での話。もしそれが外に進出しようとしたらどうなるか。結果は見えている。そういう状況が起こるかもしれないということを私は態と思考放棄していた節がある。もう考えたくないと塞ぎこんでいたのだ。でも、それが許されるのは関わる前の私。今はもう足を突っ込んでしまっている。弱気な自分を彼女は奮い立たそうとしてくれているのか。やるべきだろうかと問う私に彼女は首を横に振る。やるべきではないでしょうと口にも出される。矛盾した彼女の対応にやきもきしながらも私は結論を出せずに居た。そんな卑怯者を彼女は優しく包む。
夢の終わりが近づく。
現実を叩き付けられた私の目が開く。まだティリーン達が帰ってきていないところを見ると、それほど時間は経過していないように思える。溜め息を吐いて天井を仰ぐ。ガヤガヤと部屋の外から響く喧騒に身を委ねると、様々な人間の声が私を包み込んでいるような錯覚に陥る。このまま此処を離れてしまって良いのか。子離れ出来ない親の気分だ。彼らとしてもいきなり親面されても傍迷惑な話だろうが、現状を鑑みるに、仕方ないと思ってほしい。
上体を起こして剣を取る。彼等と会話するためにはアーモロが不可欠だ。私は彼らと話してみることにした。このまま一人で考えていても埒が明かない。横になって硬くなった身体を捻って関節を鳴らしてから、私は仰々しい意匠の出入口の布を捲った。
「おっ、主様っ!」
出て直ぐの所にティリーンが座り込んでいた。そんな彼女に場違いにもおはようと返すと、彼女は笑っていた。そして、それを合図にしてか、他の連中も次々とこちらに近付いてきた。中には、戦闘で怪我をしている人もいた。けれど、皆、笑顔を絶やしていない。寧ろそれを話の肴にして笑い合っている光景すらある。不思議な感覚だ。彼らには彼らの考え方があり、思想が成り立っている。それに口出しするのは、とても無粋に思えて、私は開いた口を閉じた。彼らのやり方に従ってもう少しでこの場で見守ろう。とても上から目線な物言いだが、そう思う。
結論付けて気が軽くなった私は近くのテーブルに置いてあったコップを一つ拝借して、酒を注いでもらう。それを一気に呷ると、喉の奥が灼けて他のことが割りとどうでも良くなる。アルコールに強くはない私だが、全く飲めないというわけではない。流石に度数の強いものを一気飲みしたので咽てしまったが、ちびちび飲むぶんには構わない。景気付けの為に最初は豪快に嚥下したが、二杯目からはゆっくり飲む。偶然隣に居合わせた男や女とその場限りの会話をする。内容なんてあってないようなもの。私だけでなく、この場にいる皆がそんな感覚で飲んで叫ぶ。何処かに所属していたら、近隣住民からクレームがくるレベルであるが、回りに何もない此処でなら幾ら声を出しても良い。全てのルールは彼らにある。その輪の中に自然と飲み込まれていった。
軽く気分を悪くするくらい飲まされた私はエリの同行のもと部屋に戻された。ここまで飲んだのは初めてで、その内嘔吐する可能性もある。臭いだろうから出来れば独りで帰りたかったが、フラフラと千鳥足で帰る最中にエリに見付かってしまい、その場で御用となった。肩を貸してくれる少女は無防備にもガードの薄い服で支えるものだから、色々と楽しまされたが、本人は気付きもしていないのか真剣な表情を崩さない。もう気分が悪いどころの騒ぎではなかったが、無言で歩いても気まずくなるだけなので、私は無理やり話題を作ろうと画策する。そう思えば、ティリーンの姿が見えないことを察してそれを彼女に尋ねてみた。すると、彼女はティリーンが飲み比べの所で本領を発揮しているとの情報を教えてくれた。光景を想像してなんだが元気なものだと年寄りのような感想しか漏れない。そこで話が区切られた為、又しても無言が続く。これならいっその事アーモロを連れて来ずに、話せない体で行けば良かったと、後悔した。しかしその思考は直ぐに遮断される。
明らかに道を逸れているのが、酔った頭にも理解できた。明かりの多い住宅群を離れた暗がりに彼女が向かっているのだ。今気づいた事自体が酔って判断が遅れている証拠である。何度か訊ねた私に対して彼女はだんまりを決め込む。彼女の思考が読めない私にはこの先の未来が見えない。唯の悪戯ならば良いのだが。
人気のない暗闇に荒っぽく倒される。介抱してくれていた時の優しさなど一切なく、ジロリと見下ろしながら周囲に気を配る。覚束ない足取りで立ち上がると、彼女は舌打ちをする。これは駄目な方が当たったみたいだ。私を再度抑えつけようとする彼女に剣を抜く。
「ククッ、いーのかよ?そんなことして」
共通語を喋れなかった筈の少女が急に饒舌な言葉を喋った。一瞬アーモロの通訳を通した声かと勘違いしたほどに流暢な共通語だ。どういうことだ。益々意味がわからない。立ち振舞いも大いに変貌してしまったエリに嫌な汗をかく。どうするべきかハッキリと決まらない。取り敢えず捕縛して尋問するだけだ。踏み込もうとした私の足が縺れて倒れる。段々と筋肉が命令に従わなくなっている。彼女を目だけで睨み付けると、彼女は愉快そうにケタケタ笑った。
「駄目だよぅ。見知らぬ土地で貰い物をした時はしっかり確認しなきゃ。毒、とか。」
言われて宴会場で既に毒を盛られていた事を察しする。完全に油断していた。ここまで誘導されるまで唯慣れないお酒で酔っ払っているだけだと判断していたが、それは大きな間違いだったのだ。




