旧メナカナ高原 3
部屋を荒らしたことに罪悪感を持ちながらも後ろ手に扉を閉め、庭に戻る。すると、急に足が地面に縫い合わされたように動かなくなった。意味がわからず動かそうとするが、一切微動だにしない。相手をその場に縛り付ける魔法と言うのは、結構初期の段階で習う系統であるが、ここまで強力なものは今迄見たことがない。唯でさえ見た目にも地味なのが相成り、あまり特化されない分野であることもある。学校の講師でも発展技の基礎として習う程度のもので、抗えば動ける程度の軽度のものがほとんどだった。必死に足を動かすが動かない事象に焦りばかりが募る。柵の外に居るメケは、そこそこの距離があるため気付きもしない。もしこの状況で敵襲を受ければ、この場で惨殺される可能性もある。自分の協力していることはそういうことだとは、頭では判断しているつもりだったが、こう冷静に考える時間を与えられると、余計なところにまで思考が及ぶ。
『フォッフォッ、なんじゃ子供か。こんなところに何の用じゃ?』
動かない足場から声がした方へ目線を向ける。庭に建てられた簡易の石碑から溢れ出た半透明の何かがそこに存在した。実体はないのか質量感はない。赤い長髪を靡かせた女性。皺の刻まれた顔は、彼女がおばあちゃんと言って良い歳であることを証明している。だが、何故彼女はこんな存在で現実に留まっていられるのだろうか。噂でしか聞いたことのなかった幽霊というものであることは、まず間違いないとして、このタイミングで、しかもこの場所で現れた事には何かしらの意味合いが有るはずである。
「……全身に掛けられた呪術を解くための鍵を探しに来た。」
素直に答える。この魔女の家に立てられていたお墓は、伝説の魔女本人のお墓である可能性がとても高い。もし彼女が本人でないのなら、僕の生命線は此処で途切れることになるだろう。
答えを聞いた女性は、宙を漂い近付くと僕の肩を撫でた。全く感触を感じ取ることはなかったが、触診を行った彼女には症状が分かったらしく、半ば呆れ気味に僕にこれは小さな少年に掛けられたものだろうと問い掛けてきた。そう言われて、あの城で出会った不思議な少年を思い出す。彼の力によりあの覚醒の力を手に入れたのは、状況証拠から見ても間違いないと思われるので、彼女にそのとおりだと返すと、小言でカイの奴めと呟く。
『いやはや、つまりはお前さんはワシの孫にしてやられた被害者という訳じゃな。奴の被害者でワシのもとを訪れたのは、お前さんを含めても二人だけじゃわい。』
懐かしいことでも思い出したらしい老人は快活に笑う。とても死んでいるとは思えない溌剌さに、もしかしたら彼女は死んでいないのではないかと疑いたくなる程だ。元気そうな彼女は、一頻り笑うと僕にこの呪術について語ってくれた。この全身の痣は、僕が考えていた通り、呪術によるものだった。それも一般的に使用されている呪術とは毛色が異なる一級品。神の御業に更に近付けられた禁忌の業。コレには願いが込められているらしい。大切な人を守る力がほしい。それはまるっきり、僕が彼に望んだものと一致していた。彼は僕が願った力を本当に分け与えてくれたようだ。だが、この力には当然デメリットも存在する。自分以外の誰かの為にしか使用できないというのもあるが、多用すれば、僕のような凡人では直ぐに身体が崩壊する。身体のストッパーを完全に外す技であるらしいので、当たり前ではあるのだが、長時間の発動はおろか、何回も使用することさえ出来れば避けるべきものだ。それだけの代償を支払っても、名無しの英雄には手が届かないと考えると、自分が情けなくなるが、それも当然の話。元々の基礎が段違いに違う僕ではあの大物と比べるのも烏滸がましい事である。
『理解を進めているところ悪いのじゃが、この呪術は根本的に解呪することは不可能ではない。お前さんがこれと縁切りたいと言うのであれば、愚孫の行いでもあるし、直してやらんこともない。じゃが、これは云わばお前さんの願いで構成されておる。自分の命を賭しても果たしたい願いであったのなら、ワシはこれを直すことはせん。さて、どうする?』
制限が付き、その上で使い続ければ僕は何れ死んでしまうことになるだろう。だが、改めて考える。これがなければ、僕は少し前にもう死んでしまっていてもおかしくない。今死んでしまってもおかしくない状況。ならば、死期が多少上下するだけで、近い未来死んでしまうという結果は変わりない。だとすれば、僕はやるべきことを実行し、実を結ばせるまで足掻くまで。ハッキリとした意思を瞳に込めて彼女に返事を返す。
しっかりと汲み取ってくれたらしい彼女は、解呪の代わりに僕に一つの優しい呪術を掛けてくれた。それがどういう役割を果たすのか定かではないが、少なくとも害があるようなモノとは思えない。
