ローナル国 8 ※ミラ視点
私は心因的な病のせいで言葉が真っ直ぐ出てこない。それは幼い頃に父親らしき人から受けたストレスが大きく関係している。母は知らないと思うが、父は何かあると私に何でも当たってきていた。どれそれが自分の言う事をいかない。なになにのせいで自分まで被害を受けた。当たる理由は多種多様である。私はただただスイマセンと何に対してかも分からずに謝るだけ。物心ついた時には頭では言葉が浮かべられるのに口外にそれが出て行くことはなくなっていた。
「こんなこともわからないのか!」
それが父の口癖だった。
その人は自分の研究資料を声高々に発表して失敗を繰り返している。私にそんなものを見せられても内容が理解できるはずもなく、お前も研究所の奴らと一緒で無能だと罵倒してきた。私はその頃には抵抗も反抗もなくはいはいと言うだけだった。それが父を更に追い詰めていたとも知らずに。
父方の実家に越してきてから少しした頃。前よりも酒癖が悪くなり、公に暴行などもし始めていた父の姿に私は絶望も失望もなく、大人というのはこういうものなのだろうと考えだしていた。余所者である私の相手をしてくれる大人も子供もいなかったからこっちに来てから毎日は暇という言葉だけが通り過ぎて行く。転機が訪れたのはそこからまた少ししてのこと。父が病に倒れて死んだ。嬉しさも悲しさもなく、ただ邪魔な人がいなくなったという思いが強かった。母もあの人に愛想が尽きていたのか死んだ時も真顔だった。これから母と二人で生きていこう。私はそう考えていた。
そんな甘い考えは、一瞬にして崩された。気が強いだけで指導力もない村長がヘーガー小国に喧嘩を売ったという噂が流れる。その噂は事実であり、現にその後村は大量の兵士に囲まれ、女子供だけを残して労働力になる男は全員連れだされていた。しかも無駄に村長や数人の人間が抵抗したせいで関係のない人たちまで巻き込み、終いには、村全体はボロボロの廃村のようになった。村長は足早にこんなところで住めないと言って、贔屓にしてもらっている他の村に居を移していたが、お前の責任だろう責任取れと誰しもが思っただろう。私はその争いのせいで柱の下敷きになっている母の前で右往左往していた。私の力ではどうにも出来ない眼前の情報に戸惑い、今までで一番焦っていた。どうすれば助けられる。助けを呼ぶ?誰に?纏まらない考えは負の方向にしか進まない。
「待ってて……助けるから」
もう意識の飛んでいた母にそう残すと、私は村中を駆け抜けた。目の端々に写るのは自分たちと同じような状況の人たちばかりでとても話し掛けれない。どうすればどうすれば。焦燥感から視野が狭くなり涙が出そうになる。しかし泣いている暇などありはしない。私はもう一度、探していないところがないか足を進める。すると、奇跡的に彼を見つけた。肉付きの良い健康的な身体。そして旅人と思われる外套やらを着込んだ姿。頼るならこの人しか無いと思った。私は即座に近寄り、彼に一言助けてと伝えた。彼は私を勘違いしていたようだが時間がないので有無を言わせずに手を握って連れ出した。彼はそれを振りほどくこともせずに付いて来てくれた。
出会いはこんな感じか。あの出会いは私の生きてきた中で一番の思い出。私の真の父親になってくれるのはこの人を置いて他にないと思うようになったのが何時だったか。もう記憶にもない。気がつけば彼に近寄ってこの人は自分のものだと擦り寄るようになっていた。母も彼が気に入っているようなので、私の中では都合が良かった。色んな所を回るに連れて母が女を出して行っているのは見ていてとても滑稽だったが、彼が相手なので仕方ないと結論づけた。だからこそ彼を手放したくない想いは私も母も同じ。そう思っていた。しかしあの盗賊を前に出ていこうとする彼を母が止めれないところを見て、私は失望にも近い感情を覚えた。私の手が彼を止めた。母は私ほどに彼を想っていない。冷めた心がそれを感じる。
「おかあさんは……大人の役割……ちゃんと果たした。……わがままを言うのは、子供の役割。」
あの言葉は本心でもあるが、母に罪悪感を持たせるために言った。母も薄々は気付いていたのだろう。自分が彼よりもキニーガの里を優先してしまっていたことを。俯く彼女を見ると正解だったことを確信する。この女に彼を任せるべきではない。どす黒い気持ちが脳内を駆け巡る。しかし私はまだ彼と愛し合える年齢ではないし、彼もそんな気を起こしてはくれない。彼を縛り付けるためには母の協力が必要不可欠であることは間違いない。歯痒いが今は我慢のときだ。地道な方法で作戦を立てる。まずは資金の確保。これは自分にプログラミングの才能があった御蔭でどうにかなる。次に彼をどうやって束縛するか。メロルとも直ぐ仲良くなっているところを見ても彼の魅力は絶対的だ。ならば逆に、ハーレムでも作って倫理観を壊し、私も愛してもらえるようにすればいいのではないか。とても素敵だ。目下の目標は如何に快適に彼を感じさせられるかだ。彼は現状に満足していない。申し訳無さそうな顔は見ていると、胸の奥のほうがきゅうと締まる。助けなくてはいけない。
