トマーノヤ 6
牽制するティリーンとそれに怯える彼女に囲まれて、居心地が更に悪化した現場ではあるが、なんのかんの言いながらも彼女らは彼女の相手をしてくれるので、私としては少し助かっている。出来れば仲良くする。若しくは、さっさと王子様とやらを見付け出してくれると尚良いのだが、そこまで都合良く事態は進まない。睨み付けるのを中断したティリーンは、彼女の処遇について本当にどうするのか疑問を呈する。私としても巻き込まれただけにすぎないので、具体的な解決案を提示することは出来ない。本人の同意なしに風俗店で働かされそうになっているので、治安警備の方に申し出れば解決してくれそうではある。しかし、民事不介入を全面に出されてしまう可能性が高い。一々市民の一つ一つに耳を傾ける余裕がある場所ならば良いが、そこそこに大きな国でもあるし、温泉街と共に風俗店も裏路地には軒を連ねている。身売りのような話はそこかしこに転がっている話だろう。それに全部対処するのが面倒なら、介入は恐らく行われない。それに、事前にその行動を読まれでもすれば、待ち伏せされる可能性も高い。見事に八方塞がりであるが、当の本人は余裕綽々な顔を変えようともしない。
「取り敢えずは人目がつきにくい場所に移動しよう。何時までもこんな往来でくっちゃべっていたら、追手じゃなくても不思議に思う。」
提案すると、即座に移動を開始する。余程ティリーンが怖いのか、彼女は私を盾にして二人の間を埋められたが、様子を見ていたルルは私を見て、女誑しのようだと賞賛した。本来、それは誇るようなものではなく、貶されるべきものだ。だというのに、彼女の言い分は違う。沢山の女に好かれる事こそが、王族の誉れと言われる。第一妻かそうでないかは重要な案件であるが、それ以外に関しては、彼女の倫理観はガバガバであった。一体どのような教育を受ければ、そのような考え方になるのかと思ったが、同じ教育を受けて育ったロロナの事を思い起こすと、不思議と腑に落ちた。
移動は裏路地に入った目に付かない場所で停止する。今後の話し合いと行きたいところであるが、肝心の本人が王子様作戦を諦めていないので、どうしようもない。もういっそのこと、ルルに丸投げして彼女の意見を鵜呑みにするという手がない訳ではないが、それは流石に責任感がなさ過ぎる行為だと自覚している。でも実際、思い付くことがない。強行手段としては、黒服の親玉を引き摺り出して、コテンパンにする方法だが、この娘の良心をどうにかしない限り、話が円満に解決するということにはならない。また何処かに売られておしまいだろう。そう考えると、一先ず、彼女の両親に面会する必要がある。説得するなりなんなりしなければ埒が明かない。彼女に実家の場所を訊ねると、少し戸惑いながらも道案内を買って出た。大人しく彼女の後を付いて行くと、何本もの細い通りを抜け、行き止まりに見立てた看板をズラし、やっとの思いでボロボロの一軒家にまで辿り着く。
「本当に此処で合っているのか?」
思わず聞いてしまうほどに腐り落ちた壁に今にも倒壊するのではないかと危惧する。彼女は何がおかしいのかという顔をしてから自信満々に胸を張って、このオンボロが自分の家だと主張した。一軒家を誇っているような事も言っていた。なんとも悲しい人間である。建付けの悪い扉を開くと、中からは悪臭が溢れ返る。突然の刺激臭に誰かの精神攻撃かと危機を覚えたほどだ。鼻を指で抓んでも立ち込める不快感に涙腺が緩む。彼女はそんな中を慣れた手付きで遠慮無く入っていく。私達も入って来いという風に手招きする。頭おかしいのではないだろうかと真剣に考えながらも、入らなければ仕方がないので、お邪魔する。臭いを気にするティリーンとルルは生ゴミ臭にリタイアし、外で待つことにした。入室すると、積み重ねられたゴミの山が目に入る。捨てるのが勿体無いと言う風ではなく、管理状況から唯ものぐさで捨てに行くのが面倒くさいという意思が伝わってくる。面倒くさいどころか臭いのだが、彼女の様子を見る限り、嗅覚がもう壊死してしまっているのだろう。
「お爺ちゃん!」
ゴミ袋とゴミ袋の間を縫うようにして進むと、座禅を組んだ老人が瞑想をしていた。微動だにしない彼は、彼女が抱き着いても一切動かない。気を集中させているのだ。無言で口を開かない男に彼女はマシンガントークを続けるが、彼の返答はない。あっても、目線をくれてやるくらいのものである。その相槌を正確に理解しているのか、彼女は構わずに会話を続ける。私はいい加減見ているのも、この悪臭に堪えるのも我慢の限界になり、無理矢理話し掛ける。俯いた顔を上げた彼はどこか見たことがある顔だった。
「あっ、紹介しますね!この人はわたしの祖父で重爺って言います!!とっても凄い人だけど、寡黙な人なんです!」
