アーガレーヴィン街 3
起床後、私は朝飯よりも大分早めに目を覚ましてしまったので、一人して早朝の街並みを歩いている。人も数える程度しか見受けられない。人が多くないので変な息苦しさもなくのんびりと宛もなく歩く。飲食店エリアに立地している屋敷の都合上、他のエリアに行くためにはどうしても広場を通るので、ついでにあの装飾剣の様子でも確認するかともののついで程度に考えていた。開店もしていない店を抜けて広場に着くと、目的地も設定していないので、取り敢えず剣の元へ向かった。
「おいっ、急げよ!」
剣のもとには四人組の怪しげな人間たちが顔を隠した姿で騒がしくしていた。声を掛けようとも思ったが、直前で声が出ないことを思い出し、彼らの下まで歩いて近寄った。慌ただしく此方の様子に気づかないので、触れる距離に達してから一番手前に居た人の方を数回叩くと、今忙しいからあとにしてくれと返される。何故この人にそんな馴れ馴れしく命令されなければいけないのかと苛立ちながらまた肩を叩くと、五月蝿いなと憤怒しながら振り返ってこちらを確認した。中肉中背に中性的な声の男かも女かも分からない人は自分を叩いているのが仲間でないことを知ると、ダラダラと冷や汗を噴出し始めた。目線を左右にそらすが、一緒に居たメンバーは気付けば全員何処かに身を潜ましてしまっている。一人取り残されたこの人は黙りこんだかと思うと、バッと顔を上げて懐に仕込んでいた金槌のようなもので殴り掛かってきた。
私は本調子じゃない身体を後退させて即座に回避する。その様子を見て更に焦った犯人はやたらめったら金槌を振り回して威嚇をしてきた。目は閉じてしまっているし、標準もズレてしまっている攻撃を冷静に見極めて油断せずに避けてから、タイミングを見計らって、相手の手に蹴りを入れる。
「痛っ!!」
流れるように蹴りを入れたからか、武器に引っ張られるようにその人間は転ぶ。私は鈍った身体に辟易としながらもその人間を取り押さえて被っているマスクやらフードを強引に剥いだ。咄嗟に顔を隠そうとされたが、手首を掴んで地面に叩きつけると苦痛に顔を歪めて観念する。動きは完全に戦い慣れていない人間のものだが、一体どんな人物なのかと好奇心もあって覗いた顔は見覚えがあるような顔だった。しかし、雰囲気が違いすぎるせいで一瞬勘違いかとも考えたが、よく見れば見るほどにやはり彼女は昨日のイベントで私の前に並んでいたカップルの女の方だった。柔らかくて優しい印象だった女は全く真逆の印象になっていた。まるで二重人格を疑ってしまうほどに。
「退けよ!巫山戯んな!!」
ジタバタと暴れようにもがっちりと組み敷いているので動くことは出来ない。拘束の手を片手にしてポケットから手帳とペンを取り出すと、彼女の背中を机代わりにして『何故こんなことをしているのか』と書いて彼女の眼前に差し出す。
「お前に関係ないだろうがっ!」
急に赤面した女は照れ隠しするようにそう言い放った。今ので確信する。恐らく彼女は昨日一緒に居た男のためにこの剣を何としても手に入れてプレゼントしてやりたかったのだろう。だからこそ作戦を立てて実行した。彼女があの男をそれほどまでに深く愛しているのは感動的でもあるが、窃盗はしてはいけない。私は一旦彼女から退いて彼女の持っていた金槌を拾い上げ、立ち上がった彼女に向けてそれを投げつけてから用意していた紙を彼女に見せ付ける。すると、女は腰を抜かしたように尻餅をつきながらも大慌てで去っていく。茶目っ気があるのは良いが、何事にも限度というものが存在する。盗賊団のアジトを壊滅させて全財産を強奪するくらいなら良いが、他人の商売道具を勝手に盗んではいけない。私の中の分水嶺は明確ではないが、そう判断する。善行を働いた後は清々しいものだと悦に浸りながら私は違うエリアへ足を伸ばす。
何事も無かったように歩いていると、気付けば見知らぬ場所に来ていた。
お土産の所と武器防具のところでもないので多分工場群のところに来てしまったのだろう。此方側は観光者が訪れるようなところではないので、見栄えの良いモノなどはなく、物言わず煙を吐く工場が立ち並ぶ。空気が悪いためか鼻の奥がムズムズとするが、寂れた様子はなく、まだ早朝だというのに早めに来た労働者たちは汗水垂らしながら作業に身を包み工場の中の掃除をしている。精密機器の多い現場なのでこまめな清掃を徹底しているのだろう。欠伸を噛み殺している人をちらほら見るので、彼らもやりたくてやっているわけではないのだろうが、これが仕事というモノだ。前日の疲労を引き継いでいる顔は見ていて痛々しく思う。注意はされないが長居すると彼らの仕事の邪魔になりかねないので、少し進むと来た道を引き返した。もうそろそろ皆も起きてくる頃合いである。
