キーリス帝国 4
不安定な体勢での攻撃だったので綺麗に受け止めきれない覆面の男は、思い切って彼女に突貫するが、ティリーンもそれを読んでおり、敢えてバックステップで軸を反らして回避する。ガラ空きになった男の頭上に両手を握りあわせて作った鉄槌を落とす。男も素直にそれを受けて床に直撃した瞬間、砂煙で姿を眩ませる。煙が退いた後、そこに彼の姿はなく、半裸の女性の姿も消えていた。ティリーンは舌打ちをして床を蹴ると、最後の一撃が正当に通っていなかったことを申告する。傍目から見れば直撃したように見えたが、彼女によると、彼は土壇場で上体をそらして威力を軽減させたようだ。普通だったら、一発で昏倒するような一撃を直ぐに動き出せるほどに軽減させたのだ。並の男ではない。今度会ったら次こそは手合わせしてみたいものである。
勝負を終えた私達は、今回の件について取り調べられると面倒なので、現場から離れることにした。あそこに居続けても私達に得は一つたりともないのだ。アスドガに言わせれば、あそこに乗り込むこと自体が得のないことだろうにとの事だったが、あそこに乗り込まなければ、彼に遭遇出来ていなかった事を考えると、行って得はあった。呆れ返る彼女に従って、その日も彼女の一室に帰った。
道中は尾行されている様子もなく、何の不都合も起きずに帰宅が完了する。
「うーむ、納得がいかん!」
アスドガの部屋について寝室に飛び込んでベットに乗っかかったティリーンは不満を口にする。彼女としてはあれはまるで負けたような感覚を覚えているに違いない。一度は倒されたし、奥の手もギリギリで躱されたのだ。まだ戦いが続いていれば、彼女が圧倒することは目に見えていただけに、彼女は悔しそうである。しかし不満だ不満だと嘆くだけではない彼女は私に見向き、今回の戦いを通した印象を偽りなく話す。客観的な目線の私と主観であるティリーンでは印象も異なる。私の印象としては巧みな身のこなしが第一印象だったが、彼女の印象は真逆といって良い。
「技はそこまでではないのじゃ。問題はあの生まれ持った身体能力じゃ。もし人食いの頃の妾なら迷わず乗っ取っておったわ。」
綺麗な流れに見えた合気は意外にもそれほど完成度が高いものではなく、足りない部分は自身の膂力によるものだったと彼女は言う。もし彼の技が完成していたのなら初っ端のあれでやられていたかもしれないとまで言う。こうは言いたくないがと前置きして、魔力に頼って主様が辿り着いた境地に彼は素のまま辿り着く可能性がある。それほどのポテンシャルを持っていると、言い淀みながらも呟く。私の強引な戦法は魔力や精霊などの一般的に人々が使用しないものを使ってるので出来る実現している所が大きい。それを自力だけで引き出せるとしたらそれは化け物か何かである。あのティリーンが手加減していたとはいえ、人質だった女性を連れて逃走したのだ。普通の人間だと思うのはおかしな話か。もしかすると彼を辿れば精霊にも繋がる可能性すら見出している。
「どうでも良いけど、私様は今日みたいなのはなしだからぁ。これでも国直属の仕事しているのよ。目を付けられたらどうするの!」
興奮気味に彼について語り合っているとウンザリとしたアスドガが話を遮る。今日は確かに彼女には迷惑をかけてしまった。ここは引き下がるべきところだと、盛り上がる話題を途切らせると、彼に関する情報を投げやりに私たちに提供してくれた。彼は今、治安の悪い正門周辺でヒーローのように謳われている。その理由は、彼は弱者の味方を貫き、入国時に被害を受けている弱者を音もなく現れて次々と救っているらしい。とんだお人好しだが、彼は何時も名も名乗らず人々を助けるだけ助けて一人姿をくらます。アスドガも今日実物を見るまでよくある噂程度に考えていたそうだが、あれは間違いなく正義の味方であった。
『美しい正義心だな。』
私がそう呟くとアスドガはそういうでしょうねと頬に手をついて適当に返す。不当な扱いに愚痴でも垂れたくなるが、彼女は本気で疲れた顔をしているので、今追い打ちをかけるべきではないと判断する。項垂れた彼女をベットに横にすると、今日は出前にしましょうという彼女の誘いに乗った。出前とは何かきっちり理解していない私は適当に乗ったのだが、渡されたメニュー表を手に持ち、ここまで運んで貰えるのかと理解した。手渡されたそれには多彩な料理が色鮮やかに描かれており、本音を言うと、どれも食べてみたいと思ったが、そこまで神経の図太くない私は大人しく肉の多い料理を選んだ。遠方へ連絡を取るための機器を使い、注文を取ること数十分で店の従業員はマンションのロビーまで送り届けてくれたので、ダウンしているアスドガを置いて、私とティリーンで商品を受け取りに行く。支払いもこの際私達で済ませて、部屋に戻ると、未だにぐったりしている彼女を揺り起こす。抱っこしろなどというので寝かし付けたまま彼女の頼んだ弁当を傍らに置き、リビングに戻ろうとすると彼女はひとりでに立ち上がった。心なしか寂しそうな顔をしていたが、気のせいだろう。
