アーガレーヴィン街 4
作り直された朝食を口に運びながら今朝の出来事に思考を巡らせる。広場での一件。あの場で彼女を見逃したが、報復のようなことをされないだろうかと心配になったからだ。私やティリーンなどのように自衛策を打つことが出来る人間は良いが、カナのように戦闘能力に秀でていない人間は防護策がない。その状況下で彼女たちのような野蛮な人間が襲い来ることは脅威である。イー達の反乱は私に周囲に気を遣うということを思い返させてくれた。現在彼女たちはどのような仕打ちを受けているかは、閉ざされた扉が開くことがないので見知ることは出来ないが、二度と変な気を起こさせないようにティリーンが徹底的に躾けてくれているに違いない。危険分子は排除するのが最も安全であるが、呪術を受けた彼女たちが碌な反逆をこの先企てられるとも思えない。よって、ティリーンの再教育という結論に辿り着いた。彼女たちを個室に引っ張っていったティリーンの表情はいつも以上に高揚していたが、それが良からぬものではないと信じておこう。
朝食を完食した私は皆に用事があると伝えて屋敷を出た。怖い目にあったカナを置いていくのは忍びなかったが、屋敷にはクロネ達も居るので大丈夫だろうと決断する。それに、私はこれから朝襲いかかってきた連中に顔を合わせに行こうと考えていた。そんな最中に彼女を連れて行くのは自殺行為に近い。以上の理由から私は一人で屋敷を出た。そして、私は今いるエリアを抜けて広場に出る。ランニングなどをしている老人達やストレッチをしている若者など年齢層は様々だ。私はその中から昨日のカップルの片割れでも見つからないものかと見渡すが、そう容易に見つかってはくれない。何もヒントがない状態なので昨日の記憶を思い返す。彼らがここを訪れたのは何時頃だったか。彼らの服装はどんな風だったか。仔細に思い出していく。記憶能力が優れているわけではないので、思い返される情報は継ぎ接ぎのズタボロだったが、何点か有益な情報を思い出す。まずは時間帯だ。あれは丁度工場の労働者が昼飯の休憩時間を過ごしている時間だった。そして彼の服装は作業着だった気がする。その二点を思い出すと、彼が現地の人間である可能性が濃厚になった。元々、あの慣れた感じの街の歩き方は完全に地元民のそれであったが納得がいく理由ができた。それに彼らが地元民でなければ泊まるところがない。宿屋は昨日の時点で満席だったようだったのにも関わらず、彼女は私の前に姿を表した。その点を鑑みても彼らが地元民であり、彼氏の方は工場で働いている。そう考えるのが妥当な判断である。それならば、ここで彼らを待ち受けるより、工場群に赴いて待ち伏せしたほうがより間違いなく捉えることが出来るはずだ。私は広場を抜けて、何食わぬ顔で工場群へ歩を進めた。
荒っぽい声掛けが響く工場は何処も忙しそうである。この中を通ると、自分が如何にダラけた生活をしているのかと自覚させられて居心地が悪くなる。しかし、ここで引き返すわけにもいかないのでしれっと作業服の男たちに紛れる。煤が掛かった汚れた外套にシャツとダボッとしたズボンはとても暑いが、この中ではそれなりに紛れられた。ぶつかりそうになる工場員たちを避けながら昨日の男を探す。女の方は男の方を抑えれば自ずと姿を表すだろうし、今はこっちを優先する。
「これ此方で良かったッスかね!?」
労働に汗を流す男を見つけるのは思ったよりも早かった。先輩に指導を賜りながらも素直に受け入れては行動に移している。先輩からしても彼はとても面倒しやすい後輩だろう。そんな男に今から脅しをかけなければいけないと思うと、心苦しくもなるが、此方としても変音を守るためなので勘弁してもらいたい。
「ああ、第二倉庫にここに書いてある機器があるから持ってきてくれ。」
「分かったッス!」
先輩からメモ紙を渡された男は元気よく返事をしてからメモを受け取り、第二倉庫という所に向けて走りだした。好都合なので私も距離を詰め過ぎないようにしながら尾行する。すると、倉庫の奥まったところへ走っていったので私も追いかけて外からは死角になるところで彼の口元を抑えてイーから奪っていたナイフを首に当てる。突然の出来事で状況を理解できていない彼も首に冷たい感触が触れると顔を青くする。彼は必死に助けを呼ぼうと叫ぶが口は手で塞がれている為要領を得ない音が少し漏れるに留まる。あんまり煩いようなら首を落とす意思をナイフを強く押し当てて伝えると、自然と彼は沈黙した。漸く本題に移れると息をついた私は予め用意していた『お前の女に襲われた者だ』と書かれた紙を眼前にやる。男は驚いたように目を見開く。どうやら彼はこの件に関わりがなく知らなかったらしい。驚きを隠し切れない男に次は『次もし私の仲間でも襲おうものなら容赦はしないと伝えろ』と端的に書かれた文章を見せた。彼はそれに力強く首を振ってくれたので、私は安心してから彼の首に押し当てたナイフを離すと、一気に距離を取って身を隠した。男は抑えこまれた首が開放されると同時に後方へ振り向いたが、そこに私の姿はない。ある程度見回すと、急に恐怖心がぶり返したのか所要の機器やらを腕に抱えると一目散に第二倉庫を出て行った。私は隠れていた最奥の場所から彼が完全に姿を消すのを確認してから足早に倉庫を出て、工場群から離れていった。
