カネグォイ 5
あちこちを歩き回っていた私は案の定迷子になった。知らない場所で動きまわるのはやはり愚かしいことだと実感する。後悔した所で、帰りの道すら覚えていないので進むしか無いのだが、言い知れぬ不安は拭えない。運が良いのか巡回兵とは一回の出会っていないので、戦闘は行っていない。出会っていないというより、出払っていて人気がないだけにも思えるが、それならそれで運が良い。兎に角、食事にありつきたいと貪欲に考えていた私は美味しそうな匂いに釣られて行動していた。それほど鼻が利くと言うわけでもない私でも豪勢な食事を彷彿とさせられる甘美な匂いが此方に続いているのだ。罠かとも思ったが、こんな事を態々するほど私の脱走が周知されている訳もないので、堂々とそちらへ向かう。明かりの付いていない棟を抜けると、絢爛豪華で綺羅びやかな装飾と灯りがお迎えした。恐らく、さっきまで居たのが兵士達居るエリアで此方側は王族やら貴族が行き交いするエリアなのだろう。何にしても圧倒的な格差に失笑を禁じ得ないが、所詮は他人事なので捨て置く。問題なのは、匂いがこちらへ通じていると言うことは、王族の晩餐が行われているだけなのかもしれないという可能性が凄まじく高まったことだ。それでは流石に手を付けに入ることは難しい。そう云うところには警備を厳しく配置してあるだろうし、その前にメイカやルルにそのことで何かをされる可能性を考慮しなければならない。空腹を訴える腹部を抑えて誤魔化し、私は引き返そうとした。だが、振り向いた瞬間に聞こえた大きな爆発音によってそれは中止させられる。状況の判断をするには、現状くらいは知っておいた方が良い。私は急いで音の正体を探りに向かった。
順調に進んでいたが途中、大多数の兵士達の進行を前に足を止めて壁に隠れる。彼らも誰かが起こした不祥事のために駆り出されているのだろう。お役人というのも大変だな。聞き耳を立て、身を隠しながらも目だけを動かす。真面目に業務を果たす兵士達は愚痴の一つも吐いていないので、情報収集することは出来なかったが、あの焦り具合からしてとんでもない事が起きていると言うのは間違いない。しれっと彼らに合流した私は俯向くようにしながら一番後ろの男捕まえると、曲がり角に強引に連れ込み、死角になっている場所で首を絞めて気絶させる。泡を吹いて倒れる男の装備を脱ぎとって装着すると、何気ない感じで本隊に追従した。バレるかもという気持ちもあったが幸運にも皆が焦っていたためバレる事はなかった。緊張を漂わせながら現場に到着すると、多くの兵士が立ち往生していて、重要な扉の向こうを見ることが出来なかった。と言うか、全員が全員、顔面蒼白にして立ち尽くしていたと言った方が正しい。
「化物だ……」
集団の先頭の方からそう聞こえた。それに釣られるようにざわざわと騒がしくなっていく。心なしか此処に居る兵士はもう映画でも見ているように他人行儀に光景を眺めている。廊下であれだけの練度を見せてくれた兵士達が一体何が起きればこうなるのか。増々興味がそそる。無理に押し入り、前に抜け出すと、頭を抱えるような状況を目の当たりにすることになる。そこには、余裕の表情をした赤髪の少女と膝をついたロロナが交戦していた。どういう経緯か分からないが、この結果に繋がった理由が皆目検討つかない。溜め息をつきながら頭部の防具を外すと、前に出る。後ろから制止する声が聞こえるが大人しく指示に従う必要を感じない。そんな私を歓迎するように赤髪の少女は、微笑む。
「遅かったな。待ちくたびれたぞ。主様。」
久しぶりな高圧的言動。しっかりと意思の強さを表す目から、これがティリーンであることが容易に読み取れる。メイカに身体を動かさせていた様だったが、交代制がこのように作用するとは。愉しそうな彼女は、容赦なく襲ってくるロロナを遠距離の風の魔法で吹き飛ばすと、私に歩を向けた。迷いなく抱擁をすると、心配したと耳元で溢す。
「ああ、悪かった。」
私も抱き締め返すと、彼女は満足そうに頬を緩めて顔を押し付けてきた。それを受け入れて、されるがままになっていると、吹き飛ばされていたロロナが血だらけの顔を隠しもせず、俊足で駆け寄ると、飛び切りをかます。見抜いていたのかティリーンは、そっと私を突き放すと、突っ込んできたロロナの背後に回り込み長く美しい金髪を掴む。苦痛に顔を歪める彼女に、品がないと言ってから地面に叩き付ける。戦闘を行っている時点で品の有無は既に根底から崩れているような気がするが、口を出すのは野暮というものであろう。
