エリーナ砂漠 9
先行していた集団に先ずは私が砂を叩いて目潰しをお見舞いする。勢い込んでいた連中は急停止が利かずに全身に砂を浴びて、当然ながら目には大量の砂が入り、その場で狼狽える。その男たちを一振りの風圧で圧倒し、取り敢えずその場を彼女と離れる。上手く奴等の輪の中心を潜り込むように気を使いながら敵を蹴散らしていく。意外にも繊細な作業であるので、何時も以上に疲労がたまるのが早いが、弱音を吐く暇はない。私はティリーンを守るように振る舞い、ティリーンは私を守るように振る舞う。完全に相手を信用していないと実践できない芸当を披露する。敵の団体に風穴を開ける作業は中々時間が掛かり、手間を取らされたが、なんとか完遂する。良い具合に人が一箇所に集中した今が私の待ち望んでいた状況そのモノであった。
にやける顔を抑えながら私はティリーンに迎撃ようのあの風の魔法の行使をお願いする。勿論、私達を竜巻の目の位置に配置するのことが前提である。それと大規模なものにするように申請して、私はその魔法行使の隙の間に、近くに居る人間を出来るだけ外側に追いやるように素早く行動を起こす。
「行けるぞ!」
ティリーンの掛け声とともに私は彼女のもとに戻って魔法の行使を再度お願いする。すると、了解した彼女は広範囲の竜巻を生成させる。最初は軽い風のザワメキ程度に捉えていた敵も、段々と渦を巻くそれに恐怖を覚えてその場から逃げ出そうとする。しかし、気付いた時にはもう手遅れである。質量の軽い砂を巻き込んだ回転は天まで届けと言わんばかりの勢いで一帯を駆け抜ける。戦略もなく集まってきていた男たちは呆気無くそれに巻き込まれ舞い上がった身体を宙に晒した。その時点で顔面蒼白の男たちは次々と悲鳴を上げて命乞いを始める。自分たちが敵う相手ではないと判断してくれたようだ。戦意を見せる人物がまだ少数だが居るのは確かであったが、私はティリーンに魔法を抑えるように注文をつける。意味を推し量るティリーンは取り敢えずといった感じで魔法を治めてくれる。死体の山を築く現場で威勢の良さを見せたのは数人。その程度なら容易く葬れる。もう大した気力も残っていなかった男たちをその場で切り捨てる。言い訳はしない。此方の都合のために犠牲になってもらう。目を見開いて死に絶える男と目があったが、迷いなくそれを振り切る。そしてまだ死んでいない満身創痍の戦士たちに告げる。
「私は精霊の遣いである。天の意思により、お前たちには制裁を加えた。もしお前たちがまだ反抗するというのなら私はまだお前たちを傷付けなくてはならない。それはとても心が痛いものだ。どうか、我が主である精霊の意思に従ってほしい。」
可愛らしいアーモロの声で彼らには伝わっている為、威厳はないかもしれない。そんな言葉は虚言ではあるが、彼らを従わせるにはこの方法が最も良いと考えた。人間の根幹に関わる宗教観は最も根深い部分を構成するのに用いられることが多い。無宗教の場所では使えない手だが、このような場所ならば善策として用いれる。まるで私を人外のように感じているであろう彼らにとってみれば、その強さは自分たちの手の届かないところの存在の力によるものだと思う筈だ。でなければ、同じ人間にこんな所業が出来るはずがない。つまりは、自分たちとは別格であると勝手に判断してくれる筈である。地に頭を垂れる人々を見て、思惑通りに事が運んだことを理解する。賭けではあったのだが、上手くいってよかった。誰にも気づかれないように心のなかで溜め息を吐きながら、生き残っていた男たちに此処での出来事を自分の集団の所に報告してこいと命令を出す。
脅すようにティリーンに砂を少し弄んでもらい演出すると、彼らは何度も転けそうになりながらも急いで自陣に引いていった。これで少しは私達の噂が砂漠地帯に広がるはずだ。思惑通りに進み過ぎて不安すら感じるが、上手くいっているのは良いことだと自分に言い聞かせて、騒ぐ心臓を落ち着ける。
トントン拍子に進む作戦に不安を拭い去ることは出来なかったが、私の一つ目の役目は全うすることが出来た。長い作戦に辟易としながらも私達は勝利を伝えるため、皆の元へと歩を進めた。
自陣まで戻ると既に祝福ムードに浸っている戦士たちに呆れを覚える。まだ何も終わっちゃいないのに、今からそんなことでどうするのだと堅い事を言いたい気分になる。しかし、彼らも会って数日の私の作戦をしっかりと全うしてくれたのだと思い至ってそういう感情が鎮まる。士気を上げるためには重要な事だと思い直して私も酒の席に着く。完全に私達が負けることを考えていなかった面構えの戦士たちを心配しながら祝杯を上げる。此処に来てから飲んでばかりな気がしないでもないが、そういう文化なのだろうと適当に考えて勝利に浸る。前回のように飲み過ぎないよう数杯をちびちび飲むと直ぐに家に戻る。やらなければいけないことは沢山残っているのだ。いつまでもうかうかしていられない。
