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気儘な旅物語  作者: DL
第一章 名無しの英雄
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ラルームの森  4

 痛む頭を抱えながら部屋を後にする。すると、炊事場で仲良く並んで歯を磨く二人を発見する。表面の荒い木の枝を器用に揺らし、歯の表面の汚れを取り去る。最後に仕上げとして汲んでいた水で口を濯いで吐き出せば、文句なしだ。綺麗な歯を見せ合う二人はこう一歩引いたところから見ると、全然似てもいないのに仲の良い姉妹のように見えるから不思議だ。戯れる彼女らに混ざりたいとも思うが、先程のように攻撃されては堪ったものではないので、一歩引いた所にある椅子に腰かけて、二人を観察するにとどめる。じゃれあう彼女らも少しすると此方に気付き、ティリーンは微笑み、ケレティガは顔を染めてそっぽを向く。


「こらこら、人と話すときは目を合わせねば失礼に当たるのじゃぞ。」


 博識を気取ったティリーンがそう告げると、ケレティガがそれはそうだかと口を濁す。まだ羞恥心が抜けていないのだ。恥じらいがあるのは乙女の特権である。無理に矯正するべき事ではない。


「でも……その……」


 留まることを知らない赤色は彼女の頬を占領する。余程寝室での自身の行動が羞恥を掻き立てるものだったのだろう。私としては、父親を想う子の可愛らしい愛情表現にしか感じなかったが、個人個人が自らの事を鑑みて、評価を下す部分でもあるので、私からどうとは言えない。しかし、彼女の純真な心を否定してほしくはないため、私は椅子に座りながら二人にも椅子に座るように誘い、彼女が恥じている自分の弱さについてお節介だとは自覚しながらも、その心を否定すべきではないと真剣な表情を心掛けて告げる。あまりそういう雰囲気に慣れていないのか俯向くばかりで沈黙を保っていたが、決心をした表情を作ったかと思うと、私の方に人差し指を突き付けて、じゃあ遠慮無く甘えても良いのかと質問を投げ掛ける。いきり立った彼女だったが、呆気にとられて私が反応に遅れると、次第に力強い指は萎む。慌てて甘えてくれても良いと、寧ろ甘えてくれと半ば引かれかねない発言をすると、彼女は逆に引いたりしないのかと的外れな事を言う。何故そんなことを言うのかという疑問を彼女は即座に返す。


「会って間もないのにこんな事を言うのは、その、常識的じゃない。それは自分でも分かっているの。けど、お前を見ていると、無性に甘えたくなる!父を思い出すのだ!」


 健全な彼女にとってみれば、会って数日の男に甘える事はふしだらな行いで、恥ずべきことなのだという。それは一面的な考え方をすれば、正しい。でも、常識だけで思考というブラックボックスを抱えた人の営みが成立するかと問えば、答えは否。寧ろ突き詰めれば突き詰めるほどに、想像の遥か上を行く。常識で語ることは確かに最もであるが、今の彼女に必要なのはそんな辺鄙なものではない。もっと内面的なものが彼女には必要なのだ。


 机という垣根を取り去りるように机を回り込みケレティガの身体を包み込んで私は言う。


「変に考えるな。自分がやりたいようにしろ。正しいかどうかは二の次だ。」


 寂しさを抱え込んでいたケレティガは言葉を受けて涙腺を緩めるが、確固とした覚悟のもとギリギリのところで踏ん張り、耐えきると、私の身体をそっと外す。彼女はそれに伴うように有難うと溢しながらも、まだお前に甘えてはやらないと気持ちの良い笑顔で言い放つ。そこには恥ずかしげな表情もなく清々しさがただ有るだけだった。肩肘をついて終始外部の立場に徹してくれていたティリーンも満足気な表情を作った後、飯は未だかと私達を茶化した。



 軽めの朝食を終えた私達は今日も昨日とあまり変わらないスケジュールをこなす。ティリーンは老人たちに自分の武勇伝を語ったり、高説を垂れたりしている。私とケレティガはというと、此方も特に変わりなく集落中を歩きまわり、相談事や悩み事を聞いて回る。まだ慣れない私は住人たちの冷たい目線に一歩を踏み出せないでいるが、その代わりにケレティガが積極的に仕事を拾ってきてくれる。私は言われたことを言われたとおりで出来るようになるまで、彼女の師事を受けて学ぶ。様々な経験を繰り返す日々が数日続いた。仕事後は決まって風呂で一日の疲労を癒やした。最初は嫌悪を丸出しにしていた人もケレティガと仕事をする様子を見て、少しは見直してくれたのか、目を合わせるくらいはしてくれるようになった。それが認められたみたいで嬉しくなる。承認願望のようなものが満たされ、次の日の元気に繋がった。今日を生きるために流す汗はとても清々しく、此処での生活に充実感を覚えているのは間違いなかった。


