成り上がる為にはまず堕ちなければならない
ーーどれだけの時間が経ったのか自分では分からないが、気が付くといつの間にか自分は教室の前にいた。
(まだ、時間はあるか)
手元の時計を見てそう考えながらも須賀谷は閉まっていた木製の教室のドアに手を掛け、そろっと開けて入った。
「……どうも。横、失礼するよ」
「……あぁ」
前方に記述してあった座席表の通りに座ると、俺の席の横に居た紫の髪の色をした女が会釈をしてくる。
きりっとしていて、一見した限りでは利発そうな印象を感じた。
「……見ない顔だな」
そして一言を掛けてくる。
「俺は特進Bからの転落組でな、こっちの作法は分からないから仲良くしてくれると助かる」
警戒はまだ解かないが一応席がお隣なので自己紹介気味に、先に言っておく事にした。
「……そうか、……それは災難だったな。……左遷されたのか?」
「みたいなもんだ。俺は須賀谷 士亜」
「そうか。私は 群雲 順。この学校は特進以外の生徒の面倒見は悪いから、しっかり周りを見て生活する事だな」
順と名乗った少女はすると、視線を合わせはしないが意外にもそう優しく返事をしてくれた。その顔はそっけなく無感情ではあるが、微妙に忠告の意が入っている。
「え……?」
「……此処は特進とは度しがたい待遇の差があると言う事だよ。……ここは上と同じではないのだ、その意味をよく考えておくがいい」
――気を使ってくれているのか。
「……あぁ、成程。覚えておくよ」
須賀谷はそれに対し、頬を若干ほころばせながらウンと頷いた。フレンドリーではないが、反応は悪くはない。これならこちらも萎縮をする必要もなさそうだ。気がかりではあったがまずは一安心か。
これが須賀谷の、この世界での順との初めての会話であった……。
「いいか、授業を始めるぞ。……まずは社会学とは何かについてから解説させて貰うが、社会学っていうのは、君達がかつて勉強をしてきた社会という名前の授業とは違う内容の授業だ」
『どんな聖人でも人に嫌われない訳が無い、第一章、E・バーンの交流分析と風炉絃フロイトの精神分析』
そう白板にペンで板書しつつも、ダリゼルディスは告げた。
「この世界における物事の事象を詳しく勉強する事、それが社会学だぁ。魔法を扱うにしても周囲の地形、友軍、天候、自分の立ち位置をよく考えるというのが戦闘地域では重要でもあるからな。戦闘で生き延びること、その為にはアクが強い人間であることが必要だ……ガキのままでは、生き延びる事は出来ん!」
そして突然、声を大きくあげる。
「はいそこぉ!」
「あ、はいぃ!? なんですかっ!?」
指差しと共にいきなり呼びつけられ、健やかな眠りへと船を漕ぎかけていたクラスメイトの男であるニリーツという男が、ガタッと身震いをした。
「寝てもいいけど、その分内申は下がるからな? 勉強という物は戦いだ。やらなくてもいいがその分人に抜かれるから注意しろ! 学生の勉強は世界との戦いだ!」
「へ……あ、はぁ」
ニリーツは呆気にとられたかのように、引き攣った顔をしている。
「緊張感が抜けているのはよろしくないのだよ。さて、再び授業だ。社会学自体にスタンダードな教本は無い。私は人が人として生きていくにはどうすればいいかをテーマとした講義をしているのだ。ノートから期末のテストには出すつもりなのでな。私自身は板書のスピードは速い方ではないが、私が書いた事は出来るだけメモをするように。因みにテストは自筆のノートのみ持ち込み可だが、魔法で友人のノートを複製しようとかは考えるなよ。やったら夏期講習を義務付けるから」
さらに言葉をずらずら並べると、教室内を一瞥して生徒たちの動作をぐるっと伺った。
「さて、人が人として生きていくにはどうすればいいか……。まずは人の欲求、話はそれからになるがな。魔法とは我々人間にとって行使の仕方が多数あるが、そのうち大まかに2つに分けて考えると、脳内分泌物や感情、血液による魔力の自力生成と、魔石や魔本、精霊の補助を受けて発せられるものがある。今回は一つ目に付いても、やりたい」
そしてそう告げ、一つ口をつぐんだ。
……須賀谷は黙って授業を聞いていたが、人の欲求というワードが出た瞬間に少し顔を顰めた。
――ダリゼルディスが、講義を再開する。
「脳内分泌物や感情にくっつけて考えるが、病気や不調は身体にとって当然のごとくマイナスの作用に働くのは周知の事実だ。だがプラスになる要素というものも、日常生活の中にはある。人は欲求不満になると攻撃的になる、これは人間が行使する魔法という概念が発見される前に古の学者、風炉絃というおっさんが言っていたんだが……面白いぞ。相当前の話なのだが、我々人間が感情の力で魔法の威力を底上げ出来るのは、どうやらそれと同じ原理らしい……そんじゃそこのヘルナス、この欲求が何か予想で答えてみなぁ?」
「……睡眠欲ですか? ……眠たい人間って結構、機嫌が悪いですよね」
「違うね、おしい。んじゃニリーツはどうだい?」
「暴力欲……じゃない、独占欲ですかね? 昔の演劇ではよく修羅場シーンがありましたが」
「残念、お前なら答えられると思ったのだがなぁ。……何やらありとあらゆる事をなんと、性欲で片付けるそうだ。さて、年頃のエロ餓鬼の君らにゃ魅力的な説かな?」
そうして笑ってそういうと同時にざわっと、教室が騒いだ。
(……性欲、ねぇ。別にどうって事、ない)
須賀谷はそれを聞いて自分を省みつつも、軽く心の中で復唱をしてみた。
……別になんとも、思いやしない。心の中がチクッとしたのは、気のせいだろう。
そう感想を頭の中で浮かべている間にも、授業は進んでいく。
「まぁ年頃だしな。……リビドー、それは倫理に厳しい連中にはどす黒い心とも呼ばれる。……まぁ茶化したが風炉絃の、そして私の言いたかった事は、人間と人間の感情の触れ合いが無いと人の心は少しずつ擦れてくずれていくと、そういう事なのだよ。……お前達子供が今の段階で性や男女関係をどう捉えているかは分からんが、おいおい酒の飲める年頃になれば経験で分かっていくものだと思う。まぁそれでなくてもお前たちの年頃は孤独がどうのこうのとか、友人関係がどうのこうのと悩んだりする年齢だ」
「……」
「補足するように言うがこれは風炉絃の話であり他の学者はまた別の説をとったりしているぞ? それに性欲といっても単に男の子女の子にもてたい、子孫を残したいという直接的な欲望から、つがいを守ろうとする心まで多岐にわたる。 次回の授業ではそちらについて説明をしていきたいと思うが、今回だけで風炉絃の話は終えたいのでこちらをさっさとしてしまおうと思う。これから重要な事を言う。二度は授業中では言わないからペンの用意をしっかりしておけよぉ?」
そしてそこまでを宣言すると、ダリゼルディスの話はまた一旦の区切りを作らせた……。