死霊の洞窟 3
逃げられたと苛立つ前に全身を伝う不快感に背中を震わせる。着実に張り付く液体は表面だけが硬度を保っており、変形自在な動きを可能にしている。必死に抵抗しても余計に密着面積を増やして広がるだけである。この女が自身に施した実験はこれか。私が見た似たような生物は唯くっついてくるだけのものだったが、彼女のそれは明らかに数段階上を行く代物。多少の伸び縮みはあるが、人間の形をしているし、背に押し当てられている胸部からは激しいまでの鼓動が響く。心臓などの臓器も完璧に生成されているのだ。口を抑えた手から無味無臭の液体が口の内部に侵入していく。アスドガはその様子を淫蕩とした表情で眺めているが、私にとっては理解不能な気味の悪い事象である。何とか現状を打破しなければと混乱している頭で考えても碌な案は出はしないが、その中でもマシだと思った案を片っ端から実践していく。
まず注目したのは彼女の身体が液体で生成されているということ。それに口に侵入してくるものは現時点ではそれほど身体に害は無さそうである。表面を囲っている膜はそれほどのモノには耐えられないのも手から漏れる液体により証明されている。ならば、覚悟を決めてこの液体を吸ってみてはどうかと思考を進める。彼女にも身体の体積を保つために十分な液体量が必要であるはずだ。気は進まないが、今取れる最善の策だといえる。
「ぁっ……!」
口を大きく開けて彼女の手に噛みつく。表面は直ぐ様私の犬歯を通り抜けさせて内部に向かわせる。口の中に粘着性の液体が奥歯まで絡みつくが、それにも耐えて思い切り彼女を吸う。最初は抵抗するように留まろうとしていたそれらは力を込めるごとに吸引に従う。じゅるじゅると音を立てて吸うと彼女の口から嬌声が奏でられる。顔を背けて途切れがち喘ぐ彼女はまるで性行為でもしているようだが、実際にやっているのは手を噛んでいるだけである。喉を鳴らして嚥下すると、腹に確かな重量を感じる。一歩一歩彼女の装甲を剥いでいる様な感覚に達成感など感じないが、自分は頑張っているという気持ちは湧き上がる。アスドガの抵抗を跳ね除けながら吸引すること数分。気付けば彼女の手は完全に消え失せていた。この戦法が彼女に有効であることの証左であった。
「はぁ……はぁ……、躊躇いもなく私様を吸うなんて、なんて情熱的なの。こんなのされたら興奮しちゃう。ご主人様に求められたら私様はもう……」
元気を失った彼女を突き飛ばして転がすと、べチャリと倒れる。荒い息遣いと小声で呟かれる官能的な言い回しに興奮しないでもないが、相当気分を害された今の私には彼女の表情や仕草など目に入らない。ただこの女を徹底的に傷めつけてやろうと言う意思だけが瞳に篭もる。右手を失った腕を広げて私を迎え入れる順部をしている彼女にお前に命令されたくないと言う意思を伝えてから強引に右腕も引き千切るが、嬉々とした声を上げるばかりで変化のない彼女に引きちぎった腕を返す。
『本当に面白く無い女だ。消え失せろ。』
もう立ち上がろうとも戦おうともしない女に愛想を尽かした私は彼女を置き去りにして立ち上がると、機械仕掛けの扉を腕力だけで破壊するために腕を振り上げる。だが、叩こうとした扉の前に気付けばアスドガが立ちふさがっていた。邪魔だと言っても退く様子はない。焦点の合わない目でもっと遊びましょうと語り掛けてくるだけで、攻撃はしてこないが、本当に邪魔であるので振り上げた拳で彼女を叩く。
「ごぶっ……」
弾け飛ぶ水滴に痛々しさを感じる。流石に魔法によって尖っていた私の性格も抑制される。幾ら攻撃しようとも一歩も動かない彼女の頬に触れる。ピチャリと水面を触ったように波紋が広がる。すると彼女は頬を緩ませてぺたんとその場に座り込む。深い意味はなくした行動だったが、彼女にとっては重要な位置付けの行動だったのだろう。添えた手に甘えるように擦り寄ってくる彼女は獣の類が人に懐いた時のそれに近い。
哀れに思ってした行動がここまで彼女を豹変させるとも思えず、私の爪の垢を舌で穿り出して掃除してくれている彼女に楽しいのかと聞いてみると、これ以上ないほどにと返されたので諦めてされるがままとなった。
両手の清掃が終わり、終いには足の爪まで舐め回されていた頃合い。無機質な音しか吐かなかった扉が唐突に悲鳴を上げた。異常を感じて背を預けていた壁から身を離すと、ドンと爆風をならしながら粉塵が舞う。煙の中に獣耳と尻尾を靡かせる女性のシルエットが浮かび上がる。
「助けに来たぞ!主様!!」
慌てた様子で乗り込んできたティリーンは、足を舐められている私と目が合った。時間が止まったようにティリーンは固まる。危機を聞きつけて助けに来てみれば本人はある種のプレイ中ときたものだ。そういう反応をしないほうが可笑しい。夢中で足を舐めていたアスドガは顔を上げると、ティリーンを確認する。私と彼女の目があっているのを知ると、修羅場かと納得して足に再び顔を寄せて作業を再開した。気を取り戻したティリーンはその彼女の行動を諌める。