屋敷に戻った私を門の前に立ったサンが待ち受けていた。彼女は眠そうに首が前後に揺れて、時折鼻提灯を作りそうになっていたが、私を見ると、一気に装いを整えて直立する。あまりにも硬い表情になっていたので、そんなに緊張しなくても良いと紙で伝えて微笑んでみせた。彼女は戸惑いながらも私に不自然な笑顔を届けて出迎えた。最初から分かってはいたが、器用な性格ではないようだ。
「で、では、食事の準備が出来ているので参りましょうっ。」
早々に話を切り上げたいサンは、強引に話を打ち切ると私を食堂まで連れて行ってくれた。昨日利用したので一人でもいけたのだが、彼女の与えられた仕事なのだろうし、口出しはしない。
今起きてきていたクロネなどに挨拶しながら共に食堂に向かう。掃除されているため昨日のような醜態ではない廊下は、見た目以上に老朽化の煽りを受けてギシギシと妙に不安になる音を発するが、一生住むわけでもないので、その間だけは持ってくれよと心の中で呟く。腐った木材が今にも崩れそうなところは出来るだけ踏まないように心掛ける。もし崩れて転落事故で死亡なんてのは非常に格好がつかない。くだらない事を考えていると直ぐに目的地に到着する。先に来て座していたのは、ティリーンとレザカ。カナの姿が見えない。未だ寝ているのだろうか。こっそりとクロネにも筆談で聞いてみたが、彼女も今日はまだ見ていないと答えた。唯寝ているだけなら良いのだが、何かあってはいけない。私は背を翻して彼女の部屋に訪ねようとした。しかしその進路はサンによって塞がれる。にっこり笑顔の女はもうご飯ができているのだから冷える前に食べてくださいと言い放つ。必死さが伝わってくるため余計に怪しく感じる。無言で睨みつけて首を横に振ってそこを退けと命令するが、彼女は退く気はないようだ。そう思えば、この三人組はカナに拷問地味たことをやっていたのだっけ。もしかしたら彼女しか居ない隙を狙って何かを仕掛けたのかもしれない。私が無理矢理通ろうとすると、サンは腰に巻き付いて止めてきた。様子がおかしいことに気付いたティリーンが近寄ると、サンはビクリと身体を震わせるも行動を止めることはなかった。
「主様になにをしておる。」
ティリーンの圧にも屈しない彼女は明らかにいつもと様子が違った。朝食に手を付けようとしていたレザカやクロネも疑念も持って食事を中断する。四人に威嚇された彼女は涙目になりながらも何かを待っていた。そんなことはどうでも良いから早くそこを通してくれとティリーンに伝えてもらおうと考えていると、先程まで閉まっていた廊下と食堂を繋ぐ扉がバンッと開く。
「動くな。この女がどうなっても知らないぞ。」
案の定そこにはカナを捕まえたイーとその後ろに控えるリャンが登場した。イーは自前のナイフをカナの首筋に押し当てて自分たちを今の奴隷のような扱いから開放しろと強気な要求を申し出る。理不尽な環境に彼女たちも限界が来たのだろう。確かにティリーンの所業を鑑みればそうされてもおかしくはない。でも、それをカナを人質に取りながら要求するのは違うだろう。グッタリとしているカナはまた何かされたことは間違いなく、上気した頬と荒い息は余程激しいことをされたことを如実に表している。自信満々の顔で見渡すリャンはテーブルの上の食事に全く手が付けられていないのに気付くと、ダラダラと冷や汗を溢れさせる。どうみてもこの食事に何か仕込んでおいたのだろう。残念ながらそれは無駄に終わっているのだが。
私は久々に魔力を使う。こういう手合いにはこれが一番効くのを経験的に学んでいる。イーとリャンに気付かれないように魔力を巡らせて、体外に排出し、魔素を反応させていく。連鎖反応を起こして見えない物質が二人のもとに徐々に届けられていく。そしてちゃんとした想いを込める。私が呪術の中で何故か唯一成功率の高い幸福の魔法。
「っ!」
最初に反応を見せたのはカナを支えていたイーの方で、全身を伝う快感から緩んだところをティリーンによって蹴られる。カナはクロネがしっかりと確保してレザカは次に効力が発揮されて気の緩んだリャンを制圧する。何だかんだとやって来たが、この方法が一番被害が少なく解決しやすい。問題点は、呪術は魔法を使える人間以外では解呪することは不可能なので、一生それを背負われてしまうということだが。それと、これはカナの時に気付いたが、呪術の発動は人によって条件が付けられるらしい。カナは私に攻撃的な思想をするとそれを塗りつぶすような幸福が脳内を占拠するだとか言っていたが、彼女らの場合はどういう条件がついたのか。私にはそこをコントロールする能力はないので分からない。
そんなこんなで、騒がしい朝の一幕に終止符が打たれた。
取り押さえられた三人は、譫言のようにギリュの名前を呼びながら悶え苦しんでいた。その間に気を取り戻したカナが料理を作り直してくれて、それを頂いた。ティリーンは三人の横たわる個室に一人姿を消して当分出てこなかった。




