エリーナ砂漠 1
広大な砂漠を只管唯歩く。景色の変わらない事で全く進捗した感じを見せない道に嫌気が差すのは時間の問題であった。そもそも此処はゴールがあるのか。一生ここを彷徨うことになるのではないか。そんなある訳もない不安が押し寄せる。此処が本来の道であるのならこんな不安は覚えない。しかし、茹だるような暑さ、失われる水分、私達を照らし続ける太陽。その全てが私達を苦しめて負の感情を増長させる。唯でさえラルームでまともな食事を摂ることの出来なかった私は飢えている。生命活動が限界に近付き、そろそろ水分を取らなくてはこの砂漠のど真ん中で飢え死ぬ。
「おー……大丈夫か、主様よ。」
明らかに元気の無いティリーンに一応死んでいないことを伝える。現に二本の足でしっかりと歩いているのだから、言われなくとも分かっているとは思うが、死んでも動き続ける屍などを見てきた私達にとって動いていることが、直接生きていることに直結しない。変な感性を植え付けられてしまったものだが、そんなどうでも良い事を考えているだけの余裕もないので思考を遮断し、現実逃避のため食べたいものや飲みたいものを思い浮かべる。そうでもしていないと、気力が尽きて死んでしまいそうになる。断食覚悟で生き残ったのに、こんな所で死んでしまっては目も当てられない。視野が狭まっているそんなタイミングであったから、砂漠に不自然なまでにぽつんと佇み泉を見つけた時、何の疑いもなく全力疾走で向かうハメになる。こういうのをオアシスと言うのだったか。休息地という意味もあったはずだが、これは言い得て妙だ。私達にとってこれは神からの授け物なのではないかと、こんな時だけ敬虔な宗教徒のように感謝を捧げる。勿論、何処かの宗教に属していると言うわけでもないので、気持ち程度の感謝しか捧げない。
「ぷはぁ」
泉の前でしゃがみ込んで水を両手で掬うとそれを口の注ぎ込む。ゴクゴクと喉ごしを楽しんで飲み下すと幸せな気分になる。全く以てここまで水を求めたのは初めてだ。こんな場所もあるのだなと呆れ返りながら濡れた手をラルームで貰い、何故か消えることのなかった民族衣装の端で拭き取る。一段落ついた私達はその場で休息を取ることにした。時間はそこそこ経過した筈だが、全くと言ってよいほど日の暮れない砂漠に辟易としながらもその場で横になる。ここから飢え死ぬ事はあってもカラカラに干からびて死ぬことはない。どちらも大差ないように思われるかもしれないが、私の中で干からびるよりましだというよくわからない水準があった。思考放棄し過ぎて単に頭が可笑しくなっているだけかもしれないが、そこはご愛嬌である。
二人して並んで横になり寄り添う。彼女の肩に手を回して抱きしめる。暑いのだから止めればよいのにと正論をぶつけられるかもしれないが、これは不安を掻き消す為なので勘弁を願いたい。疲労が溜まっていたからか不思議とこんな不気味な所で、何故かゆっくりと眠気がやってくる。寝てはいけないと分かりながらも、自然と瞳は落ちていった。
私だけでなくティリーンも寝ていたようで、私達は得体も知れない砂漠で日が落ちるまで眠りこけていたらしい。人間界を照らす太陽はその身を隠して闇に包まれていた。景色として真っ直ぐ何処を見ても暗闇というのは不気味なものだが、仕方がない。私はティリーンを起こすために横を振り向くが、その時に殺気を感じて彼女を抱きかかえて横に飛んだ。直後、私達が先ほどまで眠りこけていた場所から巨大な芋虫の様な化物が姿を現す。あまりに突拍子もない事態に目が点になるが、そうも言ってられないので剣を構える。喧しい化物の咆哮によりティリーンも目を覚ます。
「なんじゃあのデカブツは。」
寝起きで頭の働かない彼女は率直なことを言う。確かに私もそうやって愚痴りたい気分だ。でもあの地面から飛び出てきた行動からみて、明らかに此処は奴のテリトリー。分はあちらにある。無数の刃のような牙を見せ付ける芋虫は数度の咆哮を繰り返すと、又しても地面に潜る。身を隠して一発で決めようと言う魂胆なのだろう。
しかしそうは問屋がおろさない。私はそれの攻撃のセオリーを崩壊させるように突っ込んでそいつの胴体に一撃を加える。流石にでかいので両断は不可能だが、それなりにダメージ与える。表面を削られたことで、悲鳴と体液を吹く。汚いのでそれを避けると、その体液に当たった砂がジュウと音を立てて溶けているのを目撃する。見掛けが気持ち悪いだけに留まらず、こんな面倒くさい機能まで完備しているのかと質の悪さに溜息が出る。暴れまわる化物に当たらないように即座に後退すると、ティリーンのところまで舞い戻る。そして彼女に奴の特性を伝えると、ジト目だった彼女は更に頭を掻くまであった。どうしようかとグネグネと暴れ回りながら体液を振り撒く化物を見る。このまま放っておけばその内死に絶えそうな気がしないでもないが、夜が明けるまでこの気持ち悪い光景を見続けるという拷問を自ら志願する程、私達もマゾでは無いので、やつを倒す方法を思考する。