「そ、そ、そんな卑猥な事をするな!!したいなら他所でやれ!!」
涙目ながら訴える彼女に、アスドガは聞こえないふりをしながら変態的な行動を止めようともしない。それがティリーンの神経を逆撫でて掴み掛かろうとするが、アスドガは身体を一瞬液体に戻してからそれを回避する。長い間奉仕されている時に聞き出したのだが、彼女は自身の体をスライムで構成することで、自在に変形し、色を変える事ができるのだそうだ。その代償に痛覚などの人間に必要な機能がなくなってしまったが、彼女にとっては些細な事だそうだ。種明かしとなるが、あの見えない攻撃は拳を透明にして腕を伸ばしていたらしく、勢いをつけれるため圧倒的な威力が出るそうだ。伝聞なので、確かなことは言えないが、彼女が化け物である事は確かだった。
通り抜けたのに驚いたティリーンは最初お化けかと怯えていたが、ちゃんと観察して見ると違うことに気付き、対策までを自分で講じてアスドガを掴む。すると、彼女も私の時と同じようにアスドガを掴むことに成功した。得意げな彼女にどのように触れているのか質問を投げかけると、手の表面に魔力を這わしていると耳打ちする。
「此奴の身体は九割近くが元の部分を失っているが、魔力が通る管は知らない人間たちには排除しようがなかった。それを利用して自分の魔力で直接奴の管を反応させておるのじゃ。反応を受けて硬質化した肌をつかめばあっという間にこの馬鹿者に触れることが出来るという寸法じゃ。」
褒めろと胸を張るティリーンの頭を撫でながら私も考える。全然意識していなかったが、私もあの状況下でそれをやってのけていたのだ。とても自然に身体が対策を打ってくれたと言ってい良い。いつの間にか身についていた戦闘技術に感謝をした。
それにしても、ティリーンはどうやってここに来ることが出来たのか。私と同じようにあのお化け地味た化け物が跋扈する道中を彼女が抜けていけるとは思えない。漠然とした疑問を彼女にぶつけると彼女はあっけらかんと奥から出てきた男に教えてもらったと答えた。特徴は白い服を着た冴えない男。どう考えてもあの逃走した男だった。あの短時間で遠くまで行ったものである。それにしても彼は私の背後に立っていたアスドガを見て大層脅えていたようだが、あれは一体なんだったのか。
「ああ、ジャガエに会ったの。あの男も悪くはなかったんだけど、根性がなくてねぇ。夫にまでしたのに私様から逃走する技能ばかり研究しててねー。もうご・主・人・様見つけちゃったし、要らないけど、逃げ切られたかと思うと今更悔しくなってきたわぁ。」
どういう過程でどうなったのかは存じ上げないが、あの男があれだけの表情をしたのも今の彼女の表情を見ていれば容易に納得がいった。終始意味を推し量れていないティリーンは難しそうに眉間に皺を寄せていた。
一方的なティリーンによるリンチが終わってから、私達は出口を目指す事になった。研究室の研究者用の扉の方を抜けて、おどろおどろしい通路を突っ切ると、漸く出口が見えてきた。射し込む陽射しに誘われると、外の空気を感じる。掛け出ると、晴れ渡った空が私たちを出迎えた。
それに、出迎えたのは空だけでなく、要塞のように佇む大きな城壁。堅牢な素材で守護させた壁の上部には、外敵を殲滅するための砲台が幾重にも積まれている。圧倒的な軍事力。これ程までの資金を使用できる国は中々ない。
「ようこそ、キーリス帝国へ。」
一歩前を歩くアスドガが手を広げてそう言う。やはりそうかという気持ちと同時に、じゃああの実験施設は帝国のものかと断定する。この立地を鑑みれば、それ以外の可能性は疑うまでもない。私が睨んでいた通り、帝国は録な国ではないらしい。気をしっかり持って挑まないと、体の芯までボロボロに食い散らかされるかもしれない。緊張感が私を襲う。
「ふむ、好都合じゃな。早速探索と行こうかの。」
不安を滲ませない圧倒的な自信で言葉を紡ぐティリーンに勇気付けられて、私も同意の意を示すと、大きな一歩を踏み出す。泥濘んだ土に足を取られながらも、しっかりと前に。私達の同行を確認したアスドガは嬉しそうに表情を綻ばせながら、私達を帝国まで案内した。洞窟から帝国の門までの道中、彼女の案内がなければならなかった場所は多々存在した。迷路になっている所があれば、暗証番号が必要なところもあった。如何に厳重かがわかる。それならば何故あの洞窟に実験施設をつくるような面倒くさいマネをしたのだろうかと思うが、帝国側にも何かしらの事情があるのだろうと勝手に結論付ける。




