ローナル国 10
主を失い草木の管理されなくなったメナカナ高原を何とか抜け、道なりに進んでいくとローナルの背の低い城壁が見えてくる。ゴールを見つけて二人してテンションが上がりながら、少しは知るペースを上げて城門へと向かった。前来た時とは兵士が変わっていたが、それ以外に大きな変化は見受けられない。入出する人達を見ても変わった様子はないので、あの女がここに来ていない可能性が高くなってきた。一先ず安心だが、もしかしたら密かにじわじわと人を襲っていく予定なのかもしれないし、油断はしないほうが良いだろう。ティリーンが何処の国や村にも登録されていない人物なので入国時に一悶着あったが、そこも何とか乗り越えて入国を果たすことが出来た。空を見てももう夕方手前くらいであるので、ユラやミラはまだ仕事の時間だろう。丁度お腹も空いてきたところであるし、ユラのところでまずは飯を食べよう。私はティリーンにそう言うと、彼女も流石に空腹だったようでそれに賛成する。行動は早いほうが良いので、足早にエレベーターに向かい、地下一階に下りて、あの店に向かう。
「おおぅ」
自然の中で生きてきたティリーンにとっては、ここの最新鋭の機械は珍しいらしく目をキラキラと輝かせている。あれは何のためのものだとか聞いてくる彼女の姿は子供そのものである。それにしても、ここの風景もだいぶ変わったな。体感では数ヶ月しか経っていないが、知っている店がなくなったり新しい店がたったりしている。こういう国であるし、こういうこともザラなのかもしれないが、少し物悲しく感じる。
「目的の店はまだかの?」
涎の溢れそうなティリーンはもう空腹の限界に来ているみたいだ。もう少しだと言うと、しょんぼりした顔をしていたのがとても可愛らしく見えた。
飲食店の立ち並ぶこのエリアの中腹に漸く辿り着くと、例の店の看板が見えてくる。前見た時より店が大きくなっていたため、一見分からなかったが、あの独特の店名が書かれた看板をみれば容易にあれがあの店であることが分かる。実は私もそこそこ限界が来ていたのだ。ティリーンの手を引っ張り店の前に到着すると、店にお客さんが居らず、従業員達がバタバタと動き回っていた。私達に気付いた店員がこちらを見向き頭を下げると、そのままどこかに行こうとしたので呼び止めて、何がどうなっているのか問い質す。すると、店員は苦しげな表情を浮かべてからこう言う。
「わたしたちのまとめ役をしてくれているウチの店員が一人行方が分からなくなっておりまして、それで捜索をしてまして!」
体内の血がキュッと凍りつくのを感じる。私は目を見開いてその店員にそれはもしかしてユラじゃないだろうな。と聞くと、店員は怯んだような声を出したが、口元を震わしながらもユラさんですと答えた。店員にありがとうと感謝を告げてから私は前のめりで店外に出て大通りの方へ向かう。その急ぐ私の身体をティリーンの腕が止めた。私が抵抗をすると、彼女は私の頬を思い切り叩く。
「馬鹿者!!行き当たりばったりで探して見つかるのなら、もう見つかっておるわ!!!こう言う時こそ冷静になれ。相手は何を使っている。そして主様はあの魔女の所で何を学んだんじゃ?考えれば分かることじゃろう。」
そこでハッと冷静になる。確かにこの広いエリアを闇雲に走り回っても仕方がない。それにもし他のエリアや違う階に居たのなら見つけられる可能性は本当に薄い。その点、今の私には魔法がある。そして敵も魔道具を用いている可能性が高い。となれば、魔素の変動が観測される。それを辿って行けば女に辿り着くはずだ。私はティリーンを連れて大通りに出ると集中を高めて魔力を空気中に漂わせる。この操作は未だに苦手ではあるが、出来なければ色々出来ないので、そこそこと言えるほどにはできるようになった。人を通りぬけてアチラコチラに隈なく巡らせて反応を待つ。
「こっちか!!」
店間の空間は細い人が一人分通れるほどの道がある。そっちで反応を観測した。魔法を使い慣れていない女は恐らく探知されたことには気づいていない。ここで追い詰める。現場に走って向かうと、細い道は奥に続いており、その暗闇にも近い道を一切の遠慮無しで駆け抜けていく。狭い道は少し行くとちょっとしたスペースに出る。首を左右に回すと、女にのしかかっている女を発見した。ぐったりとしている方がユラだ。私は最悪の事態を想定して頭に血が上るのを自覚する。私は奇声を上げながら女に突っ込むとその頭部を思い切り横に蹴り抜いた。女は一切の抵抗もできずそれを受けると、ゴム鞠のように跳ねて壁にぶつかると、そのまま地面に臥した。私はそれを確認せずにユラを抱き起こす。
「ユラ!!目を開けてくれ!!お願いだ!!!」