思っていたよりも油の多い弁当を平らげて一時の安らぎが訪れる。一日中動きまわって疲れたアスドガはベットに横になり、私とティリーンは隣り合うようにソファで寛ぐ。
「主様は、やはりあの男が精霊に関わっていると思うか。」
私の左肩に頭を乗せたティリーンは、考えたことを言い当てる。私は彼女の発言に首肯し、彼女の意見を促す。すると、彼女はその可能性はあまり高くないだろうと切り捨てた。理由は、彼がもし精霊と関わっているのなら、力を授かっているだろうし、あの土壇場で其れを利用しないのはおかしい。彼女の言を纏めると、大体こういうことだ。生まれ持った地力を過信していたという線もなきにしもあらずだが、そんな性格ならあの場を煙に巻くような形で離脱するのは矛盾しているように思える。
「まぁ、現状。何も手掛かりがない状態じゃ。奴を追ってみても構わんがの。」
未だ聞き込みも録に出来ていないのだ。手掛かりも糞もないのだが、判断材料として、彼をマークしておくのは、念には念をと言うやつだ。
堅い話はそれくらいにして、私達は身を寄せ合うように身体を近づける。私の手は彼女の肩に回り、彼女はその腕の中にすっぽり入っている。肩口を撫でると嬉しそうに身を捩らせるティリーンはとても可愛らしい。調子に乗ってやり過ぎると彼女の機嫌を損ねるため、絶妙な引き際をみせて彼女を限界まで楽しむ。隣の寝室ではアスドガがノックダウンしているのだが、そのことも構わず、ティリーンは私の頬に唇を付ける。普段は子供っぽいところを見せるのに、こういう時だけ大人っぽい一面を覗かせるのは本当にズルい。私は駆け引きもなく彼女に誘われるがままに彼女の方に見向く。全身を熱くして真っ赤に染まるティリーンの妖艶な姿に生唾を飲む。もし私が場慣れした達者な人間なら彼女との情事が行われていても仕方がない。現実問題として、交際歴などがない私にとって異性を誘うというのがどれほど高難易度であるか想像に難くない。それに、私の中でユラのことなどがこういう雰囲気になると直ぐ様思い出される。それでも押し切りたくなる時もあるにはあるが、一方的なものだったとはいえ、一度は結婚した身だ。そう簡単に他の女に手を出して良いはずはない。彼女との慣れ合いもまだ一線は越えていない。彼女との関係を築くのであれば、昔の精算はつけるべきで、それが出来なければ、私に資格はない。密着した身体を離すことも出来ない私がそんなことを考えているのだから笑い草である。
「貞操概念がしっかりしておるのは良いが、主様はいずれ妾と契ることになる。これは決定事項じゃ。」
私の葛藤を見抜くティリーンは私の鼻梁を指で弾きながら微笑む。彼女の舌が頬を伝い首に下りる。汗で酸っぱくなっている汚れた部分を重点的に舌を這わせる。こそばゆい感覚に思わず声を上げそうになるが、それはなんだが情けないような気がして、必死に口を噤む。
「ふふっ、我慢はせずとも良い。もっと素直に享受せい。」
激しくなる舌技に鼻に掛かるような声が洩れる。それに喜んだティリーンは益々激しくさせていくので、私の中の情欲が段々と掻き立てられていく。息が荒くなり、冷静になりづらくなった私の目に彼女の長い頭髪の上から生える少し垂れた耳が視界に入った。無意識のまま顔を下に向けると、何事かと彼女も舌を動かすのを止めたが、関係なく私は彼女の耳を捲った。そして息を吹きかけると、彼女が身を震わせる。続け様に人間と同じようにある隆起したところに沿って舌を流すと、彼女の声から男を誘う魅惑の喘ぎが小さく溢れる。端なく思われたくないからか口を塞ぐようにして出来るだけ声を我慢している。男の意地を持って彼女を開放させてあげたいと傲慢な思考が脳を支配し実行する。
「くっ……っ……ハァ……」
必死な抵抗を見せるティリーンだが、その瞳はトロンとしており口も半開きで大量に分泌された唾液が唇を伝い外気に漏れている。薄い痙攣を繰り返していた彼女は既に私を舐めるだけの余裕を失い、此方が触れる度にビクリと体を揺らす。しかも少し手を離すとあっと嘆息を漏らすのは反則だと言っても良い。催促する後を引くような彼女の姿は私の理性を奪うのには十分の威力だった。
「何二人で楽しんでるの!私様も混ぜなさい!!」
又しても私の一線は守られた。アスドガの登場で萎えてしまった情欲はもうそういう雰囲気を醸し出すのは不可能で、もう寝たいと自分勝手な意見を述べる。私もそれに同意だと感じ、ウキウキとしているアスドガと生殺しを喰らった涙目のティリーンを置いて、私は独りでに寝室の床にて就寝した。目を閉じている間にふたりの言い争う声が此方にまで響いていた。アスドガは落胆の言葉を漏らし、ティリーンはお前が来なければと理不尽な怒りを露わにしている。私としても彼女には悪いことをしたと思うが、もう今日はそういう気分にはなれそうにないので、勘弁して欲しい。




