ソパール大国 3
個々で分かれて本を選びに向かう。私は子供っぽいと思われるかもしれないが、英雄譚が好きなので早速ジャンル分けされている印を頼りにその本棚のところまで導かれる。辿り着いた先には、膨大な神話とそれにまつわる英雄達の勇姿が描かれていた。形式は様々で、地の文にイラストを挟んだものや、文しかないもの、絵本のようになっているもの、其の全てがジャンル分けされて整頓されている。見たところ言い回しに違和感を感じるような文体のものもあるが、恐らく地域による方言みたいなものだろう。読めないこともないので、手当たり次第取っていく。幸いにもこのコーナーは人気がなく、人も少ないので散策し放題である。ご機嫌に鼻唄も奏でることは出来ないので、それを表現する術はないが、今の私はテンションが上がっている。
探し続けると、幼い日に読み聞かせてもらった絵本を見つけ、手を伸ばしたところ誰かの手とぶつかった。
「……っ」
黒い長髪を左右で縛り肩口から垂らしているお下げの眼鏡を掛けた女性が、文句を垂れようとしたけどここじゃあ私語ができないのを思い出して、行き場を失った言葉達が霧散していっているようだ。しかも、生来気が強くはないのだろう。目はチラリ少しだけ交錯すると、直ぐに目を反らす。顔を真っ赤にして何かを訴えてきている。私は残念に思いながらその絵本を彼女に渡すと、違う本を探し出す。渡された彼女は、最初は意図を掴めず呆然としていたが、暫くすると、頭を下げてくれた。
私はそれを確認してから、手で気にするなと合図して本を見る。先程の本が読めないのは残念ではあるが、他にも昔読んだ絵本などあるはずだ。根気強く探そう。そう考えてから見ていくと、次々と見覚えのあるものが見つかり、手を出していく。しかしまたその手は横槍に合う。
まさかとは思うが横を見る。そこには先程と同じ女性が手を伸ばしていた。また被ったのか。まぁ、無いような事柄でもないので、今回も諦めて手を引く。彼女はまた頭を下げてくれたが、素直に大丈夫だと思えなくなる。しかし、そんな器の小さな男ではいたくないので、大丈夫だと合図する。漏れそうになる溜め息を噛み殺し、目を付けていた他の本にも手を伸ばす。すると、オチは読めてしまうかもしれないが、そこには白くて細いいつもの手があった。もしかしてわざとやっているんじゃないだろうかとも思ったが、そんなことをしたところで彼女にとっても利があるような理由はないので、その考えを直ぐ様忘れる。しかし忘れた所で問題が解決する訳もなく、どうしたら良いかと彼女を見遣ると彼女は焦りを見せて動揺してから、何かを思い付いたように顔を上げると、本を数冊選んでから私の腕を掴んで個人スペースのエリアに向かった。私達の予約しているところよりももっと奥まったところにあり、そこに強引に入室されると、彼女は私が背を預けている壁に手をつき、私を囲むようにして立ちはだかった。
「あの、その……こういう本、す、すす好きなんですか!?」
彼女の手には僻地でドラゴンを倒した男の物語が握られていた。血走った目で質疑をかます女性に若干の恐怖を覚えたが、その物語が好きか嫌いかで云えば、断然好きなので素直に頷くと、彼女は突然私に抱き着いてきた。
「まさかこんな所で同士を見つけられるとは!」
さっぱり状況を判断できない私は何も答えることができずに唯されるがままだったが、彼女も一時して素に戻ったのか今度は急に私を押した。またまた突然の出来事にそのまま腰を床に打ち受けた。彼女もそれで冷静さを取り戻したのか。何度も頭を下げて謝罪の述べた。怪我をしたわけでもないので大丈夫だというと、彼女はまだ何か言いたげな面持ちだったが、何とか収めてくれたようである。そこで沈黙が訪れるが、私が空気を打破しようと、彼女にこれの何処が一番好きだったかと尋ねると、水を得た魚のように彼女の瞳は輝き出す。
「やっぱり一番の見せ場はドラゴンに立ち向かう前の幼馴染に死ぬかもしれないこととずっとひた隠しにしてきた愛を告げた場面でしょうか。戦うところも確かに良いのですが、あの二人の想いがちゃんと繋がりあったあの瞬間が一番だと思うんです。実際ドラゴン討伐を成功させた男は幼馴染と結婚式を挙げますし。」
語りたいのを抑えたと言わんばかりの説明でそう語る。言われたことを踏まえて差し出された絵本を受け取り見る。
「へぇ、確かにいま見てみると、昔見た時とはまた違った感覚があるな。昔読んだ時は、格好良いヒーローにばかり目が向いていたよ。しかし今見れば、物語の要所では結構恋愛要素が多いんだな。」
「そうでしょう!絵本というだけで文学ではないと馬鹿にしてくる輩が居ますが、それは違います。絵本は読む年齢によって感想が変わるものなんです。意外に呼んでみると小さい時には気付かなかった伏線や起承転結の綺麗さ。そして考えさせられる内容。流石に全てがそうだとは言い切れませんが、そうなっている物が多いのです。ですから、今から読み直すのはとても良いことだと思います。ここの国民はリアリストばかりでこういう物語ものは人気無いので何時でも大体読めますから。」
