カネグォイ 3
気を失うように眠りついていたが、肩を揺らされて起こされる。目を開くと、看守の男がビクビクと怯えながらも私を起こそうとしていた。目が合うと彼は急ぎ足で逃げていった。何か後ろめたい事でもしたのかと思い、顔や体を確認したが、特に悪戯されている痕跡を見付けることはできなかった。そこで、彼はイチャモンを付けられるのを恐れていたのではないかと思い至る。これは盲点だったと、自分なりに解釈して身を起こす。面白い程に音を鳴らす身体に思わず苦笑いする。飛ぶように勢いをつけて立ち上がると、完全に意味を為していない牢の中に戻る。囚人が出入りを自由に行える時点で、機能なんてものは存在しなくなっているが、一応はしきたりなのだろうから硬いベッドに座る。
床に座るよりはマシな硬度が臀部に伝わる。ずっと此処に座していると、尻を痛めそうだとどうでもよい事を考えながら、頭の中では、ロロナとの戦いを思い浮かべる。恵まれた肢体から放たれる斬撃は美しさすら感じた。それに、あの常識では考えられない体力と速度。幾ら鍛えてもあれほどの領域に辿り着くには、私のように特別な方法を使うか、圧倒的な才覚がなければならない。しかも、普通の天才でも辿り着くことは叶わない。自然に育ってあの強さを手に入れたのだとしたら、本当に化け物と云っても遜色ない。でも、彼女の強さの秘密は何となく読み解けた気がする。あの連続攻撃の間、私にはあるものが感じ取れていた。一瞬のことだったので、間違いかもしれないが、彼女の身体から微量の魔力の放流を感じた。それに、彼女と戦っていて、あの獣道で出会った一角を持った男を思い出したのだ。異常なポテンシャルもよくよく考えみれば全く同質のものだと言って良い。だが、彼女が故意に魔法を行使していたとは考えづらい。そもそも物事を考えながら戦いを運ぶ人間には見えなかったし、魔法を使えるのは原始の魔女であるメナカナ曰く、限られた人数だったという。と言うことは、彼女は考えずして魔法を行使していると判断できる。あの戦闘狂な振る舞いも身体能力を強化する魔法に有りがちな症状である。私も未だに抑えられない。しかし、彼女は元から抑えるつもりがないように思える。唯身体が高揚しているだけだと考えているのかもしれない。全員が全員、戦場に出た瞬間にあんな風になったら収拾がつかなくなるだろうに、彼女にとっては生まれてから当たり前の感情だったからか違和感がないのだろう。
冷静になった頭で結論を出すと、私も負けていられないなと一念発起する。自然に身に着けている相手に意図的に使用する人間では普通に考えて太刀打ち出来ない。理由は簡単で、言わば行使の速度が全然違う。私が発動させようと考えている時には、彼女はもう使用できているのだ。戦いの中で私が編み出した瞬間的な身体強化も彼女なら即席でより完成度の高いものを披露できる筈だ。思いのとおりであるロロナに対して、此方は一度頭で考えるという工程を挟むので、感覚的に何でもできるという訳ではない。その差をどうやって埋めるか。それが腕の見せどころと言うことだ。彼女とはこの先も剣を交える事だろう。面白くない屑な死闘はしたくない。
座禅を組んで精神統一を行う。更に魔力制御の練度を上げることが最重要課題だ。ワガママを言うのなら、違うところの練度を上げたいところだが、完全に速度で負けると勝つのは難しい。勿論、目には目を歯には歯をというのが勝負の世界で通じないことは重々承知だ。態々相手の得意分野に乗っかるのは愚かしい。常套手段を用いるのならば、不意打ちの手を組み込むのが一番手っ取り早い。しかし、私はロマンを求める。真正面から相対して打ち勝つというのが私の目標になっている。仕組みも理解していないロロナよりも魔法を上手く使いこなせていない私ではあるが、そういう才覚のある人間とやり合える機会などそうそう存在しない。この機会に、自分の力量を上げる。牢屋と言うのは鍛錬に向いていると思う。集団牢は肉体労働などを強要させられるらしいのだが、独房に入れられるほどの重犯罪者になれば、役人の方がその人物を外に出したくないため、労働の義務がない。つまりは、思うがままに鍛錬に集中できる。薄暗い室内に静かな空間。これほど集中できる場所もないだろう。レジェノで捕まっていた時も鍛錬に身が入っていた。似通った状況であるので、先ずは実践していたトレーニング内容を段々と思い出す。ついでに懐かしい記憶も蘇ってきてノスタルジックな気持ちに浸そうにもなったが、無事、思い出し終えて行動に移る。特別な方法はあまり採用していない。基礎体力を上げるために基本的な筋肉トレーニングと今回は剣があるので素振り。加えて、一回倒れて酷使を控えていた魔法の鍛錬。誰も侵入しない閑静な空間に壁を打つ甲高い高音が時折響く。