揺らすが彼女の瞳は微動だにしない。現実味を帯びた死のイメージが頭の中にのさばる。私は恥も外聞も捨て去って泣き叫んだ。ユラのだらしなく開かれた口からは力を失った舌が外にはみ出してそこから唾液が伝う。目は焦点が合っておらず、掴みどころがない。幸運だったのはまだ呼吸をしているのが耳を寄せた時に分かったことくらいである。
「主様!!」
私の一歩後ろで構えていたティリーンが大きな声を発した。何事かと思い後ろを振り向くと眼前に女の足が迫っていて、対処のしようがない私はユラを抱きしめたまま吹っ飛ばされる。壁に衝突してしまうため、咄嗟に庇うようにしたので背中に凄まじい衝撃が走る。肺から一気に空気が抜けて傷ついた臓器から血が込み上げてきた。吐き出された量は大したことはなかったが、唯でさえ疲れ切っている身体には堪える。女は私が倒れるのを確認すると、私の方に気を取られていたティリーンも蹴り飛ばしてから逃走した。ロクに動かない体を無理やり動かしてティリーンに顔を向けると、彼女のこちらを向いていた。ニコリと笑ったティリーンは女が逃げていった方に顔を向けると一気に顔を歪めて絶対に殺してやると呟く。私はそれに同意しながらも意識を途切らした。
後悔。その一言で済ませるには圧倒的に足りない。今思い返せば幾らでも対策はできた。もしメイカが旅に同行するのをもっと強く断っていたら。メイカの母を中庭で捕えた時にもっと情報を聞き出してあの場で殺していたら。きっとこんな大きな被害が出ることはなかったし、私はここまでのものを失わずに済んだ。私の涙が誰かに拭われる。パッと目を開くとそこにはユラが居て、私が起きたのに気づくと満面の笑みを浮かべて。
「パパ!!起きなきゃ駄目でしょ!!」
少し舌足らずな声でそう言った。
私は違和感を覚えて彼女を見ると、彼女はスカートが捲れていることも気にしないで私の上で子供のように振舞っている。混乱していると彼女は唇を私のそれにあてがい、喜びの声を上げる。そこに性愛のようなモノは感じず、まるで娘が父にするようなものだ。とてもローナルを出るときにしたものとは別物だった。
「パパのお寝坊さん、起こしたユラは偉いでしょ?」
自慢気に胸を張るユラが私にはとても恐ろしく見えた。彼女は完全に幼児退行してしまっている。きっと圧倒的な理不尽に付いて来れなかった頭が考えることを拒否して思考を閉ざした。その結果がこれなのだとしたら、これは全て私のせいだということだ。彼女が舌足らずな言葉を喋る度に、お前のせいだと責められているような気分になる。純粋な目が私を一直線に捉え、離してはくれない。この白い病室のような所に逃げ場所なんて無い。ベットに寝かされている私は彼女を跳ね除けることが出来ない。物理的には可能だが、そういう話ではないのだ。
「ユラ、偉くないの?」
目を潤ませて泣き出しそうな彼女に私はえらいえらいと声を掛けながら頭を撫でた。彼女はえへへと笑ってそれを甘んじて受ける。ミラもそうだったが、撫でられるのが嬉しいみたいだ。ユラはある程度撫でると、パパ、パパと呟きながら私の腕を掴み、そのまま眠りについた。行動は幼子そのもののようだ。彼女の髪を手櫛で梳いていると、病室の扉が音を上げた。
「おかあさん!」
少し大人っぽくなったミラがそこにはいた。大人びた研究服に長い艶やかな黒髪に対して、その表情は涙をこらえた歳相応のものだった。美しく成長したミラに私は投げかける言葉を探す。実の母がこんな状態になっているのだ。当然ここは病院のようだしミラの耳にもユラの症状は入っているだろう。歯を食いしばったミラは私の近くまで来ると、ガバッとユラも纏めて抱き締める。
「ごめん……なさい」
予想外に言葉に私は疑問符を浮かべずにいられなかった。なぜ彼女が謝る必要があるのだろうか。鼻を鳴らしながら泣く彼女の背に手を回しながら私は考えた答えが出ることはなかった。寧ろ余計に分からなくなっていった。次第に嗚咽が落ち着いてきたミラは淡々と自分が悪い理由を語っていった。一つは自分の才能を過信しすぎたこと。それのせいで私の劣等感を抱かせてしまったという。色々言いたいことはあるが、取り敢えずは反論せずに次も聞くと、私を自分たちの所に留めるために策を執行していたことを告げた。そう言われてみれば、この国を発つ時に色々あったことを思い出す。しかしそれは私にとって不愉快なものではなかったし、それは今回の件に一切関係ない。というか、彼女が言ったことはどれも今回の件には一切関係ない懺悔のようなものだった。悪いことを考えていたから罰が当たったという宗教徒と同じである。私は彼女の背をトントンと叩き、耳元で私が全部許すという。彼女はそれに首を横に振ったが、私がそう言ったのだからそうなのだと横暴な事を言うと泣き腫らした目をやっと緩めて彼女は涙を止ませた。




