メナカナ高原 5 ※メイカ視点
あたしは眠りについたお兄さんを立ったまま見守っていた。夜の冷え込んだ空気が火照った身体を冷やし心地が良い。窓を開けておいて正解だったかのもしれないと自分を褒める。実際は空気が悪かったので換気のために開けていたのだが、体の火照りが収まりを見せなかったのでそれも冷やせて一石二鳥である。
「んん」
少し上を見上げていると、下からお兄さんの声が聞こえる。チラリと見下ろすと布団が被るようにして寝ていたのが寝返りをうったことでその素顔を晒している。あたしの中の今まで動いていなかった部分が刺激される。彼を見るだけで胸の高鳴りは止まらなかった。それもこれも昼間の訓練のせいである。あたしを包んだ幸福感は優しくそして強くあたしの体の隅々まで抱き締めた。もう彼の色に染められてしまったような感覚さえした。思い出しただけでも体温が急上昇する。全部お兄さんのせいだ。気持ちよさそうに寝顔を晒している彼の鼻を人差し指でグリグリと押す。フゴフゴと声を漏らして非常に面白い。あたしが調子に乗って弄り倒していると、次第に彼の眉が中央に寄り、ガバっという音を立ててあたしの手を掴んだかと思うと布団の中にひきづりこんだ。
「ひゃっ!」
突然の出来事に動揺して普段でないような情けない声が出る。
反射的に瞑っていた眼を開くと、そこにはお兄さんの顔がある。丁度昼間の訓練の時と同じくらいの距離。あの時はこの距離を別段特別だと考えてはいなかったが、今は違う。首に回された手に。顔に当たる鼻息に。身体に触れているすべての部分が初体験の感覚を帯びる。お兄さんが狩りに出ている間、一切収まることのなかった火照りが、言うことを聞かない身体が、彼を求めた時だけは素直に動く。おばあちゃんが言うにはそれは大人になっている証らしいのだが、あたしにはよく理解できない。こんな不憫な身体のどこが大人だというのか。
「お兄さんのせいです。」
あたしはそう言ってお兄さんの足に自分の足を絡める。すると、ガッチリと絡ました瞬間。
「ん」
身体が痙攣した。身体を彼に擦り付けると幸せな気分になれる。まるで昼間の訓練の時に感じた多幸感に似ている。あたしは身体をできるだけ密着させてから擦り付けるように動くとお兄さんの逞しい体を全身で感じ取る。筋肉はやはり狩りなどをしているだけあって付いており、隆起している部分が当たると異性に反応したあたしの女の部分が疼く。気温で言えば低いであろう室内はあたしの熱い吐息によって温度を上げている。ギシリギシリと木製のベットは二人を支えるため悲鳴を上げている。口元が馬鹿になったあたしは気付けば涎を垂らして夢中で未知の行為に励んでいたらしく、頭を預けていた枕は唾液を吸い冷たくなっていた。それに気付いた瞬間、急に頭が冷静になり羞恥心が込み上げてくる。何をしているんだあたしは。何故か股ぐらも濡れているため余計に冷気を感じ、お漏らしをしてしまったことに酷く自尊心が傷つく。流石のあたしでもこの行為がはしたないことであるくらいは分かる。知識としてそうというよりは今の気持ちがそう言っている。こんな姿をお兄さんに見られてしまうと気持ち悪がられて嫌われてしまうかもしれない。おばあちゃんも彼とあたしは魔力の相性が良いから絶対に離しちゃいけないと言っていたし、なによりあたしの心があの与えられた多幸感を求めている。冷静になって濡らしてしまったシーツや枕をタオル等で拭って隠蔽工作を図らねば。段々と冷静になっていた思考が彼のある一言で崩壊する。
「……ユラ」
それは確か彼が旅の話の時に聞かしてくれた女性の名前だ。旅を途中まで共にしていた大人の女性。頭に血が上り口の中が一気に乾く。あたしがこんな近くにいるのに。そんな理不尽な怒りを眠っている彼に抱く。お兄さんにあたし以外を求められないようにしなくてはならない。どうすればいい。少し前に考えていたことなど全て放り投げて、それだけに思考を巡らせる。そこでピンと来た。よく考えて見ればお兄さんは弟の呪術のせいで悪夢を見せられているんだ。それならばそれに便乗すればいいじゃないか。あたしは額を冷や汗を垂らしながら唸っている彼の額にくっつける。
「お兄さんはあたしが守ってあげます。ユラさんじゃない。あたしがです。」
寝ている時というのは脳の警備は散漫だ。呪術を使うなら絶好のタイミングなのだ。騙すのならば上手く働いていない時のほうが効きやすい。やったことはなかったが成功したようでお兄さんはあたしの名前を呼び破顔していた。全てを預けるような安らかな表情であたしのほうが年下であるのにもかかわらず彼を弟のように抱き締めた。勿論、彼に使った呪術はそんな純粋なものではなく、先ほどの痴態を彷彿とさせるような厭らしいものだったが。
「貴方を傷付けるものは全て捨てて良いんです。貴方を本当に求めているのはきっとあたしだけです。お兄さんとあたしは絶対にこの世で類を見ないレベルで相性がいい。じゃなかったら出会って直ぐにあたしがこんな気持ちになるはずがないんですから。多分これが初恋でそして最後の恋になる。そうならなければ嘘です。」
