キニーガの里 2
冷静を心がけて攻撃を意識して控えて防戦に回ってみたり、無茶苦茶に剣を振ってみたり。思い付く限りを尽くしたが、結局その場で彼の攻撃に一度たりとも対応することができなかった。ビギナーズラックのようなものでもあれば儲けものだったのだが、如何せん二人の間に実力が開きすぎている。必然的に偶然なんて起きはしなかった。空に赤みがかっているのに気付いたのは体力が尽き地面に腰を下ろした時だった。
「もうこんな時間なのか。全然気付かなかった。」
荒げた息を整えながらそうつぶやくと、リガールがそうだろうそうだろうと嬉しそうに答えた。それから私の手を不器量につかみとり、家に帰って飯にしようと言った。
「ただいま!」
リガールに支えてもらうように帰り着くと、リガールはそう言って奥から出てきた奥さんはおかえりなさいと返した。私も一応只今戻りましたと言うと、私にも同様に返してくれた。そんなやり取りをしていると台所にここ数日で見慣れた背中があった。ユラはここでもあの家に居た時のように調理をしていて、その隣にはユラの腰もと程の等身のミラもユラの見様見真似で手元を動かしている。そこから漂ってくる鼻孔を擽る香りに私は頬を緩めざるお得ない。
「あっ、お帰りなさい。夕食はもう少し掛かりますので、お待ちくださいね。」
「お待ち……ください」
ユラ一旦手を止めてこちらを振り返り私達にそう言い、また作業に戻った。同じようにこちらを振り向いていたミラのまねをしてそう言っているさまはとても可愛らしい。私とリガールは顔を見合わせて互いの表情の緩みを確認して笑みを溢し合いながら、気を長くして長方形のテーブルに向かい合うように座り料理が終わるのを待つことにした。横目で見てみるとリガールの奥さんも加わり、三人の姿が台所に集結していた。リガールはそちらを見てからこちらに向き直り私に俺の嫁の料理はうまいから覚悟しておけよと言ってきたので、ウチのも相当だから覚悟しておいてくれと返して二人して笑った。
二人して惚気け調に駄弁っていると、料理が完成したらしく私達の前に陳列されていった。真ん中にスタミナのつきそうな肉を乗せた大きな皿が置かれ、一人一人には取り皿とスープと山菜の詰め合わせが丁寧に置かれた。こんな豪勢な飯はそうそうお目にかかれない。申し訳なく感じた私はリガールとその奥さんに向かってここまでしてもらってすいません、そしてありがとうございますと一礼を入れると、二人は気にしない気にしないと私を諭してくれた。私がそのことに感動を覚えていると、リガールは手を合わせてから目を閉じる。それを疑問に感じたユラがそれについて聞くと、何でもこの里は精霊を祀っているノスタメー二教を信仰しているとのことで、その宗教では食事の前にこうやって手を合わせて精霊へ食べ物を恵んでくれたことへの感謝を祈るのだそうだ。森に囲まれたここならではのものなのだろうか。しかし、食べ物に対しての感謝を捧げるというのはとても納得させられる。私も見習わせてもらおう。私はリガールや奥さんがするように手を合わせ、感謝を祈った。目を開くとユラとミラも同様に目を閉じて手を合わせていた。
「それじゃあ食べるか、飯が冷えちまう。」
礼節を終えるとリガールは手元のスプーンを掴みスープを飲み、次に串に刺さっている肉の串を掴むと大きな口を広げてそれに食いついた。
「うむ、やはり疲れている時の飯いつも以上に美味しいな。」
そんな光景を見ていると私の腹も空腹を訴えてきたので、取り敢えず手近なものから手を付けることにした。薄切りにした肉と山菜などが浮かんでいる汁物を手に取る。何かで味付けされているそれは実家で口にしていた透明の汁物とは違い、少し茶色く濁っており、臭いを嗅いでみると空腹を刺激する香りが漂う。喉を鳴らしてから底の深い皿を持ち上げ、口につけてから傾ける。すると、口いっぱいに旨味が広がり多幸感が私を癒やす。昼間に消費した気力を徐々に回復していくのを感じながら、山菜のサラダ、串肉に次々と手を付け、気付けば私の腹は十二分といえるほど満たさせていた。
「いやー、美味しかったな。」
膨れた腹を叩きながらリガールはそういう。確かに、それは私も同感だ。
「こんなに食べたら明日も頑張れそうですね。」
後片付けをしているユラたちに目を向けて感謝を言ってから、私はリガールにそう返す。それは良かったと言った風に彼は頷いてから、あっ、そういえばと続ける。なんだろうかと思いながら聞く体勢に入ると、リガールはこう言った。
