エリーナ砂漠 15
昼間とは違い冷たい空気が流れる砂漠を男三人で歩く。態々、あの巣にまで向かわなくとも泉の罠に態と引っ掛かってやった方が、直ぐに化物とはご対面できるが、それでは作戦の意味を成さない。道中は会話を出来るだけ途切れさせないようにして空気作りに励んだ。連携が大事になる行動をするので、ある程度の親睦は深めておくべきである。一度の休憩も挟まずに、第一ポイントに到着する。私達の役目は此処に当たる。更に奥に用がある部隊とはそこで分かれて分断する。そして監視役の部隊に先行させて、隠れる場所の相談などを行う。私達が折角引き付けても、監視が上手く機能していなければ無駄骨に終わってしまう。大切な話し合いだ。入念な会議の末、先行部隊の監視地が決定し、漸く私達の出番になった。引き付ける方向などは隊長さんの指示で行われる。報告役は出来るだけ被害を受けないように一番敵から離れた位置につける。先ずは、私と隊長さんでまだ巣に居るか分からない化物の挑発を行う。挑発に使うのは、耳を劈くような高音を発する兵器を使用する。果たして聴覚というものが奴らに存在するのかどうかは甚だ疑問であるが、他にまともなものもないというのでそれを使用する運びとなった。
安全装置代わりのピンを抜くと、それは突如萎んでいき、彼が投げるとそれは一定間隔の開いた所で、金属に爪を立てて思い切り引いたような不快な音を響かせた。耳を塞ぐのが一歩遅ければ、私まで戦闘不能になっていたかもしれない。事前にそれくらい教えておいてくれと隊長さんを睨んでいると、音に釣られた化物が身をのたうち回しながら姿を露わにした。随分と良い奴を引いたらしく、全長は比較的に大きめ、肉食らしいギラギラに研がれた牙がその悍ましい口から無数に覗く。
「こいつは予想以上だ。」
隊長さんが冷や汗を垂らしながらそういったのを合図にして、一斉に回れ右をして走りだす。勿論、逃げ回るルートを把握していない私が先頭に立っても意味が無いので、隊長さんの後ろを付けるようにして時折後ろの状況を窺う。
「ぐぎゃあああああッッ!!」
寝ていたところを起こされたのが余程癇に障ったのだろう。癇癪を起こした子供のように暴れ回っている。恐るべきはその破壊力だが、通常のもののように毒液がなくとも強い。今迄戦ってきたのは成熟していない奴だったという可能性も出てきた。推測の域を出ないが、もし表で暴れているのが子供たちで、それは餌がないと生きていけないからであり、成熟するとその必要がなくなるのだとすれば、この作戦は思っていたより数十倍も難易度が上がる。自分の巣を作ること自体が成熟の証であったとしたら、他の部隊がどうなってしまうのかは直ぐ様察しがついた。このまま作戦を続行することは無謀な気がする。安全を考えるのならば、私達はこれをさっさと片付けて、他の隊の救援に向かうべきである。私はそう進言するが、彼は大人しく首を縦には振らなかった。と言うより振ることが出来なかったのだ。現状、何処よりも人員を削ったこの隊で打ちのめす事ができるかも彼には分からない。相当鍛えている筈の隊長さんにもこの姿は圧巻だった。今も逃げるのでやっとなのだ。頭を振り絞る隊長さんを見るに見かねて私はその場で足を止める。無謀だと逃走を催促する彼の言葉を拒否して、その場で剣を構える。監視役の部隊からは大分離れたし、液が飛び散ったとしても被害はないはずだ。漸く止まった獲物を見下す化物に相対しながら、私は彼に他の部隊に救援に向かうように指示する。隊長さんは情に深いため、そんな無責任な真似は出来ないと頑として断ったが、私は誰も殺したくは無いだろうと囁くと、彼は済まないと一言詫びて連絡役と共に、奥に向かった隊員を追い掛けた。
「これで此方も一人だ。漢らしくタイマンといこうじゃないか。」
体を捻って肌表面から溢れさせた体液を体中に塗りたくった化物が心なしかニヤけた気がした。戦いのゴングなどなしに突然始まる。大きな咆哮を上げた化物は、私が鼓膜を揺らされて怯んでいるのを確認すると、上下左右に亀裂の入った気分の悪くなる口を最大限に広げて私に覆い被ろうとした。片手で耳を抑えた私だったが、その程度の攻撃に食らうほど馬鹿ではない。そもそもあんな声を上げた時点で攻撃しますよと宣言しているようなものである。キィンと鳴り響く聴覚は一時使えそうにないが、これくらいのハンディキャップはなんてことない。回避を行った先で、剣を一旦帯刀して、居合の構えに入る。一撃で決めてやるくらいの気合で一気に切り抜く。
