トマーノヤ 13
重爺の鍛錬の結果、気というものについて知ることが出来た。先ず、それの正体に言及する話になるが、要領としては魔力と大した違いはない。唯、自然に発生する魔素と違い、人為的発生する気というものを使用する。気というモノは、人間や動物が動く時や思考する時に、発生するものであり、彼の流派では、その線をたどり先手を打って、結果を為す。簡単に言えば、相手に回り込んで行動を起こし、一見なにもないところを攻撃したように見えても、結果を伴うというものだ。明子の両親を殴った時も、二人の気を手繰っておき、その延長線上の場所をぶつ切りにした。そうすることで、本人にも被害を被らせた。この張り巡らされた線をたどるという作業は、簡単そうに思えるが、空間には様々な種類の気の線で溢れている。見えるようになればなるほどに、色々と応用できる代わりに、知識が必要となる。分かりやすく色付けでもされていれば、覚えるのも容易なのだが、そう一筋縄ではいかない訓練であった。私の修行結果としては、気の線を任意で必要最低限の物以外を見えなくして、実利的なものだけを扱えるように調節できるようになった。見え過ぎても扱いきれない私には丁度良い落とし所だと思う。ルルはと言うと、ほぼ完璧にマスターしたと言っても良い。様々な線を自由自在に操るさまは、見ていて完敗だと素直に認められる程であった。
修行はその時点で終了となり、私たちは彼の弟子として勲章を頂いた。正式な後継者として私たちは認めてもらえたということだ。完全に使えきれているのはルルの方だけなので、私は辞退しようとも考えていたが、彼に貰ってくれとまで言われたので、ありがたく頂くことにした。もう教えることもないだろうと、伝授し終えた彼は、寂しい背中を見せながら振り返ると、帰っていこうとした。だが、それは、上空から現れたメイカによって制止される。
「もう帰っちゃうんですか。あたし何も教えてもらってませんよ?」
普段と異なり、不気味な笑顔を貼り付けて彼女は、空き家の屋根の上から私達を見下ろす。どういう思惑がそこに隠されているのか分からないが、此処のところ、顔を合わせてくれていなかったので、私は心配から彼女に早く降りてこいと声を掛ける。すると、彼女はニッコリと微笑んでから嫌ですと発言した。ここまで清々しいまでに意見を否定されるとも思っていなかったので、唖然としていると、彼女は自らの意志で降りてから、重爺に突貫する。そんな直線的な攻撃では、彼の繊細な攻撃の餌食になるだけだ。ルルも同意見なのか一緒に顔を顰める。しかし、結果は私達の期待を大きく外れる。真っ直ぐにしか見えなかった拳は、重爺を貫いた。吐血し、目を開いているところを見ても、態と食らったという感じではない。
「今迄どんな雑魚と戦ってきたのか分からないけど、その程度でお兄さんの師匠なんて務めていたんですか。ちゃんちゃら可笑しい話です。身の程を弁えることをお勧めします。」
そう言うと、彼女は彼の肌に牙を立て、肩口を噛み千切った。このままでは彼が死んでしまう。何故メイカがこのような事をするのか理解に苦しむが、正気でない事くらいは分かる。全力で止めに入るが、彼女が手を横に薙ぐだけで私達の身体は面白いくらいに宙を舞う。
重爺が苦しい悲鳴を上げながら段々と食い散らかされていく。あまりに残忍な光景にルルは、口元を抑えて吐瀉物を喉元で堪えているくらいだ。止めろと声を荒げるが、彼女は一切の躊躇もなく彼を絶命させた。口元の血を腕で拭った彼女は、狂気じみた表情を貼り付けたまま、私を一直線に見詰めた。血だらけの身体をゆっくりと此方に接近させてくる。本当に化物みたいだが、彼女も何か理由があってこんな事をやらされている。彼女の本意がこれにあるとは到底思えない。
「どうです。あんなに強かった人が一瞬で屠られるのは。馬鹿らしくなりますよね。どんなに修行したところで、人間は人間の枠を出ることが出来ない。圧倒的に生物として優れている存在には抗うすべがない。だからあたしがお兄さんを庇護してあげます。他の人間なんて居なくても良いと思いませんか?例えば、そこのルルさんとか……ね」
指を鳴らすだけでルルが悲鳴を上げて吐血する。私には見えなかったが、あれは気を用いた技であった。鍛錬もしていない彼女が何故アレを扱うことが出来るのか。不思議ではあったが、先ほどの無意味に思えた台詞から、読み取れてしまった。そんなことがある筈がないと断言したい。しかし、現実と向き合えば、自ずと答えが主張してくる。自分が真実であると。
「神獣の能力で、重爺の能力を奪ったのか……」
それしか考えられない。圧倒的な力もさることながら、彼処まで練度を彼以外で見たことがない。天才的であったルルでも同じ工程を行おうとすれば、もう少し時間が掛かる。それを実現させるのは、そういう裏道を使うしか有り得ない。メイカは、残念と声を出す。
