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気儘な旅物語  作者: DL
第一章 名無しの英雄
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ローナル国 12

 甘えるように身を擦り付けてくるユラを抱き抱えながら、後方を歩くミラに目を向ける。ティリーンに背負われている彼女の目には火を見るより明らかに恐怖が刻まれている。道中たどたどしく語ったことが正しければ、あの研究員達は、ミラの部下達だったらしく長い時間を共に過ごしたそうだ。その人達が私やティリーンの手で殴られ、蹴られ、あまつさえは殺されたのだ。彼女の私を見る目が変わっているのは恐らくそのためだろう。この様子だと、私と彼女は一緒にいるべきではないと思える。何処か良いところを見付けたら、そこで別れるのも手かもしれない。冷えた頭でそう考えていると、エレベーターのところまで到着した。そこに待っていたと言わんばかりにあの女が立っていた。


「どぉ?楽しんでくれたかなぁ。」


 ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべる女は、余裕綽々な様子で私たちを出迎えた。秘策でもあるのかと疑心暗鬼にもかられたが、あったところで関係ない。そう割りきってしまえば、足は歩みを止める事はなかった。女は焦燥感を覚えた声で私に静止を求める。しかし、私は今最悪なまでに機嫌が悪い。聞いてやる提案など端からない。


「止まりなさいって言ってるでしょうが!!」


 苛立った女は、後ろに控えさせていた褐色肌の女性を盾にするように出してきた。


「このメロルって女はアンタ達の知り合いなんでしょう?この子がどうなってもいいの!?」


 そこで漸く私の足は止まった。女はそれに気をよくして大きな口を開けて笑い始める。本人にとってとても可笑しな事があったようだ。さっぱり理解できないが、そもそも彼女の思考など興味がないので、無視して沈黙を貫く。涙が出るほど笑い転げた女は一頻り笑い終えると、人差し指でこちらを指して口許を歪めながらこう言った。


「アタシの奴隷になりなさい!」


 いい年した女はまるで子供のようなことを言う。私は呆れ返りながらも長い隙の間に循環させていた魔力を用いて身体強化をまたしてユラをティリーンの近くに下ろすと、俊足とも言って良い速度で駆け寄る。一瞬で眼前まで近寄ると、女の頬に拳を振り抜こうとした。しかしその拳は、意外にもメロルの手によって止められる。目を見てみると、光が差し込んでいない病んだ目をしている。無言を断ったと思うと、リーダーの敵だと私達に向けて言い放ち、私の手を思いきり後ろへ押した。予想外の膂力に対応が遅れて後方へ飛ばされる。空中で身体を翻すことでしっかりと着地をすることは出来たが、彼女の力はここに来るまでに戦った人間たちとは一線を画していた。その事実に舌打ちが溢れるが、まぁいいかと開き直る。死んでくれるなよと心の中で願いながら、私は腰を低くして狙いを定める。メロルが邪魔をしてくるが、今一番仕留めるべき相手はメロルではない。優先度は間違えない。しっかりと見据えて目標を逃さない。


 目が合うと女は口を震わせて歯を打ち鳴らす。言うことは大きいが器は小さい彼女としては、適切な体の反応だ。彼女は自分を守らせるようにメロルを配置すると、メロルの背中越しに安っぽい挑発を繰り返す。私はそれを無視して無言で睨みつけて、攻撃の機会を窺う。見たところ、女を人質にしていたことを忘れているようだし、鳥頭の馬鹿は早いうちに廃棄処分した方がいい。


「さっさとやっつけて!」


 睨み合いに耐えられなくなった女はメロルにそう指示した。魔法と適合率が良かったメロルの体は途轍もない速度で駆け寄ってくる。しかし所詮は急拵えの模造品。メイカの動きに比べれば大したことはない。しかも戦法もなく滅茶苦茶な体捌き。発言からしてリーダーへの愛情を利用されて洗脳されている。想いの力がここまで彼女を強くしたのだろうが、本物には届かない。迫り来る彼女を見ながら初めて出会った時のことを思い出していた。エレベーターの中で、痴漢に間違えられて、弁解すると、宿屋のところまで案内してくれたこと。仕事を紹介してくれたこと。ミラに仕事を仕込んでくれたこと。友人のように接してくれたこと。思い出される感情が私の魔力を伝い、無意識的に私の手は殴るために握りしめるためでも、叩くために開ききるでもなく、柔らかく開いた。突っ込んでくるメロルの拳をその掌が受け止める。そこから魔力を通して私の感情が溢れていく。暖かな気持ちが手を伝い直接。


「ああっ!!」


 メロルはその拳を私から離そうとするが、私はがっしりとそれを掴んで彼女に対する気持ちだけでなくて、それ以外の感情も纏めて送り込む。彼女は喘ぎながらそれを受け止めると、体を震わせて息を荒くしながら、次第に力を失ったように地に臥した。


