ローナル国 7
メロルにそう肩を落とすなこんなこともあると慰められていると、仕事のために来ていたミラが奥の個室からこちらの部屋に入室してきた。私はミラに心配をかける訳にはいかないと思い、背筋を伸ばすようにしたのだが、ミラには既に詐欺の被害にあったことを伝えてあるので今更感はある。とことこと可愛らしい足取りで私に近寄り、足に抱きつくと口を開く。
「おとうさんは……何も、悪くない。おとうさんが困っているなら……なんでもする……遠慮なんかいらない。」
だって自分は貴方の娘だからと言ってくれる。泣きそうになるほどに嬉しい。なんていい子なんだと今直ぐにでも抱きしめたくなる。しかしここで彼女に抱きつくということは全面的に頼らせてくれと言っているようなもので、大人としてそれに応じるわけにもいかない。私はありがとうと彼女に言ってから頭を撫でた。不服そうではあったが、それも最初だけである程度撫でていると自然に目を細めていた。子供というものは大人に対して過敏に反応することが出来るというのを何処かで聞いたことがあるが、この子も私を子どもという目線から細かい差異を見通しているのだろう。
「頼らざる得なくなったら頼るよ。」
そういうといつもの無表情を少し変化させて喜んでいた。こちらも顔がにやけてしまいそうになる。
いかん、本題を忘れるところだった。今日はメロルにこの国を出ることを伝えに来たのだった。詐欺集団の件のせいで危うく忘れてしまうところだった。私はミラの頭から手を退けて名残惜しそうな顔をするミラに心を痛めながらもメロル出国のことを説明した。すると彼女からはこの子たちはどうするのと尤もな言葉が帰ってきた。ここで言うこの子たちはどう考えてもミラとユラのことで、未だに私達を家族だと思っている彼女にとっては私が出て行くイコールミラという大事な研究者が消失することにほかならない。私は彼女にまず彼女らと自分が家族ではないことを伝えた。彼女は驚きながらもそうかと返し、近くにいるミラにチラリとだけ目を流してから私の目にもう一度視線を合わす。
「そもそも彼女たちの働けて暮らせるところを探していたんだ。ここは、彼女たちにとってとても暮らしやすい場所なのは見ていて凄く分かりますし、私の役割はここまでかなと。」
本心をそのまま口から吐き出す。彼女たちを預かった時、私は何よりも二人の責任を背負う事を心掛けていた。二人が問題を起こせば私の責任であるし、何かに巻き込まれたりしてしまってもそうだ。幸運なことに二人は問題を起こすような人間じゃなかったので、そこまで苦労をさせられるようなことはなかったが、それでも大事な責務である。その責務を今はもう果たせている気がしない。寧ろ二人の今後を考えると私という不確定要素は排除していたほうが将来のためだ。
「私用でレジェノに行く予定なんですが、私一人で行くので諸々は気にしなくても大丈夫ですよ。」
メロルは食い下がるようにだがと言ってからミラの方に視線を移したが、無表情を崩していないミラに戸惑い、彼女は私が口出しするようなことでもないかと自虐的に吐き捨てる。ツンツンとした口調とは別に優しさが篭っているのは彼女が思い遣りの出来るいい女と言うやつだからだろう。
「アンタがそれでいいなら私から言うことはないわ。お疲れ様。」
彼女はコップを持ち立ち上がると奥の部屋に行ってしまった。素っ気ない風を装っていたが動揺している感じなのは何となくわかった。気を悪くさせてしまって申し訳ない。そうは感じるが、これは必要なことだったので仕方がないかと諦める。次はリーダーにでも挨拶に行かねばと踵を返すと、私の上着はグイと引っ張られる。それはまるでミラに初めて会った時を想起させて感慨深い気分に浸る。今回の相手もミラである。ミラは隠し持つように持っていた紙切れをこちらに差し出す。
「これ、リーダーから……預かった。」
受け取ってみるとそこには今日の便の時刻が刻まれた送迎屋のチケットで目的地はレジェノになっている。リーダーが気を利かせて購入しておいてくれたのだろう。でも私はお金を彼に預けていたりしたわけではないので、お金はどうしたのかとミラに聞くと、私が払っておいたと言う。私はそうだったのかすまないが返済には時間が掛かると言う。彼女はそれに対して気にしなくとも家族なのだから何時返してくれても構わないと言い、甘えるように体を擦り付けてくる。最近はこれにハマっているようだ。それにしても何故このチケットをミラが持っているのかと疑問に感じたが、どうやらリーダーは仕事で少し出ているらしく、比較的近いこの研究室によく居るミラにそのチケットを渡して彼女は代金を支払ったらしい。こんな小さい子からお金を受け取るのにリーダーも良心を痛めつけられたことは間違いない。変な笑いが出そうになったが、丁度いい事を聞いた。リーダーに会いに行っても今はいないということがわかったので、私はそのチケットを手にミラからの抱擁を解き、出国の準備をするため入出国管理を行う役所に一人で向かう。
