神域の森 1
「メイカとはこの娘のことかの?」
メイカは自分の服を掴みあげながらそう聞いてくる。少女は不思議そうに体中を触りながら返答を待っているのでああそうだと私が言う。すると、少女はニヤリと顔を歪めて声高らかに笑い出した。一頻り笑いきると、腹を抑えながら妾はそのメイカとかいう少女ではないと断言してきた。そんなはずはない。口調を除けば何処をとってもメイカ本人である。ここまで他人に成りすますことのできる術を私は知らない。
「この娘が主様と深い仲にあったようじゃが、諦めてもらう他無いの。」
少女は肩に掛かる髪をくるくると指で回しながらそう言う。
私の頭ではもう何が何やらさっぱり理解できない。一旦思考が停止すると冷静さが戻ってくる。状況をおさらいしよう。私が倒れる前、確かにメイカは神獣に噛まれて殺された。そして神獣は力を失ったように倒れた。私が気絶する少し前、何故か立ち上がっている幻影が見えた。まとめてみるとこんなところか。音が反響する洞窟の湖の畔で私は彼女に見向く。次は彼女を注視する。前述したように容姿だけみれば彼女がメイカ以外であることは判断できない。しかし彼女は本人ではないという。そしてあの独特の口調。思い返してみればあの口調はどこかで聞いたことがある。そこまで考えずとも答えにたどり着く。
「神獣……、なのか」
少女はニッコリと微笑む。
「正解じゃ」
メイカが絶対しないような高貴な動きで身を正すと、そう告げる。神獣はそれに付属して概要を語ってくれた。まず始めに、神獣とは神から能力を与えられた生物のことだそうで、基本的には一つの能力が与えられる。能力は生まれた時点から所持しており、自分が神獣であることは何となく分かるのだそうだ。そしてこの神獣の能力は乗り移り。しかもその生物のステータスを引き継いだままである。それを繰り返して彼女はここまでの成長を果たしている。
「妾達は生まれた時から弱者を助けるように命令されておる。それが誤って願いを叶えてくれると伝承されているらしいが、あながち間違いでもないので否定はせん。けれど、便利屋ではないのじゃ。当然それに見合った対価を頂く。この身体の娘は生け贄は他人で代行できると踏んでいたようじゃが、妾が相手だったのが不運だった。妾は乗り移りを気が遠くなるほど繰り返し力を付けた神獣。欲しいのは強い力を持った生き物なのじゃ。あの場で一番強かったのはこの娘じゃった。それを貰うのは当たり前のことじゃろう。」
私はそれを否定出来るだけの術を持ちあわせてはいなかった。神獣という規格外を頼った時点で私達の負けは確定してしまっていたのだ。溜息が溢れる。言うなればメイカのおかげで私は助かったとも言える。あの現場で一番優れていたのは長年研鑽に励んだメイカだったが、次点では私の可能性が高い。全てにおいて中途半端ではあるが、あの場では私の力でも彼らを圧倒できたのを見るとそうであっただろう。もし私がメイカよりも強ければ、まず彼女が犠牲になることはなかった。
「まぁ落ち込んでいるところ悪いがの。一つだけ朗報じゃ。」
落ちていた目線を神獣に合わすと彼女はそれを確認してから続けた。
「神獣というのも楽ではない。能力には欠陥もあるのじゃ。これも個体差があるが、妾の場合、乗り移った相手の感情や記憶も受け継がれてしまう。主様はこの娘に余程好かれていたようだな。今の妾は主様を攻撃する気も無いどころか、愛情が溢れて服従するしかない所まで来ている。愛称で気付いてしまっているかもしれないが、身体が既に主様を自分の主だと認めてしまっている。だから主様を土砂に巻き込まれないように避難させたりと手間を掛けた。どうじゃ。今ならばやりたい放題じゃぞ?」
横になっている私の上に彼女は跨がりしなだれかかってきた。大きな胸部は押し付けられ、肉付きの良い足は絡められている。密着面が着実に増えていき、頭が興奮しているせいか熱くなっていく。しかしこんなことはメイカが望まない。理性を働かせて彼女の肩を掴むと、無理やり引き離す。そしてやめろという言葉が口から何とか出た。彼女はキョトンとした表情をしてから、おかしいとか頻り(しきり)に言っていたが、その間に彼女を身体の上から退かす。
「お前が神獣にしろ、メイカにしろ、抱くつもりはない。もともと彼女とはそんな関係ではない。お前が何を勘違いしているのかわからないが、メイカを貶めるようなマネはするな。」
彼女は面白く無さそうに相槌を打つと、そういうことかと呟き、この娘が不憫じゃとまで言い締めた。身体を奪い取っているお前には言われたくない。メイカの何を不憫だけ感じたのかしらないが、恐らく見当違いも甚だしいことに違いない。まぁいいか。それよりもメナカナに会いに行って事の顛末を語り、それ相応の罰を受けなければいけない。大事な孫をこんなことに巻き込んだ挙句、死なしてしまったのだ。どれほどの償いをすれば許されるのか。いや、許されるなんて考えるのは甘えだ。一生背負っていかねばならない私の業である。決意を新たに立ち上がろうとしたが、力が上手く入らずに足元から崩れ落ちてしまう。