もっと進んだ関係になりたい。知識のない自分が恨めしかった。やり方さえ知っていれば子作りをして既成事実を作ってお兄さんを永遠にここに留める事ができるのに。お兄さんの赤ちゃんを身体が欲している。穏やかな顔をしている彼を今起こして教えてくれといえば答えてくれるだろうか。いや、そんなことをすれば教えてくれるどころか距離を置かれてしまうかもしれない。もどかしい気持ちに襲われながら体が求めるままに身体を密着させて昂ぶる気持ちを発散させる。もう下着は意味を成していないし、お兄さんのズボンも水でも零したようにあたしの液を吸っている。お互いにもうびちゃびちゃである。このまま眠りにつく訳にはいかない。
このまま眠りについたら絶対に深い眠りについてしまい、彼の起床前に起きることは出来ない。すると彼はあたしより先に起きて動揺するだろう。あたしの下着姿を見て照れていたのを見るに、彼は年の割には純情である。そんな彼がもしこの状態に気付いてしまうと、彼はあたしに対して複雑な気持ちを持ったり、警戒したり、終いには気まずくなってここを出て行きかねない。
「それだけは絶対に嫌だ。」
自然と言葉は口から出た。お兄さんの目的は確か呪術に対する抵抗力を高めて打ち勝ち、親族がいるというレジェノに向かうと言っていたはずだ。お兄さんは元々ここに長居するつもりはない。呪術は魔法の基本だし、おばあちゃんのような師匠がいれば呪術を打ち破るくらい大した才能がなくても出来る。魔力の管をあんなに早く感知できたお兄さんならなおさらだ。考えが泥沼化する。彼と離ればなれにならない方法は何かないか。あたしにとって大事なことを考える。あたしはお兄さんとどうなりたいのか。愛し合いたいのか。愛し合いたいがそれは今じゃなくて良い。時間を掛けてゆっくり愛を知りたいから。お兄さんとあたしは相性で云えば世界一だろう。彼の魔力が魔素を伝ってあたしの身体を流れた時、魔法以外のものを感じた。あれは呪術だけのせいであんな状態になったんじゃない。想いの強さで威力が変わるのは分かる。しかし彼のそれはおばあちゃんのそれを超えていた。明らかにおばあちゃんのほうが魔力も想いの強さも上であるのに。しかもそれは違った方向に突き抜けている。お兄さんの魔力はこっちの管に伝ってきた瞬間に感じるのだ。この人間を手放してはいけないと。抗うことなど出来ないし、する気も起きない。
「こんな相手もう見つかるわけないもん。」
言い訳をしているようにみえるかもしれないが、本音である。
頭がすっとする。言葉に出すというのは大事なことらしい。名案が一つ浮かんだ。何故あたしはここにいることに拘っていたのか。あたしが彼の旅に付いて行けばいいのではないか。何故こんな単純なことに気づかない。頭が馬鹿になっているせい。間接的にお兄さんのせい。
「はうっ」
決意が決まり気を抜いた瞬間身体が激しい痙攣を起こし、後に気怠い感覚がする。熱が段々と身体から抜けていく。荒くなっていた呼吸も整う。これが一段落なのだろうか。慣れない感覚に悪戦苦闘しながらもあたしは名残惜しくもお兄さんの身体に回された腕を外して立ち上がった。自分のベットに戻らねばならない。ふとベットの近くにあった椅子を見ると彼の外套が立て掛けてある。あたしはそれを拝借すると、外套で毛布のように身体を包み込み、首元の一番汗臭い所に鼻を押し当てる。ツンとした酸っぱい臭いが癖になる。あたしは寧ろ自分の匂いでもつける勢いで顔をそれに押し付けて就寝した。
あまりの寒さで朝目を覚ます。そういえば窓を閉め忘れていた。危うく凍死してしまうところだった。あたしは冷や汗を拭いながらもがらがらという音を立てて窓を締める。でもその御蔭で早起きをすることが出来た。あたしはお兄さんの外套を椅子の背に掛け直すと、まだ眠っているお兄さんの寝顔を拝見する。
「おはようございます。」
声をかけるが当然返事はない。クスリと笑いが出る。そう思い返してみれば愛情表現というものをあたしは一つだけ知っていた。いつか読んだ書物の物語で知った情報なので正確であるかは確証がないが、その物語では好きな人には口付けを交わすものらしい。実践せねば。あたしは鼻を鳴らして気合を入れてからお兄さんの顔に顔近付ける。近付けば近付くほど当然ではあるが彼の顔の隅々までが目に映る。昨日あんなに恥ずかしいことをしたのに、あたしは接触する前に顔を止めた。頬が紅潮して瞳が潤みを帯びる。緊張からか手には尋常ではない汗をかく。
駄目だ駄目だ。一旦離れて頭を左右に振ると気を取り直してもう一回挑戦する。今度は目を閉じて口を尖らせて近付く。しかしそれも彼の唇に触れる前に止まる。自分の唇が乾燥していないか。変ではないかなどと的はずれなことを考える。変ではないかと聞かれれば変である。恋人でもない相手にくちづけをしようとしているのだ。変でないはずはない。あたし尖らせていた唇の窄める。やっぱりまた今度にしよう。そう思って引き返そうとした時。
「え……――」
急に起き上がったお兄さんの唇があたしの唇を捉えた。




