トマーノヤ 7
伝説の男の快進に通りの見知った人達は一様に振り返る。タダ事ではない雰囲気を感じ取っているのだろう。しかし、誰も彼を抑えることは出来ない。追い掛けるのがやっとである私達は、彼女の案内に従い抜け道などを使って彼女の家に先回りすることに成功する。見えてきたのは、裕福そうに見える豪邸の塀。とても娘を売った家族が住んでいるとは、到底思えない。嘘でも付いているのかと邪推したが、それをする必要が彼女にないことから疑いを晴らす。だが、どう考えても金持ちの家としか思えず、彼女に思い切って聞いてみた。すると、彼女の口からは暗い話が突如滑りこむ。
「この家の殆どはお爺ちゃんがお金を出しているんです。元々、武道に秀でており、各地の大会で荒稼ぎしていたお爺ちゃんは、自分では使わずに彼らに託したのです。その理由は、わたしという孫に不憫な思いをさせないためだったのですが、金遣いの荒い人達でしたから、お金はもう底をついてしまったんです。まさかそれでわたしを売るとは思いませんでしたが……」
つまりは、豪勢な暮らしを知ってしまい、働いたこともない夫婦にとって見れば、自分で働くという選択肢は存在しなかった。でも、贅沢三昧な暮らしをやめることは出来ない。そんな時に今回の話が舞い込んできたのだろう。それを易易と引き受ける倫理観というものが全く理解は出来ないが、他人任せの人生を送った代償が、実の祖父に殺されることならば、夫婦にとっても良い事だろう。もうお金で悩む必要がなくなる。あの世なんてものがあったとしたら、向こうでお花畑でも駆け抜けて遊べば良い。中々に重たい話を聞き終えると、猛進してきていた重爺が到着する。冷静さを欠いている為、何度か迷子になってしまったのだと思う。怒りに目を見開いた彼は、邪魔をするのかという意思を伝えてきた。私たちは見届けに来ただけなので、道を開けると、頭を下げて彼は限界の塀を破壊した。分厚い壁がワンパンである。改めて彼の化物具合に驚きながら、彼の後ろをついて家の中に進入する。
「出て来いッッ!!!」
咆哮が家全体に駆け抜ける。ビリビリと家の骨格である柱が悲鳴を上げる。あまりの爆音に転がり込むようにして、彼女の両親が顔を出す。後方から拝見していたが、娘を売って直ぐだというのに、その表情に一切の罪悪感は感じ取れない。自分たちが悪いことをしたのだという感覚がないのだろう。しかも、その手には呑気にも高カロリーの食べ物が握られており、そんなものばかり食っていれば、肥えた体型になるのも無理は無い。彼女に同情の念を覚える。もし自分がこのような人達の子どもとして生を受け、剰え身売りに出されても見ろ。絶対に殺してしまう。
標的を確認した重爺は、目を開いてから、二人に咆哮を飛ばす。それだけで怯んだ二人は年甲斐もなく泣き叫び、その下腹部からは尿が放出されている。鼻を劈くようなアンモニア臭が室内に充満する。不摂生なのもあって、臭気の強さはえげつない程だ。鼻をつまみながら、成り行きを確認していると、僅かに震える彼女の横顔が写った。強がっているが、胸中は複雑で今にも泣き出したいような状況だろう。柄にもなく、彼女の肩に腕を回して包んでやる。後ろのティリーンはジト目になりながらも仕方ないかという溜め息を溢す。
「本当にわたしのことが大好きなんですね!仕方ないので、今回だけは好意を受け取ってあげます!!」
涙目を隠すようにして俯いてから私に身を任せる。両親の相手は彼に任せるが、どういう結末を迎えるのか。どうなるにしても見守る必要はある。
「何故、明子を身売りなんぞに出した……」
知らなかったが明子とは、彼女のことであるらしい。哀愁を漂わせる彼の瞳にはなにか事情があってのことであって欲しいという親心が垣間見れた。しかし、現実は非情であり、大した理由がなくてもそういう行動を起こす人間というのは確かに存在する。彼らがどちらの部類であるかなど、重爺にもとっくにわかっているはずだが、それでも聞かずにいられないのは、彼もまた人の子であり、人の親であることの証明だ。教師に叱られた生徒の様に身を竦ませた二人は、互いが互いを見遣り、質問の意味を捉えきれずにいた。ここまで親の心子知らずという言葉を体現している状況もないだろう。二人の様子を見て、改めて再確認をした彼は、一回溜息をつくと、構えを解いた。それを許してくれたと感じ取った二人は小躍りでも始めそうな勢いだったが、次の瞬間、二人は空中を舞う。
攻撃には気は感じなかった。恐らくこの二人に責任を支払わせるのに、自分が磨いてきた武術を使いたくなかったのだろう。それは単に、直ぐに殺してしまうという意味合いもあるが、武術を穢してしまうことを恐れたと言った感情のほうが強かったように思える。武道というのは、精神的な面を鍛える術でもあると聞く。それを熟知した彼にとっても、今回の件は、堪えるものがあったのか。本人ではないので、適当なことは言えそうにないが、彼の目が悲しそうなのは傍目から見てもわかった。
