キーリス帝国 6
一日中聞き込みを続けた私達は、夕方の学生達にも聞いてみたが、正義の味方については、噂以上のことが聞けなかったし、精霊については存在自体を居るわけがないと否定されることもあった。じゃあ私についているケティミ達は何なのだと正論を返したいところだが、こんなところでそんなことをすれば、悪目立ちしてしまう事は避けられないので、その手は取らない。結果、掴めた情報と言うのは雀の涙ほどのものしかなかった。それも、どれもが正確性を欠く物ばかりであり、現実味を帯びない情報が飛び交った。頭を悩ませながらもそれらを取捨選択してギリギリセーフまでを絞りこみ、対策を考える事にした。
まず精霊については、都市伝説程度の噂があった。中身は、ホラーな話からギャグ落ちのものまで様々だったが、どれもが共通していたのは、その物語に不死という単語が度々聞かれることだった。ここに何かの鍵が隠されているかもしれないと私は睨んでいる。
次に、件の正義の味方については、前述した通り、噂以上のものは聞けなかったが、道行く女子生徒に声を掛けたところ、全然関係ない同級生の話をされた。大して興味もなかったが、話を聞くと、その男は途轍もなく容姿に優れており、多くを語らない少年でクラスでも人気があるらしい。女子の間では彼が正義の味方何じゃないかという与太話まで出ているほどだとか。そこまで力説されると少し興味も湧いてきたので、その女子生徒に彼がいつも帰っている方角を聞き出し、待ち伏せをすることにした。居住区から商店区域に向かう少年を呼び止める。怪訝そうに警戒する少年は隣を歩いていた少女を背に庇うようにしながら私に相対する。いきなり声を掛ければそんな反応も当然かと思い、敵意がないことを体全身を使って表現する。警戒心を少し緩めてくれた顔の異常に整った彼に皆に聞いて回っていた精霊について知っているかと聞くと、彼は知らないと答えた。そりゃあそうかとがっくりしながらも協力してくれた彼らに感謝を告げてその場を去ろうとする。そこで先程まで口を閉ざしていたティリーンが彼らに向けて正義の味方について訊ねていた。安心しきった所に唐突な質問だったため詰まり気味だったが、彼は何も知らないと返答を返す。ティリーンもそれを聞いてからそうかとぶっきら棒に反応し、彼らに感謝を述べる。
彼らの背中を見送りながら私達も帰路に着くことにした。結局、無駄骨だった今日の戦績に肩を落とす。
「そう凹むな。長期戦には持ち込みたくはないが、未だ時間はある。」
項垂れた私の肩を叩く彼女は女神のような微笑みを向けてくれる。彼女に甘えたい気持ちが込み上げるが、そう何度も彼女に甘えていては何時まで経っても解決しない。どちらにせよ。今日はアスドガが仕事であるため、彼女の仕事が終わるまではあの部屋に帰っても鍵が開いていないので入室できない。だから、今日は少し遅くまで粘ってみようということになってのだ。現時点で気持ちは下降線を描いているが、そこには達していない。頬を叩いて気を引き締める。強めに叩くと頬が赤くなったが、弱音は逃げ出す。
『私もそろそろ頑張らなくてはな。』
気持ちを切り替えて呟くと、また強がりおってと蔑んだ目で見られたが、それでも今回の件に関して、私は今のままではいけないということを本能が感知していた。もし時間を掛ければ大変なことになるような予感がするのだ。杞憂に終わるに越したことはないが、不安の芽は即座に摘むべきだ。手がかりの何もないので、夜に近付き活気づいてきた居住区から離れた所にある歓楽街に向かった。理由としては、人が集まる所にはいろんなことが想定される。問題が起きやすくもある。そして当然問題が起きるというのは誰かの不都合が有るということに他ならない。不都合というのは大小様々だが、それは不変なものが異を放っていると言うことだ。そんな非日常な所に私達の探している不安の芽は芽吹く。であるなら、それをコツコツ調べることこそが解決の鍵。元も子もない言い方をすれば、自分から態々、細々した事柄に首を突っ込んで、本件と関連性があれば追求するということだ。虱潰しにするしか無いのが現状である。
早くも酒飲みの喧騒に包まれる歓楽街。飲み屋の女や男が道行く人を言葉巧みに誘い込み、自店に連れ込んでは大量を金を落とさせる。普通の居酒屋も多いが、この辺りの雰囲気は完全に前者が優勢。臍の出た露出度の高い格好をしたティリーンはウチで働かないかという勧誘も受けていたが、私が肩を掴んで裏に連れて行こうとすると、腰を抜かして逃げて行った。全く以て、彼女に手を出そうとするとは良い度胸をしている。私に守られるまでもなく、彼女が強いことは知っているが、この場では私が盾になって彼女を守るべき場面だろう。
「フフッ、これ以上妾を惚れさせてどうするつもりじゃ。」