彼がレジェノに単独で行くといった時、私はショックで声が出なかった。一番して欲しくなかった選択を彼が選んだのだと思ったからだ。悠長に作戦だの言ってはいられなくなった。冴えていた私の頭が最近流行りのボッタクリバーを思い出させたのは幸運だった。あの詐欺集団は、研究所の研究員データを偽装のアカウントで侵入してルートをたどって入手し、その弱みに漬け込んで相談にのるふりをして酒を飲ませて財布を引き抜くという古典的なものだったが、今は都合がいい。彼がお金に困れば私達に頼らざる得ない。そうすれば律儀な彼は私達にお金を貸してもらうという体を取る。それにものの貸し借りをするときには資料の提示などが求められることが多いので、その資料のデータを改竄すれば彼と家族になれる。そうすれば彼の心を一時的に縛ることは出来る。
私の行動は早かった。彼が母の言葉を聞いて去るのを見ながら、無断で取ってきていた小型端末を使って詐欺集団が利用している裏サイトを必死こいて探し出し、彼の情報を投下した。
「今は我慢の時……行動を起こすのは、今じゃない。」
物思いに耽っていた母にそうはいったが、私は上手くいくかわからないという不安の気持ちが心を埋め尽くしていて、その言葉は実は自分に言い聞かせるためのものだった。その言葉に反応してくる母に勿論要所要所は教えていないが私の作戦を教えたのも不安を減らしたかったからだろう。作戦の成功を知ったのは翌日の早朝。犯人たちも捕まる前に役目を終えてくれたようである。私はニヤけそうになる顔を隠しながら彼を慰め、母は作戦の前哨戦として彼に宿屋代を貸した。
彼が寝付くのを確認してから私達は行動に走った。まずは、役所に赴きチケットを購入した。その時に必要となる資料に購入者は彼に設定して私達はあくまでも彼にお金を貸して払ったことにしておく。その際に間柄を聞かれたので家族であると答えてデータベースに登録させた。これによって、この国では母が彼の妻であり、私が娘であることになった。母が妻であるのには不満がないわけでもないが、これも彼を縛るためであり仕方がない。そこからは別行動ということになったので、母は店に、私は研究室に向かう。
「おはよう」
親しげに挨拶してくるメロルに最低限の挨拶を返して私は奥の部屋に隠れた。手前の部屋で資料整理をしているメロルを確認してから、昨日行ったことの後始末をする。証拠隠滅は時間がかかったが、もしバレたとしても私のような幼い子供が犯人だなんて誰も気づかないだろう。全てが終わりほっと一息ついた所で彼の声が聞こえた。私は胸が高鳴るのを感じる。一つ扉を挟んだ所に彼がいると思うと身体が火照りいうことを効かなくなる。ゴクリと生唾を飲んでから扉を開ける。
「おとうさんは……何も、悪くない。おとうさんが困っているなら……なんでもする……遠慮なんかいらない。」
といった時の彼の顔はとても朗らかでこの世に彼と私しかいないような錯覚さえ覚え、思わず体を擦り付けてしまう。その後の頼らざる得なくなったら頼るよという言葉には、全身に電気が走るような感覚があり、頭を撫でられていることもあってビクンと身体が痙攣を起こしたが、それは心地の良いものでいつも無意識で標準搭載の無表情は自然とだらしない顔に変化する。そのあと彼はメロルと会話をしていたようだが私はそれどころじゃなかったので幸福な余韻を楽しんでいた。
話の済んだとばかりに研究室を出ていこうとする彼を見て、漸く気を取り戻した。慌てて彼の上着を掴む。
「これ、リーダーから……預かった。」
彼がリーダーに会いに行ってしまうと私達がチケットを買ったことがバレてしまうのでリーダーは今日時間がなく、このチケットはリーダーが買ったことにした。そしてそれを私達が買い取ったと。彼は一片の疑いもなくお礼を言い返済を約束してくれる。私はやはりこの人が自分には必要であることを再確認してマーキングでもするように体を擦り付け、その男臭い彼の臭いを堪能した。
私の役割はここまでだ。
後は母が彼を追い込んで旅費を押し付けてくれれば上出来である。母が無駄なことをしなければよいが思いながら抱きついていた時に彼のポケットから拝借した中身の空になった財布を鼻に近づけて臭いを楽しんでいた。母が彼にキスをしたというのはその後に聞いて腸が煮えくり返りそうになったが、この財布の御蔭で暴れずに済んだ。これには鎮静効果があるのかもしれない。私は彼の帰還をキーボードを叩き、貯蓄を増やしながら待つ。それが長い歳月になるのをこの時の私は知る由もない。