不信感を持った巡回兵が部屋を訪れる頃には、空中に無数の砂塵が舞い、一つの意思を持って動作を行っていた。実感で言うと、腕はここのところの怠慢により鈍っていたが、感覚を思い出すために思い切った修行を行った結果、前以上にとても良い手応えを得た。膝から崩れ落ちる兵士を大気に狂わせる事によって扉を開けて退出させ、器用に扉を閉め直す。荒削りな部分はまだ存在するので、そこはこの暇を持て余した時間を利用して調節を行っていく。時間も忘れて研究に没頭する。頭をつかう分野は優れていないため、平凡以下の進捗状況であるが、着実な速度で成長を実感できる。そうなると、楽しさが倍増して気でも狂ったようにあれやらこれやらを無造作に試していく。
「成る程成る程」
言葉に出して結果を実感すると、気持ちも昂ぶり効率が良い。自分を褒め称えながら様々なパターン。予想される攻撃に対する戦術への対策。全てをレールの上に乗せて走らせる。思考結果、いまいち効果がなさそうなモノは徹底的に排除していく。取捨選択を経て、究極な手段とそれに必要な身体能力を逆算し、計算結果を元に最低限のラインを探る。これは燃費の良いとはいえない魔力を上手く活用するために一役買わせるためであり、圧倒的なスタイルの革命が求められる。考えなしに戦ってきたが、強敵を前にして自分の可能性を見出そうと思えた。ヒーロに打ちのめされた時とは又違った感覚。それに砂漠のあの絶望的な状況とも咬み合わない。私にとってこれほど良い勝負が出来て、劣等感を感じたのが恐らく初めてなのだ。同じ人間でありながら、結果だけをみれば、動けない私の前で彼女は歩み寄った。もし本当に殺す気があれば殺すことが出来た。彼女にその気がなくとも情けを掛けられたようだった。そしてあの発言。思い返してみれば、あれは私を煽っていたのだと気付く。もっと強い姿を見せてくれと催促されていたのだ。あんな情熱的に求められたのであれば、応えるのが男の勤めだろう。段々と気怠くなってきていた精神をもう一度立て直して何度も試行錯誤を繰り返す。終わりは果たして存在するのか定かではない。
目まぐるしい研鑽を経て、気付けば長い時間が過ぎ去った様に思う。外が見えない此処からでは、一日の経過を判断する材料が、自身の感覚によるところしかないので、体内時間ではあるが、一日や二日どころではない時間は経過し、その間に食べ物と飲み物の摂取は行っていない。元より、独房には最初に運ばれたあの飯しか運ばれないようになっていたのだろう。邪魔をされないのならいいか程度に考えていたので、丁度良かった。そして、現状を把握する事で一つの思惑が上手く動作していることも理解する。それは、魔力による食の代替え。概要を聞いただけの技術だったが、意外に苦労なくこの境地には辿り着いた。流石に、空腹でないわけではないが、倒れそうなほどではない。骨を鳴らしながら筋を伸ばし、軽度のストレッチを粛々と行うと、私は部屋を出た。部屋を出た瞬間、左右から槍が突き出されるが、最低限で回避して二人の額を合わせる。白目を剥いて倒れる彼等に黙祷を捧げ、私は己の道を突き進む。
何となく覚えていた調理場までの道を行くと、我先に私に加担しようとする犯罪者達が助けてくれと牢の向こうから手を伸ばす。私がその手をとるとでも思っているのなら、見積もりが甘い。通り過ぎれば汚い罵声を浴びせてくる。自分の立場を理解していない愚か者の数人の差し出された手を剣で一刀両断。又は指を全部折ってやった。悲鳴が上がり、静かにしろと言うと、更に反感を強めた。そこで、ティリーンがよくやっていた地面への攻撃を行ってみた。威嚇なら丁度良いだろうと短絡的な思考のもとに動く。
「ハァアッ!!」
短い息遣いと共に吐き出された闘気を床に叩きつける。石畳は捲り上がり、亀裂が走る。足を踏みつけた場所に至っては、穴が開いてしまったので、そこから跳躍して避ける。静かになった道を真っ直ぐ進行する。もう誰一人として手なんか出していない。各自が出来るだけ牢の端を奪い合い、私に関わらないよう身を潜める。それはそれで面白い光景ではあるのだが、別にそれを見たくてやったわけではないので、なんとも言えない感情が込み上げる。大したものでもないので、それはスッと消え失せるが、外に出るまでの道中、ずっと何かが心の縁に置き去りにされていた。
冷たい外気が私を包み込む。思わず身震いしてしまうが、それも仕方がない。中に居た時は当たり前のように気付かなかったが、どうやら暗闇に包まれているのを見るに、現在は冬の季節の夜中であった。寒いわけだと歯をカチカチ打ち鳴らす。さっさと移動して温かいところを目指そうと心に誓い、歩み始める。此処に辿り着くまでも数度迷子を体験したが、この先は更に分からない部分が多い。それに、見回りの兵に見つかると、牢の中以上にその情報が共有されやすい。そうなると、多数戦に備える必要が出てくる。鍛錬の成果発表が出来るというのなら願ったり叶ったりだが、都合よくいかない可能性もあるので、慎重な行動を行う。