それぞれの言葉
家に帰ると学校から無料で支給をされている1リットルのボトルのスポーツドリンクを開ける。
ボトルに口を付けて傾けるとブドウ糖の味が自分に染みていき、喉を満たしていくのがわかった。
「――ぷはっ」
シャワーを終えて小汚い6畳1間のアパートに帰った須賀谷は、居間兼寝室にある小さなベッドシートにへと、腰を下ろしていた。
……近くにある冷蔵庫を開けると、豆腐がある。
「貧乏生活ってのも辛いものだよなぁ……」
須賀谷は下を向き、溜息を付いた。
――98エルカタルの豆腐一丁に温泉卵。……素寒貧な自分の、今日の晩飯だ。……やはり特進から落ちたというのは、財政的にも痛かった。半期の学費、ざっと85万エルカタル。普通科では特進2と比べてたかが授業料10%増とはいえ、されど10%増である。 最近の物価高もあるし、全く貧乏人にはきつかったと思わざるを得ない。親父に迷惑を掛けるわけにもいかないというのもある。
「栄養失調で倒れなければいいんだがな……。まぁ、ヒオウまで来て天神原の豆腐を食っている以上、文句も言えんが」
順に奢って貰う事で明日の財力的には余裕が出来たものの、自分でも生活能力として少し不安に思う。
箸を出して、醤油と冷蔵庫で保存していた僅かなネギを載せて豆腐を食べ始める。
「……はぁ」
……腹もいっぱいには程遠い。言っては何だが、虚しい味だった。
須賀谷 士亜という人間は、故郷を出てイフットと共にこの学園に入学をしてきた。
無論それは騎士になる為のモラトリアムではあるし、自分も卒業をしたら一介の騎士を名乗るとしか考えていない。
別に、自分は世の中全ての家族が平和なわけじゃないし豊かな生活をしているとは思ってはいない。
ただこの今現在、自分独りで静かに貧相な飯を食っていて、家に他に誰も居ないのが悲しく感じられただけであった。
独りで飯を食べ終え、ポストに入っていた公共料金の領収書を見ているとふと、なんで自分はこんな事をしているのだろうとも思えてくる。
自分の十年後に希望さえも持てない、最悪だ。
……だが、此処で歩みを止めてしまったら俺は完全に駄目になってしまうとも、同時に感じた。
――目を瞑ると脳裏にイフットが、浮かんでくる。
もう一度目を開けてさらに再度瞑ると、順が浮かんでくる。
……俺は、勝たなければならない。今弱音を吐いたら、背後の闇に呑み込まれるだけだ。
その闇の中には災厄と何処までも深い黒が沈んでいて、捕まったら最後、強制的に骨になるしかないのだ。
周りに折角背中を押してもらった以上、進むしかない。
そう思っていると小汚い沼に、身体が沈んでいくような感覚がした。
俺は生きたい。まだ、俺は死にたくは無いのだ。
またイフットの横に並べる人間に、なりたい。特に苦労も無かったが辛くも無かった日々を、取り戻したい。異常に冷たい世界で黒岩田に一生馬鹿にされて見下されて膝を抱えるのなんて……嫌だ。
このまま進歩をしない人生で数年を過ぎた場合、自分に待っているのは確実な死だ。
心が渇く、辛い事なんて……絶対に認めたくもない。
少しは道が近付いたとはいえ、まだまだ未来が遠いのだ。泣き事を言う間があれば、その前に力を見せなければならないのだ。不運を嘆くような、時間はない。
――風が家の窓に、打ち付ける。
夜は自分の心を表すかのように更けていき、皮膚を凍らせるかのように冷え込んでいった。
「俺には何もない……それでも、まだ負けたくは無い……!」
大人げないがその日は悲しくなって何年かぶりに、夜泣きをしてしまった。
一方少し時間が撒き戻り、須賀谷と順が別れてから5分後のシャワー室になる。順は一人、女子シャワー室で頭からシャワーの湯を浴びていた。
湯気の中で紫の長い髪が垂れ、水滴を地面に残す。……目を閉じて、しっかりと湯を感じる。
「あったかい……か……」
順はそっと、お湯に満たされたまま回想を始めた。
――先程の撤退はあれだ。嫌だったのだ。自分が不様だったからとはいえ、人に期待をしてしまったのだ。その思いが、過去の記憶と重なって自分で嫌になったのだ。
須賀谷 士亜という男。何があったのかは知らないが情熱だけは、異常な男だ。
そして見た限りでは、私に無い力でもある、心にある闇を自分の力として引き出す事が出来る暗黒騎士の才能というものがある。
だからアイツにならば、私のクソみたいな人生を変えられるとでも思ってしまった。奴を心の何処かでアテにしてしまったのだ。
自分で生きる道は自分で切り開かねばならんというのに、はしたない。
……身勝手だというのを自覚すると腹立たしくもなる。人に頼る訳にはいかない、私の生きる道はずっと一人だったはずなのに全く情けない。
……ここで頭を下げては自分が弱いことを認める事になる。
――自分は一人だったはずだ。……何なのだろう、ジレンマと言えばいいだろうか。今まで人に背を向けていた自分が、人に好意的に接っしてしまった事がそもそも理解が出来ない。
――落ち着いた場所で目を瞑ると未だに、クラスの人間の記憶が目蓋の裏に張り付いてくる。
触ったら濡れた石のようになってしまった、クラスメイトや教師の死後の肌の感触を。彼らを供養しに行った時に雨の中で地面に向かって嘆いた、後悔を。無神経な周囲の人間から自分と死んじまった奴らの仇を取りたいと心から願った、犠牲者の遺志を継ぎたいと思った事実を。
じっとしていると、復讐心と、孤独による辛さだけが脳の中に煮詰ってくる。
自分だけが人を差し置いて再起の光を手にしてよいのだろうか、そんな気持ちもある。
……これは、過去から抜け出せない事に対する自己嫌悪なのかもしれない。
妙な、拘りだ。だが、このクソ生活から出れる可能性があると言うのは、逆に考えれば幸いでもあった。
(……受け取り方によっては、皆の墓前に報告を出来るチャンスでもあるが)
向こうがこの駄目人間に声を掛けてくれると言うのも、中々に考えようがある。
なまじ須賀谷という男が自分視点では自分に近い匂いがする人間と感じるだけあり、それを見ていると自身でも感情の整理が付かずに情緒不安定に陥って混乱をしてくるのが分かった。
「――くッ。……調子が狂う。……フン」
プラスの感情とマイナスの感情が心の中で渦巻いている。 順は唾を吐きつつも自らの長髪の毛先を指で整えると、誰にともなくそう声を顰めて思いを吐露した。
「――あっ、しまった」
それから後にシャワー室から出ようとした時、シャワーのバルブを捻り過ぎてねじ切ってしまった。
「……やれやれ。我ながら、注意力が散漫だな……」
順は魔法で破壊したシャワーを修復魔法で塞ぎながら独り、苛立たしげにごちた。