「ど、どうなってるのよ!?」


 驚きを隠し切れない女は腰が抜けてしまったようで、その場に座り込むと眼の焦点が外れた。説明するまでもないが、どうやら呪術系の魔法は上書きできなくないらしい。今やったのだって洗脳用に使われていた魔法をそれより大きな魔法で包み込んだだけである。あんなに苦しんでいたメロルが今ではだらしなく舌を垂らして恍惚そうな評定を受けべているのを見ると、術は成功したと考えて良いだろう。それを彼女に言葉で伝えるのも馬鹿らしいので身を以て知ってもらうことにする。私が近付くと身の危険を察した彼女はたどたどしい手で身体を後方へ追いやると、すぐにその背中はエレベーターの扉にぶつかった。漸く動き出した頭でエレベーターに逃げ込もうとするが、腰が抜けているためボタンに手がとどかない。


「見苦しいマネはしなくてもいい。別にお前を苦しめるような魔法は使わない。ただ、お前にも愛情というやつを知ってほしい。薬をするなんて馬鹿らしく思えるほどのやつ受け取ってみろ。」


 あまりにも惨めに這いつくばる女に同情のような念を覚えた私は、彼女は愛情に飢えているだけだということを悟り、女の頭に手を当てて、メロルにしたように感情を込めて呪術を掛ける。


「ぁあっ……ひぅ、あんっ!」


 魔力の乗じて女の感情が流れ込んでくる。


 なぜ自分だけが魔法を使えないのか。なぜ夫は自分を捨てたのか。誰が自分を求めてくれる。誰もいない。そんなこと認めたくない。だけど認めるしか無いほどに自分は求められていない。薬をしている時は、そんな悩みを全部忘れられる。身体を売っている時は、誰かに求められていると感じる。誰でも良い。アタシを愛して。利用されるだけでも良い。傍において。それだけでいい。後は何もいらない。誰か、愛して。


 気丈に振舞っていた女には溜め込んだ想いがあった。自分が要らない人間だと思われたくなくて、意地でもどれだけ醜態を晒しても、誰かが求めてくれるのならば、全力でそれに応えたいという彼女の意志があった。


「ひっく……ぁう……ううん、ぅう」


 温かい感情を感じながらも女は泣いていた。ずっと悪魔のように思っていた相手はとても人間らしい人間だった。苦悩して傷つきそれでも孤独なことだけは嫌いで、必死に人にしがみついて。誰しも一人では生きていけない。大なり小なり人と関わることで、自分をもっとよく知って自分の適性を知っていく。そしてそこ利益が生まれ、家族ができて、一つ一つが集まり村になる。更に集まれば国になる。そうやって人の営みは続いてきた。こんなことを言うと、とてもくさいが、皆、人に飢えているのだ。それを素直に受け止めるかどうかで違いはあれど、永遠に一人で居たい人間など存在しない。そういう風に作られている。盗賊団の人間に求められたから身体を売り、頼まれたからカイを誘拐した。彼女にとって初めて自分の意志で行動し、実行に移せたのはメナカナの殺害だろう。皮肉なことにも一番最初に愛情を注いでくれたであろう実母を彼女は一番最初のターゲットにしたのだ。


「主様、そろそろここから逃げましょう。」


 身体を痙攣させながら身悶えている女から手を離すと、私の肩を掴んだティリーンがそう言った。私は何度か目線を女に向けたが、重いため息を吐いて女の肩を抱いた。ティリーンの後ろに居たもう立てるようになっていたミラは目を見開いて抗議をしていた。私は構わず女を起こした。此処に置いていくのが一番なのは重々承知である。しかし私の甘い部分が彼女を置いて行くと一生後悔すると告げているのだ。それに、魔法をこれ以上広める訳にはいかない。此処においていって研究でもされて魔法が普及してしまえば、それは新たな火種になる。それだけは断固として避けなければならない。


「パパ、お外って楽しいのかな?」


 幼児退行しているユラがそう聞いてくる。純粋な瞳は一切の憂いがない。現時点の状況を把握できていない。自分をこんな風にしてしまった相手を父だと慕う相手が助けようとしているのだ。彼女にとってみれば、残酷な話だ。私はユラの髪を撫で、ああ楽しいよと気休めにもならないことを言う。ユラはそんな言葉でもニッコリと受け取り、じゃあ楽しみと笑顔で答えた。その光景を見ていた女は、嗚咽を交えながら涙を流していた。


「お、おとうさん」


 女の目元を指で拭っていた私にミラが声をかける。その形相は明らかに納得がいかないといったものだ。


「助ける……価値、ない!」


 必死に訴えるミラの言い分は多分にして分かる。しかし決めた意志は曲げられない。私は頭を撫でようと女を片手で支えて伸ばすが、その瞬間、ビクリと動く彼女の体の反応を見逃すことはなかった。私がそれを見て手を引っ込めようとすると、ミラは取り繕うように違うのと叫んだ。お願いだから嫌いにならないでとも言った。彼女が何かを誤魔化そうとしているのは、誰が見ても分かる。目は口ほどにものを言うというが、彼女の目は私と合わさることがなく泳ぎ、偶に合わさりそうになると瞳孔が不自然な動きをして逸らされる。完全にその目は怯えてしまっており、それは彼女が私とともに居るべきではない証左でもあった。

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