ノーラクノスのアジト 3
落ち込み気味のティリーンを慰めてから朝食の待つ食堂へ向かう。数十人でも一斉に食事出来るだけの許容量がある食堂には、子供たちも律儀にも着席して待ってくれていた。それならば先に食べていてもらっても良かったのだが、ノーグマン曰く、食事を皆で食べるのがノーラクノスでの鉄の掟なのだそうだ。それは初代の食事は交流を深めてお互いを分かり合う最大のツールという言葉から来ているらしく、彼らは食事の場というのを大事にしていたようだ。昨晩は用意が追いつかなかったせいでそれほど豪勢にとはいかなかったが、今日の飯を見る限り、食べるものには節約をしない主義である。ノーグマンとカナが作った料理が大量に並ぶ、見たところ野菜メインの料理が多く、朝ごはんとしては胃がもたれないのでとても嬉しい。
一言述べてからパンに野菜を乗せて焼いてあるものを一つ掴む。二つ折りにすると、パンが小気味良い音を立てて切れ目をつけながらも二つ折りになる。そこから温かい湯気のように白い気体がこぼれて、パンに味付けられた甘い香りが鼻を通る。唾液が分泌され、生唾を嚥下する。意を決してから口に近付ける。
「うまっ」
消化に良さそうなメニューは二日酔いの残る体に優しい。身体が喜んでいるのが分かる。一気にパンを口に放り込む。喉に詰まりそうになったところで、カナが水が入ったコップを渡してくれたので、有り難く受け取ると、飲み下す。
「助かったよ。」
「そんなにがっつかなくとも一杯あるわよ。」
口調の崩れて馴染んできた印象のカナが一笑する。その拍子に両腕で胸を挟むようにするものだから、通常でも目立つ胸部がいつも以上に盛り上がり、朝見てしまったカナの全裸を想起させる。するとカナの目を見て話すことに恥ずかしさが生じる。その様は異性に対する耐性の低さを垣間見せるものであり、カナもそれを誂うように寄せた胸を私に押し付けてきていた。回りは食事に夢中な連中ばかりなので誰も止めに入ったりはしない。目を泳がせていた先に居たティリーンも私と目が合うと、ふんと如何にも怒っていますと言わんばかりに目を逸らしてきた。味方を失った私は食事中ずっとカナのそれを押し付けられたままであった。耳元で喋ってくる彼女のせいで食事に集中できなかったのは、言うまでもないだろう。
食事を終えると女性陣は皿洗いに移り、私やノーグマンは子供たちの送迎となった。
先日同様荷台に子供たちを乗せて家が近い順番で彼らを自宅まで送り届けていく。勿論家先で下ろすと家主に何をされるかわからないので、家の少し手前で下ろし、子供たちにはここ数日の記憶が無いことにしてもらっている。これは神隠しにあったのだと思わせるためで、ノーグマンたちには子供たちの親に一人一人謝って回るほどの時間はない。こうしている内にも、レイネの兄がどう動くのか分からない。緊迫した状態であることに違いない。だからこそ、アジトにはティリーンが残る必要があるし、こちらの送迎組には私が居る必要がある。ティリーンは全盛期に比べれば弱体化しているのは間違いないが、今でもメイカの魔法を使えるからだと昔から培ってきた能力値がある。人間相手ならまず負けることはないだろう。私だって相手が多すぎたりしないかぎりはどんな相手でも善戦する自信がある。もしここで襲われても良いように先程から周囲の警戒は怠っていないし、魔力も微力だが纏わせている。魔力が勿体無いので本当に気持ち程度ではあるが、いつ何時敵が来ようとも負ける気はない。
「じゃあねー!」
一番遠方だった荷車で出会った少年とその妹を最後に送り届けると、誘拐した人間は全て元の場所に帰還させた。責任を果たしたことからノーグマンは大きく息をつく。私も纏っていた魔力を開放し、力を抜いて荷車の運転席のとなりに腰を落とした。二人して達成感から変な笑いが出たが、端から見れば可笑しな光景だろう。片や誘拐犯で片や被害者なのである。その二人が子供たちを送り届けて一息ついている。私が第三者なら何かの喜劇だろうかと考える。
「それでは帰りますか。」
「そうだな。」
少し休憩を挟んでから再び行動を開始する。今度は来た道を帰るだけなので気が楽だ。警戒はするが行きほどのレベルではない。気が抜けるのも無理からぬ事である。なんせ今は子供たちが居ない。敵が現れたとしても自分たちのことだけを考えればよいのだ。行きは子供たちのこともあり、警戒を強めていたため疲労が溜まっている。一日中集中できる人間などそうそういない。それはある種の才能である。気持ちが緩んでしまうのは当然のタイミングだった。そしてそのタイミングが敵にとっても絶好のタイミングになることもまた必然である。少し進行したところでようやく私は周囲の異変に気がつく。さっき通った時より何故か木々がざわめき空気が淀んでいる。まるで大量に誰かが通ったあとのような。
「頭を下げろっ!!」
殺気を感じた私は急いでノーグマンにそう促し、頭を下げさせる。すると、先程まで彼の頭があった位置に矢がたてられている。私は矢の向きを確認してからその方向へ視線を移す。
「そこかっ!!」
