アーガレーヴィン街 7
屋敷に戻った私達をまず始めに出迎えたのは、地べたに正座をさせられたイー、リャン、サンだった。余程長時間正座を崩さずにさせられているのか顔はひきつり、余裕は全く以て窺えない。横に居るティリーンに目を向けると、ご自慢気な顔で鼻を鳴らす。別にこの光景を見て、彼女を誉めたくなったわけではないが、あまりにも堂に入った面構えだったので、雰囲気で彼女の頭を撫でた。大きな胸を反らして更にそこを目立たせる。子供のように喜ぶ態度に私も吊られて笑みを浮かべる。
「あ、あの……もう宜しいか。」
限界を感じていたイーが私達の見詰め合いを断ち切ってまで、ティリーンに申し立てた。機嫌の良かった彼女だが、今は触れてはいけない所だったらしく、虫の居所が悪くなった彼女は、三人を怪力で引きずりながら何処かへ連れていく。
『御愁傷様だな。』
鞘ごと右手に掴んでいる剣を通じて意志が宙を漂った。
あの三人についてはティリーンに任せることにして各部屋で休んでいたカナとクロネ、レザカに今回の件についての説明を行おうと思う。部屋の配置的に近い順番で先にクロネの部屋へ立ち寄る。コンコンとノックをすると、どうぞと返事が返ってきたので遠慮せずに入室すると、宝石で装飾された部屋が出迎える。構造としては皆の部屋は変わらないが、こういった手の加え方一つでどうとでもなるものだと感心する。突然の訪問にもかかわらず嫌な顔一つせずに彼女はどうしたのかと単刀直入に言う。私は大層な言い方だが噂の真相を解明し、精霊を仲間に引き入れることが出来たことを詳細に伝えた。彼女は最後まで黙って聞き届けると、じゃあもう次の場所に向かうのかと尋ねるので、もう少しは逗留する旨をしっかりと伝える。すると、彼女はそうかと言ってから了解をした。私が思うにクロネはこの街を好きになっているのかもしれない。それならば無理に彼女を同行させるつもりもない。元より長期の同伴は予定になかった。この数週間で彼女が判断を下すべき案件だ。窓から降り注ぐ木漏れ日に照らさせるクロネを置いて私は部屋を出た。彼女にはしばらく一人で考える時間が必要だろう。
クロネの部屋を出た私はその二つ隣の部屋の扉をノックする。そうすると、今度は内側から扉が開かれた。
「ん?どうしたの。」
顔を覗かせたのはカナで、不健康にも寝直していたのだろう。唯でさえ露出度の高い服装は乱れに乱れて、肩紐に至っては腕の中間まで落ちてしまっている。大きな胸部は薄い生地から途轍もない存在感を放っており、思春期の青少年にはとても見せられない妖艶さを醸し出している。半分寝ぼけている彼女の肩紐を直して服装の乱れを正してやると、彼女は一気に意識を覚醒させて扉を閉めた。危うく挟まりそうになったが、何とか反射神経を利用して回避する。数分間バタバタと慌ただしい騒音を発してから、彼女は扉を再度開け放ち、手招きした。入室すると、綺麗に片付いた部屋が目に入る。態々私のために掃除をしてくれたのだろうか。必死に吹けない口笛を奏でているカナに好意を持ちながらも、私は彼女に精霊の件について話した。彼女もこの街に居たいのか難色を示していたが、まだココを出るのはもう少し先の話であることを話し、どうするにしろきちんと考えをまとめておいて欲しいと諭した。どうせならこの屋敷もあるし丁度良いかもしれないと冗談半分で言うと、彼女は更に頭を抱えていたので、余計なことを言わないで退散することにした。扉を閉めるその時まで、カナの迷いの表情を見られた。
カナの部屋を出た私はこのアーガレーヴィンという街について考えていた。彼女らが迷うのも仕方ないと正直思う。何故ならこの街には不便がない。素行の悪い人間もあの女程度のものしか居ないし、店などは充実している。この屋敷も汚れてはいたが、値段もそれほど高額でなかったため、借りるのではなく購入してリフォームを頼めば、快適に過ごすことも可能である。詐欺のような噂も街を歩きまわっている間見掛けることはなかった。それに何より、面倒な縛りがこの街には存在しない。いや、もしかしたら存在するのかもしれないが、普通に生活していれば分からない程度である。平穏を手にするために、ソパールのように規律でギチギチに締め上げられてはいない。其れにもかかわらず、帝国という後ろ盾を持っている御蔭でよっぽどな荒事を目論む人間はそうそういない。少数派居るようだが。
『シャイニ様がー思っているほどー安穏とはしていないのー。』
私の口の代わりに徹してくれていたアーモロが自分の意思で言葉を連ねる。
『この街の根幹はー帝国に築かれているー。つまりは、実に不安定な足場に支えられているのー。』