語尾に音符でも付きそうな機嫌の良い声で見上げてくるティリーンに、これは責務であり当然のことだと私が返すと、微妙に顔を顰めていたが、主様なら仕方がないかと諦めた感じで文句は飲み込む。私としては正直に思うところがあるのであれば、言って欲しいのだが、奥ゆかしさを手に入れた彼女は素直に意見を言ってくれない。
『どんな意見でも真摯に受け止める準備はあるぞ。』
そう言っても気にしないでくれと流すばかりで取り合わない。コミュニケーションの不足は人間関係の形成において最も避けなければならない案件であった筈だが、向こうが立て板に水の状態では手の施しようがない。困った。通りの散策も放り出して彼女のことを考えていると、嗅覚の鋭いティリーンが急に私の腕を引き、狭い路地に引っ張った。予想外の動きをしたせいで足を挫きそうになってしまったが、持ち前の地力で踏ん張り耐えると、怪我もなく彼女に付いていくことが出来た。鼻を鳴らしながら匂いを辿る彼女に私が何事かと尋ねると、彼女は精霊の匂いがしたとしか答えず、尾行に注力する。邪魔をするべきではないと判断した私は沈黙を保ち後に続くと、一定進んだ所で彼女に静止を呼び掛けられる。そして最奥の表の街路からは完全に死角になっている開けた所で体を重ねる男女に指を指す。
唯の発展場ではないかと、出歯亀するのは躊躇われるため引き返そうとすると、ティリーンは私の腕を掴み、よく見ろと促す。凝視したいものではないが、彼女がそういうと言うことは何かしら意味があるのだろうから嫌々ながら注視する。
誘う若い女は中年男性の首筋に唇を落とし、舌で舐める。昂って女の胸に手を伸ばす男は、次の瞬間、絶叫して女を突き放した。理由は簡単だ。女が男の首を噛み千切ろうとしてきたからだ。腰の抜けてしまった男は、恐怖心から勃起していたものは萎えさせて、無様な醜態を晒す。過呼吸になり、血がダラダラと流れる傷口を手で塞ぐようにして唯ゆっくりと迫り来る脅威に愕然と放心していた。そろそろ助けに行くべきかと一歩を踏み出そうとすると、ティリーンが奴が何をするのか最後までみたいと言うので、それに従うことにした。男に同情を覚えるが、泣きながら許しをこう男の身勝手な内容に途中から哀れみは消えた。
「な、何が望みだ!?もしかして男にお前を抱いたのを言ったのがバレたのか……いや、それとも借金の形にお前を売ったのが――ァ」
それが彼の断末魔となった。喉笛を噛み千切られた男はショックにより死亡。彼が死んだ後も彼女は全身を愛する様に舐め、そして喰らった。まるで獣のような所業に私達は一時固唾を飲んで見守った。男の服と骨以外を全て平らげた女は小声で愛していたのにと繰り返す。その目は死んでおり、体を心なしか青く見える。彼の亡骸を抱き締めた女は一生もう離れないからと狂言を吐いて、その場で息絶えた。動かなくなった男女の元へ近付く。
「……やはりこの女、最初から生きておらんかったんじゃな。」
真っ青な顔の女の手首に触れて瞳孔なども確認しながらティリーンはそう結論を告げる。しかしそれはおかしな話である。私達の目の前で彼女は男を愛撫し、その上で喰らった。それに死の直後は言葉を紡ぐまであった。あれが死んでいたのは到底思えない。
「普通なら有り得ない話であるが、これが精霊絡みの案件であったとするなら、どうじゃ?」
元よりそう言う異常を求めてここに来たのだ。大収穫と言っても良い。しかし理屈がさっぱり分からない私は知識のあるケティミに呼び掛けてみた。というか、そういう風に思考すると、出番の少なかったケティミが私の腹部から出現した。何でしょうかと訊ねるので今回のこれについての説明を求めた。一切の遠慮なく死体を確認した彼女は、確かに霊体がないと断言した。彼女の話によれば、人間と言うのは霊体と実体に分かれており、実体は言うなれば、この肉のついた体の事で、霊体と言うのは、魂のようなものだそうだ。それが無いらしい。普通なら死後数日は霊体も微量に残るはずなのだが、彼女には全くそれがない。恐らく随分前に死んでいる。彼女はそう結果を述べた。
『そんなことが出来そうな精霊はいるか』
続けざまで悪いがそれも尋ねると、居ないことはないがここまでのことをできるかは怪しいとのこと。因みに、ケティミの能力の種明かしをしておくと、彼女の癒しの力は、霊体にしか効かないのだそうだ。そもそも彼女の本流は幻視などの霊体に直接作用するものだそうで、最初会ったとき彼女の空想の世界に取り込まれたのは、私自身ではなく私の霊体だけが吸い込まれていたとのことだ。実体に効果を与えれないケティミは、私が大怪我を負った際、霊体は癒せるのに実体に手を出せない自分にヤキモキしていたらしい。話が反れたが、そんな彼女の対になるような精霊が居るかもしれない。確かな情報を一つ入手した瞬間だった。




