ソパール大国 2
窓から月光の淡い輝きが覗く。まるで妖精が耳元で囁いているような爽やかな風の音が耳に届く。目を開くと、辺りはまだ漆黒に包まれており、星の光だけが地上を照らしている。窓から覗く店や家に明かりが灯っていないのを見るに、相当夜更け過ぎに目を覚ましてしまったようだ。寝直すべきかとも思ったが、そんな気にもなれず私は身を起こして窓を開いた。昼間は暑くなってきたが、深夜は穏やかな冷気が漂っており、寝起きの暑くなった身体を冷ますのにはうってつけの気温だ。窓の枠に身を任せるようにしてから涼んでいると、私の耳が話し声を拾った。閉じそうになっていた目を開き、外へ目を向けるとそこにはピッとした制服と帽子を身に纏った人間が隊列を組んで周囲を見渡しながら闊歩していた。何かの事件かとも思ったが、その者達の慣れた動きに違和感を覚える。そしてその矛先は一軒一軒の窓等に向いている。防犯のための見回りだと思っていたが、その動きはどちらかと言えば監視に近い。
「わぁ」
突然の耳に送られる温風に声を上げそうになるが、何とか抑えて振り向くとクスクスと愉しげなティリーンが口元を手で抑えて佇んでいた。悪戯するにしても空気ぐらいは読んでくれと言いたかったが、そう言って直るようなたまでもないので無言で目線を外に戻す。
「あのぅ、怒っておるのか?」
寂しそうな顔をしながら尋ねてくるので、呆れただけだと返すと余計項垂れていた。しかも私に体重を乗せるように寄り添ってくるので、邪魔で仕方ない。無視するのも疲れると結論づけた私は諦めてからティリーンの方を見向く。彼女は如何にも待ってましたという笑顔でそれを出迎えた。少々癪ではあるが、それをまたああだこうだ云えば面倒なことになるのは経験として学んでいるので、特に反応を示さずティリーンに何故ここに居るのか尋ねた。彼女は焦らしてくるかと思ったが、伝えなければいけないことを伝えに来たと率直に本題に入った。妙な印象を受けるが、さっさと話してくれるのならば是非もない。
「この国では規律という物が厳しく取り決められているそうじゃ。主様が見ていた人間たちは、夜更かしをしている人間が居ないか見回りをしている連中だそうじゃ。奴等に目を付けられると面倒だそうじゃから。注意しておいたほうが良いのじゃそうじゃ。」
最悪逮捕されることもあると付け加えてティリーンは口を閉じた。
まさかあの連中がそんな幼少期の子供が居る親のような役割を全うしているとは誰が思うだろうか。それにしても助かった。ティリーンが来なければ、恐らく私はずっと眠たくなるまで彼らを眺めていただろう。それがバレたら最後、二度目の牢獄入りが確定してしまう。極端な言い方になったが、そんな危険がそこにはあったのだ。これは彼女に感謝を送らなければなるまい。賛辞など受けた所で彼女は口ではなく身体で示せと言ってきそうなので、取り敢えずは心の中でその感謝を留める。
そんな意図を読み取ったのか取っていないのか分からないが、ティリーンはニッコリと、いや、ニヤリとニヤけていた。中途半端な時間に寝てしまったため、眠くはないが彼女はこんな感じだし、起きていても見回りに注意されてしまう可能性がある。大人しく寝入るのが正解だろう。私はティリーンに自室に戻れとだけ告げ掛け布団を被った。
「失礼する。」
落ち着いて安眠を貪ろうと思考が収まってきたところで、掛け布団が上げられて冷たい冷気が背中から感じられる。おかしいと感じた時にはその背中に温かく柔らかいものが押し付けれていた。半分ほど閉じていた目が一気に開眼する。どういうことだと半ば分かりながらも振り向くと、そこには私の背中にしがみついて時折艶やかな嬌声を洩らすティリーンを姿が。完全に狙っているあざとい姿を晒していた。大きく開かれた胸元からは異性を誘惑する肌色が堂々と居座っており、わざとだと分かりながらも反応してしまう男の体とは何と単純なのだと現実逃避する。明らかに偽物だと分かるイビキを掻きながら寝入った振りを続ける彼女に一周回ってしまった頭は悪戯をしてこんなことをしたことを後悔させてあげようと切り替わる。思えば深夜のテンションなのもあった。
まずは、恥ずかしげもなく抱き着いてきている彼女の腕を解く。抵抗してきたがそこそこ本気を出して彼女の腕を解くと逆に彼女の身体に手を回して力強く抱き締める。
「ぁあ……っ」
潤った唇から予想外だと抗議にも似た声が耳に届くが、そんなものは知ったことかと無視する。滑らかで瑞々しい背中の曲線を流れに沿うように辿り、その手は臀部の上のところまで行くとまた上に戻し、また同じ位置まで撫で下ろしていく。艶やかな声を上げるティリーンを見ると、行為でも行っているように見えるかも知れないが、実際やっているのはそれだけである。ティリーンもある程度やると感覚に慣れてきたためかウトウトしていたので、もう寝ても良いと言うと、彼女はその言葉に従って身体を私に預けたまま健やかな寝息を立てた。彼女が寝たのを確認すると、私も二度目の就寝を迎えた。
