メナカナ高原 8
私が扉を開くと、メイカは調理の途中でメナカナはまだあの本を読んでいた。ふたりとも扉が開いたことでこちらに視線を少しだけ投げたかと思うと、私であることを確認して視線を戻した。しかし面白いぐらい二人は二度見を決めた。私が背負っている女に気付いたからだろう。引き摺っていると立ち上がらないと宣言してきたので仕方なく背負ったのだが、いつまでもそうしているわけにもいかない。私は腰を下ろして老朽化が進み踏み締めると音を奏でる床に彼女を横たえた。
「これはど、どういうことですか!?」
最初に食いかかってきたのはメイカの方だった。
どうと言われても返事に困るが、取り敢えずは先程の出来事を話す。庭に不審者が居ることに気付き、尾行してから捕えた。単純な話なので説明に時間は要しない。捕えた相手が相手なので、そこまで単純な話にもなりそうにはないが。
「で、この馬鹿娘は何しに来たんじゃ。」
いつの間にやら読書を終えたメナカナが近付きそう言う。彼女からしたらこの人は娘に当たるので、身内の恥をどうしてやろうか考えているのかもしれない。少なくとも声に久し振りに会えて嬉しいといったような色は混ざっていない。詰問するように睨みながら女に問い続けると、女は観念したとばかりに大きな溜息を吐き、口を開く。要約すると次のような内容だった。自分はこの魔女の家系で一人だけ魔法が一切使えないので焦っていた。生まれてきた二人の子供が自分より魔力があるのが分かった時には死にたくなった。精神的におかしくなった自分では子供を育てられないのでメナカナに子供を預けたが、おかしくなった自分と二人きりであることに耐えられなくなった夫は自分を捨てた。精神が更におかしくなり、安定させるために巷で流行りの違法薬物に手を出していた。そのうちお金が足りなくなり、売人に取り次ぐと体を売ることを勧められてそれに乗った。それでもお金が足りなくなってカイを誘拐した。淡々と女は語っていく。
実母のそんな話は聞きたくないであろうメイカは、気丈にその話を聞き続ける。芯の入った立ち姿に思わず感心する。私がこのくらいの年頃の時に実母からこんなことを言われたら完全に取り乱してグレること間違いなしである。
「それで何でここに来たんじゃ!」
強い怒気を孕んだ言葉でメナカナが叫ぶ。女はここに来た理由ではなく、自分がどれだけ不憫な生活をしてきたかという身の上話しかしていないので、彼女が苛立つのも無理は無い。全くの他人である私から見ても女が自分の罪悪感を減らすために言い訳をしているようにみえる。こんな苦労をしたのだから許してくれという意思がヒシヒシと伝わってくる。唇を震わせながら焦点の合わない目をあちこちに向けている女は確かに不憫な人生をしてきているが、それで人の人生まで狂わせていい理由にはならない。彼女がもしこの場に少年を連れてきていたのなら話も変わっていただろうが、彼女は一人できている。ということは、少年をあの連中の中に放置している可能性が高い。気性の荒い人達の中に幼い子供を置いてくるのはいかがなものか。考えが纏まらずに考え込んでいると、唐突に女は高い声を上げて笑い出した。薬が切れておかしくなったのかと思ったが、その後急に表情を一変させる。
「逃げてきたに決まってるじゃない!!あの子から!!」
目元には涙が流れており、食い縛られた歯はガチガチと音を立てて噛み合っている。あの子というと、やはりカイのことだろうか。しかし何故盗賊の方じゃなくてあの少年から逃げるのか。自分が誘拐したのにも拘らずおかしな話だ。うぅと泣き声を上げている女に私からあの子とはあの少年のことかと聞き、彼女がそれに頷くのを確認してから続けて聞く。
「何故彼から逃げる必要がある。」
私の無知を訴えるように女は力強く私を見上げ激昂する。
「化け物がいたら誰だって逃げるわよ!!」
遂に女は自分の息子を化け物と呼んだ。何があったかは知らないが相当なことだろう。女の頬をメナカナが思い切り叩く。自分がそうさせておいて何が化け物か。力一杯叫ぶ。ずっと聞き続けていたメイカは俯いてまさにこの場は混沌としていた。私はこれでは話が進まないと踏んで、まずはメナカナを諌め、メイカに一言かけてから床に横たわって丸くなっている女の近くに腰を下ろし、少年を化け物だと称した訳を聞く。最初は言い淀んでいた女だが、繰り返し聞くと次第に根拠たる事象を語りだした。
「カイは、賢い子だったからアタシが家から連れ出した時も自分がどうなるか大体理解していたわ。薬漬けにされて、最初の方はいうことを聞いてくれた。で、でも……」
そこで緊張からか生唾を飲む。衝撃的な事実を打ち明けようとしている。浅い呼吸を繰り返しながら長い間を開けてから漸く続きを述べた。
