ローナル国 3
料理が届くまでの間にこの後の用事を二人に伝えておくことにする。私一人で言ってもいいのだが、折角メロルが気を遣ってくれたのだ。ここは乗っておくべきだろう。もし二人に何か用事でもあれば別だが、来て二日目のここで特別な用事があるとも思えない。事情を説明すると、ふたりとも勿論良いよと返事をもらえたので午後の予定も決定した。
料理が到着したのは、話し合いが終わるのを見計らったようなタイミングだった。
「お召し上がり下さい!」
緊張しているのか震える手で皿が置かれる。見てみると、皿には美味しそうな肉が乗っていた。匂いを嗅いで見ると驚くことに果実の香りが鼻孔を擽る。私は頬を緩めながら彼にそれについて尋ねると、肉を焼くときに果実を絞って出した果汁に浸して味や匂いを染み込ませたらしい。付け合せの野菜は匂いが目立ち過ぎないようにバランサーとして置き、一緒に出された米は肉に掛かったソースが染み込むと光沢を持ちテラテラと輝く。生唾を飲んだしまうのも無理は無いだろう。
「こっちじゃああまり主流じゃないんですが、米は大体なものに合うので他の店より多く発注しているんです。お客様が来てくださらないので、今では赤字ですが。」
落ち込んだ顔で冗談っぽく彼はそういう。確かに今この時もお昼時なのに客が私達一組だけというのは食事処として機能しているとはいえない。集客率を上げたいのなら外装の手入れから始めたほうがいいと思ったのは多分私だけではなく、困ったように笑うユラも同じだろう。
「そんなことより……食べたい。」
テーブルの対面に居るユラの隣に座るミラが涎を垂らしながら急かしてきた。ミラの前には、ミンチを丸めて焼いたものと野菜を焦げ色のついたパンに挟み、子供でも食べやすいように切り分けられて小分けしたものが置いてある。ナイフで切られた断面からは湯気を放つ濃い茶色のソースと肉汁が溢れ出ており、そんなものを前に待てをされるなど拷問のようなものだ。私も幸福な匂いにお腹が唸る。ユラも自身の前にある料理に目が下りている。じゃあと私は前置きをしてから手を合わせて二人を見る。すると二人も同様に手を合わせて目を閉じた。
「いただきます。」
三人の声がハモった。店主は驚いていたがそれが宗教的なものだと理解したらしく、いただいてくださいと気持ち程度の反応を返した。数瞬も開けずに用意されたフォークを使い肉を少し切って口に入れる。私が甘めの味付けが好きだとわかっていたのだろうか。果実系の甘みと独特の酸味が喉を通る。時折スパイスのぴりりとした辛さも感じるが、とても控えてあるように感じる。間髪をいれずに米のかきこむと多幸感に包まれる。それにしてもどうして私が食べたいものがわかったのかと疑問が湧いた。
「それにしても良く私が甘めの味付けが好きだって分かりましたね。」
彼はそれに当たっていたよかったと安堵の表情を浮かべてから、ああそれはですねと言ってから続けた。
「貴方の匂いから推察したんです。貴方の服からは埃っぽい匂いもしましたが、その奥には果物系の甘い匂いがしました。その匂いが奥様のほうからもしていましたので、いつも作ってもらう時にはそういう味付けをしてもらっているのかなと思いまして。」
ユラを妻だと思っていることに関しては外れているが、それ以外については的を得た意見だった。それにしてもそれでよくわかったものだ。最後にユラのご飯を食べたのは二日前であるし、昨日は宿屋のカプセルの中で服の滅菌なども行ってもらっている。臭いといえど、寒くなってきて着込んでいたこの姿では脱ぎでもしない限り分かりづらいだろうに。私は思わず感心してしまった。店主のオススメは当たりメニューであることがここに証明されたのだ。一通り説明が終わった後、彼に凄いなと褒め言葉を送ると照れたようにありがとうございますと感謝を返した。善良という言葉がとても似合う青年である。
「僕は台拭きとかしてますんで食べ終わったら呼んで下さい。」
彼はそう言うと、一礼をしてから裏のキッチンに向かい台拭きを持ってくると、店の隅々まで拭いていた。几帳面なのか細部までしっかりと拭き残しがないように拭いているのを見ると私も歳なのか涙腺が緩んできそうだ。こうしていては美味しそうな料理が冷めてしまう。私は冷えた身を暖かい料理で溶かされるような気分になりながらもそれをペロリと平らげた。
「とっても……おいしかった……才能、ある」
それは会計を済ませて店を出るときにミラが店主に行った言葉だ。彼女が珍しく目を輝かせて豪語していたのでほんとうに気に入ったのだろう。店主は身をかがめて照れながらありがとうねとミラの頭を撫でて照れ隠しをしていて、ミラも喜んでそれを受け入れていた。
「それにしても美味しかったですね。」
「ああ、また来よう。」
