アーガレーヴィン街 2
ティリーンの充実した資金を盾にして店内に侵入したレザカは、ホクホク顔で店を出てきた。艶やかな面構えになった彼女は直ぐにティリーンに深く頭下げてから手を握ると感謝を伝えた。ティリーンは先行投資のようなものだと照れ隠しをしていたが、その顔が赤面しているのを違う角度に居た私には見受けることが出来た。前述した通り、彼女の装備を整えることによって戦力を保つ意味合いも多少ながらあったのかもしれないが、私には純粋にレザカを欲しがっているものをプレゼントしたかっただけに思える。こういうところから友情を育んでいるのも大切なことだ。一人で勝手に夢想していると、様子に気付いたティリーンが恥ずかしそうに目を逸らしてきたが、その行動自体がとても可愛らしく思えた。走り回って疲れ切っているイー達にはご苦労様の一言しかないが。
そんなこんなで、欲しいものを入手出来て大満足のレザカとその様子を嬉しそうに見るティリーン、そして二三歩引いた位置から此方を見失わずに付いてきてくれているイー、リャン、サンを伴い、買い物の長い二人の元へ足を伸ばした。レザカを探しに行く前に居た店には姿が見えなかったが、二三軒巡ると早々に再会を果たす。
「まだ見とったのか。」
同性である筈のティリーンも未だ品物の選定に時間を費やしているクロネとカナに呆れていた。買い物が長いのは女性の特権という固定概念すら存在する私にはそれほど違和感なく受け入れられる事象だったが、少し前まで、人間という型に嵌まっていなかった存在であるためか、そういう機微には彼女は疎い。そういうものだと教えてはみたが、性質であろうと買いたいなら買えば良いと男らしい一言で返される。そう言われてしまうと返す言葉もないので、その通りだなと紙に記す。したり顔でそうじゃろうと答えるティリーンはとても華やかな笑顔だった。あまりにも無邪気な笑みに自然とこちらも頬が緩んだが、その頃には彼女は此方を向いていなかったため、醜態を晒すことはなかった。そうこうしている間に、漸く彼女たちは買い物を終えて宿屋を探す工程に入ることになった。地図にも正確に宿屋の場所は記載されていなかったのでどうしたものかとも考えていたのだが、ティリーンによると、三人にもう宿屋は確保してもらっているらしい。ほっと安心して案内に従って通りを抜ける。話によると、ここは通常寝泊まりする人は少なく、そうするぐらいなら自分の家を建てる人が殆どだそうだ。旅の人なども基本的に長居はしないそうだ。理由は何個かあり、一つは予定でもなければやることがあまりないこと、他には帝国の兵士が大量に出入りするのでトラブルを起こしたくない人はさっさと出て行く。だからこそ、長居する外来者が少なく宿屋が少ないのだ。それに、少数派の宿屋も一見様お断りのところが多く、仲介がなければまともなところには泊まれない。なんとも不便な場所である。私達はイー達が上流階級の人間と通じていてくれていたため助かった。
案内されるままに追従すると、そこには、一ヶ所だけ異様な佇まいの屋敷が登場した。よく言えば、味のある姿なのだが、悪く言えば、老朽化が進み、屋敷を囲む鉄柵も所々で錆び付いている。壁には苔などもあるので、長い間使用していなかったのが目に見えてわかる。
「唯一借りられたのがここしかなかった。」
三人の代表としてイーが本当にびくびくと怯えながら発表しているので、今回は此処に泊まるのもやむ無しだ。気丈に構えた震える足を見ると、同情の念すら思い浮かぶので、彼女達を咎めるのは気が引けたし、わざわざ探してもらったのだから文句を言う方がおかしいのである。外装はボロだが、内装まで酷いとは限らない。外面が悪くても性格が良い奴みたいに、そこで清算してもらえれば、此方としては悪い思いはしない。屋敷内に足を踏み入れると、それが唯の幻想であったことが判明した。鈍い音を立てて開く柵を抜けると、まずは伸び放題になっている雑草の大群が押し寄せてくる。明らかに誰も手入れしていないところからなにか怪しいなと感じていたが、大きな屋敷の扉を開口すると、疑念は確信に変わった。私達を出迎えたのは埃が溜まり、虫が巣を張ったり、終いには今にも崩れ落ちてきそうなシャンデリアだった。窓を締め切っていたせいで換気は出来ておらず、家の骨組みはギシギシと断末魔にも近い悲鳴を無駄に広い建物内に響かせている。第一印象は廃墟以外の何物でもなかった。ここに寝泊まりするのかと冷や汗が出てしまう。
「と、取り敢えず空気を入れ替えましょう。」
沈黙を破ってくれたのはカナだった。
いつまでもこうしている訳にもいかないので、彼女の提案は即座に通り実行に移された。窓の枠は何故かベトベトして粘着質な何かが付着していて、労を要したが、七人も居るので全部屋の窓をあけるのはそれほどの時間は掛からず、又も、次はどうするかという議題が挙げられた。あれやらこれやらと提案は出たが、結果だけ云えば、全部がまとめて掃除をしようということだったので、総じてから私が提案すると、各自役割を分担して清掃することになった。分担の内訳としては、イー達三人が箒で掃わく係。私とカナが雑巾掛け係。ティリーンとレザカが高いところのホコリ落としで、クロネは足りないものの買い出し係ということに相成った。広いお屋敷であるので、清掃用品があったのは幸いした。クロネが買い出しに行っている間にもある程度の清掃を行うことが出来るのは大きい。何としても、夜の飯を食う時までにはどうにかしたい。少々無茶ではあるが、イー達が掃わき終わった部屋を丁寧に床の板に添って雑巾を掛けていく。
