ノーラル海 2 ※ミラ視点
私は何をやっているのだろう。部屋のベットに横になって纏まらない想いを循環させる。皆は甲板に行っていることだろう。無意識にシーツを握りしめる。こんな筈ではなかったのだ。おとうさんが帰ってくれば、あの豪邸で密やかに生きていこうと考えていた。おかあさんもそれには賛成してくれていた。全ての元凶は、間違いなくあのカナとかいう女だ。許せない。おかあさんがおとうさんをパパと呼んだ時、私の中で何かが砕け、おとうさんを父だと呼んで良いのは私だけだと眼の奥が痛みを発した。それだけでも私の気分は最悪なのに、あの研究所の一件、私達を取り囲んだのは私がリーダーを務める研究室の研究員達だった。獣のような理性の欠片も感じられないあいつらが私が育てた者達だとどうしても思いたくなくて、結局は皆の足を引っ張ってしまった。おとうさんは気付いていないようだったが、ティリーンは私をとても冷たい目で見ていた。そして、おとうさんが吹っ切れた顔をして研究員の一人の頭を握りつぶした時、思考の追い付かない私以外の反応は普通ではなく、異常の一言に尽きる。押し倒されていた母は、のしかかっている男の頭が四散した時、満面の笑顔であり、それを見守っていたティリーンは嬉しそうにその光景を眺めていた。ハッキリ言ってこの人達をおとうさんの傍に置いておくべきではないと、自然と思考が終着する。
でも、今の私に何ができる。確かにプログラムを組むことに関して自信がある。しかし、そんなものは環境が変われば全く必要のない代物。頭の回転が早くともおとうさんの旅でその能力が役に立つとも思えない。荒稼ぎしたので資産は潤沢にあるが、それも底を尽きれば全くのお払い箱になってしまうのではないか。優しいおとうさんはそんなことはしないだろうが、あのティリーンという女は明らかに私達を警戒していた。慰められている母を正妻の余裕とでも言える表情で飄々と受け止めたかと思えば、私やカナが近付こうとすると自然に進路を塞ごうとしてくる。あまりにも自然なので、注意しなければわからない程だ。彼女はどういう存在なのかまだ掴めないでいる。一つだけ言えるのは、彼女は何を犠牲にしてもおとうさんと生き残る道を選ぶだろうということだ。それが、どれだけの人間を破滅に追い込もうとも。
彼女は色んな所を見ているようで、その実、おとうさんしか見ていないのは明らかだった。母が襲われてそれを助けた父が倒れている間、ティリーンは彼が起きる数秒前まで一回の瞬き無く彼を見つめ続けていた。目覚める直後に出て行ったのを見ると、重い女だと思われたくないと思っているのかもしれないが、既に手遅れである。研究所の幹部だけに許される出張の権限を使ってまでして記憶を保持したまま付いてきた私には言われたくないかもしれないが、十二分に重い。
「……ハァ」
人のことを言っていられる場合ではなかったことを思い出した。この身体の震えをどうにかしなければいけない。あの惨殺シーンを見てしまってから、おとうさんを視界に入れてしまうと立っているのも苦しいほどに身体が熱くなり、発情してくる。娘として愛されたい私はどうしてもその感情を受け入れることが出来ずに、おとうさんを避けてしまっているのだ。このままでは父を性的にも愛してしまっている変な娘だと思われてしまう。絶対に嫌われてしまう。それだけは何としても阻止しなくてはならない。忘れようと思えば思うほどにあの害虫を手で追い払うような冷たい目を思い出して唾液の分泌が激しくなる。思い出しただけで布団に包まった私は手が普段触れない部分に近づいていく。身体が本能的に動こうと藻掻いている。身を任せれば楽に慣れるのではないかと漠然とした思いが立ち込めてくる。
コンコン。指先が下腹部のあたりまで来ていた時、鳴らされたノックに私は思わずベットの上に飛び上がり正座した。
「お、お帰り……なさい」
抑えられない心拍数の上昇に緊張感からくる息切れ。その言葉を出せただけでも奇跡だった。冷静になると、先程までの行動がとても恥ずかしくなりまともに彼の目を見ることが出来ない。俯いていると、彼はとても寂しそうな顔をするので言い訳が口を出る。
「身体が……ふ、震えるの……そんな、つもりないのに。……嫌だ、おとうさんと……離れたくない……のに」
発散しようとしていた熱い身体が中途半端な行為のせいで余計に激しく猛っている。性愛を感じ取られたくなくて必死に身体を抑えようとするが、それは全く意味を為さない。言い訳を口にすればするほどおとうさんは離れていった。上手く言葉を吐けないこの口がこんなに恨めしく思ったのはこれが初めてだ。だからこそ、彼に、結論を急ぐ必要はない。ゆっくり考えればいいと言われた時、死刑宣告でもされたような気分になった。彼は私に何も期待していない。そう思えてしまったから。彼が部屋を出て行った後、私の目からは悲しいからか悔しいからか涙が溢れてきていた。現実は涙のように流されてはくれないが、逃避くらいはさせてくれる。
「フン。いい加減泣き止まぬか。目障りじゃ。」
腕を組んで愚痴を洩らしたのはティリーンだ。私を睥睨している目には一切の光が差し込んでいない。彼が居ないことで口も悪くなっている。