魔力を急拵えで巡らせると木の枝の上で弓を構えていた女に飛び掛かる。彼女は急いで逃げようとするが、その程度で逃げられるほど私脚力は落ちぶれてはいない。思い切り目標まで跳躍すると、彼女の顔を蹴って木から落とした。そして女を回収するとノーグマンに指示を出して移動させる。流石にこの狭い道では戦いづらいし彼を守るのは難しい。私達が荷車を急がせると後方から待てという雄叫びとともに大量の足音と車輪が地面を叩く音が響いた。どうやらずっと一定の距離を開けて尾行されていたらしい。私も気づかなかったことから相当遠くから見張っていたのだろう。よくよく鑑みれば、相手の数はこちらの比ではない。数に物を言わせた人海戦術でもされれば相手に気づかれること無く尾行することも可能だ。それに、ノーグマンが今教えてくれたが、誘拐した何人かは向こうの指定があったらしいので、そこから予想を立てられていたのだろう。最初からこうなると予期していたのかもしれない。そう考えるとアジトがやばい。緊張感が高まる。後ろから飛び道具が飛んで来るのも構わずに狭い道を抜けると、広いスペースに出る。私は首を絞めて気絶させている女をノーグマンに押し付けてから、そこで車から降りて向かい来る相手に相対する。
「馬鹿が一人で降りてきやがったぞ!構わず殺しちまえ!!」
髭面の男が命令を出して一斉に策もなしに物量戦を仕掛けてくる。三台で構成された人を運ぶための荷車は、先頭のものに剣を構えた前衛部隊が下り、二番目のものに弓矢を構えた後衛部隊が居る。三台目のそれにはリーダーらしきものでも乗っているのか出てくる様子はない。命令を出した髭面は前衛部隊の隊長のようで命令を出すと自ら先陣を切って駆ける。私はその勇気に免じて先ほど捕らえた女が持っていた矢を素手で持つとやり投げの要領で構える。それにも魔力を流して纏わせる。異様なオーラを放つ矢が完成すると、私はそれを狙いを定める様に投げた。素人の挙動なので上手くいかないかとも思ったが、纏わせている魔力と魔素のお陰で何とか速度を保ちながら真っ直ぐ突っ切る。
「うごっぁあ!!!」
胸にそれを受けた男はだいぶ接近していたこともあり即死した。私はその男から剣を奪い取ると、怯まずに進行する男たちに中段で剣を構える。剣術というのはそもそも多対一を想定したものは少なく、一対一が基本であるため、型というものはあまり役に立たないが、気持ちを入れるためにはとても重要な役割を果たす。敵愾心を剥き出しにした相手が刻一刻と距離を詰めてくる。しかしそれほど絶望感は襲わない。なぜなら負ける気などさらさらしないからである。幾ら敵が多くとも、剣が多数戦に向いたものでなくとも、私には関係のない話だ。反抗分子は排除するために存在している。魔法の影響で思考は段々と攻撃性を増していく。尊大な心が敗北という二文字を消す。
「死ねぇえええええええ!!!!」
前衛の数人が左右前後から訓練された兵士のように取り囲み斬りつけてくる。そして離れたかと思うと、そこに矢が降り注ぐ。彼らは一連の動作が成功したことで私を仕留められたと高を括っていることだろう。
「死ぬのはお前らのほうだな。」
突っ込んできた数人の隙間から強引に逃げていた私は丁寧に集合している彼らの首を落とす。よく見ると男だけでなく女もいるようだが、この際どちらでも良い。歯向かってきたのだから殺されてしまっても仕方ない。当然の摂理である。莞爾とした表情に変貌した私はその後も次々と前衛部隊を狩っていった。途中で腕などに傷を負ったが致命傷とまでは言えない。狂戦士のように最低限の防御以外は捨てて、戦場を駆ける。走る、避ける、斬る。これの繰り返し。
それでも訓練された彼らは怯むこと無く攻撃の手を止めない。散っていった仲間の仇を全員が討とうとしている。
「ハァ……ハァ……」
人数が人数なので次第に私の体力のほうが摩耗していく。最高に興奮する。何人もの屍を越え、料理でもするようになだらかに首をスライスしていく。剣身は血のせいで鈍るためその度にほかの人からぶんどって又切り伏せていく。息切れしている呼吸が。薄くなる視界が。全てがどうでも良くなり、目の前の戦闘に集中が高まる。前衛部隊が地に伏せ尽くすのも時間の問題であった。それでも逃亡を図ろうともしない後衛部隊は余程肝が座っているように思える。その気合に免じて全力で相手をしようと考えていると、一番後ろの荷車がガチャリと音を立てて扉を開く。私も後衛部隊も動きを止めて膠着状態になる。優雅なドレスをはためかせ、長い白髪を風に靡かせた少女はこちらを見定めると表情を歪める。
「貴方が姉に変なことを吹き込んだんですの?」
凛と鈴の音のような通る声が戦場を奏でる。私はその圧倒的なカリスマ性に身体が無意識に平伏そうとするのを何とか思い止まる。この女は危険だ。身体が警告して来る。しかし疑問があった。あの白い髪もその顔立ちも誰かにとても似ていたのだ。ということはあれは救出対象である人物ではないかと推察する。レイネの話を信じるのであれば、彼女はここに居るのは可笑しい。何故なら彼女は――。
「このクロネ・クロバーギルが聞いておりますのよ!!」
捕まっているはずのレイネの妹なのだから。




