ローナル国 5 ※ユラ視点
宿屋に帰った私は予約していたカプセルの中で、ミラを抱きしめながら少し前の記憶を回想していた。
私が彼と初めて出会ったのは私がまだヘーガー小国の攻撃により倒壊した家の柱の下敷きになっていた時だったと娘は言っていた。意識がある状態で初めて対面したのは私が崩れかけのベットから目覚めた時だ。私の目が開く丁度その時に開かれた扉の先に娘であるミラと見知らぬ男が目に入り、この人はだれかと考える前にミラが私に抱き着いてきて、私は考えることを一時停止していた。
落ち着いてからは兎に角彼にお礼を言わなければと思い近付く。しかし冷静に考えてみればこの歳で泣きじゃくる姿を見られていたと考えると恥ずかしさが込み上げて頬が上気してしまう。
「私はユラ・ノーマンと言います。娘はミラ・ノーマンです。」
照れが出てお礼を言うどころか勝手に自己紹介の言葉が口を出る。彼はそれを何の疑問にも思わないようにそうですかと返すと、次に慌てたようにしながら彼も自己紹介を行ってくれた。絶対にこの人は悪い人じゃない。私の中に確固とした自信が生まれる。身体は大きく顔も少し厳しいような印象を受ける顔付きだが、その中にも紛れるように優しさを感じる。私は警戒心を解き少し笑いながら、律儀なお方ですね。ミーちゃんは良い人を選んでくれたようですと言うと、彼は恥ずかしくなったのか頬を緩めるような子供っぽい表情を見せ応えてれた。その表情に母性が揺り動かされるのを感じながらもこちらも笑顔になる。そんな様子を見たミラが私も構ってと妬いていたが、彼に撫でられている娘に嫉妬のようなものを覚えていた。
それからどこから来たのかだとか、此処には何で来たのかだとかどうしようもない下らない質問を彼に問いかけてしまったが、彼は嫌な表情一つしないで真面目に回答してくれた。ここで人見知りのしやすい私が彼に果敢に質問できたのは、単純な興味だけではなく話し掛けていないと何処かに行ってしまうのではないかと心の底で考えていたからなのかもしれない。
「これからの予定はもう決まっているんでしょうか。」
こんな直接的な言葉が出たのも自分では信じれなかった。彼はなにか勘違いしていたようだけど、その場で予定は決まっていないので出来る限り協力すると言ってくれた。欲しかった言葉をもらえて安堵した心で私は改めて深く頭を下げて彼に感謝を伝えた。頭を上げてくれと困っている顔をして言ってきたが、その顔が更に私の心を揺さぶって更に頭を下げそうになる。しかし流石にそれは彼に迷惑をかけてしまうことになるので頭を上げた。
その後の日も片付けを手伝ってくれたり、家の修繕をしてくれたり、料理を美味しいと言って食べてくれたり、家にまで来た村長達に対して言い返してくれたりと感謝してもしきれないほどのことをしてもらった。第一印象から好意的ではあったが、一緒に暮らす中でその好意が大きくなっていくのを自覚せざる得なかった。死別した旦那と比べてもどちらのほうが好きかと聞かれれば即答できてしまうほどだ。前の旦那は、結婚当初はそんなことはなかったが、リバロー村に越す少し前からは酒狂いになって暴力癖が付き、気に入らないことがあれば手を上げるようになっていた。そこには毎日図書館に通い私にアプローチを掛けてくれていた一生懸命で誠実な男の姿はない。何より娘に関しては無関心を貫き、父親らしいことは一切していなかった。私が彼を好きだと思えなくなるのも時間の問題だった。
その点目の前の男はどうだろうか。何の関係もない私達親子を助けて見返りの一つも要求してこない。それに前の旦那の話などされても面白くもないだろうに、文句もなく質問を交えながら愚痴を聞いてくれるのだ。こんな善人が世の中にいるのかと思うと世界の広さを感じる。
この人とならやっていけるかもしれない。そんな気持ちがあったから村を出る提案も即刻了承した。実際にその選択は今でも間違っていなかったと思っている。村にあのまま引き篭もっていてはあの謎の集団の襲撃で命を落としていたかもしれないし、キニーガの里の人たちで出会うことも出来なかった。彼処で学んだ知識は今でも大事なものだし、彼の子供っぽくムキなっている稽古風景を影から覗くのはとても楽しかった。狩りに出掛けて大物を捉えてきた時の自慢気な顔なんて愛らしさでどうにかなってしまいそうなほどである。里の人達も裏で彼は良い人だと絶賛していた。何故か私が自慢気にそうでしょうと答えていたが、それは彼には秘密である。キニーガの里には安らぎがある。穏やかな自然と温かい人々、そして隣で不器用な笑顔を見せる彼。私にはここで永住したいとさえ思っていた。
しかしそんな希望は幾ばくかの月を跨いで崩れる。
私達が住む部屋を借りていた家のリガールの息子のリノアと言う男がこの里の情報をどこかに売ってしまったとの事だった。彼はそれを同行していた顔色を悪くしたリガールとともに伝えた。何度も謝罪を繰り返すリガールを諌めながらも、優しい彼の瞳には共に戦おうという意志が込められているのは端から見ても分かった。当然私もミラを庇いながらでも協力しようと考えていたためノワラルの言葉には呆気に取られてしまった。彼も同様の表情をしていたため同じ気持だったのだろう。しかし私とは違い、苦しい表情をしながらもノワラルの里を出てくれという意見に対して英断を下してくれた。だからこそ、道中で遭遇した盗賊団に対し彼が飛び込もうとした気持ちは無下には出来ないものだった。そんな彼を止めたのは私ではなく、娘のミラだった。