一連の仕事にそれほど時間は要しなかった為、私は広場を散策することにした。一応尾行などに気を付けながら工場群を抜けたため、最悪の場合はない。完全に付いてきている人間の気配は察知できなかったし、あの男の彼女が私を付けて来ていて、屋敷を特定することは成し得ない。慢心しているように思われるかもしれないが、自身があった。だから、広場で歩きまわることに恐れはなかった。もし鉢合わせれば、その場で打倒するのも一興であるとでも頭の片隅で思っているのかもしれない。その慢心が今回に限って云えば、当たっていた。一、二時間移動していたが、あれから大した出来事はなかった。忙しなく商売に邁進する者や遅刻したものが工場への道程を走る光景をベンチに座って眺めていた。人の目があるからか不審者も見受けられず、平和なものだ。早く起きたため、ウトウトと瞳が閉じ始める。警戒心が緩んでいる証拠である。でも、ここで何かが起きるようなことはないと断言できる。行動を起こすにはここは目立ちすぎる。自分に対して理詰めした私はゆっくりと眠りに誘われた。
「目覚めたのじゃな。」
後頭部に柔らかい枕が敷いてあると思ったらそれはティリーンの肉付きの良い太腿であった。所謂膝枕と呼ばれるものを享受していることを自覚すると、それを味わうように首を捻る。産毛程度の毛しか生えていない太腿は不快感を与えずに、いつまでも受け入れていたくなるものだが、公衆の面前であるのでそこそこ楽しんでから頭を上げて、感謝を伝える。彼女は言ってくれればいつでも良いぞと妖艶に言霊を吐くので、しっかりと頷く。
「ふふっ、約束じゃぞ?」
また一段と艶のある表情が出来るようになった彼女に成長を感じる。人間らしい姿を見るとメイカの面影を感じることもあるが、彼女は彼女であり、メイカはメイカであるのだと感じることも多い。一つになっていた存在がまるで新たなものに昇華されたかのようで、驚愕とともに消失感も覚える。彼女の中のメイカという存在が着実に忘却されていっているのではないかと勘繰ってしまう。幾ら何でも身体はメイカのものが元となっているので失われることはないのだが、自然とそういう思考が過ぎったのだ。ティリーンは察し付いたのか良い顔はしていなかったが、それでも納得の行くような微妙な笑みで固まらせていて、彼女を困らせてしまっていた。私が思考を放棄して目元を緩めると、彼女も気を取り戻して目元を緩めた。時々、こういう表情のティリーンを見ると、彼女が神獣であることを忘れそうになる。あまりにも不完全な心情が人間に酷似しているからだと気付くのにはまだまだ私は未熟で彼女を知らなかった。
二人並んでベンチに座って景色を眺める。最近何かとやる事があって、ゆっくりと空を眺めたり風を感じたり出来ていない。私の目的のなかった旅が段々と人を巻き込み、本来、平凡に生きていれば会うことのなかった人達と出会い、別れることができた。久々に何も考えずにぼんやり無為に時間を経過させている。これぐらいの休息はあってしかるべきなのだ。そう自分に言い聞かせて暫くの間、私達は互いに語りかけることもなく、生産性のない時間を過ごした。流石に人が増えてきた昼にはベンチを立ったが、長々と休息を取っていたように思える。
ベンチを立った私達は、昨日同様、伝説の剣の集団に巻き込まれた。ついでなので、一寸再挑戦してみようかと気軽にティリーンに雑に紙に書いて見せると、彼女は暇潰しくらいに丁度良いと肯定してくれた。それを嬉しく思いながらも、共に並ぶ。
「主様は、あの剣が欲しいのかの」
昨日と違い二人であるためそんな会話を楽しむ事が出来る。私は彼女の問いに首肯してから、紙に『もし今回入手できたらティリーンとの思い出が増えるからね』と書き記して、彼女はそれを覗く。
「そ、そうか。妾との思い出……か。」
みるみると気合いをたぎらせて、彼女の雰囲気が変貌した。先程までの緩い感じではなく、絶対に何がなんでも引っこ抜いてやるという気概がある。私はそこまで気張らなくてもと手で押さえるようにジェスチャーしたのだが、彼女は聞く耳持たずで闘志を瞳に込めていた。どうやっても彼女を抑えることは不可能だと判断した私は、大人しく順番が回ってくるのを待つことしかできない。次第に迫る剣を前に彼女の目はとんでもない眼力で見据える。一点の曇りもなく見定める瞳は、勝利を確信している。私にはこの際折ってでも入手するという風にも見えた。欲望が高まると、一種の純粋さを生むのだと言うことを彼女は私に教えてくれた。




