アーガレーヴィン街 8
ヒーロは年長者らしく自分からティリーンに謝ると、今日のところはもう帰ったらどうだとレザカに進言する。どうやらあれで終わりという訳でなく、一休息いれてから再開する予定だったようだ。ともなれば、私達は彼女らの鍛錬を邪魔してしまったことになる。申し訳ない気持ちが込み上げてきていると、彼は心情を察したのかレザカの頭に手を置きながら、コイツは我慢強すぎて止め時がわからなくなるからコレぐらいで丁度良いとフォローを入れてくれた。戦いの時とは違い、やはり紳士的な立ち振る舞い。年の功とは言うが、無駄に過ごした日々ではなかったのだろう。照れながら手を退かそうとするレザカも満更ではない表情を浮かべているし、この人物は信頼を寄せるに足る人物だ。そんな人物に私は少し前のことで尋ねたかった事を彼に尋ねる。
『何故私を次の英雄だと言ったんだ。確かにこの剣は英雄のものだが、それが直接私に関与するものではないだろう。』
彼が私との戦闘で手を止めた時、聞き間違いでなければ彼は確かに私が次の英雄であることを理由に戦闘を停止した。しかし、それをどう見抜き、判断したのか。そして、私が彼にはどう見えたのかが気になっていたのだ。折角質問できそうなチャンスなのでコレを逃す手はない。
「簡単な話だ。剣は誰にでも一定の条件が揃えば抜ける。しかしその剣に精霊の力を宿すのは、誰にでも出来ることじゃない。多分俺でも出来ない。それが出来るってことはお前がその剣と精霊に選ばれたということだ。つまりは此処に英雄が誕生したと言っても過言はないということだ。」
飛躍しすぎたところもあったが、彼の主張は概ね理解できた。当たり前のように行使していた力が実は物珍しいものだったということらしい。ケティミのあの癒やしの力はそう言われてみれば特異さを大いに表現していたし、アーモロの力も私が使いこなせていないだけで、もっと上手く利用すれば最強に繋がる能力である。彼に言葉にされたことによって、自分が如何に恵まれた環境にいるのかを自覚させられる。ヒーロはそれについて仕方ないと零す。何しろ様々な因果の経過で結果として共にしている精霊であり剣である。自ら欲して手に入れた力ではないのでそうなるのも無理は無いと言う意見を彼は述べてくれた。そして今度は声を潜めて私の耳元でお前は精霊達とちゃんと向き合ってくれると信じていると告げて家に帰っていった。意味を推し量りきれない私はぼんやりとした頭のまま、彼の背中を見送った。
「じゃあ、帰りましょうか。」
訓練の後の身体のほぐしも済ませたレザカが私たちに問い掛ける。
短い散歩のようになってしまったが、それもそれで良いかと考えてそれほど距離のない屋敷までの道のりを歩んだ。ゆったりと流れる雲と青々しく揺れる葉、暑くなってきた季節に嬉しい夕方の涼しい風が吹き抜ける。気付けば日も沈みかけて辺りは夕闇を迎えようとしていた。彼女らの戦闘に見入ってしまっていたので気付かなかったが、相当な時間があの場で経過していたのだ。でも時間を無駄にしたという気持ちはない。勿論彼女らの実戦型の試合が凄かったのもあるが、闇に包まれる前の人の行き交いが目立たなくなる今時分は季節感じさせて心を豊かにさせるからである。それに彼女たちとゆったり過ごせる時間どれほどあるのかを考えると、こういう時間を大切にしたいなと思えるのだ。
夏の季節のもう下旬。元気に輝いていた緑葉も気付けば段々と黄色く移り変わろうとしているものがちらほら見える。私達の旅は再び止まった時計の針を動かす時が来ていた。このアーガレーヴィン街で過ごした日々は平穏といっても良い日常だった。しかし、いつまでも此処に立ち止まることは彼女ら兎も角として私は出来ない。ティリーンの話によると、精霊はキーリス帝国でそれらしい噂があるらしい。そろそろ休息を終えて旅立つ時だ。時間は沢山あったので準備は十分。後はこの旅に同行する人を確認するだけの作業が残る。時期を察して頑なに結論を出さなかった各人は今日ここで漸く自分の結論を発表していく。
「アタシはここに残ろうと思う。付いて行っても足手纏になるし……」
作り笑顔が虚しいカナはそう言うと押し黙った。それに続くようにクロネも此処に残る事を選択した。そもそも度に同行していた事自体が偶然のようなものなのでクロネはこうなるだろうと思っていた。そしてこの屋敷を守るために教育を物理的にも精神的にも徹底されたイー達三人もここに残ることになった。残りはティリーンとレザカであるが、この二人は付いて来てくれるだろうと心の何処かで思っていた。しかし、現実はそこまで甘くはない。皆が席についてテーブルを囲んだこの場で彼女は同行を拒否したのだ。予想外な展開に私とティリーンは驚いたが、彼女は師匠のことを説明してから彼と一緒に武者修行の旅に出ることを宣言した。彼女は私の目を真っ直ぐ見ながら、貴方を守れるように強くなると告げる彼女に私は何も言うことが出来なかった。