「そんなに焦らんでもいいじゃろ。どうせこの娘の保護者に謝罪に行こうと考えているのじゃろうが、そんなことの前に済ませて貰わんといけないことがある。」
倒れこむ私を滑稽だとケラケラ笑いながら神獣は契約してもらうのが先だと言ってきた。私は契約とやらをするつもりはないと言ったのだが、しなければメイカの身体が朽ちるといってきたので仕方なく了承する。
「いい子じゃ。素直な子は好きじゃよ。」
神獣はそう言うと顔を近づけて私の額に唇を落とした。
「いずれは主様は妾の番になる。これは決定事項じゃ。」
額同士をくっつけて目を真っ直ぐ見る彼女に胸がどきりと音を立てる。それはメイカに対する裏切りのように思えてわざと冷たく彼女から顔を背ける。しかしその心を読んでいた神獣はうっとりとした表情のまま嬉しそうに微笑んでいた。一頻り楽しんでから神獣は私の手を掴み、契約を行う所に連れて行くと言って手を引いた。不思議と先程まで立たなかった身体は羽のように軽く起き上がった。手をひかれるがままになっていると、彼女は湖の足に水が当たるぐらいの位置で一旦止まってから、こちらを振り向き蠱惑的な笑みを浮かべるとそのまま水に足を沈めていった。反論しようかとも考えたが、もうどうにでもなれと諦観の構えである私は何も言わずに連れて行かれた。水深は進めば進むほどに深くなっていく。今の時点で胸の位置まで水が浸っているので、もう少し歩けば完全に頭まですっぽり入るだろう。まるで入水自殺でもしているようだが、爛々と目を輝かせて足取りを止めない彼女を見ると、そんな気持ちは湖の藻屑に消えていく。
「うむ、もうそろそろ身長が足りんくなるか。どれ、主様。こちらを向け。」
後ろをついていっているので最初から彼女の方を向いていたのだが、彼女はそういうことではなく自分の正面に立てと言っているのだ。何をするのかわからないが、取り敢えずは指示には従っておくべきだろう。私が水を掻くようにして進み、彼女の前に出ると、嬉しそうな少女の顔が正面に写る。
「少ししゃがめ」
体の重心を下げて丁度水面から頭だけが出ているような状態になる。その姿を数瞬考えるように見たかと思うと、彼女は突然私の口に自身の口を押し当ててそのまま押し倒すような要領で私を湖に沈めた。殺気などはなく、まさかこんなことをされるとは思っていなかったため、ジタバタと暴れるが、彼女にガッチリと絡みつかれた身体は抵抗むなしく深水に沈む。予想よりも遥かに深い底が見えない水中をぼやけた視界で見ていたが、ある程度進むと背中に唐突に強い衝撃が走る。あまりの痛さに目を白黒させたが、気を取り戻して周囲に目を向けると、そこには沢山の木々が生え茂っていた。
舌も絡めてきている彼女を強引に引き離すと、説明を促す。名残惜しそうな表情を崩しはしなかったが、彼女は淡々とこの場について語ってくれた。
「ここに名前なんてものはない。妾が作った妾のための空間じゃ。普段はここで眠りについておる。言うなれば妾の実家のようなものじゃ。そして契約はこの固有空間でないと行えない。だから主様をここに連れてきたのじゃ。」
語ったのだからご褒美をくれと言わんばかりに口を窄めて近付いてくるが、その顔を手で抑えて改めて周囲の情報を取り込む。今寝そべっている花畑には虫一匹居らず、立派な枝を持つ木にも害虫というものが居ない。しかしどれも本物としか思えず、吹いている風も心地が良い。なのに、ここには私達以外の生き物が存在しない。とてもアンバランスな空間だ。一周グルっと見渡してから彼女に目線を戻すと不貞腐れたように頬を膨らませていた。完全に拗ねていた。そのせいで契約の仕方などを聞いてもふんと鼻を鳴らすだけで答えてくれない。流石にご立腹か。メイカの件もあり、彼女には冷たく当たったが、よくよく鑑みれば、悪いのは私で神獣はただ当たり前のルーチンワークをこなしただけなのだ。それでこんな扱いを受ければ腹を立てるのも当たり前か。私は精一杯の謝罪を込めて頭を下げると、そういう展開を予想していなかったらしい神獣は目を見開いて動揺していた。
「べ、別に頭を下げずとも良い」
若干吃り(どもり)ながらそう許してくれた。私はありがとうと言ってから彼女の両脇に手を差し入れると、持ち前の腕力で自分が立つのに合わせて彼女も立たせた。そして手を差し伸べて案内してくれと言う。彼女は余裕そうな態度を崩してその手を掴むと私を引っ張りながら歩き出した。
自分の非を認めることが漸く出来たような気分だ。罪を認めると一気に心が軽くなった。ハリボテではない。本当の覚悟がここに誕生した。足取りは段々と軽やかになっていった。