まず、対策として講じなければいけないのは、あの振り撒かれている毒液をどう鎮めさせるかだ。あれをどうにかしない限り近寄りたくもない。極論を言えば、暴れ狂うアイツを一撃で遠距離から撃沈させれば良いのだが、そんな都合のよい方法を思い付くわけもなく、結局は話が纏まらない。そこが決まらなければ、何時まで経っても議論は進展しないので、無論行き詰まる。その間にも奇声をあげて暴れる芋虫は元気に動き回り、毒を振り撒く。
「便利な魔法でどうにかしたいが、この遠距離を威力を殺さずに放てる魔法なんてあったか。」
ティリーンもそれには黙り込まざる得ない。彼女の体の持ち主であったメイカの祖母であるメナカナであったなら、そんな人智を超越した術を使いこなすことが出来たかもしれないが、私達のようなレベルでは彼女のような所業は再現できない。
ではどうするべきか。それは無い頭を絞って考える他ない。現時点で利用できるモノは、化け物の後ろにある泉と木。そして、砂と私達が元より所持している能力。被害を省みなくてもよいのならあれを倒す方法など無尽蔵にある。しかし、それに無傷で勝つことや不快感を感じないという条件がつくと一気に数は減り、結局録なものが残らない。と言うか、不快感を我慢するなら、このままあいつが息絶えるまで見守れば良いだけなので、何も難しい事はない。でも、あの不快な断末魔を聞き続けたくはないのだ。かといって痛い目には遭いたくない。そんな我が儘を思い浮かべていると、私の中でとある発想が思い付かれた。
「そうだ。別にここからでもやりようはあるじゃないか。」
思い浮かべるのは帝国の研究者。全身を改造された彼女が使っていた遠距離技。あれは、自身の体を構成する液体を高速で腕を振ることで解き放ち、遠方の敵を仕留めていた。私は改造されている訳もないのでスライムを出したりは出来ないが、ここには大量の質量の軽い物がある。これを上手く使えばあれを再現することくらいは可能なのではないかと思ったのだ。早速、私はそれをティリーンに話す。
「つまりは、ここにある砂に圧倒的な速さの拳撃をいれて、その威力を伴った大量の砂をあやつにぶつけようという魂胆じゃな。非常に現実味のない攻撃に思えるが、此処にこうしているだけでは時間の無駄じゃし、付き合おう。」
若干呆れ気味のティリーンであったが、乗る気ではあるようで、風を操って砂を一ヶ所に固めてくれる。その有難い手助けに感謝しながらも私はそれに向けて剣を帯刀し、拳を構える。全身に魔力を這わせて身体能力を向上させた上で、ムラメに呼び掛けて体のストッパーを解除する。ある程度の身体の破損は彼女に一任して全力全開を実現した。このまま真っ直ぐあの砂の塊に一撃を加えれば、それらが威力に持ったままに慣性に従って奴にダメージを与えるという寸法だ。成功する可能性は、ゴミグズ程のものだが、駄目で元々だと考えると気楽になる。一息を吐いてから、一気に右腕を唸らせる。あまりの衝撃に肩が外れて関節が嫌な音を立てたため、痛みが伴うが、思惑通り砂は爆発でもしたように威力を開放した。しかし問題点がある。力が分散されて四方八方に四散したのだ。そのため、砂の雨が降った程度の結果しか生まない。
天高く狼煙のように上がった砂煙を確認して、私は実験の失敗を確信する。やはり一朝一夕でできるほど簡単なものではなかった。折れた骨を再生しながら音に過剰反応を見せた芋虫の様子を窺う。
「実験は失敗じゃったが、得られたものもあったな。」
同じところに着目していたティリーンが口角を上げる。あれはどう見ても爆音に耐えきれず苦しんでいる様だった。元々斬られて苦しんではいたが、それとは異なり、暴れまわるのではなく、身を痙攣させるように静まりながら苦しんでいる。聴覚は発達していないような外見であるが、あれはそこが一番発達している。これを利用すれば早くケリをつけることが出来るかもしれない。期待が頭をよぎる。でも、それだけではまだ足りない。あの体液の対処が――そう考え始めたところで、私の目にそれの表面に張り付く砂が見える。そこで閃く。
「そうか。暴れていなければ、上に砂を被せるだけでそれなりに体液を阻害できる。」
砂は粘着質な液体と混ざると張り付く特性がある。動き回られていれば、それも振り払われて終わりだが、爆音で身動きが取れない時ならば、それはできない。砂に包まれて体液を振り撒けないのなら、上から刺しまくれば、じきに死ぬだろう。
面倒臭い戦闘に漸く目処がついたところで、作戦をティリーンに伝える。今回は現実的だと評価してくれた。彼女には砂集めをしてもらおう。私はあのデカブツに近付くという仕事が待っている。本音を言うとやりたくはないが、ここはしなければいけないところだ。