 帝国までの旅で磨がれた牙が着実に抜け出始めた頃。いつもの通り依頼をこなした私はケレティガと共に家に帰っていると、暗い表情のティリーンがぼんやり空を眺めている場面に出会う。声を掛けようと手を挙げたのだが、憂いを秘めた普段見せない彼女の表情に思わず声が出なくなる。隣のケレティガが前に出て先に話しかけると、ティリーンはゆっくりと此方を見遣り、何でもないと優しく顔を緩めた。違和感を感じた。儚さが辺りを舞う。本来の無邪気なものがそこからは感じ取れない。


 口に出そうとした所でその口は彼女の指によって遮られる。


「今、主様が知るべきではない。」


 私はその一言に何故か重みを感じ取り、口を噤む。緊張した面持ちで彼女を見詰めていると、彼女は表情を崩してもう帰ろうかと呟き、私に背を向けた。私とケレティガも慌てて追い掛けるように走って、彼女に並ぶと三人で並んで帰路に着く。



 その日の夜、漠然としない不安が残るなか、私は風呂に浸かって考え事をしていた。ティリーンの一言がどうしても気になったからだ。彼女が何の確信もなく、あんな態度を取るとも思えないし、かといって、これから訪れるかもしれない脅威は未だにこれだと言うものが思い付かない。天井を見上げながら身を沈めると、切る機会がなく伸び放題の襟足が水中に潜り、無重力を楽しむように踊る。目を瞑って此処に来てからの事を一つ一つ整理していく。どこかにヒントが隠されている可能性がある。


 ガラガラと扉の開く音に思考は中断される。ティリーンでも侵入してきたのかと思い、見向くと、そこにはタオルを巻いたケレティガが照れながら一人で立っていた。あまりに予想外な現実に目が点になるが、覚悟を決めた彼女は、小さな椅子に座ると巻いていたタオルを取り去り、生まれたままの姿を晒す。そして、風呂からお湯を容器で掬うと、頭から被る。ふぅと一息つく彼女は、その格好のまま私と向き合うように抱き付きながら身を湯に沈めた。全身が密着して少しでも気を抜けば、一線を越えてしまいそうなまである現状に私は無意識のうちに頬を染める。小難しいことを考えていた頭が働かなくなるのを感じる。


「お前が言っていた通り、やりたいようにやることにする。お前は父上だ。だから甘えてもいい。」


 数日間の私の働きを認めてくれたのか。そこに性愛的なニュアンスは存在せず、ただ子供が親に甘えるように構ってくれとすり寄ってくるそれに似ていた。私もその甘えに答えるように抱き締めて、頬を寄せる。嬉しそうにそれを受け入れるケレティガは、さらに身を寄せて体を擦り付けるものだから、変な意味でとあるところが爆発しそうであったが、そこは何とか大人の意地で乗り切った。満足した様子のケレティガは、今日のことも日記に書こうと呟いてから、私より先に風呂を上がっていった。まるで嵐のように去っていた。抑えきれなくなっているそこを確認してから、少し時間をおいて出なければなと結論付けた。


 一日が今日も終わる。



 次の日、私は腹を下して寝込んでいた。普段と違うような物ばかり食べていたからだろうか。今日はケレティガの仕事についていく事が出来ず、家で居残りとなった。ティリーンも外に出ているため、今日は一人きりで腹痛と戦う。ベッドと厠を往復するという作業を午前中はひたすらに繰り返した。午後に入ると割と痛みも減ったのだが、それでも痛むものは痛むので仕事の時に会った薬師のところに行って薬を貰おうと考えて、外出をした。そこまで距離があるわけでもないため、即座につくと扉を開けて、すいませんと声を掛ける。しかし、反応は返ってこない。何処かに出掛けているのかと判断して店を出たが、よくよく考えてみると、今日は誰も見掛けない。普段ケレティガと歩いている時は、二、三人くらいは出会うものだが、今日は何か特別な日なのだろうか。そう考えた私の視界が一瞬荒廃した集落を写し出した。瞬きの間に情景は元に戻ったが、今のはなんだったのか。不思議な体験に困惑したが、何時までもこんなところで立ち止まっていても迷惑であるからさっさと身を翻して来た道を戻った。


 家に帰りつくとそこにはケレティガが居り、私を発見すると一気に近寄る。


「体調崩してるんだから、寝てないとダメじゃない!」


 ぎゅっと抱き締めてくる彼女には、確かに暖かみを感じる。それが何故かとても心地よい。心配してくれているケレティガを抱き締め返して、背を擦ると、彼女はそんなことじゃ許さないんだからと悪態をつきながらも破顔した顔を戻すことはできていない。


 不安を拭い去るような彼女に励まされながらも、私はある思考を脱ぎ捨てられずにした。彼女に直接尋ねるわけにはいかない問題。それが本当かどうかはまだ判断がつかないが、それが当たっているなら、このままでは腹痛は治まらないはずた。もし治まれば、私の予想は外れて皆が幸せになる。そんな思考の基盤を固める為に私は彼女に対してある質問をする。それは今日は何かの催事でもあったのかと言うことだ。それに対して彼女は、そんなものはないし、皆いつも通りだったと答える。私はそれにそうかとだけ溢して、ベッドに横になった。



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