リバロー村 2
翌朝、私は早速作業に取り掛かった。
まずは、家内の清掃である。昨日までは家の責任者がいなかったためにどうしても出来ずにいたが、今日はユラが居る。厳密に言えば昨日からユラは目を覚ましていたのだが、気を取り戻して直ぐあれやらこれやら頼むのは幾らなんでも倫理的によろしくないので今日からなのだ。
「取り敢えずは床に散らばってるものから片付けましょうか」
そう先導してくれたのはユラだ。まだ幼いミラは当然として、恥ずかしながら私もこういうことにあまり明るくない。料理や清掃などの家事全般は男の仕事ではない等と亭主関白的な思想があるわけでもないのだが、どうしても楽な道を選ぶ性格のため全てが最低限出来ればいいかなと考えているところがある。
なんにせよ、得意ではないことは分かってもらえただろう。
「ああっ、そのゴミはこちらの袋です」
「……申し訳無い」
そんな会話が何度もループしながらも漸く床らしい床が顔を覗かせ、更に時間をかけて全容を露わにした。木製の均等に並べられた床は所々欠損がみられるが上から板でも貼り付ければその場凌ぎの対策でも講じればいい。今問題なのはどちらかと言えば屋根が無いことではないだろうか。日を遮れないというのは思っている以上に体力を削られ、水分を持っていかれる。にも拘らず、素人が手をつけるには中々リスキーであり、男手も私しかいないことを考えると不可能という三文字が私の脳裏をよぎる。
しかしそうも言ってられない。
何故なら私が去った後にも彼女らの生活があるのだ。唯でさえ男手の足りていないどころか居ないこの村で家屋の修繕に割ける人員が幾らのものかなんてのは聞かずとも推察できる。となれば、彼女らはこの日差しの中四六時中を過ごさなくてはならなくなる。直射日光に当たり続ければ身体がバテたり水分不足で熱中症を引き起こしたりと危険が付き纏う。私にはそれを二人に許容してもらおうなどと傲慢を吐こうとは思えなかった。
床に家の裏にあった小屋に立てかけてあったベニヤ板を敷いて小屋にひっそりと仕舞ってあった釘と金槌を拝借して打ち付けていると、朝の時間はすぐに終わりを迎えた。
「そろそろお昼にしましょうか」
一息ついていた私にユラはそう言ってくれたのでお言葉に甘えてお昼を摂ることにした。
昼飯といっても、家の敷地でとれた木の実と蜜の出る花に火を通したもので贅沢も言っていられない時分なのだがひもじさを感じる内容だった。
午後の作業は漸く屋根へと移ったのだが、素人仕込みの工具捌きではやはり限界があった。
余り木材で作った簡易梯子は何度も崩れそうになったし、金槌で指を打ちそうになったりもした。そうこうしていると木材も少なくなってきて結局中途半端なままでその日の作業は中止となった。
「お疲れ様でした」
ユラがそう言い私に水を渡してくれる。
「ありがとうございます。それにしてもやはり難しいものですね。経験者が一人でもいればもう少し効率の良いことができたのでしょうが……余りお役に立てていない」
正直、午前に心に決めていたことが折れそうになっている。男手というものが必要なのはそうなのだが、片付けでも大工仕事まがいのことでも今日だけで私は彼女に多数回助けられた。私が居ることで逆に彼女の邪魔になっているのではないかと自己嫌悪染みた女々しい気持ちが心の荒野をのさばっているのだ。
私のそんな気持ちが顔に出ていたのか、彼女は目尻を下げて励ますように口を開いた。
「いえ、役に立っていないなんてことは有り得ません。貴方のお陰で今日だけで私達だけでは不可能だったまでの修繕をしてくれました。それに……ミーちゃんが貴方を連れてきてくれていなかったら、私は生きていたかどうかも怪しい。言うなれば、命の恩人なんです。貴方が居てくれないと……その、寂しいですし」
最後の方は若干声が小さくなっていたが私の耳にはしっかり届いた。慰めるために言ったくれた可能性もあるが、こんな美人にそう言ってもらえるのは男として嘘でも嬉しいものだ。照れた顔を見られるのも恥ずかしかったので、私はどもりながらも話しの切り替えを図った。
「そ、そう思えばミラを見かけませんね」
「え……あっ、はい。確か朝早くから木の実を取りに行くって言っていましたから、近くの広場に行ったんだと思います」
「そうですか……」
話が途切れて気まずい空気が流れ始めたのを肌で感じる。こういうものを軽く流せるような男を大人と言うのなら、私は何時まで経っても大人になれそうにない。
居心地の良くない無音が物悲しい時計の秒針に数えられる感覚に陥る。ユラは自分のコップには手を付けずにこちらの飲水を慈愛に満ちた目でじっと見つめている。まるで私は大きな子供にでもなったような気にさえなってしまう。あまりにも堂の入ったその姿に気恥ずかしさのようなものを感じ、誤魔化す風に手元の水を大仰に煽った。