「おとうさん……死んじゃう……やだ」
この一言を聞いて私ははっとなった。一瞬でも私は彼よりもキニーガの里の事を優先したのではないか。娘の中では父親という存在がどんなものよりも上位に存在していた。私は自分の娘より彼を想えてはいなかったことに歯痒さと後ろめたさが渦巻いた。声を殺して泣いている彼に失念に囚われている私は何も言わずにただ見守ることしか出来なかった。こんな暗い気持ちでいつまでもいるわけにもいかないと考えていた私はローナルに着いてからは空元気を出して二人に声を掛けたが、空回りしていたのは間違いない。
彼と分かれて娘と二人っきりになっても私の気は沈静化することはなく、終いにはミラに無理しなくてもいいとまで言われた。彼女には私の心がわかっていたのか。それは分からないがあの見通してような目は察しているとしか思えない。
「おかあさんは……大人の役割……ちゃんと果たした。……わがままを言うのは、子供の役割。」
そんなことまで言うものだから私は何も言えずに只々俯いてしまう。
宿屋は割りと直ぐ見つかった。露店をしている店主に尋ねると場所を直ぐ把握できた。しかしそこで一つ問題が発生した。地下二階に行った彼に連絡する手段がないのだ。考えることが沢山だったのでそんな単純なことにも気づかなかった。仕方ないので迎えに行こう。私はミラの手を握ってエレベータのエリアに戻る。そこで目にしたのは若い女と二人で歩く彼の姿だった。
「……誰、あれ。」
自分のものとは思えない声がお腹のそこから溢れ出た。客観的に見てもこちらに気づかず歩いている二人は気の合う友人のような雰囲気しか醸しだしていないが、彼が知らない女と歩いているのを見ると無意識に力が入り、ミラの手を強く握ってしまう。逆にミラは私とは対称的に普段しないようなニヤけた顔をしていた。
「フフ……とっても素敵……おとうさん。」
娘の考えは読めないが、彼が素敵であることに関しては同意である。
彼らに追従するように宿屋で正面から出会うと彼女が彼を狙っているわけでないのを女の勘で悟り安堵したが、それまでは胸を締め付けられるような思いをさせられたので軽く意地悪でもしてやろうと思っていた。けれど、彼に当たるのはお門違いである。私は納得したわけではないが、納得したふりをした。それに騙されている彼も可愛らしいので満足でもあった。
その次の日にまたあの女に会いに行くと言った時は、不思議と嫉妬心は沸かず彼を見送れた。私にも重すぎる女と思われたくないという気持ちがあったのは否定できないが、あの女は彼に恋愛的なものを感じていないのはなんとなくわかっていたのでそれのお陰もある。
それから日々は面白みもない。一緒に御飯などに行ったりしたが、彼は仕事に向かうことが多くなっていった。ミラはメロルに才能を認められて特殊な仕事をしている。技術力のいる仕事というのは基本的に給料が高い。ミラは高い収入を得ることで彼に貢献していた。意図的に自身を必要な存在だと彼に思わせようとしているのは敏くない私でも分かる。私も仕事をしなければ。義務感みたいな気持ちが湧き上がり、結果としてはそれが彼を不安に陥れていた。
私や娘が仕事に慣れ始めていた頃。彼の様子がおかしいのは解りづらいが、私には分かった。彼の口から私は役に立てていないなと弱音をこぼされている。直接的に私に言う事はないが、一人でボウとしている時に呟いているのを暇な時間さえあれば見守っている私は知っている。私は一度それに対して気にしなくてもいい、貴方が私達のそばにいてくれればと言ったが、効果はあまりなかった。
そして今回の発言だ。
確かにレジェノの兄が心配な気持ちもあるだろうが、彼が私達から巣立とうとしているのは明確であり、そんなことは絶対させたくなかった。一緒に居たいと思っていたのは私だけだったんですねというのは卑怯な言葉だとは思ったが彼を引き止めるために手段を選んで入られない。彼の心の隙間にその言葉がへばり付くのを切に望む。
回想はそこで途切れた。
私があんなことを言ったのは彼を手放したくないからに他ならない。そのためにならどんなことだってする。私はミラを決意を改めてから強く抱擁すると、ミラは顔を上げて私に語りかけてきた。
「今は我慢の時……行動を起こすのは、今じゃない。」
小さな自分のお腹を痛めて産んだ娘は、いつの間にか私の預かりしれない所に足を突っ込んでいたようだ。幼き天才はきっとずっと先の未来にも目を向けている。その彼女がそういうのだから私が口を出すべきではないのかもしれない。けれど。
「我慢なんて、もう」
反論が口から落ちる。ミラはそれを予期していたように手で制して、勿論考えはあるといつもの無表情で告げる。その内容はあまりにも気の遠くなるようなものだったが、私は勢いに押されてそれに同意してしまった。