紹介された老人は、少し前にサウナで出会った伝説の爺さんだった。絶句して指を差していると、彼も私に気付いたのだろう。会釈をして挨拶をしてくれた。私も挨拶を返すと、彼は何も喋らずに孫に向き直る。口は一切開いていないように思えるが、孫である彼女には分かるようで、そうなのとか息を合わせていた。全く会話についていけずに黙り込んでいると、彼女は私の方を見遣り、突然武道をやっていたかと聞いてくる。何処かの武道家に弟子入りしたりした記憶はないため、独学だと宣言する。本当に基礎の部分は教えられたものだが、その後のものは戦いの中で身に着けていったものが殆どである。重爺はそれに関心を持ってくれたようで、よかったら自分の所で修行をしないかと申し出てくれた。自分一人で訓練する事に限界を感じつつあった私にとってはそれは渡りに船というものだったが、集団で行動しているので、仲間に相談してからでも良いかと聞き返す。色の良い返事を貰えたので私は満足である。
では、本題に戻ろう。通訳代わりの孫は自身に降り掛かった災難を多少大袈裟に話す。彼はそれを聞く間も、これと言った反応を見せはしなかったが、背後の景色が揺々と揺れているのが確認できた。彼の怒気が大気を揺らしているのだと、遅れて気が付く。サウナの時から思っていたが、彼はこういうオーラだったりの扱いに長けているようだ。喜怒哀楽を用いて体内の気を巡らせ、実体化させている。言葉で言うのは簡単だが、私にはそれをどうやって行っているのか分からない。ゆっくりと立ち上がった彼は、長く吸い、そして吐く。
「おぁあああああああ!!!」
冷静さが一気に弾け飛ぶ。近くに居た私はその咆哮だけで吹き飛ばされそうになる。気合の雄叫びを終えた彼は、大地を揺らしながらその足を動かす。見た目から云えば、そんな膂力があるとは思えないが、非凡的な力で上乗せが行われていると考えるのが妥当な線だ。道を塞ぐゴミの山も彼が近付くと自然と左右に道を開く。最初からこの祖父を頼れば早い話だったのではないかと言及したかったが、彼女が先手を打って、こんなに強いとは知らなかったという一言を放ったので、通りでと納得がいく。彼女からしたら、祖父は凄いらしいが常人の範囲でだろうという意識だったのかもしれない。それが大きく覆された。このまま彼を放置してしまうと、関係ない人間まで血祭りにあげられてしまいそうだ。追随するように外に出ると、袋小路に追い詰めたと思っている黒服たちが集まっていた。ティリーンとルルが構えているのが視界に入る。その二人の間に割って入る様に突っ込んだ重爺は、肉体に様々なものを纏わせながら、突貫した。
見るからに強い男を前にして、相手も固唾を飲む。殺されると、脳が危険信号を発している。ここで彼らは対話でどうにかしようと、策を練る。代表役である男は、手を広げて制止を求めると、重爺に自分達を正当性を訴えた。自分たちは、彼女の両親にお金を支払い、その対価として彼女を頂いた。契約はそういう風になっている。外面は理路整然と語っていたが、内心はブルブルと震えているであろうことが読み取れる。一般市民が勝てるような相手では一切ない。私でも勝てるかどうか、自信がないほどだ。男はそれを知りながらも強気に出る。
「つまり、彼女の両親が全てしたことで、自分たちには罪はないのです。」
清々しいまでの責任転嫁。言っていることは強ち間違っていないのだが、結局、この人身売買的な商談が成立している時点で、彼らにも責任がある。それをこの場で堂々と自分達には関係ないことに仕立て上げた。見事なお手前であった。しかし、腕を振り上げたまま止まっている彼にその理論が通用するとは思えない。相変わらず無表情のまま、初めて彼の言葉を聞く。
「アヤツらは、後で始末に行く。先にお前らだ。」
非情にも振り上げられていた拳が男達に天誅を下す。首裏、腕の付け根、膝裏。様々な箇所を狙いをすませたように打ち抜く。打ち抜かれた相手は、抵抗虚しく倒れて動かなくなる。遠目で見ているだけでは、そんな致命傷になるような攻撃には、見えなかったが、痙攣しながら倒れている男達を見るに、もう戦闘不能であると見て間違いないだろう。
倒れている男たちに近寄り、状態を判断する。死んでは居ないが大変危険な状態まで追いやらせれている。あの一瞬で何をしたらこうなるのか。末恐ろしい人である。でも、検死の結果、あの攻撃を食らった人間は一様にして目が充血して、苦しそうにしながら身体を痙攣させていた。これがあの攻撃の秘密を握っているような気がしてならない。重爺を見ると、既に次の標的を倒すために歩き出していた。つまりは彼女の両親のところに赴こうとしていた。彼が彼女の祖父であるということは、彼にとっては自分の子供ということになるけれど、彼の歩に歪みはなかった。躊躇いはなく、その目はまっすぐ目的を見据えている。私達も急いで追いかける。倒れている男たちに関しては、残念ながら助けてやる義理もないので放置する。