剣を伝って彼女の思考が届く。彼女が言いたいことは次のようなことだ。まずは、帝国の後ろ盾を失ってしまうと全てのバランスが崩壊すること。そして、そうすれば治安は保てなくなり街自体が何かを見出さなくてはいけなくなる。しかし、今まで帝国に甘んじていた街では直ぐに万策尽きる。あっと言う間に街は崩壊するということだ。流石に飛躍しすぎた推論ではあるが、絶対に有り得ないとは言い切れない。何故ならこの街の大元である帝国は黒い噂も存在するからだ。ヘーガー小国がリバロー村を襲った件も帝国の関連があるかもしれないことは分かっている。そんなところが何をしてくるか予想できない。カナやクロネがここに残るにしろ、残らないにしろ、不安の芽は摘んでおきたい。厳密に策はないが、そうしなければいけない気がするのだ。
「ここにいたのか、主様!」
考え事をしながら廊下を歩いていると、ティリーンに出会う。三人に仕込みをしていたからか顔はいつもより艶やかである。ストレスの発散も済んでいるようで、淀みがない。私はカナとクロネの今の気持ちを代弁して彼女に伝えた。彼女も予想の範囲内だったのか、そうかとだけ端的に吐く。
「それでも主様は精霊を探しに行くのじゃろう?」
私はそれにケティミのお願いだからねと返すと、彼女は一息ついてからどんな状況になっても自分達が一心同体であると前口上を述べてから、何処までも付いていく事を約束してくれた。心を暖かくしながら私達は二人でレザカの元へ赴く。レザカの部屋の前に到着すると、返事はない。恐らく外に出ているのだろう。帰ってくるのを待ってもよいが、まだ時間は遅くないので探しに出ても問題ないだろう。折檻されたイーに私から留守を任せて外に出ると、あの巨体の男が住んでいる家の方角からとてつもない爆音が響いたのを耳が捉える。同行してくれているティリーンと目を合わせてから私達は駆け出した。
迷わず到着すると、嫌な予感が当たっていたことが判明する。偉丈夫と相対しているのは、見知った顔であったからだ。それも、丁度話をしようと考えていた人物である。
「はぁ……はぁ……」
息を切らしながら弓を構えるのは、レザカである。男の攻撃を弾く事は考えずに、出来るだけ距離をとって遠方から弓矢の雨を降らせる。しかし、それは悉くかわされて、逆に掴んで投げ返されたりしている。異常な反撃に彼女は冷や汗一つもない。まるで慣れているように冷静にそれらを対処していく。男もそれにつられて段々と攻撃性を増していく。このままではレザカの身が危ない。そう思って踏み出した私の腕をティリーンは掴む。
「……少し待て。」
彼女は何かを感じ取ったのかもしれない。彼女にこう言われてしまうと何も言い返せない。私は指示にしたがってその場に留まった。レザカのことは心配であるが、これがもし死闘ではないとしたらという発想が沸いてきた。ティリーンに声を掛けられて冷静になった頭で考えながら見ると、男の方もレザカも致命傷を負うであろう攻撃は意図的に外しているように思う。まるで練習試合でも見ているようである。ティリーンが感じ取った違和感はここにある気がする。お互いが攻守を最初から決めていたような綺麗な攻防は長く続いた。私達は黙ってそれを観戦していた。彼女たちの戦闘を発見してどれくらいの時が経ったのか。多分そこそこの時間が経過しているはずなのだが、体感では数分程度。漸く戦闘を止めた二人は此方の様子に気付くと、近寄ってきた。
「ここで何しているのですか。」
先制して口を開いたのはレザカの方で疑問を浮かべた顔でそう言う。私は先程の戦闘による爆音を聞いて心配になって来ただけであることを伝えた。すると、レザカの隣に立っていた男は彼女の頭をガジガジと不器用に撫でながら嬉しそうに笑った。私は意味がわからず見詰めていると、彼は説明をしてくれる。
「俺はコイツの言うなれば師匠をしている。名前はヒーロ。そこの女はもう分かっていると思うが、神獣だ。契約者はもう死んじまったからもう何の役目も全うしていないがな。」
自虐的に笑う彼の姿は戦いの時に見せるそれとは全然違う表情であった。このヒーロと言う男、話を聞くと中々に面白い男だった。彼は元々二足歩行の獣だったらしく、前の契約者を守り寄り添うためだけに人の姿に変貌した。そしてその契約者とこの家でその彼女が病にふせて亡くなるまでの間を過ごしたのだそうだ。ヒーロという名前は契約者だった少女が自分を守ってくれる英雄になってほしいという意味合いをこめてそう名付けてくれたのだそうだ。レザカとは偶々ケネイン街で会い、暇な時に稽古をつけてやっているとか。
「フン、お前は主に置いて行かれたのか。」
「女。お前だってそこの坊主が死んじまったらそうなる。」
「……」
図星を突かれたティリーンは押し黙りながらも此方を見上げる。私はそう容易く朽ちはしないと彼女を慰めて彼に目線を戻す。彼も皮肉には皮肉で返したくなったのだろう。彼の強さの理由はこういうところにある。単に力が強いだけではない。精神的な強さも垣間見える。今の状態で私が死んだとして、ティリーンが彼のように皮肉を言えるとは思えない。彼女は人間と比べれば長い年月を生きているが、神獣としてはそうでもないのかもしれない。ヒーロを見ているとそんな気がしてくる。




