エリーナ砂漠 8
訓練も終盤に差し掛かるところで、族長がもう一度私と手合わせしたいと申し出たので、武器はなしという条件のもと私は同意した。周囲に緊張が走る。そこに居るメンバーは、前の私と族長の戦いを見ていた面子であるので、もう一度目に焼き付けたいという人間が多い。あの時は、見逃していた所を今日の訓練を通して気付く可能性を彼らは肌で感じ取っている。とても良い感覚である。その調子で成長してくれることを望みながら、私達は周囲を囲まれた柔らかな砂の上で目線をぶつける。合図などはなくとも、両者一斉に距離を詰めた。
カウンターを得意とする彼の場合、最初は出方を窺うだろうと、推測していた私は出鼻を挫かれたような感覚を覚えるが、それはそれで面白い。彼が今日の訓練で学んだことを私も吸収させて貰うことにする。
予想外には予想外をぶつける。逆に一歩引いた私に戸惑いながらも彼は数発を私にかましてあっという間に撤退する。引き際を心得た動きだ。しっかりと攻めるだけが攻防でないことを理解している。理想としては彼くらいの力量を皆が保てるようになれば完璧であるが、そんな思考をしながら私はゆっくりと彼に近付く。距離を詰められるのを何かの前哨戦のように感じたのか彼も正々堂々と激突の時を逃げずに待つ。段階をすっ飛ばして彼の手前で速さを上げると、彼もある程度は覚悟していたらしく、初撃を防がれた。流石にカウンターを決めるまでの余裕はないようだが、完全に防がれた拳は彼に掴まれて抑えられる。状況を支配した彼は掴んだ手を自分の方向に引きながら己の拳を私に向ける。そのままの軌道を行くと完全に激突ルートだが、私とて今日の成長を披露したい。拳の触れる間際で私は上体をそらす。手前に引かれた力によって私の足は砂を滑り、拳の軌道の下をそのまま滑って回避し、滑る途中で体勢を立て直して彼の背中に蹴りを入れる。その反動を利用して私は彼と距離を取る事に成功した。今日私が一番専念したのはこの砂場にどのようにして適応するか。柔らかい砂は深くに埋まるほどに足を取られるが、あまり体重を掛けないようにして一定の場所に居続けることを避ければ、割りと小回りの利く動きが可能となる。さっきの回避はそれを利用したもの。つまりは今日の成果というわけだ。
得意気に笑む私に体勢を戻した彼は目線を合わせる。瞳には爛々とした輝きがある。恐らく彼もこの戦いを楽しんでいる。両者が純粋な力量を競う。そこに一片の曇りもない。そこからが本番の始まりだった。構えた拳が同時に唸る。随所随所でカウンターも用いて戦術の幅を広げているのだろう。私の拳も彼の拳も互いが拒まれて先を通せない。地力はやはり彼のほうが上である。何の強化も行わない状況でバカ正直に戦えば私に勝機はない。
「おっと」
私はわざと砂に足を取られて転んだ風に演出する。興奮状態にあり冷静さを若干ながら欠いた彼は問答無用でその隙を突くために身を屈ませて拳を放つ。私は目を閉じてその場を転がり即座に退く、族長はと言うと、砂を思い切り殴りつけてしまったために砂塵が舞い、目に砂が入る。視界を奪われた彼のもとに急ぎ、屈んだ背中に一蹴り入れると、彼は抵抗むなしくその場に倒れこむ。そこで決着がついた。卑怯な手段かもしれないが、これが勝つと言うことだ。
訓練を終えると私達はそれぞれが家に戻り食事を摂る。チームワークを養うためには皆で食卓を囲むほうが良いらしいのだが、いきなりそんなことを言われても食事を用意している女性たちに迷惑であるので、今日は取り敢えず各自が各自の家で飯をすることなっている。私も族長とともに家に戻ると、大量に用意された何の肉か分からないものを空腹に任せて腹に詰め込んでいく。決して不味いというようなものは存在しないので、食べて胃に入れてしまえば此方のものだ。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるエリにお礼をしながらも、私はティリーンを見遣る。ティリーンはその時既に此方に目線を投げていて、何をして欲しいのかと心の深さを見せ付ける。どんな要件でも受け付けるという態度の彼女に感謝しながら私は彼女に私ともにあの化物ともう一度戦ってくれないかとお願いする。少しは渋るかと考えていたが、彼女は呆気無く首を縦に振った。そして任せろと鋭い犬歯を覗かせる。戦意は十分といったところか。
食後、理由も聞かずに頷いてくれたティリーンを連れて暗くなってきた砂場に出向く。日が隠れ始めた所で人外共は行動を開始し始めることだろう。現場には私達以外にも予め声を掛けていた戦士達が顔を連ねている。状況を見図る彼女は、そこで漸く今回の作戦について質問を投げる。
「結局のところ、主様は妾まで使ってアヤツと戦う意味とは何じゃ?」
話しそびれていたがそれは重要はところである。私は彼女にそれに対する説明をするため口を開く。