今回は完全にアナタと被って読めそうにないのだがと批判しようとした私に彼女はさっと数冊の本を差し出してきた。受け取ると、読んでくださいと言ってきたので、お言葉に甘えてまずは手前にあった本から手を付けた。それは神に与えられた五体の精霊達を伴い、囚えられた姫君を救出するために邪悪な敵に立ち向かう物語だ。これは確か何部かで構成されており、ファンタジー色の強い男心を擽る(くすぐる)作品だ。昔ハラハラしながら読んだ覚えがある。他の物語と違って主人公が負けるところまであるので、絶対に勝つという安心感がない。だからこそ、今回はどうなるんだと緊張感を持って読んでいた。今読み返してみてもその心地の良い緊張は実感できる。何より戦闘を知った身体は、情景が現実的に浮かんでくる。そこそこページ数もあるので長いその世界に浸る。読み終われば次に手を出す。それを繰り返していると、読み終わるのはあっという間だった。
「ふぅ……」
完読した達成感からか息が漏れた。とても楽しめた。実を言うと、私の実家にはこれの最後の本だけがなくて結末だけが分からないでいたのだ。ずっと喉に引っかかっていた小骨が取れたような爽快感がある。
「まだまだあるんでどんどん読んでいきましょう!」
興奮気味の彼女は次々と色んな本を紹介してくれるが、そろそろ皆と合流した方がいいと思い、理由を告げてから私は本来の個人スペースに戻った。戻ったあとに、ティリーンからどこで油を売っていたのかとジト目で問い質されたが、ただ単に絵本を読んでいただけなので疚しいことは何もない。また読みに来ようとさえ思っている。そこで女性と出会ったことも含めて話すと、ティリーンは呆れ顔でそうかそうかと項垂れていた。
図書館の帰り道。私は皆に何を読んだかと尋ねた。ティリーンは人間の歴史という本を読んだそうで、生き物の誕生と発展に興味を示していた。カナは美容系の本を読み、幾つか気になるトピックがあったとだけ話した。ミラは完全に専門書で全く私ではわからない内容だった。ユラは最初は何か読んでいたはずだが、途中で寝てしまっていたようだ。カナによると、歴史書のようなものを読んでいたそうだ。キニーガの里でも民族書のようなものを読んでいたし、元来好きな部類なのかもしれない。
「ただいまぁ!」
真っ先に店の扉を抜けたユラが大きな声で帰宅を宣言する。飯を食べていたお客さんは妙な顔をしていたが、私達はそれを無視して店主に一言掛けると、上の階に向かった。昼ご飯を食べたいとも思ったが、時間が微妙にもう夕方よりで、今食べると夕飯までの間隔が短くなってしまう。どうしたものかと考えていると、ユラがポンポンと肩を叩いて、任せてと言ってきた。何を任せればよいのかと疑問も浮かんだが、取り敢えずは任せたと言うと、彼女は徐ろ(おもむろ)にエプロンを身に纏って調理器具を整頓しだした。今の体調で料理ができるのかと私だけでなく、ティリーンやカナも不安だったが、それは彼女の動きを見ると杞憂だったと分かる。一片の淀みもない完璧な姿がそこにはあった。精神が幼くなったも身体は動きを覚えているのだろう。その後ろ姿は、リバロー村で見たそれと遜色なかった。
その姿を見ていると、彼女はそそくさと調理を終えて、皿にそれらを盛り付ける。
「完成だよ!」
皿に盛りつけられているのは、パンケーキだった。茶色い焦げ目から甘い匂いが立ち込めて、小腹が空いていた今のお腹には丁度良い。食べていいかと彼女に確認を取ると、力強く頷いてくれたので、早速頂くことにした。口の中に入れると、まずは甘い木の実の酸味と甘さが口内を蹂躙する。それだけでも満足感は高いが、肝心のパンケーキも外側は少し強度を持たせて、中はふわふわに焼かれている。対比を強めることで、噛んだ時に二度楽しませる工夫がされている。明らかに彼女の腕はリバロー村の時より上がっていた。流石はローナルでずっと店で働いていただけはある。量自体はデザートであるため少ないので、直ぐに食い終わってしまったが、満足感はある。早々に食い終わって周りを見ると、大体皆食べ終わっていたので、やはりみんなお腹が空いていたのだろう。ユラはそれを見渡してからガッツポーズをすると、皿を片して流しに持って行き皿洗いを始めた。そこまでしてもらうのも悪いのでそれくらいはすると申し出たが、軽々しくその提案は却下された。代わりに、カナがお手伝いとして招集されていた。
やることもないので私は自室に戻り、鍛錬でもすることにした。一応ティリーンも付いてきたが、構ってやれるかは分からない。
「構わずとも良い。妾は主様の鍛錬風景を見たいだけじゃ。」
読心術でも使えるのか心を読んだティリーンはそう言うと、足を組んで床に腰を下ろした私の正面に座る。見られながらはやり辛くもあるが、その程度で集中力を切らすほどヤワな鍛え方はしていないので、目を閉じて魔力を巡らせる。室内なので空気中の魔素を反応させて伝わるかを体感で捉えるだけの修行だ。順調に巡ると室内の情報が手に取るように分かる。何処に埃があるかとかそんな小さなところまで伝わる。埃のまわりには微弱な風を吹かせて一箇所に集めるように巡らせる。すると、埃は空中を漂い一つの塊となってゴミ箱に入っていった。質量の軽い埃はこのように鍛錬の相手に丁度良い。重いものでは持ち上がらないが、量がなければ直ぐに終わってしまう。その点埃は自然に発生してくれるので自分で用意しなくても良いし、量もある。無くなれば他の部屋でやらせてもらえば良い。牢屋に入れられていた時に何となく編み出した修行法なのだ。




