キーリス帝国 9
事の顛末を纏めるのなら、精霊を無事見つけ出した私達は、壁と言う壁を破壊しながら要塞と化していた帝国の秘密機関を脱出した。そして、今回の拉致など全てが、やはり彼女の能力を利用した帝国のお偉いさんの実験だった。実体を司る精霊であるムラメ・メトロノームは、英雄から封印された後、幾年もの間を誰も訪れない洞窟の最奥地で閉じ込められていたのだが、ある時存在をキーリス帝国の人間に見付かって、封印された状態のまま掘り出されたそうだ。その場所というのがあの実験場になっている洞窟で、彼らがあの場所を態々利用しているのはそういう背景もあってのことらしい。兎に角、実験体として連れてこられたムラメはそこからまた長い時をこの場で閉じ込められた。管を通されて自分の中の何かが抽出されているのもなんとなく分かったが、もう気力もない彼女には抵抗する力も残っていなかった。されるがままが続いた長い時の中で、沢山の精霊の気を感じて彼女は最後の抵抗を企てる。それが街なかで起きたあの事件の真相だ。あれは私達の気を引くための彼女なりの救難信号だったのだ。
煙が上がり沢山の人が逃げ惑う城の隣の隠れた所にある施設を背にして私達は近くの居住区に逃げ込む。爆発騒動に野次馬が集まる近場の居住区は人で溢れてどうしようもない状況だ。ここに身を潜めてパニックに乗じて帝国を脱出する作戦なのである。
「真相を調べようとしただけで抹殺して来ようとする人間がトップをはっているような国とはオサラバだな。」
居住区を抜けて公共施設街も通って歓楽街まで来た所でふっと溜息をつく。これは推測の域を出ないものだが、私達を帝国に招き入れたアスドガは上層部からマークされていたのだろう。そして、彼女を脅した。それに屈しなかった彼女は彼らの方法で拷問にかけられ、最後をあの実験室で過ごした。四肢すらもがれていたということは相当堪えたと考えていい。彼女にそこまでする義務など皆無だったが、それでも彼女は堪えた。いけしゃあしゃあと逃亡を成功させた私達は彼女の犠牲の上に成り立っていることを忘れるべきではない。彼女の頑張りは結果的には無駄だったが、その心意気は誰も否定して良いものではない。
お酒に酔った千鳥足の年寄りを避けながら歓楽街も風俗街もそそくさと抜けると、あっと言う間に正面口の近くまで辿り着く。もう完全に日が落ちている為、門番役の衛兵たちもそろそろ切り上げて帰ろうとしている時分である。我が物顔でその門を突っ切ろうとすると、当然ながら複数の衛兵によって止められる。普段は滅多に碌な働きもしないくせにこういう時だけ頑張ろうとするのは彼らの悪いところである。特に恨みもないが阻むものは全て敵であるので血祭りにあげると、周囲に居た外来の人たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。目立ちたくないのに余計なことをして注目を浴びせようとしてくる。嫌がらせかと判断した私は死体を持ち上げて、騒がしい人間たちの方へ放り、そいつらみたく肉塊になりたくなければ黙れと告げると、喧騒は嘘のように止んだ。息をついてやっと出国できると思っていると、ティリーンが面倒なのが釣れたと舌打ちをする。彼女が指し示す方向を見向くとげんなりとする。
「無抵抗の人間を殺しちゃ駄目だろ!」
覆面の青年は私達を指差す。衛兵を殺しているのはお前もだろうと穿った考えをぶつけたくもなったが、そういう事ではないのだろう。制服の人間も見えるから自国の知り合いの前でショッキングな事柄が起きたことに関して怒っていると思われる。そんなことは知ったことではないが、彼の言い分も間違ってはいないので、一言謝って大きな門をティリーンと肉体一つで開門する。ゴゴゴと大きな音とともに開かれる現象にぽかんと口を開けた人たちが、現実味のないものでも見るような視線を送る。二人分ほど通れる間を作るとそこから出ようとする。その私の頭に小さな石ころが直撃した。
「この人殺し!!」
正義感のある制服の少女は足元に転がっていた石を私に投擲したらしい。これは明らかな敵対行為である。殺されても文句は言えない。このまま背を向けて勝ち誇られるのも癪なので、ぶつけられた石っころを拾い上げて思い切り寸分違わず持ち主の方向へコースを決めて投げ込む。真っ直ぐ少女を捉えた石は彼女の脳髄を抉り絶命させることだろう。気の晴れた私がこれで良いかと帰ろうとすると、カンと弾く音がなる。ギロリと睨みつけると、放たれた石は覆面の男の横槍によって目的を撃沈できていないどころか到達も出来ていなかった。苛立ちの募る私をティリーンが片手で制しながら前に出る。
「先に手を出したのはそちらのお嬢さんじゃろう。主様は唯やられた分を返しただけじゃ。何故害虫程度のお前に茶々を入れられねばならんのじゃ。あまり調子にのるなよ?」