「今朝に族長達とこの砂漠を統治するための作戦を練っていたのだが、各地に散らばる集団を一個一個潰していくのは時間がかかり過ぎる。そこで彼らを引き寄せようということになったんだ。それで彼らが敵地を襲う際に利用しているあの巨大芋虫を利用しようという事になったんだ。」
彼らが敵地を襲う場合、まずそこに敵がいることを確認しなければならない。そして出来るだけ敵が疲弊している状態が好ましい。その判断としてあの化物は使われている。あれは、人間しか襲わないらしいので、あれが出ているというのは人間が居るということだ。そしてあれの強さは私達も体験したが、中々のもので火で追い払うにしてもそれなりの疲労が溜まる作業である。つまりは、そこに人間が居り、疲弊している状態が生まれる。そこをついて特攻なりを仕掛けるのが常套手段らしいのだ。ならばそれを逆手に取らない手は無いだろう。
「つまりは、アレで奴等を引き寄せて一気に叩こうと言うことじゃな。それは良いが、それはこの周辺に居る者達しか誘い出すことが出来んが、それは良いのか。」
そうなのだ。これはこの一帯にしか効果がない。それはここでしかあの化物が出てこないという前提に基いている。それならば至る所で奴等を誘き寄せればどうなるか、そこまで説明したところで彼女の表情が曇る。もしやといった体で私に各地の奴等の餌場でも荒らすつもりかと訊ねる。私はそれに力強く頷く。がっくりと項垂れるティリーンを率いて私は集団の先頭に立つ。
「無茶苦茶じゃな。」
期待の目で見てくる男達を前にティリーンは愚痴を溢す。私はそれにいつものことだろとしれっと答える。彼女は観念したそうに体を解すと、それならいつも通りやるしかないと決意を新たにした。そんな彼女を心強く思いながら、私達は日が完全に隠れるのを待った。
時はそれほど待たずとも来た。あれらの餌場であるあのオアシスまで来ている。みんなの手には火の着いていない松明と武器が握られている。敵を呼び出すのに全員が完全に疲労してしまうと、もしもの場合があるので、少し暴れたらこの火を使って撃退するように指示してある。あのデカブツは、火を極端に嫌う。あれの最大の強みである毒液も近寄らなければ唯の汚い体液にすぎない。それならば、彼らに頑張ってもらわなれければならない。接近するのは私とティリーン、撃退するのは彼らで作戦を組んでいる。そして、数人をそこに残して次のオアシスへ向かう。それを繰り返して各地の情報収集をしながら敵を集めようという事になっている。ここで遠くに出向いている時に本陣を狙われるという可能性を考慮するべきかもしれないが、どの集団も基本的に夜はあの化け物に遭遇しないために出歩かないそうで、襲撃してくるのも大体、戦闘を確認して日が出てきてからだ。他国からの攻撃もこの夜を狙うのは同様の理由で可能性は低いと思われる。その前条件が成り立つ上で作戦なので穴は多いが、これ以外に思い付かなかったので仕方がない。
物思いに耽るのもそろそろ終わりのようだ。前方の砂場に不自然な凹凸がある。注視しなければ気付かないレベルだが、隠れているのだろう。ティリーンと共に他の連中を後ろに控えさせて前に出る。敢えて泉に向かうと飲むふりをする。そして、薬が効いて寝たように思わせる。瞬間、砂が飛び散り、その巨体を露にする。面白いほど引っ掛かってくれた化け物に感謝し、その場を離れる。毒液を避けて剣で砂を跳ねさせて体液を固める。体液を放てない面積を地道に増やして、一応攻撃も加える。勿論体液は全て避ける。ある程度傷付けたところで仲間達の内の数人が松明に火をつけて近寄ると、芋虫は体を引き摺りながら逃亡した。それを見届けると、剣を一振りして穢れた液を振り飛ばす。そうして毒液を払ってから鞘に戻した。
取り敢えずは一ヶ所目成功だ。松明に火を着けた数人を此処に置いて、私達は次なる目的地を目指す。
予め大凡の場所は聞いて把握しているので予想通りな具合に次々と制覇していく。途中は下手な芝居を打たなくても起き上がってくれる有能な奴もいたりと予想外なことも起きたが、なんにせよ、作戦は順調に進んだ。予定の場所まで済ませた私達は来た道を戻りながら、待っていた仲間達と合流していく。どの分隊にも上位勢を一人は混ぜていた為、安心して守ることができていた。これだけの戦力を此方に回しているのだからさっさと帰還しなければと考えていた時には、深夜の闇が少しずつ晴れてきそうな頃合いだった。急いで戻ると、途中で敵を見たという報告を受ける。流石に疲れてはいるが、そんな流暢なことを言ってはいられない。私は取り敢えず一番後ろの陣営まで引くことを伝えて急ぐ足を更に速める。漸く辿り着いた仲間のもとには恐ろしいほどの敵が集まってきている。全滅はしていないが、何人かは殺られている現状。私は引き連れていた仲間たちに全員戦闘域を離脱するように言う。反対するものも居たが、邪魔になると伝えると、空気を読んでくれた。
「流石に多すぎじゃ。まぁ、負けることはないが。」
「心強い限りだ。」
互いに軽口を言い合った私とティリーンは走り来る敵の前線と衝突した。