「朝だよ!起きてぇー!!」
頭に響くキーの高い声が鼓膜に届く。私が目を開けると同時に声の主は掛け布団の端を掴んで持ち上げた。急に体が冷えて震えそうになる身体が、近くにあった抱きまくらを抱き締める。何故か抱きまくらから甲高い音が漏れた。働かないとストライキを起こしている頭をなんとか総動員させて目を開くと、そこにはしがみつくようにくっついているティリーンの姿が見受けられる。そう思えば、こうやって寝たのだったか。忘れていた私は彼女の肩を揺すり起こすと、おはようと告げた。寝ぼけ眼のティリーンもそれにおはようと返してくれた。そして横に目を向けると、涙目のユラがそこに居た。同様におはようと声かけると、挨拶の前にユラの憤怒が吐き散らされる。
「なんでリンちゃんとイチャイチャしてるの!ユラとしてよ!!」
許さないと言わんばかりに頬を膨らませる彼女は歳不相応の割に似合っているが、機嫌を損ねてしまったようなので私は一応一言謝りを入れてから布団を出る。少し寝違えて節々痛むが許容範囲内なので問題はないだろう。文句を垂れるユラと朝が弱いのかまだボヤケているティリーンを伴って寝ていた三階の廊下からリビングがある二階に降りる。この店は、一階が定食屋を成しており、二階は台所などの共同部屋。3階が各人の部屋になっている。私が泊めてもらったのは3階の一番奥の角部屋で、普段はお客さんように使っているらしい。二人の手を引いて二階に降りると、もう皆が顔を揃えていた。ユラが呼びに来たのはご飯の準備ができたからだったのかと今更なこと考える。ユラの両親やカナ、ミラに挨拶をしてから空いている席に着席する。精霊への感謝を告げて食事は開始となった。
食事はやはり外れがなくどれを食べても美味しかった。味付けで云えばユラの甘みの強い料理もいいが、時にはここの薄口の味付けも良い。基本的な味付けは変わらず、濃いか薄いかの違いなので、その日のコンディションによって食べ変えれると有難い。そんな印象を受けた。
「今日は何か予定は決まってんのかい。」
ご飯を食べ終わったあと、おじさんはそう言ってきた。此処に来たのはあの辺りから退避することだったので、特に予定がない。何かこの国でやることがあるかと言われれば、ユラの両親を探すことだったので、その任務は無事終了している。そうなってくるとやるべきことがもう無い。私が特に予定がないことを伝えると、ユラの父はそうかと言ってから、じゃあこの国自慢の図書館に行ってきたらどうだと提案してくれた。この国の図書館といえば、ユラが結婚前に勤めていたところか。聞いた話によると、ユラの母も図書館で司書をやっており、ユラはそんな母親に憧れて司書になったのだという。それだけ思い入れのある図書館だ。もしかしたらユラにも良い影響があるかもしれない。私はその提案を快諾し、ユラの母の案内で図書館に向かう運びとなった。
私は博識ではないので存じなかったが、ソパールの国立図書館といえば膨大なデータ量を誇ることで有名だった。そちらにあまり明るくないカナでさえも噂くらいでは聞いたことがある言っていたので余程だろう。
「こっちよ。」
巨大な柱が大きなこの白い城のような建物を支えていると感慨深い。縦線の入った柱は手で小突いてみてもその強度は確かなもので、そう易易と壊れることはない。罅などもないことから、短期間で修繕などを施しているのだろう。正面から見ると大きな時計が出入り口の上に設置されており、それを取り囲む天使の彫刻がまるで教会のような雰囲気を醸し出している。私は一時外観に見入っていたが、ユラの母の呼び声で意識を戻す。付いて入ると、図書館内は静閑としていて、騒がしい人達などは一人としていない。大量にある本棚には私語厳禁とチラシなどが貼られていて、破った者には国の兵が其れ相応の罰を与えると書かれている。この静寂はこうして守られている。事務的な話と足音、本の整理音だけがただ淡々と聞こえるこの場を息苦しく感じながらも私たちは先導に従って個人スペースになっている部屋まで到着した。中に入ると、彼女は息をついてここなら話しても良いのだと語ってくれた。この個人スペースは予約がいるのだが、外からは中の音が聞こえない防音になっていて、グループで研究などをする時に利用されることが多いのだそうだ。図書館の静けさはこうやって対策を打つことでも守られている。それにしてもこんな本だらけのところに来たのは人生で初めてである。メロルのところにも本はあったが、その全ては参考書や専門書といった味気ないものだったので、全く興味が惹かれなかった。しかし、ここは来る途中で確認しただけでも、様々なジャンルを取り揃えられていた。私の知らない文字で書かれた物もあったが、簡単な言語のものもあった。どうせやることもないのだし、この機会に本に手を出してみるのもアリかもしれない。
ユラの母が仕事に戻ると言って出て行く背中を見送ってから、私は胸を高鳴らせてから本を選びに向かった。