冷徹な視線を隠しもしない彼女のオーラに常人は次々と腰を抜かして気絶する。心臓が弱い人間はそのまま死ぬまである。血を吹き出して死に絶える老人たちを狼狽えた目で男は見る。悪化していく状況に頭がついていっていないようだ。立ち尽くす彼にティリーンは止めを刺そうと近寄るが、奥から走る大量の帝国の兵士を見て舌打ちをして身を翻す。
「悪運の強い男じゃ。命拾いしたな。」
そう言い残すと私のもとに戻り、一緒に帝国を脱出する。
無双が続いたのもここまでのようで、無理をした身体は帝国を出て幾ばくか離れた所で悲鳴を上げた。ムラメとケティミの能力は絶対的だが、元が凡庸な人間の体なので、無理をし過ぎると壊れてしまうのは当然でもあった。ティリーンに肩を借りながら、未だ追いかけてきている帝国の兵士たちを撒く。森の多い裏側と違い、正面側には身を隠せる場所がなく開けているので必死に駆けっこ状態というわけだ。しかも此方には私という重荷がある。
「ティリーン。お前まで死ぬ必要はない。私は置いて行け。」
何度かそう問いかけたが、彼女は嫌の一点張りで取り合ってくれない。彼女だけならあの兵とも渡り合えるし、殲滅も不可能じゃない。私という足手まといを切り捨てることが彼女にとって最善の手であるはずだ。ティリーンはその案を鼻で笑い、却下しする。二人で死ねるなら悔いはないと恥ずかしげもなく断言すると、大きな川の上に掛けられた橋のところで、彼女は足を止めた。
「主様よ。ここからは運試しといこう。」
迫り来る兵士の集団の最前線はもう既にそこまで来ている。彼女は諦めてしまったのだろうかと懸念するが、表情を見る限りその目は死に急いでいない。運試しと言ったが、運に負ける気は更々ないみたいだ。彼女の賭けを信じた私は身を完全に彼女に預ける。抱き止めたティリーンは満足そうに頬を緩めると、私を連れて橋から落ちた。つまりは川に飛び込んだのである。全身を叩く冷たい洗礼に身が引き締まる。流れのある川に潜りながら自然界に逆らわないように策も何もなく只ただ流され行く。
秋口の川は思っていたよりも冷たく、体温を強引に奪っていく。ティリーンにしがみつくしかない私は、最低限の根気でそれを行っており、彼女が抱き締めてくれていなければ、そのまま独りでに流され、死に絶えていただろう。
川に身を隠す作戦はどうにか上手くいった様で、流されついた森のなかには、敵の姿はなく、餌を求める小動物等がのさばっており、天敵が少ないのか警戒心は薄い。
「何とか逃げ延びたみたいだな。」
川から上がり、未開の森で大の字になって寝転がる。冷えた体温を急激に持ち直す為に体は脂肪を燃やして無理やりそれを保とうするが、そのため風邪を引いたように体が熱い。鼻水も垂れてきているから、本格的に病気かもしれない。こういうときに、人間と言う脆弱な生き物に生まれたことを悔しく思う。もし自分もティリーンのように神獣として生まれていればと、夢想することもしばしばである。そんな仮定の話をしたところで解決する話など存在しないので、私は目の前の問題を直視する。この寒空の下で野垂れ死ぬのは勘弁願うが、段々と失われていく暖かさに現実味が帯びていく。真っ青になる私の顔色に気付いたティリーンが慌てた表情で、私の肩を揺するが、反応が薄くなる私は目の焦点さえも合っているか怪しくなる。
「兎に角、体温を戻さなくてはっ!」
錯乱しているティリーンはまずは自身の身に纏っていた獣の革で作られた胸当ての服と短パンを手早く脱ぎ、生まれたままの姿になると、次に私の破れかぶれの服を苦戦しながらも脱がせる。突然の蛮行に失い掛けていた意識が若干戻ったところで、彼女は自身の恵体を私に押し付けた。汗ばんで蒸れた匂いが鼻を通る。それに追尾するように柔らかい感触が全身を包む。しっかりと筋肉が付きながらも、女性らしい柔肌を残している彼女の身体は男を魅力する。どんな男も彼女に勇んだ獣欲を向けることだろう。それが叶う可能性はとても低いが。
「も、もう大丈夫だ。」
彼女の大胆な作戦は功を奏した。確かに二つの意味で熱くなった身体は体温を保ち、落ち着いた。それでも体を擦り付けてくる彼女に鼻の下が伸びてきた頃。森の奥から罵声が飛んで来た。
「き、貴様ら!神聖な森で何をしているっ!」
顔を真っ赤に染めた白い肌の女性は清廉潔白な印象の顔立ちを歪めて私達を見下ろした。人間にしてはとても顔が整い過ぎている女性は、長い耳をピクピクさせながら大声を上げて詰問する。それに対して純粋な気持ちで看病しているつもりのティリーンは少しムッとした表情を取ると、彼女に相対して現状を伝えた。ティリーンが退いたことで私の病状を確認した彼女は、怒っていた表情を一変させる。手首を掴んで脈を見たり心臓の音を聞いたりしてからティリーンに運ぶのを手伝ってくれと呼び掛ける。元より女性に任せるつもりもなかったティリーンは一人で私を背負い、女性の案内に従う。
服は女性が道中私とティリーンに被せてくれた。