私達は後ろで二人を見守りながらそんな会話をしていた。まだこの国を当分発つ理由もないし、気長に仕事をしながら考えればよい。何回でも来れる。
その後私達はそのままメロルの研究室へ向かう。飲食エリアの中腹からエレベータが立ち並ぶエリアまではそこそこあるが、食後の運動だと思えば丁度いい。満腹まで食ったので少々睡魔も進行を邪魔してくるが、今寝てしまうとメロルに怒られるのは想像に難くない。顔を振りながら眠気を覚ましてユラやミラのあの店にはこんなものが会ってそっちの店にはこんなものがあったという散策の結果を教えてもらっていると、気付けばエレベータのところまで着いていた。人ができるだけ少ない物を選んで地下二階のボタンを押し、扉を閉める。若干の浮遊感を感じること数分で目的地に着き、そこで降りる。
「相変わらず人が多いのですね。酔ってしまいそうになります。」
人が多い所に慣れていないと人間酔いという物をする人がいると聞くが、ユラはそれに当て嵌まるようで、さっきまでは空腹でそんなことはなかったが、食べた後ではキツイみたいだ。私は彼女を介抱するために肩を貸してから、もう片方の手でミラの手を握った。ミラも母親を心配して大丈夫か聞いているが、ユラは気丈に問題ないと返している。この辺りは研究室ばかりで人の出入りが激しいので良くない。私は足早にメロルの研究室に向かった。
鍵のかかっていない扉を開けてメロルを呼ぶ。そうすると、奥の部屋からはいはいと言いながらメロルが出てくる。そしてユラを見ると、ぎょっとした表情をしてどうしたのかと聞いてきたので、人が多いから酔ったらしいというと、そうかと言い、じゃあそこのソファーで休ませておいてあげてとふかふかのソファーを用意してくれた。私がそこに彼女を下ろすと彼女はううっと唸りながらそこに横になる。ユラの額に伝っていた汗を親指で拭ってから私はメロルに教えたいことが何だったのか聞く。メロルはそれにまぁ大したことじゃないんだけどねとしながら説明をする。
「前も言ったようにプログラムも少しは理解してくれたほうが私も助かるからちょっとした勉強会でもしようかなと思ってたんだけど、その様子だと手につかないでしょ?今日は止めとこうか。」
どうやら私は無意識にユラの方に目線は配っていたらしく、それを指摘された。機械の技術というのも学んでみたいとは思うが、ユラの体調のほうが私には重要である。メロルには感謝せざる得ない。申し訳無いとだけ言ってユラに向き直ろうとした時、途中で機械のモニターを見つめるミラが目に入った。何か彼女の興味をそそるものでもあったのかと思っていると、ミラがここ間違っていると指差して言った。
「貴女コードが読めるの?」
メロルがそういうとミラは頭を横に振ってそれを否定しながらも意見だけは覆さなかった。メロルもやれやれといった顔でコードを覗かしていたが、その顔は驚愕に染まる。
「……貴女、名前は?」
ミラの肩を両手で掴みメロルがそう言う。
「ミラ・ノーマン」
その名前を噛みしめるようにメロルは呟くと急に顔を上げてミラに言い放った。
「ミラね。貴女……ウチの研究室に入るつもりはない!?」
端から見ていた私も思わず疑問符が頭の上に浮かぶ。ミラはまだ子供である。ここの研究室に入るということは仕事をさせるということだ。労働は大人の義務であり、子供にさせるものではない。ふとミラを見るとミラもこちらを見ているのに気付く。嫌なら断ってもいいんだぞと伝えると彼女はそうではないと言ってきた。どういうことかと聞くと、受けてみたいと言う。
「彼女は絶対立派な研究者になるわ!この歳でこのセンスはとても才能がある。」
メロルは手放しで喜んでいる。しかしなと食いかかろうとすると横になっているユラが私の服を掴み、やらせてあげましょうと言ってきた。ユラが言うのならと私は不承不承としながらも認めざる得なかった。実際問題彼女たちと私の間に血のつながりもなければ家族でもないのだ。私がとやかくいうのはお門違いだろう。早速メロルはミラに参考書のようなものを渡し、それの解説を交えながら勉強を始めた。彼女曰く、プログラミングで一番大事なのは数学的理解をすることであり、その上でセンスが問われるそうだ。だから今開かれている参考書には私では頭が痛くなりそうな数式や解説が載っている。ミラは相変わらずの眠たげな半目でこういうことかとかじゃあこれはこうであるのかとどんどんと知識を吸収していっている。
「ミラは他の所でこういう勉学をしたことはあるの?」
「いや……今日がはじめて」
勉強を教えている側のメロルも驚きを隠せない表情で時々そういう質問を投げては驚愕している。ミラはそれを素知らぬ顔で見ながら、早く次のところを教えろと言わんばかりにメロルを上目遣いで見ていると、メロルもはいはいと普段の気の強そうな雰囲気を一切見せないで前のめりになりながら教えていた。