ミラは仕事しているというと奥の部屋に消えていったので、彼女も自分のやるべきことに責任感を持ち始めているのかもしれない。そう考えると感動してしまいそうである。
地上一階に目的の役所はあった。
久しぶりに地上に出てきたという感覚はあまりしないが、身体はちゃんと気付いているようで、自然の太陽光に肌が喜んでいる。通気口を伝ってくる空気じゃなくて自然が運んでくる空気というのはものとしての違いはなくても完全に別物である。鼻から吸い込み口から吐き出すと体の中が一新されたような感覚に陥る。長々と深呼吸をしているわけにもいかないので、切り良く終わらせると役所の門を潜った。中には紙をバタバタと運ぶものや案内をする者、順番を待つものなどそれぞれだ。私は取り敢えず案内の人に出国手続きが何処でされているのかを聞き、指定の場所まで連れて行ってもらうと、大きな行列の最後尾に並ぶ。
それにしても色んな人がいたのだと感じる。じっくり見ても失礼に当たるのでチラチラと辺りを見ていたのだが、肌が白い人黒い人、目が黒だったり青だったり赤だったり。民族衣装を着衣しているもののいれば、何処の国でもいいようなフォーマルな服の人もいる。
「次の方どうぞ。」
人間観察していると私の順番は遠くない間にやってきた。受付の女性の前に立ち自分の名前を告げて出国理由とその後の交通手段を私の前の順番の人達がやっていたようにやる。我ながら不足もなく言えたと思っていると、受付の人がデータベースを弄りながら、奥様と娘様がいらっしゃるようですがご一緒ではないのですかと聞いてきた。何故かデータベースには私には妻子がいるという誤った情報が載っている。敢えて言及してこなかったのでむこうの管理の人が勝手にそうしたのかもと結論づけて、困ることはないし説明するのも疲れるので私はそうですと返した。受付嬢はそれではそのようにしておきますねと締めた。
「んー」
堅苦しい雰囲気のあった役所から出ると無意識に気が緩み、私は腕の筋を伸ばすようにして骨を鳴らす。腕をぐるりと回すと、またもやぽきぽきと小気味よい音がして固まったコリが解されているような気になる。それよりも予定よりも早く終わったためまだまだ出発時間まで時間がある。ユラの仕事先にでも食事がてら挨拶しに行こう。もう大分乗り慣れたエスカレーターに乗って地下一階に行き、飲食エリアを中部まで突っ切ると、目的のお店に到着する。私達初めてここを訪れた時とは違い、店の前には待ち行列のできている有名店になっていた。元々料理はピカイチに美味かったので、ユラの宣伝対策が上手く働いたのだろう。急ぎでもないし、並ぶかと最後尾に並ぼうとすると、私の手が何者かに掴まれた。
「こっちに来て下さい。」
引っ張られるがままになると、その手を引いているのがユラであることに気付く。ユラは私人気のない路地裏に連れ込むと、急に振り返り抱きしめてきた。突然のことに呆然としていると、彼女は顔を近づけてきた。
「貴方と離ればなれになると思うと、胸が引き裂かれそうな気分になるんです。けど、我慢出来ました。ミーちゃんの作戦は絶対に上手くいくって思ってましたから。」
ユラの抱き締める力が増す。彼女が何を言いたいのかさっぱり理解できないが、彼女が興奮状態にあるのは分かった。いつもの優しい眼はドロドロに焦点があっていない。吐息は熱く身体も熱を帯びている。私の鋭くはない危機察知能力が悲鳴を上げる。ユラは逃げ出そうとする私を尋常ではない力で抱きしめて抑えてまま、私が壁に背中を預けるような体勢になるように促した。
「知ってましたか?お金の貸し借りって結構面倒くさくて大体は本人の了承がなければ出来ないんです。そう、家族でもない限り。」
森で狩っていたジャレーノなど目ではないほどの気迫に私は腰の力が抜けて尻餅をついてしまう。ユラはそれに覆いかぶさるようにして私の頬を愛おしそうに触れる。私は鳥肌が立っているのを感じる。
「挙式は上げてませんけど、書類上は私達は愛し合っています。この国では私達は正式に夫婦になったんです。だから、絶対戻ってきてくれますよね。私達を置いて逃げるようなまね……しませんよね?」
彼女の目には一筋の光も伺えない。私が軽く考えていたことは彼女にとってとても重たい意味を孕んでいたみたいだ。私の頬に触れる手のひらも気を付けなければ分からない程度だが、プルプルと震えが走っている。彼女の覚悟を感じた。私もそれに応えるべきなのだろうか。そういう考えは頭に浮かんだ。しかしこんな流されるような形で彼女と更に深い仲になるべきではないことぐらい私にだって分かる。私はユラの肩を掴んで少し押してから言葉を紡ぐ。
「気持ちは分かった。けど、私はまだ結婚なんて理解が追いつかないし、この流れに乗って流されるままにユラと関係を結びたくない。だから―」
続きのセリフはユラの唇によって防がれた。時間にしてみれば一瞬の出来事だったが、体感としてはとても長く長く感じられた。そして口を離したユラは微笑んでから一言だけ信じていますとだけ残して、その場を去っていった。