「大体、主様もなんでこんな女達ばかりを心配するんじゃ。主様には妾が居れば十分なのに。」
理不尽じゃとまで言う。その感情は嫉妬というのを彼女はあまり意識していないだろう。明らかに彼女は手を焼いてもらっている私達に嫉妬している。そう思えば、出会ってからあまり彼女が彼に甘えているのを見ていない。もしかしたら、甘えること自体が下手なのかも。一人でブツブツと独り言をいう彼女はとても可愛らしく見える。
「喧嘩しちゃ、メッ!だよ」
精神が幼くなった母に仲裁される。それによりティリーンも鼻を鳴らしていたが、気を収めてくれたようだった。私もそれほど彼女の対応に文句があったわけではないので沈黙を貫いた。母は仲良くしないと駄目だよとプンプンと怒っていたが、全ての元凶であるカナが諌めることでどうにか収まった。そうなると、次には無言の気まずい空間だけが残る。私と母は元々一緒だが、他の人達はなりゆきであり、全て彼を通して一緒に行動している。だから、話を振るべき人間がいなくなると必然的に誰も話さなくなるわけで。こんな空気を作ってしまったのは私のせいでもあるし、何か話題はないかと考える。
「み、皆は……おとうさんのこと……どう思ってるの?」
柄にもなく大きな声で質問を投げかけた。あまりにも突然、しかも予想外の相手からの声掛けに一様に驚いていたが、真っ先に母が手を真っ直ぐ挙げた。
「ユラはねぇ、パパのことが大好きなの!」
白い歯をむき出しにして笑顔を作りながらそう言う。純粋な言葉であり、そこには一片の迷いもない。恐らく幼児退行する前からと同じ想いだろう。それに触発されたのか壁に背を預けていたティリーンにムキになって妾のほうが愛しておると宣言する。流れに乗ってカナも悪く無いとは思っていると言った。最後にお前はどうなんだとばかりに三人がこちらをじっと見つめてきたので、私は目線を逸らしながら、好きであることを伝えた。
「それは本当に男女の愛か?親子愛ではないか?」
目を眇め(すがめ)ながら問うてくるティリーンに反射的に男女の愛でなければこんなに悩まないと叫んで、今の私の現状をべらべらと語ってしまった。勢いのせいかティリーンだけでなく、カナや母も怯んでいたが、私の思いはしっかりと伝わったようで助かる。ティリーンはふ、ふーんと下手くそな誤魔化し方をしながら、幾らお前がそう想っていてもその身体じゃなぁと負け惜しみのような事をいってきた。苦し紛れの言葉ではあったが、図星を突いているのでぐぬぬと声が漏れる。
「やはり、男はこういう体を好むはずじゃ。主様だって妾に興味を持つに決まっている。」
服の上からでも分かる大きな胸を張る。ティリーンは獣耳が生えていたり尻尾があったりするが、そのスタイルはとても肉感的でむっちりとした身体をしている。私はまだ成長期であるのでこれからとも言えるが、スレンダーな母を見てもその未来には絶望しか無いように思える。調子に乗ったティリーンはこれで主様は妾のものじゃと大口を叩くが、その横に居たカナのバストが自身より大きいことに気付く。
「他の男はくれてやってもいいが、主様だけには手を出すなよ。」
若干キャラ崩壊まで起こしつつあるティリーンはカナの肩を骨を軋ませる勢いで掴んで、前後に振る。そうすればするほどカナの胸が揺れてティリーンの苛立ちが高まる。自分やっておきながら、妾を侮辱しているのかとまで宣った(のたまった)。あまりにも理不尽なキレ方にカナも反論していたが、彼女はそれらを聞き入れず、勝負だと言い、服に手を掛けたかと思うと、上を脱いだ。展開の読めない私達が呆然としていると、自慢気に外気に触れている胸部を見せつけてくるティリーンは自信があるなら脱いでみよと悪戯でも思いついたような顔で挑発してきた。意固地になっていた全員は心の何処かで可笑しいと思いながらも、彼女の目論見通り服を脱いだ。流石に下着はつけているが何とも間抜けな絵面である。ティリーンは私とユラを見て、余裕な表情をしてからカナの方を見て盛大な舌打ちをかます。とても惨めな気分になるが、悔しそうなティリーンを見ると気持ちも晴れる。
「何故垂れとらんのじゃ!もげろ!!」
「やめっ、痛い痛い!!」
カナの胸がティリーンにがっしりと掴まれて思い切り引っ張っている。艶めかしい様子など一切なく、単純に痛そうである。獲物を狩る鷹の目のように鋭く目を尖らせているティリーンは一切の容赦なく肉を引き裂こうとしているようだ。これはそろそろ止めるべきかと考え手を伸ばそうとしたところ、なんともいえないタイミングで父の入るぞと言う声が掛かり、扉が開かれた。入室しようとした父は前方の大惨事を見てフリーズを起こしていた。見つめられたカナは叫んでから台の上においてあった球体を彼の顔面目掛けて豪速球を投げた。対応できるわけもない彼は甘んじてそれを受けて、力なく倒れた。
「パパぁああ!!!」
母の悲鳴がその場を席巻した。やってしまった本人もことの重大さに気が付き半裸の状態で彼に駆け寄ると、大丈夫かと肩を揺らした。赤くなった鼻からは血が垂れており、皆がパニックを起こしたのは言うまでもない。




