死霊の洞窟 1
その後も次々とはかれる私の反論に綺麗に論破をかましたティリーンは念願の密着を経験することになった。勿論全裸になるわけではなく上半身だけである。私が目を閉じている間に彼女は衣擦れ音を洞窟に響かせながら脱衣し、そのままその胸部を私の胸板に精一杯押し付ける。男にはない柔らかな感触に一気に身体が熱くなる。全身ではなく主に下半身だが。
「どうじゃどうじゃぁ」
情婦のように誘う彼女に視界がぼやける。もうこの際手を出してしまっても構わないのではないかと自暴自棄な思考が脳内を飛び回る。次第に手が彼女の腕を這わせて背中に回る。そして徐々に手を下に下げていったその時。
――ア゛ァ゛
「ひぃっ!!」
洞窟の深部から生者とは思えない呻き声が響き、それにともなってティリーンが声を上げて驚いて加減も忘れて思い切り抱きついてきた。グキリと彼女と同様に私の骨も悲鳴を上げた。激痛に甘い空間を一気に払拭されてそれどころではなくなってしまう。冗談無しで痛い私は無言のまま彼女の熱い抱擁を耐え切った。暫くすると唸り声も止み、それに従って彼女の拘束も弛緩していった。ある意味生きた心地がしなかった私は大きな息をつく。ティリーンは怯えきった様な身震いを治めなず暗闇の深部を睨みつけていた。ここから覗く外の天気は一向に改善されないし、長居することは確定している今、不安材料を放置するのはあまりにも無知で無謀というものである。私は服の裾を握り締める彼女の手を優しく振り解くと、取り敢えず私が一人で様子を見てくることを彼女に伝えた。彼女は首を大袈裟に振ってそれを拒否したが、怖がっている彼女を連れて行くのは更に酷なことだ。ここならもし何かに襲われた場合でも外に逃げるなり対処できる。ここは私の顔を立ててはくれないかと申し出ると、彼女は俯きながらも何とか同意してくれた。
ティリーンに手を振られながら私は洞窟の深部へと足を進める。霊感の類は生憎持ち合わせていないが、ここがよくない場所であることは私にも感じ取れる。踏み締める度にカツンという音がこの空間広がり段々と消えていく。ゴロゴロとした大小様々な石が行く手を阻む。分かれ道のところには拾い上げた石で目印を付けて、最初は何も考えずに全ての進路を左に設定する。やたらめったら動くと最悪迷う可能性があるのでこれが最善と言える。
『人っ子一人いないな。』
最深部は行き止まりになっており、人間どころか獣もいない。虫すらも見つけることは叶わなかった。仕方がないので引き返そうと振り返ると、二足歩行を実現しているスカスカの骸骨が眼窩から覗く怪しい赤い光を此方に向けて直立していた。ばっちりと目が合うと、誰かにそう命令されていたかのように軋む骨を気にせずに此方に立ち向かってくる。それの右手には錆びた長剣が握られて、左手には紋章の入った盾が装備されており、紋章を見る限り何処ぞの兵士であったことは間違いない。鎧った兵士の亡骸は問答無用で一気に駆け出す。
「ア゛ァ゛ーー!!!」
声帯もない身体で声を張り上げた骸骨は果敢にも剣を振り上げて襲い来るがその速度はとても凡庸なものなので金色の長剣をガラ空きになっている胴体を切り裂くことで余裕で対処することが出来る。骨が砕けた兵士はその場に倒れこむ。安心して目を逸らすと、ガシャンと不自然な音がそちらから再度響いたので目線を戻す。すると、砕かれた骨を回りの石やらで補った骸骨が再び立ち上がっていた。鋭く光る赤い眼光は一片の迷いもなく寸分の狂いなく同じ構えを実行する。これでは幾ら倒しても意味が無い。敢え無く逃走を余儀なくされた私は全力疾走で来た道を駆ける。目印もきちんと残っており道に迷うことはないだろう。そんな甘い考えで走る私の前に絶望的なまでの光景が映り込む。
『嘘だろ……』
進路を塞ぐほどの多数の兵士。それもどれもが骸骨であり、武装をしている。此処で漸く自分が罠に引っかかってしまったことに気付く。この洞窟は侵入者を絶対外に出さないように設計されていることは間違いない。計算された骸骨の配置。そして出現のタイミング。これが自然に起きていることとは思えず、とても人工的なものを感じる。そして私はまんまと思惑通りの行動をした馬鹿の見本というわけだ。自嘲気味に笑ってから現実を直視する。状況としては、迷うよりも最悪である。通ってくださいというふうに塞がれていない通路は明らかに危ないし、かと言って戻っても最奥は行き止まり。来た道は大量の死なない敵。私は覚悟を決めて態とらしく開けられている通路にヤケクソを起こしながら突き進んだ。事態が今よりは好転することを願って。
全力で駆け抜けた先に待ち構えていたのは、先程とは毛色が違うものだった。確かに変化を求めていた節はあった。しかしそれが思いもよらない変化は求めてはいない。嫌になる気分を無理やり引き上げて前方を確認する。通路を抜けた先にあったのは開かれた空間だったのだが、問題はそこではなく、そこに居た奴等だ。半透明なボヨボヨとした柔軟な身体に中心に浮かぶ謎の玉。ゲル状の球体はネチャリと不快な音を立てながらノソノソと地を進む。圧倒的に強烈な臭気に鼻が捩れそうになりながらも、私はそれらに当たらないように抜けて向かいの出口まで突っ切る。偶に誤って踏んでしまったりもしたが、纏わり付いてくる程度で、中心の球体を踏み潰すと力を失い離れたので問題なくその空間を脱出する。