「いやぁ、流石に疲れるわね。」
敬語を崩したカナがそう告げた。少し気になってはいたのだが、何故か彼女は皆の前だと気を遣ったように敬語を使用している。私やティリーンの前ではそんなことはないので誰に対して気を使っているのかは知らないが、彼女がやりづらいのなら最初から敬語など求めていない。別にこのメンバーの中で優劣などは存在しない。雑巾にかけていた手をポケットに入れてメモ紙を出して書き示すとカナは真剣な顔をして顔を逸らしたかと思うと、先ほどイー達が出て行った扉の方を確認してから語ってくれた。
「アタシがあいつらのアジトで捕まっている時、他の女達と違ってアタシはギリュのよくわからない能力みたいのが効かなかったみたいでね。それが気に食わなかったあの三人に徹底的に調教されていて、責め苦でおかしくなる一歩手前でティリーンが助けてくれたんだけど、それのせいで、心の根っこに軽くトラウマのようなものができちゃって。」
恥ずかしそうに語る彼女に私は自身の無力を感じた。私がノウノウと生活していた間にも彼女は壮絶な虐めを受けていた。私がもっと強ければ、彼女が捕まることもなかった。悔しさが頭に残留する。そんな表情を読み取ってカナは気丈にも振る舞ってくれてはいたが、原因を知ってしまうとその全てが痛々しく思える。私には彼女をそっと抱き締めることしか出来なかった。声が出せれば彼女に一言掛けることも出来たのにと言葉を発することの出来ない。非常に悔やまれるが無い物強請りしたところで仕方ない。抱き締めたカナは最初はそういうのは別にしなくていいと強がっていたが、身体は次第に震え始めて最終的にはひっくひっくと鼻を鳴らしながら静かに涙を流した。恐らくティリーンが自害しようとしたのを止めてくれた時から、ずっと強く見せてくれていたのだ。背中を撫でると、思っていたよりも小さな背中に私はメイカを思い出していた。やはり親子なのだ。メナカナ高原の魔女の家で抱き締めたメイカの背中に彼女のそれは瓜二つであった。当時はカナに良い印象は受けていなかったが、しっかり見ればどんな人間でも良い所が見つかるのだろう。私は自分が未だ半人前なのだと気付く。
「ありがと、もういいよ」
一頻り泣いたカナはゆっくりと身体を離した名残惜しそうな妖艶な振る舞いに鼓動が高鳴ったが、彼女にそんな意図はなく、不思議そうに赤くなった私の顔を見ている。考えると直ぐ理解したようでニンマリとしてから胸を私の胸板を押し付けてから反応を見てきた。更に赤面する私に気を良くしたのか彼女は私の首に腕を回す。何をしようとしているのか分かり外そうとするが、彼女の腕に手を掛けると、とても寂しそうな顔をするので泣く泣く受け入れることにした。すると、先ほどの表情が演技だったかのように笑顔を作り、私の耳に唇を落としたかと思うと、そこからスライドさせていき頬を経由して鼻梁を一旦離れたあとフェイント気味に唇に移る。唐突で驚き目を見開いている私に目を合わせたまま彼女は触れるだけのキスを止める。終わりかと思っているとついでに首筋に鬱血するほど吸い付くと腕を解いた。
「大人と遊びたくなったら何時でも言ってね。」
年上の威厳のようなものを放ちながら彼女は別の部屋へ行った。取り残された私は一時放心していたが、いかんいかんと気を取り戻して私も掃除の続きに戻った。
全員でやったが掃除が終わったのはもう外が暗闇に包まれた頃合いだった。掃除を一旦中断して夕食を終えてからまた掃除は再開された。そうすると、日を跨ぐ前までには内装だけは人が住める程度には落ち着いた。まだまだ庭の草は生えたままだし、ギィギィと建付けの悪い扉や窓は修繕できていないが、雨風を凌げる機能があれば良いのならば問題ない家が完成した。それに女性陣が心待ちにしていたお風呂がここには付いているそうなのでそれを考えれば、上等なものだろう。流石に疲れたので今日は大人しく皆各自指定された部屋で就寝を図ろうとしているが、明日の朝にでもお風呂は入れば良い。私も割り当てられた部屋に移動してベッドに飛びついた。シーツは洗濯してもらっているので清潔でありすべすべしている。まだ夏の季節なので洗濯物の乾きも早くてよかった。でなければ、今頃ビチョビチョのシーツに包まれなければいけなかった。本当に感謝である。
ベッドに横になり天井を見上げると、剥き出しの電球が安っぽさを表しているが、見上げると、目が痛くなるほどに此方を照らしてくれている。頑張ってくれているのは良いのだが、そこを見続けていると視力が落ちそうだと根拠もなく感じたので、私はリャンの言っていた説明通りスイッチを操作して電気を落とすと眠りについた。