「ただいま」
成人も過ぎた男がみっともなく狼狽えていると、建て直していた扉が開口され、そこから可愛らしい少女が顔を覗かせた。眠たそうな上瞼の下がった彼女が私には女神様であるように見えた。これは空気を変えるチャンスであると考えた私は、ミラに見向き、話題を彼女に差し替える。
「お帰りなさい。朝早くから出ていた様だけど、何か用事があったのかい?」
「……いえ、あの」
ミラはこちらを幾度もチラリと伺うとその都度顔を下げる。優しくも口下手な彼女はどの言葉が最適か戸惑っているらしい。この場合、ある程度落ち着いてもらうことが重要だろう。そう結論づけると、座っていた椅子から年季の篭った音を立てながら立ち上げると、ミラの頭の旋毛の部分を流れに沿わせる形を意識しながら撫でた。落ち着かせるためとはいえ婚前の少女の髪に容易く触れるべきでも無いのだろうが、昨日も散々触ってしまっているし、この方法以外に代案もなかったため致し方ない。それにミラも目を細めて心地良さ気でもある。
「……あの、実は……広場の木の実……一杯採ってきたの」
外に出していた首から下を露わにすると、その簡素な白のワンピースの腹部は妊婦の様に膨らんでいた。ミラは首元から服の中に手を突っ込んで赤色の瑞々しい果実を取り出すと、それを自身の服で数回拭いて私に差し出した。私はそれに感謝を告げるとその実を皮ごと口に含む。
「お、これは凄く美味しい」
大量の水分が口内で弾けた。
その不思議な感覚に一度開いた口が二回、三回と言う事を聞かなくなったかの如く大口を開けてそれに齧り付いた。私が今まで食べていた樹の実とは一線を画している。芯のギリギリまで下品にしゃぶりつきながら食べ終わると、タイミングを見計らってユラがこの果実について教えてくれた。
「これは、リシャンタの実というものです。主にこの夏から秋にかけての時期に収穫されるもので寒さに強い果実なんです。食べてもらってわかってもらえたと思いますけど、さっぱりとした水っけと特有の甘さと酸味が特徴です。」
「そうなのですか。とても素晴らしい果実ですね。」
「ふふ、それでも夏の暑さや害虫などに弱いそうなのでこの村でも広場の分しか作られていないですけどね。」
全て受け売りなので偉そうなことは言えませんがと付け足し微笑むユラに目尻を下げながらも、私はこの果実に大きな可能性を感じ、考えが頭を駆け巡らせる。自分が普段口にしていた木の実は硬い外殻に包まれたものだったり、毒を抜くために天日干しにして水分が抜けた干し物などが一般的であった。それがどうだろうか。このリシャンタの実は使い様によればこれだけの水分を蓄えているのだ。腹を満たすだけでなく、喉を潤すことも可能だろう。それだけではなく、蜜を絞れば調理などにも便宜が効くはずだ。
そこでハっと思考を戻す。大きな瞳が自分を捉えているのに気付いたからだ。採ってきてくれた彼女は私をじっと見上げ口を開く。
「採ってきて……良かった。」
そこには少女らしい歳相応の笑顔があった。
ミラが採ってきてくれていた果実は半数は冷暗所に確保され、残りの分は夕食に使うらしい。
ユラは調理が得意なようで数少ない調理器具を色々な方法を用いて代用していた。調理に見識のない私は黙ってミラを膝に乗せて腹を満たしてくれる料理を待つ。早朝から活動していたミラは眠そうに目を擦っていたが、少し横になるかと提案すると料理を食べてからにするとのことだ。ユラの料理は睡眠欲よりも食欲を強くさせる腕前なのだと勝手に解釈する。
「お待たせしました。」
いつの間にか調理を終えていたユラが私の前とミラ、そしてユラの席の前に皿を並べた。目の前に出された料理は独特な甘さを放っている。鼻を近づけると、それは更に強くなり鼻腔が擽られて口腔の最奥から止め処なく唾液があふれた。目線を上げると、ユラと目が合う。
「昨日から碌なものを作って差し上げれていなかったので、今日は調味料も奮発しました。遠慮せず頂いて下さい。」
「あ、ありがとうございます」
少し吶り(どもり)ながらそう言うと、私はリシャンタの実を半分に切り中身をぐちゅぐちゅになるまで熱されたそれに匙を差し込んだ。すると、中から熱気が漏れて香りが強まる。身悶えるような熱をそのままに口に頬張る。まずは舌に実以外の甘さが伝わる。私好みの味付けに少々驚愕する。しかしそれだけでなく、奥歯で噛みしめると心地の良い酸味が鼻から抜けた。こんなに美味しい物を食べたのは初めてかもしれない。
「食べさせて……」
膝に乗したままにしていたミラがそういうので匙をミラの皿の料理に差し込み口元に運ぶと、ミラも口元をだらし無く緩ませた。
楽しい時間はそこから暫く続いた。