『一体何なんだ此処は』
純粋な疑問が一難去った私の頭を支配する。あんな生物は見聞きしたこともないし、そもそも何故この洞窟に居座っているのかも分からない。骸骨と云い、作為的なモノを感じずにはいられない。もしかしたら此処は何かの実験施設なのだろうかと夢想するが、これが何の成果に繋がるのか判断できない私はその説を投げ捨てる。考えるよりも先にしなければいけないことを実行せねばならない。それは、どうやって奴等の布陣を潜り抜けてティリーンの待つ出入口まで到着するか。汗ばんだ服で扇いで篭った熱気を外へ追いやると、私は進むべき道も提示されていないため、宛もなく一寸先は闇の通路を息を整えながら進行する。
長々と続く暗闇に陰鬱とした気分を持ちながらも、気だけは強く持って進む。風の音一つしないのが、逆に不安を駆り立てる。居るのかも分からないこの洞窟の設計者の掌で弄ばれているのだろうと思うと、沈んだ気分が更に深層を目指す。
『ン……?』
項垂れていた私の背中に何かが触れる。振り返ると、そこには暗闇から飛び出た腕が私の背中に触れていた。人間がいたのだと結論付けようとした私の目に見えてほしくない現実が直視される。目線の先にいた痩けた頬に体型の崩れた中年の男性は体の要所要所に違和感を感じる容姿である。幾ら現実逃避をしても彼の腐った口の回りの肉や、臓器のはみ出した腹部はどう見ても異常だった。骸骨、スライムと来て、次はゾンビときたものだ。いい加減にしてくれと愚痴を溢してしまうのも無理からぬ事だろう。
「殺゛ずぅ」
言語を吐いた屍は私の肩をがっしりと掴むと脳の制限を気にせずに常軌を逸した筋力で握り潰そうとしてきた。力を込めたことがわかっていた私は事前に肩を竦める要領で下げており難を逃れる。それに仮に喰らったとしてもティリーンに手加減無しの抱擁に比べれば屁でもない。低い体勢から用意していた剣を一気に切り上げる。胴体が真っ二つにわかれた男は這い寄るように移動していたが、脳天を踵で踏み潰すと流石に力なく微動だにしなくなった。弱点は人間と同じであることが今証明された。私は腐臭漂う死体を仰向けに転がしてから男の身元の確認を行う。素人目から見ても彼は服装や顔付きから若い兵士であることが窺える。戦死した遺体を此処に持ち込まれて実験にでも使われたのか。惨たらしいがその可能性が濃厚になってきた。骸骨が持っていた剣や盾と同じ紋章がこの死体の着衣している鎧にも刻まれているので、彼らは死後も国に囚われて、利用され続けている。非人道的であり、人間のすることではないが、今のところそれを否定できる材料は用意できない。もっと最下層に進めば答えがあるのだろうか。そんなありきたりな考えが頭を過る。その時には既に足は踏み出していた。
強度の高くない屍を軽く屠りながら道なりに深部に向かうと、此処に来て初めて人工的な造りの扉が私を待ち受ける。手前に設置された端末には九つの数字が表示されていて、五桁の暗証番号が要求されたモニターがついていた。そしてその隣りには、指紋を読み取るセキュリティまでついて二重でここを守っている。絶対にこの奥に秘密を解く鍵が眠っていることは間違いない。しかし、このセキュリティを解除する術を私は持ち合わせていない。適当に打ち込んで全条件を網羅しようにも時間が掛かるし、それにもし間違った時の対処が自爆とかだったら取り返しが付かない結果を呼びかねない。
『ここはーアーちゃんにー任せてー』
唸っているとアーモロが顕現した。剣の中から余程のことがない限り姿を見せない彼女は眠そうに目元を拭いながら、タッチパネル式の端末に触れると、光を溢れさせた。彼女は自身の能力である伝達し影響を与える力を用いて機械のロックを外してくれているようだ。見掛け以上にも幾重に掛けられたロックに苦戦しながら彼女は見事仕事を果たすことが出来た。これで終わりだとばかりに力強く彼女が何処かのボタンを押すと、扉は上下左右に奇妙なギミックを交えながら開く。予想外に大仕事になったアーモロは疲れたという表情を全面に出して、一時休ませてくれと言い残して姿を消す。私は彼女に感謝をしながらも全面を白で囲まれた室内に足を踏み入れた。印象として実験室というイメージが尤もらしいそれだ。気にせずに進むと私が踏み込んだ床が光っているのが目に入る。それを合図に床は反転して手術台がせり出てくる。乗せられているのはほぼ原型を留めていない女性。手錠やゴムバンドなどで拘束された腕や胴体、足には赤い跡がくっきりと残っているため彼女が今際の際、必死に抵抗して暴れていたことが推測できる。立ち眩みがして壁に撓垂れ掛かると、またもや何かのギミックが発動して対面の壁がガラガラと音を立てて左右に開き、人一人分入りそうなカプセルが無数に姿を表す。