「あの、この間の渡航者襲撃の時からカイは変わった。あの子は貴方にもう一度会いたいと言ってた。それの要求を鼻で笑った盗賊団員の首を刎ねて。今では暇潰しと称して呪術を使って団員たちに殺し合いをさせて楽しんでいる。あれを化け物といわず、なんて云えばいいのよ!!」
言いたいことだけ言うと、後はもう何も言いたくないし聞きたくもないといった風に身体を更に丸まらせてヒックヒックと泣いていた。その光景を思い出したのか、時折嗚咽までも交えて恥も外聞もない姿で大人の皮も被らずに。それにしてもあの少年が私を気に入っていたとは思わなかった。あの現場で確かにこちらをよく見ていたが、それだけだと考えていた。女から目線を外してメナカナを見ると、彼女もこちたを向いていた。どうやらお前さんの特訓は急いだほうが良さそうじゃと言う。そのとおりだと私は同意する。
それともう一つ聞きたいことがあったのを思い出したので、女に質問する。
「この家は柵に囲まれていて容易に侵入できないはずだが、どうやって侵入した。」
女は体勢を変えないままぶっきらぼうに答える。
「庭にアタシが幼い頃に掘った柵の向こう側から入れる穴があるの。人一人分しか通れない穴だけどカイを誘拐するときもそれを使ったわ。」
そんなものがあるのか。子供の頃は恐らく秘密基地でも作る感覚で作ったのだろうが、使用方法が末恐ろしい。場所を聞き出し、教えてもらった場所に行くとその穴は草が敷かれて隠蔽されており、隠し通路として完全に機能している。草を退けて内部を見ると、体な大きな私では通れないほどの穴があり、無理矢理土を抉ったような跡があることから、彼女の服に何故土が付着していたのかも分かった。また悪用されてはたまらないので、スコップを拝借してから一旦外に出て柵の外周に周り、他所から土を集めて穴を塞いでいく。寒さで冷たくなったスコップを握ると、痛みを感じるほどに冷たいが、これをそのままにしておくとろくなことが起こりそうにない。さっさと終わらせて温かいご飯が食べたいものだ。私はちゃっちゃと作業を終わらせ家に戻ると、庭に出てそこの穴も塞ぐ。
「これでよし。」
土は寄せ集めであるためそこだけ地面の色が違うが、上に草を乗せるとそんなに目立たないし見事に仕事をやりきっているだろう。というか、これ以上外で作業したくない。
ブルブルと身体を震わせながら台所のある部屋に帰る。
「あ、お兄さん!ご飯できてますよ!」
鍋で何かを煮込んでいたメイカが私が入室すると同時くらいのタイミングでそう言う。今日は寒いから鍋が良いと思ってそうしたとメイカが言う。寒い時期は確かに外れのない選択である。朝からあれやらこれやらあったせいで疲労もあるし、お腹も減っている。横目でちらりと見るとメナカナはそんな気分ではないと読書に耽り、女は相変わらずじっとして床に横たわっている。四人もいるのに食卓を囲んでいるのは私とメイカだけという歪な状況下ではあるが、私はとても腹が減っているので、いただきますを口早に述べてからじっくり煮こまれた鍋をつついた。
流石に二人では食べ残してしまいその分は夜に回そうということになった。美味しかったと素直に言うと、メイカは照れくさそうに当たり前ですと胸を張った。可愛いものだと思い私が目尻を下げているとメイカはそういえばと今思い出した風を装い、私の耳に近付く。
「あの女性どうするんですか?ずっとここに居られても困りますし……。」
メイカは彼女のことを母とは言わなかった。どちらかと言えば言えなかったというべきか。それはそうか。女の昔話を聞く限り、メイカとカイはとても幼い頃からメナカナの家に預けられている。母の顔を覚えているだけまだマシだ。普通なら顔も覚えていない。そんな思い出もない女性をはいそうですかで母とは呼べない。血が繋がっていれば家族というのは間違っている。共に過ごし掛け替えの無い思い出があるから家族なのだ。まぁ家族談義などはココらへんにしておいて。女の処遇をどうするかは本当に難しい。このまま開放した所で彼女がカイに私がここにいることを伝えてしまうかもしれない。ここにおいておくにしても、誰が彼女の世話を焼くのか。寝首をかこうとしてくるかもしれない。危険な要因は挙げていけばきりがない。頭をいくら捻っても正解は見えない。
「兎に角今日はあのままで様子を見るしか無いのではないかな。」
言うなれば問題の先延ばし。いつまでも使える手ではない。しかし他にこちらがメリットを得るような対応方法が一つもないので、結果、現状維持が一番であると考えられる。厄介な人を見つけてしまった。その一言に尽きる。デメリットしかない。メナカナの機嫌は恐ろしいほど悪くなるし、メイカは気まずく感じている。私だって良い気はしない。逃げるにしても場所を選んでくれと考えずにはいられない。最終手段として彼女は他に頼るところがなかったからここに来たんだろうけどとそこまで思いつくと、諦観にも似た溜息が零れた。