結局のところ、旅のメンバーは私とティリーンだけになった。
「なんじゃ。妾だけでは不満かの?」
『いや、寂しくなるなと思ってな……』
彼女のからかいにそう返すと、彼女も私に並んで外から屋敷を見上げながらそうじゃなと自然と言葉を吐いた。皆が皆、自分で選んだ道を進む。言葉にすれば何処にも負の要素はなく、新しいことが起こる前触れのように思えるが、それは別れも意味する。堂々と聳え立つ屋敷に名残惜しさも感じながらも私達は旅路に着くためアーガレーヴィン街の門に向かう。
「こうしているとレジェノの帰りを思い出す。メナカナ高原を抜けてローナルに向かう間、妾と主様は二人きりじゃった。途中で出会い別れのあったが、何だかんだで二人に戻った。もはやそういう運命なのかもしれないのじゃ。」
冗談半分でティリーンはそんなことを言った。確かにそう言われてみれば結局落ち着くところに落ち着いた感じだ。これから先も彼女とは切っても切れない縁がある。この先何十年になるか分からないが、ヒーロとその主の関係のように離れ離れになってもお互いを思いやれるような関係になれるのなら、それに越したことはない。普段だったらあまりしないが、なんとなく気分が乗ったので彼女に手を差し出す。彼女は意図を読み取り更にその上をいく。差し出された手を伝うように腕を絡ませると、最終的には腕にすっぽりと抱きつく。意表を突かれた私はされるがままに引っ張られて笑顔のまま二人でアーガレーヴィン街の門を抜けた。
散歩をするように軽い足取りで歩を進めるティリーンにキーリス帝国までの道程を尋ねる。すると彼女はあっけらかんとして道なりに進めばいずれ着くと漠然とした返答を残した。そんな適当で大丈夫かと心配にはなったが、道には里程標も整備されているのでそれほど心配する必要もあるまい。プラス思考に考えを向けて彼女の隣をペースを合わせて歩く。
「見てみろ主様。綺麗な花が咲いているぞ。」
秋の季節に移りゆく微妙な時期に、赤い花が咲き誇っていた。もうそろそろ霜が降りてきてもという感想を漏らすほどに気温も低下傾向にあるので、この花は頑張り屋である。しっかりと根を張って力強く生きているさまは勇気づけられる。私もしゃがみ込んで近寄り、表面に触れると、押された反動で上下に揺れる。当たり前の動きに何故か笑みが溢れる。立ち上がって眺望すると、花は連なるように咲いており、ティリーンがこれに沿って行こうと提案するものだから、私も思わず釣られるように付き従う。花の蜜を求めて集う虫、颯爽と駆け抜ける風、それに伴い揺れる木々。全てが何でもないものなのに、一堂に会するとどれもが素晴らしく味わい深い。不思議な感覚を覚えるが、髪を撫でる風に考え事は吹き飛ばされていく。思考を放棄して私達を誘う花の誘惑に乗って歩む。
頭上を覆う雨雲はまだチラつく程度だった。
花が途切れた先は暗い洞窟だった。誘われた先は思惑を汲んではくれなかったらしい。大人しく道を引き返そうとした所で頭の天辺に冷たい雫が零れた。慌てて上を見上げると、一滴一滴と水滴が落ちて、次第に数が増殖したかと思えば、全面積を包囲するように激しい雨が降り注ぐ。仕方ないので私達はこの洞窟で雨宿りをすることにして中に駆け込んでいった。洞窟内は外気より数段冷えるが、まだ完璧に寒い季節とも言えないので我慢できなくもない。
「寒くはないか?」
基本的に寒さも暑さも死角がないティリーンは私の心配をしてくる。人間である分、私のほうが脆い部分は多い。しかし私としては男として逆に彼女にそう問いかけたかったというのも無いではなかった。格好はつかないが、念の為に彼女に後出しで質問すると、その台詞だけで胸が暖かくなると、何故か上手いこと返された。ニッコリと微笑む彼女を見ていると本気で寒さに関して云えば問題がないようなので心の底から安心する。雨に打たれたせいでジメジメとした服を一旦脱ぐと力一杯絞る。溢れる水に一種の爽快感を覚えていると、上半身裸の私の身体を瞬きもせずに見詰める目が一組。彼女はわざとらしくコホンと息をつくと、寒くないかと再度尋ねてきた。実を言うと、若干寒いが心配を掛ける程ではないので大丈夫だと伝えると、彼女は大丈夫だが寒いは寒いだろうと強引に詰め寄ってきた。負けじと私も心配しなくても良いと申告すると、ぐぬぬと苦虫を噛み潰したような苦い顔をして食い下がる。一体今の話のどこに悔しがる部分があったのかは甚だ見当がつかないが、彼女に何か言い分があるのなら積極的に取り入れたい私は、提案があるのなら聞く旨を伝えた。すると、先程の暗い表情を一転。花の咲いた笑顔で論理立てた提案を推奨した。
簡単にまとめると、人の肌というのは他人の肌と密着させることによって温度を補い合うのだそうで、雪山などで遭難した際に裸で抱き合うことも推奨させているらしい。そこで、私達もここで実践しようと言う試み。私が反論材料として挙げた、恥ずかしいという理由はここが洞窟であり、人の目につかないということで論破された。