絶叫を上げながら剣を振るったロロナだったが、ヤケクソの一発がティリーンに当たるはずもなく、簡単に身を逸らされる。体力に多大な自信を持つロロナだが、人間ではない存在からしたら大したことはない。私のような代替品で強くなっているような人間には圧倒できるが、ティリーンは神獣であり、人間とは根幹がさっぱり違う。つまりは、神獣同士ならばある程度の差をつけられるかもしれないが、人間との間であればそこに溝はない。有るのは圧倒的な実力と体の作りの差である。彼女に勝つためには、優れた身体能力に頼った戦術は意味を成さない。不意を突くだとか、独特な動きをする武道だとか普通とは違う部分が求められる。若しくは、徹底的に相手のことを知るというのもあるが、これは手段としてはあまり意味が無いので除外する。息を切らすロロナは臓器を圧迫された為、口からは赤い鮮血が伝う。このまま続行しても只管に彼女が嬲られる以外に道はない。だが、不屈の精神で立ち上がる彼女の理由を模索する。その理由は、他でもないロロナの口から知らされる。
「ハァ……ハァ……その男が必要なのだ……だから、負けない!!」
私は視線を感じた。いつの間にか私は取り合われていた。どう考えても甘酸っぱいモノは感じ取れないが、一応、内容は青春的な甘酸っぱいものだったらしい。それがどうしてこうなったのか。目でティリーンに訴え掛けるが、ロロナの反応を堪能している彼女には生憎届くことはない。先程からトドメを逃していると思ったら、どうやらこうやって遊んでいたみたいだ。底意地の悪いことをするものだ。割って入れるほど、緩い空間でもないのだが、コレ以上放置もできない。結果的に私は二人の間に割って入らざる得なかった。そして、今度は口で状況説明を求める。黙り込む二人にどうしようかと悩む。二人は私が入り込むと、一寸たりとも動かなくなった。どうしたら良いのかわかっていないのは私だけではないようだ。安心してから私は繰り返す。すると、漸く折れてくれたティリーンが一息をいれながら構えを解く。釣られるようにロロナも構えを解いて剣を杖にして顔を顰めた。ティリーンにより説明が行われる。
「いやいや、その小娘が主様と婚儀を結ぶと言っていたのでな。それならば、妾に勝てと言っただけじゃ。妾以外に女を作るというのならそれぐらいのお遊びは許されるじゃろう。」
言われた内容に私は理解を示すことが出来ない。いつの間にそんな話になったのか。居心地が悪そうに顔を背けるロロナに目線を配るが、碌な反応を見せてくれない。態々、ティリーンを煽って彼女に何のメリットがあるというのか。真剣に考えてみたが、結局は迷宮入りした。結局は思考を放棄して白旗を揚げる。それに反応してくれる人物がいるかわからなかったが、物陰に隠れていた人間が勇気を出して飛び出し、私に近寄ってきた。その人物とはルルであった。居たのなら居たと主張すれば良かったのに、どうしてそんなところに隠れていたのか。純粋に疑問を感じざる得ないが、彼は正解を持っていそうだし、彼に聞くことにした。ロロナは更に焦ったような顔をして呆然と観客気取りの兵士達に出て行くよう荒い口調で命令した。兵士達はその言葉にビビリながら急いで出て行くと扉を閉めた。余程世間に聞かれたくないことをルルが発言するとでも言うのか。何故そんな機密な情報を彼が持っているというのか。少し迷ったようなところも見せながら、彼は姉を庇う。
「ロロナ姉様はボクを守ろうとしてくれているだけなんだ。」
ロロナ姉様。それは彼が王子であることを暗に伝えていた。そうか、彼が王子だったのか。だから近くに居た私が誘拐犯として逮捕されたというわけか。なんとも面白く無い話である。それにしても、彼は姉が自分を守ろうとしていると言った。コレに関しては一寸も理解できない。彼らの生活を脅かす何かが存在するのだろうか。彼はこう続けた。ロロナは自分が王になりたくない事を知っていて、自分と同等に強い男を次期王に仕立てあげようとしていた。その条件を見事潜り抜けたのが私らしいが正直嬉しくない。聞き耳を立てていたティリーンはそれで更に表情を悪くした。つまりは愛情もなく結婚しようとしたのかと呆れ声である。ティリーンはもう遊ぶのも止めると言って戦闘を中止した。そして私の手を取ると、別に国にでも行こうと提案を投げ掛けた。私としては、ロロナともう一戦交えたかったが、ティリーンの要望には出来るだけ応えたかったので、私も一緒に身を翻す。
「待ってくれッ!!」
血だらけのロロナは私達の進路を遮るように立つ。しつこいとティリーンにあしらわれるが、彼女は諦めない。これだけの執念がどこから湧いてくるのか私には分からない。勿論、ティリーンにも分からない。だが、その熱意に異常なものが有る気がしてならない。今にも倒れそうな彼女に私は疑問をそのまま問う。
「何故、そこまでするのか。所詮は弟のワガママのためだろう。」
今のところ話を聞いていると、そうとしか聞こえない。だからその通りに訊ねた。ロロナはその質問に大変怒りを覚えたのか、ワナワナと肩を震わせたあと、激昂する。お前にルルの何が分かるのかと吐き捨てられる。何も分からないがと当たり前の言葉を返すと、彼女はやりきれない顔を再度俯かせた。会って数日も一緒に居なかったのに相手のことを頭の天辺から足の爪先まで知っていたらそれは恐怖しか無いだろう。だから、ルルに対しての知識は残念ながら持ち合わせてはいない。