「ありがとう……いつかこの恩に報いる日が来れるように努力するよ。」
捻くれた返事を鼻で笑う彼女は何処と無く嬉しそうであった。身内というものが姉以外に居なかった僕からすれば、彼女は実の祖母のように気安い感情を抱ける相手になりつつあった。彼女の方も意地悪な言い草とは裏腹に此方を気遣ってくれる素振りがちらほら見えた。あまり出そうとしないが、内面はとても女性なのだろう。こんな祖母が居てくれたら、僕も少しは変わっていたのだろうか。そんな幻想を抱いていると、庭の外、つまりは柵の向こうからメケの悲鳴が聞こえる。次の瞬間、地面深く刺さっていた柵が破壊され、砂煙が舞う。何かを引き摺る音共に黒いシルエットが段々と接近してくる。ハッキリと視界に写ったものは、槍を持った軽薄そうな男と、引きずられるメケの姿だった。
「やぁやぁ、少年、ババア。全くとんだ鼠が居たものだぜ。いや、穴掘ってるところを見るにモグラか?まぁ、どうでも良い。やっと見付けたぜ。ババア。」
薄ら寒い笑い方をする男は、メケを此方に投げつけてから最古の魔女を見遣る。荒っぽい口調の男に顔を顰める彼女は、何のようじゃとぶっきらぼうに訊ねる。すると、思っていたより呆気なく彼は、魔女を探していたことを話した。でも、彼は何故彼女を探していたのか。最大の疑問が残るが、彼女には分かったらしく、下唇を噛み締めながら悔しそうな顔をしていた。面倒だったと体現する彼に好戦的な態度を取り始めた彼女に、僕は手で少しだけ制すと、僕の方から口を開く。
「貴方がどんな人から指示されて来たのか知りませんが、此処に来た理由がわかりません。教えてはもらえませんか?」
下手に出て相手の様子を窺う。こういう輩は自尊心が強い人間が多い傾向にある。なるべく自分を下げるようにして聞くと、言わなくても良いことまで喋る可能性がある。案の定、彼はそういう人間だったらしく、言わなくても良いことを声高らかに宣言してくれる。
「へへっ、そんなに聞きたいのなら教えてやる。この女王様直属部隊先方である。俺様、ケレガレニウス様に与えられた女王様直下の命令が隠蔽されて実は見付かっていなかった魔女の家の捜索であることをよぉ!」
どっしりと構えて全てをネタバレするある意味大物がそこにはいた。ウチの情報網を持ってしても隠蔽できていた情報を彼はケロッとした顔でさらりと言ってのけた。絶対に言ってはいけない内容だったと思うのだが、ここまで口が軽くてよくもまあこんな大役に任命されたものだ。僕からしてみれば、状況が読めたので願ったり叶ったりであるが、この世界の根幹を成している組織の上層部にこういう人間が居るのかと思うと、とても情けない。外見からして戦いの腕は一流なのは分かるが、教養はないと言っても過言ではないだろう。
呆れているのもほどほどにして、僕は逃走用のルートをどうやって確保しようか画策していた。傷付いたメケは多少外傷が目立つが、致命傷は避けているみたいで、命に別条はない。だが、足にダメージを受けてしまっているため、移動するには誰かの補助が必要となる。この場合、現時点で僕以外にその役目を負える人間は居ない。つまりは、足止め役もなしに彼を振り切らなくてはならない。幾ら阿呆と言っても、彼も正規の兵であり、その中でも選りすぐりに選べられている特別な人間だ。どんな実力を隠し持っているか分かったものではない。
『フン、全く以てこのワシも舐められたものじゃわい。小童程度に捕まるほどワシも落ちぶれておらんわ。』
霊体しか持たない魔女は、身を躍らすようにして何もない空間から杖を出現させた。一目見ただけでもそれが完成された魔道具であることは読み取れる。魂だけになってもこれだけのものを出現させられるとは、やはり彼女は伝説たる所以なのだろう。しかし、それに対してケレガレニウスは冷たい反応を示す。
「……確かにスゲェモン持ってるな。けどよぉ、所詮は実体になりきれていない紛い物。そんなのに負ける道理はねぇーよ!」
疾風の如く魔女に接近する。彼女も焦りからかその場限りの急拵えで応戦する。目で逃げろと伝えてくる彼女に悔しい思いをしながらも、メケを担いで破壊された柵から逃走する。ケレガレニウスは、此方に気付いているようだったが、目の前の戦闘を楽しんでいるみたいで見逃した。背後で耳を劈くような轟音が鳴り響く。気にはなるが、振り向くだけの余裕も余力もない。今はひたすらにメケを安全な場所へ避難させることだけを考える。僕も腕を痛めているため効率よく運ぶことには自信がないが、折角彼女が頑張ってくれているのだ。その期待くらいには応えてみたい。
気をやっているため通常よりも重量のあるメケに悪戦苦闘しながらも家の見えないところまで移動させることにやっと成功した。疲労から腰を下ろすが、僕は一時だけ休憩を挟むと、またも腰を上げた。