「あれほど、自分達が恵まれていると言うことを自覚しろと言ったのだがな。残念だ。」
利己的な人間に育ってしまった子供と、その伴侶を蔑んでから、此方に振り返る。まだ始末は済んでいないが、これ以上の光景を孫に見せたくないので、外に連れ出してくれと願う。その親心は、子供を持っていない私にすら届くものがあったので、即座に明子を連れ出そうとするが、彼女はそこで必死な抵抗を見せる。どうしても、両親の行く末を見届けたいと懇願した。そこに悲しい結末しか待っていないのは、目に見えているが、流石の彼女でもそれくらいは感じ取れているはずだ。それでも見届けたいと発言したと言うことは、それなりの覚悟の上だと判断して良いだろう。重爺の反応を窺うと、好きにしろといった風に、彼の方が折れたので、結局は変わらぬ体制のまま、明子の両親が立ち上がるのを待つことになった。あの二人の事だから、あれで死んでしまっている可能性も考えられたが、意外にも丈夫な二人は、よろよろとしながらも身を起こす。
「い、痛いじゃないかっ!何でこんなことが出来るんだい!?」
意味がわからないという気持ちを隠しもせず、悪びれもせずに、大袈裟なジェスチャーで理不尽を問う。実際のところは、彼らがそれを嘆く権利など持ち合わせていよう筈もない。何故なら、殴られる以上のことを、彼らは実の娘に行っている。生意気で自己愛が異常に強いが、こんな訳のわからない家庭環境でも耐え抜いてきた彼女が感じた理不尽に比べれば、まだ軽いくらいである。
それも分からない男は、重爺に回答を求める。沈黙を保つ彼に対して焦りながらも男は、視線を忙しなく動かす。そして、ここに来て漸く明子に目が止まる。それで納得がいった顔をした。眉間にシワを寄せて、チクったなと顔を崩す。体面を装ってから重爺に向き直ると、明子に傷一つ無いことに言及し、問題はないじゃないかと結論を述べる。対して彼は、言いたいことはそれだけかと見下す。男の顔が更に青くなったのは、言うまでもない。
「ちょっ、ちょっと待って!!」
十二分に肥えた養豚場の豚のような女が、男を庇うように立ちはだかる。正当性など一切ない感情論をそのままに重爺にぶつけていく。自分が養ってもらっていると言うことを自覚していないだけに、強気な態度で、男の方よりも質が悪い。彼が黙ると、好機と思ったのか、夫に対する鬱憤も含めて愚痴り続ける。どうやら話の流れ的に、重爺の子供というのは、あの男の方で、その女々しい言動には同じ穴の狢である彼女から見ても、目に余る部分があったらしい。知ったことではないが、彼はそれを十分に聞き届ける。聞いた上で、それがどうしたと聞き返す。完全に論破したとほくそ笑んでいた女は、言葉に詰まる。少し考えれば自分が今行っている行為がどれだけ馬鹿馬鹿しいことか分かるはずだ。それが分からないから今回のような事件が起きたのだろうが、人間というのは学習する生き物だ。来世では彼らが真人間になるように願おう。
言いたいだけ言わせた彼だったが、最後は一瞬であった。拳を振り下ろすと、糸が切れたように彼らは動かなくなり、重爺の様子から、二人が死んだことを悟った。悔みきれない顔をしていたが、それ以上に明子の顔が印象的だった。彼女は、笑いもせず、悲しみもしていなかった。唯、目の前の事象を粛々と受け入れていた。幾ら滅茶苦茶な家族だったと言っても、家族である。思うところがないわけではないと思うのだが、これは他人がどうこう言う範疇を超えているので、口には出さないようにする。
外から大量の兵士達が軒を連ねる。騒動を聴きつけて、此方にまで駆け付けて来たようだ。武器を構える彼らに対しても、悠然としている彼は、国の遣いにも拳を向けた。
「邪魔をするなら……打つ」
とても小さな一言だったが、その言葉は全員の耳に直送された。それほどに強烈な言葉であった。圧倒されていた兵士達は近付けずに、段々と後退していく。その奥から出てきたのは、隊長さんであった。よく考えて見れば、彼はそういう立場だったか。どうなるのかと状況を見守る。奥に位置する二人の死体を見遣ると、一旦、目を伏せる。目を開くと、彼に向けて、我々は今回の件に関して口は出さないと宣言した。部下たちは耳を疑うような表情を作っていたが、隊長さんが淡々と帰る準備を始めると、釣られるように他の人も一緒に帰って行った。彼はこの夫婦のことを知っていたのだろうか。それで情状酌量的な許し方をしたのか。それとも、重爺という人間を捕まえることが出来ない。そして、そうするべきではないと判断したのか。色々と憶測の域を出ない。