「ティリーンの能力を使っていないといえば嘘になるけど、あれは入れ替わっていくものだよ?今更あたしもあんな爺になんてなりたくないです。それじゃあ、お兄さんの子供が作れませんし。ネタバラシすると、この秘儀はあたしの魔法と彼女の能力を併用したものだよ。相手のステータスだけを奪い取る。あっ、大丈夫です。お兄さんがそこの泥棒猫さんとイチャイチャしている間に、沢山試して訓練しましたから。今の貴方じゃあ手も足も出ない程に強くなっちゃいましたよ。」
余裕そうな彼女の顔には冗談という二文字はなかった。言葉とともに吐き出されたオーラが尋常ではない質を帯びていた。冗談抜きで即座に殺されかねない。でも、解せない事がある。過去の教訓からあの能力を封印していた彼女が何故今になって人を襲ったのか。本人ではなくメイカがしたとの事だったが、この数ヶ月、何度もティリーンの状態を見た。つまりは、彼女も今回のことには承諾しているということになる。一体どんな心変わりがあったというのか。思い返してみる。長い修業の時間のせいで、それ以外のことは記憶が薄いがなんとか手がかりになりそうな思い出を想起する。そうして思い出されたのは、何時も以上にティリーンがじゃれついて来た時のこと。だが、あの時それほどおかしな雰囲気はなかった。と言うことはその後の話なのか。そう思えば、あの次の日から彼女は私を避けていたような気がする。それが原因なのではないか。
「たぁあああ!!!」
頭を抱えているとルルの叫び声が響く。はっと顔を上げると、決死とした表情の彼女がメイカに飛び掛かっているのが、目に写る。そんな気合だけの一撃が彼女に効くはずがない。一丁前に結論を下す私を嘲笑うようにルルは、そこからの気を用いた複合技で波状攻撃を仕掛けた。一閃に切り抜かれた太刀筋を回避されるのを予想して、その先に有る線を右手で握り締める。メイカの身体が一瞬止まったのを確認してから、そこに横薙ぎを加え、同時に後方に下がる。肌の皮一枚削ることは出来なかったが、メイカに反撃をさせずに攻撃を行うことに成功したのは大きい。
「ティリーン、いや今はメイカだったか。嫉妬するというのは人間として当たり前の感情だ。思い存分にするが良い。だが、それにボクを巻き込まないでくれ。迷惑だ。」
圧倒的な相手を前にして彼女は凛としていた。威風堂々という言葉がよく似合う。言われた側であるメイカは、手で顔を覆い隠し、その意見を嘲る。
「そうですか。じゃあ、あたしに嫉妬させない努力をして下さいよッッ!!!」
咆哮が響き、無色透明の攻撃が辺りに散らばる。無茶苦茶ではあるが、一応は気を使っているようなので、読み取ってそれを丁寧に一つずつ避けていく。辺りの空き家や生ゴミを入れたゴミ箱等は、大きな音を立てて飛び上がる。運良く裏路地と言うことで、人はやってこないし、気付いたとしても大半の人が騒動に巻き込まれまいと見なかったフリをしてくれる。だから、他に被害を与える可能性は著しく減っているのだが、私達で彼女を足止めできるか甚だ疑問である。おかしくなっていても神獣の力は健在だし、巧みな魔法操作もお手のものだ。私達のメンバーで一番の強力さを秘めていたのが彼女だ。そこは一生変わることのないものだと考えていたのに、絶対などというものが無い事を忘れていた。何があっても見放さないなどと甘い考えがまだ私の中にあったのだろう。全身に生傷をつけるルルを後方へ引っ張り、私が前線に出る。全身に魔力を纏わせると、呼応するように彼女も魔力を滲ませた。全くたちの悪い冗談のようだ。私より魔力の扱いに優れて、ルルより気を自在に操る。そして、神獣という人間よりも高位の存在。要素だけを挙げてしまうと、此方に勝てる要因が一切ない。今直ぐ跪いて足でも舐めれば許してくれるだろうか。勿論、そんなことするつもりなど端からないが。
形状を長剣のままメイカに振り下ろす。易易と受け止められてしまったが、それくらいは予想の範疇である。問題はこれから。しっかりと相手を見据えて、視線を離さない。余裕面の彼女から身を離しながらの横薙ぎ。再度近付いて袈裟斬り。連続的に攻撃を放つが、どれもがあまりダメージを負わすことには繋がらない。どうしたものかと軽く混乱しそうになっていると、身体が脳からの伝達を拒否し出す。
「やっと効き出しましたか。いやぁ、中々骨の折れる作業でしたね。でもこれで全て終わりました。お兄さんがあたしだけの、正確にはティリーンさんも込みですが、それでも独り占め出来る。なんて素晴らしい日なのでしょうか!」
全身に力が入らない。そして、何故かメイカを見ると、頬が紅潮して鼓動が早まる。一体彼女は私に何をしたというのだろうか。そんな疑問も彼女を愛しく思う気持ちで蝕まれていく。最後の根気を持って、ルルの方に顔を向けると、彼女に此処から逃げて明子に済まなかったと伝えてくれと伝言を頼む。
「私はここまでのようだ……頼んだぞ。」