放たれた斬撃は空中で威力を摩耗されながらもしっかりと着弾する。被害を受けたところは砂煙によって隠れているが、軽い悲鳴を上げた程度の相手を見る限り、それほど効き目が良かったわけではないことは直ぐに分かる。距離が開いている状態ではダメだと思い、接近する。煙が晴れて見えた傷口には確かに切り裂かれた跡は残っていたが、軽傷で済んでしまっているような印象だった。もう一度剣撃を放とうとするが、同じ手にはくわないという意思表示か、奴は尻尾に纏わせた毒液を振り撒く事でそれを阻止する。またしても距離を開けられた。再び咆哮の準備に入った奴に合わせて一応は両耳を塞ぐが、武器を持っているのもあって完全には防ぎ切れない。
「ぐぁああんッ!!」
同様の手法を繰り返す。どうやらこの方法が有効だと思われてしまっているらしい。賢いやつである。だが、このままおめおめと術中に嵌ってやるほど私はお人好しではない。ルーティンワークさながらに同じ動きをする奴は、恐らく又毒を振り、私の距離を開けさせるだろうと推測する。その上で、私は逆に奴との距離を縮める。予想通り飛び散ってきた毒に対して、私は剣を鞘に収めてから魔法を展開する。狭い牢獄で練習したために広いところでは出来るかどうか不安ではあったが、見事に風を自在に操る魔法を行使する。魔素に伝達し、風に指示を出すと、足場の砂が舞い上がり、一塊になる。それを少しだけ薄く伸ばすと砂を使用した防護壁の完成だ。制御が難しいため一瞬作るのが精一杯ではあるが、一瞬でもできれば上出来である。液体の吸収力の強い砂は、少量の液体を残して後を駆逐する。通り抜けたものは私の肩に当たり、煙を立てるが、許容範囲だ。痛みが体を蝕むが、それで倒れるほどヤワな鍛え方はしていない。砂を四方八方に散らせて目眩ましをしてから、敢えて真正面から飛び出す。本当のことを言うと、飛び散っている砂にも毒が付いているので、正面からしか行けなかっただけなのだが、後付けくらいはさせて欲しい。対応に遅れている敵は後退しようとするが、距離はそれほど開いていない。飛び出した勢いで同時に切り抜く。至近距離の技は奴にも効果があったようで、身は引き裂かれてそこから緑色の体液を吐き出す。
追撃を仕掛けて止めを刺そう。そう考えて走り出そうとした足が、殺気によって強張り、自動的に身体を後ろへ下げる。理性と本能が噛み合わずに動いたため、後退した先で私は着地をしくじりその場に倒れこむ。一体どういうことかと顔を上げると、そこには怪我口から毒液を四散して、周囲を灼き尽くす化け物の姿があった。もしあのまま突っ込んでいたら、私は今頃生命活動を続行できていないだろう。背筋を凍らせながら眺めていると、奴は此方を確認し、無数の舌を口から溢しながら、最後の悪足掻きとして捨て身の突進を始めた。本音を言うと、逃げ出したいほどに気持ちが悪いが、私が逃げればアレがどうするかなど想像もつかない。さっさと葬ってやるべきだ。冷静さを欠いているそれの怪我口の方に注意しながら逆側に回り込むと、一太刀で切り裂く。出来る限りの速度で攻撃したため液体を全身に受けることはなかったが、右手が焼けて爛れ始めていた。振り返るとそこには倒れたそれが居て、やっと一息つく。
「こんなものが沢山いるのか……」
思わず声に出すと余計に億劫になる。出来ることならもうこのまま帰って眠りにつきたいところではあるが、それで被害が広がるのは間違いないし、近距離に特化していた彼らに奴らを上手く打倒できるとは考えづらい。重い腰を上げて、監視役の方に歩み寄る。現在の状況を教えて、各地で戦っている部隊に拡散するように求めると、彼らは迅速に対応にあたった。ちゃんと行くのを見届けると、隊長さんが走っていった方向に私も走り出した。
結構な距離を走ると、巨大な化物が姿を現す。遠方からでも奴だけは確認できる。人達はまだ誰がどうとか見える距離ではないので、隊長さんが居るところなのか判断に迷うが、どちらにしろ、助けに向かうのには変わりない。更に走る足を酷使して駆け付ける。近付くにつれて、そこだけが明るい風に見える。どうやら松明に火を付けて相手を翻弄しているようだ。成虫とは言え、火が全く効かないと言うことは無いようで、少しだけ後退をする化物はそれが弱点であると、宣言しているようなものだった。だが、囲むようにして位置を固定した隊員たちは、その次の手がない。このまま誰かが突貫したとして、勝てる保証など何処にもない。寧ろ、相手を怒らせて全員を巻き込んで死ぬ可能性だってゼロではない。緊張感のある現場に到着すると、私は隊長さんに代理の指揮を頼まれたと説明し、その上で、松明を持ったまま少しずつ後退するように指示する。そして、彼らが危険に及ばない距離まで移動した後、私があれを倒すと説明する。無茶だと嘲る者も居たが、真剣な目で見返すと、彼も黙ってくれた。
「分かったが、くれぐれも油断するなよ。」
目を背けるように発言する彼の顔には心配の二文字が浮かんでいた。何だかんだと優しい人たちである。私はそれに当たり前だと返して、ゆっくりと彼らと反比例するように逆側に進行する。次なる戦いの開始の合図はもうそこまで来ていた。