「明日は早朝から狩りに行く予定だ。お前も狩りしたことぐらいはあるだろうが、もっと技術を知るのもいいだろう。それに、飯食うんだからそんぐらいはしないとな!だから、明日に備えて今日は早く寝るようにしろよ。」
「は、はい。なにか必要な物とかはありますかね。」
「うーんそうだな。道具とかはこっちで用意しておくから狩りに出かける覚悟くらいは用意しておけ。」
それを言われてこの里に来る際の道中を思い出した。入り組んだ道らしくない道。羽ばたく鳥達に地を這う正体不明の虫。そしてあの外観からでも分かる巨大な面積。多分この里で狩りが行われるとしたらここまで通ってきた森だろう。すると、あの道を今度はいろいろ考えながら移動し動物を見つけたりそれを追いかけたりしなければならないということだ。もし途中でリガールと逸れてしまえばそのまま野垂れ死ぬまで森のなか歩きまわる羽目にもなりかねない。食事の時とは別の意味でごくりと喉が鳴る。
「といっても俺も無茶はしねぇーし、できるだけ安全第一で行く。だから心配しすぎんでもいいぞ。」
私の思考を表情から読み取ったのかリガールはそう言い、私の肩はバシバシと叩いた。それにより肩から余計な力が抜けたのが感覚的に理解できた。離れた所で皿洗いをしていたユラも心配そうにこちらを見ていたが、様子が変わったのを感じたようで安心した表情でこちらに背を向けた。
「俺達は部屋にいるからなんか問題があったら言ってくれ。そうそう、体を拭いたいだろうから部屋に水を入れた桶とタオルを入れてるから適当に使ってくれ。それじゃ。」
そう言い残すと、二人は部屋に入っていった。
「私達も部屋に戻るか。」
二人の姿を見送ってから私はユラとミラにそう告げる。二人はそれに賛同して、三人揃って部屋に入った。部屋には綿を包んだ上等な布団が一組用意されていた。そして傍らには身体を拭うようの桶とタオル。ここまで来て私はなんとも言えない気恥ずかしさが込み上げてきているのを自覚した。どうするかと尋ねようと振り向いた先のユラも私と同じような目と表情をしていた。ミラだけは無邪気に布団の真ん中に飛び込み、目を細めて恍惚としている。私とユラは互いに苦笑いしてから取り敢えず私から私が出ておくからその間に二人の体を清めておいてくれという提案を出した。すると、ユラは先程の呆け顔を露ともしない妖艶な顔で人差し指を口元に運び、拭ってはくださらないのですかなどと言うものだから、私は赤面した顔を見られないように背けてから扉を開き、食事をする部屋で腰を落ち着けた。
それにしても彼女には困ったものだ。親しくなればなるほど彼女の冗談かも分からないからかいは増加傾向にある。明るい表情をすることが増えたことは良いことだが、からかうのはどうにかならないだろうか。心が弱っている時の彼女と出会っていたのではなく、普通の時に出会っていればあのような冗談も私の中でこれほど重いものにならなかったのだろうか。私の中のユラやミラを想う気持ちは、愛おしさもあるがその根底には絶対に同情が存在する。悩んでいるのは多分このせい。
「どうしたものか……」
背を預ける椅子が音を立てるのも構わず、上体を反らして額に手の甲を置く。このまましていれば睡眠欲に負けるのも時間の問題だろう。それもいいかもしれない。
「もう大丈夫ですよ。」
もう少しというところでユラが視界に覗いた。私はそれに答えてから立ち上り部屋に戻った。部屋に戻るとミラは既に布団の真ん中で丸まるように眠りこけていた。ユラ曰く、身体を拭っている途中ですでにうとうとしていて終わると同時に横になったそうだ。眠りつく顔は穏やかでまるで天使である。私がそんなミラを見下ろしていると、ユラは手を手前に振りながら私にこちらへと言った。私は細やかながら疑問が浮かんだが気にせずにユラに近寄る。 すると、彼女は急に脱いで下さいと言ってきた。ぼやけていた頭が一気に覚める。
「ええと、それはつまり……」
「?身体を拭って差し上げたいと思いまして」
私はズッコケそうなのを我慢しながらああ、そういうことと目を逸らしながら呟く。普通に考えたらそうだろうと自分に言い聞かす。変なことを考えていたせいで余計な心労をかけてしまった。私はふうと溜息を吐きながら、いいよ自分でやるからと言いながらユラが持っているタオルを取ろうとすると、それはふいと避けられた。
「疲れている時は甘えたほうがいいですよ。」
彼女はそう言いながら反論も許さない速度で私の上半身の服を器用に脱がせて私の上半身から服をうせさせた。私は更に深い息を吐いてから観念した。ユラは私が受け入れたのがわかると嬉しそうにタオルを私の背中に走らせた。