逸る私の袖を震えるエリが掴んでいるのに気付いたのは、長考が中断された時だった。考え込んでいたのか私は呼び掛ける少女に全然気付けなかった。少女はどうやら表の人格であるらしく共通語が分からないので、ジェスチャーで私が怖い顔をしていたことを伝えてくれる。言われるまで全く気づかなかっただけに、私は無意識に自分の顔に触れていた。彼女の言ったのように、眉間に皺が寄り、ムスッと口角が下がっているのを自覚したのは触れたその時だった。私はどこかで焦っている。それを伝えたかったのか呆けた面に戻したところで彼女は心配そうに目を伏せながらその場を離れた。気を遣わせていることに自分の不甲斐なさを感じ取る。もっとしっかりしなければ、意気込んで私は頬を叩く。今のところは上手くいっている。それだけは間違いないのだ。自分にそう言い聞かせて。
さっさと眠った私が起きたのは早朝の事だった。まだ朝と言っても良いのかわからない時間帯。当然のように起きているものなど碌に居ない。エリとの一件の後、私は深い眠りにつく事ができなかった。それほどまでに追い込まれている自分を感じていた。初めての立場に振り回されて、空回りしている感じは否めない。しかし、それは意識してどうこうできる類のものではなく、経験を積むことで養われるものだ。私には圧倒的に経験値が足りていない。そんな中、遠くをぼんやりと眺める私の目に赤い光が映る。最初はなんだろう程度だったが、それが松明の明かりだと気付くと、背筋が凍りつく。地平線上に横一列に松明は進行している。つまるところ、それだけの兵隊が進行しているということだ。一気に心臓が激しく鼓動する。火によって追い詰められている芋虫は此方に向かってきているのが分かる。一人でやるしか無い。皆は就寝している。今から起こしに向かったところで間に合うか分からない。それにあの敵の集団から目を離すことが最適だとは思えなかった。緊張感漂う現場を私は駆け抜けた。
「ハァ……ハァ……」
自然と息が荒くなりながらも私は家の設置してある区域を抜けて砂漠らしいところまで移動する。そこには絶望的な光景が待っていた。一面には防具をはめて武器を持った兵士。そしてその兵士達に追い詰められてやってきた化物。此方には前日の作戦のために松明を使い切っている。つまりは体一つでこの場をどうにかしなければならない。戦術を知らない相手であれば、まだ何とかなると確信を持てるかもしれないが、今回の相手は完全に訓練を受けている人間。ある程度の戦闘力を各人が秘めているだろう。
「いけー!いけー!!」
大分接近して見えてきたのは、エリにちょっかいを出していた男が指揮をとる姿だった。最低の男であるが、私以上に指揮する姿は堂に入っており、私は劣等感に苛まれる。それを知ってか知らずか、ニヤけ顔の男は私を確認すると、更に口角を上げて部下たちに私を殲滅する命令を下す。一斉に向けられる弓矢はどれも精度は低いが数撃ちゃ当たると言わんばかりに乱雑に数の暴力が襲い掛かる。一個一個避けている程暇はないので、自分の所に飛んで来た分だけ剣で弾いてなんとかやり過ごす。
そこで溜め息の一つでも吐こうとすると、合間を縫ったように化物が攻撃を仕掛けてくる。油断していて服に少し劇薬が触れて溶ける。肌の直接当たってはいないが、焼けて火傷を負う。直ぐに治して貰うが、痛みがなかった事になるわけではない。痛覚が逆に冴える感覚がする。心因的な問題であるため、身体には傷一つ残っていないが、心が傷を認識し続ける。これでは長期戦に耐えられない。冷や汗をかきながらも思考することを止めない。無心に戦って勝てる戦力差ではないのだ。司令官の男が私を恐れて兵士たちを近寄らせていないため袋叩きにはあっていないが、そうなるのも時間の問題である。精一杯知恵を振り絞る。回避だけで一杯一杯になっている現状をどう打開すればよいのか。その問題が解けないままに私は敵の波状攻撃に囚われる。隙のない攻撃に思考すら難しくなっていき、段々と考えることが面倒くさくなっていく。
何故私はこんなことをしているのかとどうしようもないことすら頭に浮かぶ。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
やる気が段々と失せようとしていた私の後方から聞き覚えのある少女の声が響く。何で此処に居るのか。顔を青くした私が振り向くと、今にも涙が零れ落ちそうなエリが震えながら大声で敵の気を向けさせた。恐怖に震える身体であるが、その瞳は強い意志を秘めて、しっかりと前方を見ている。皆が寝付いていると考えていた私だったが、彼女は私の後ろを付いて来ていたようだ。健気ではあるが、それは蛮行もいいところ。結局戦況には影響を与えない、寧ろ悪化させる要因である。私は彼女に戻って皆を起こしてきてくれと叫ぶが、アーモロに通訳もしてもらうのも忘れるほどにテンパッていたため彼女には伝わらない。寧ろ呼ばれたのだと勘違いして此方に来てしまう。そんな彼女に逃げろというが、懸命な足取りで私に近寄る。
そこを狙われるのは、火を見るより明らかだった。
ザシュ。素早く駆け寄った私の背中に大量の矢が刺さる。なんとかエリに刺さるという最悪は免れたが、意識が遠くなってきたのを感じる。必死に叫んでいるエリに答える気力も失われつつある。こんなところで終わって良いのか。良いはずがない。私の執念は並ではない。強引に矢を抜き取る。幸いにも頭部には刺さらなかった為、一撃死は回避できた。背中から大量の血液を流しながら、少女にもう一度仲間を呼んできてくれと通訳込みで優しく言い付けると、彼女はもげそうな程に首を縦に振って走っていった。私の視線は敵に移る。正気を失いようなほどに見開いた目には、恐怖する兵士たちの姿が鮮明に写った。