第八話
女たちの声がした。あの晩餐の席で聴いたような嘲りと侮蔑にみちた笑い声だ。
とたん騎士の顔色がさっと青ざめ、肩が震えだした様は、打つ手をなくし、無力を知らされ、恐怖に打ちひしがれたかにみえた者のようにみえた。
だが一呼吸後、その脚は弾かれたように正面へ疾走する。
表情はごく静かで穏やかですらある。しかしそれこそがこの男が真に怒りをあらわにしたときの顔だった。
予期せぬ真っ向からの突撃に怪物の反応がおくれる。
打ち払わんと横ざまにきた蜘蛛の前脚をかわし、騎士の身が跳んだ。
「ギァアッ!」という悲鳴と血しぶき。
巨躯のみせた見事な体さばきは、その跳躍のいきおいで蜘蛛の背へ落ちるや短刀をふり下ろしていた。さらに眼下にあらわとなっている乳房へ刃を突き立て、かつ引き抜いては第二撃を見舞わんとする。
だが猛るデメテルのごとき蜘蛛のゆすぶりが、その身を恐ろしい力で跳ね飛ばした。宙へ浮いたクァバルはなすすべなく脚の追撃にたたき落とされる。全身に激痛がはしった。
右肩の外れたことがわかったが、すぐに身をよじって跳ね起き、距離をとる。手には短刀がなく、先の攻撃をうけ弾かれたらしかったが、しかしあったところでまともに扱えるとも思えなかった。
白い蜘蛛から右前脚が外れ落ちる。
その脚はもはや血に染まったただの女の亡骸で――あれはクラリスかタリアのどちらかだろうとクァバルは思った――先に毒矢をうけた左の脚と同じく、機能を失った部位として切り捨てたらしい。
「怪物が……」
肩をやられた右腕だけでなく、左腕も粘糸により帷子にひっついてはがれず、クァバルは棒立ちの状態にあった。
あとはさばくだけの獲物とみたか、六脚の蜘蛛がゆるりと迫る。
再び主の笑い声が聴こえた。
「いたましい、じつにいたましい二人の娘の犠牲はあったが――今宵の神聖なる宴もそろそろおしまいのようだ。ご堪能いただけたのなら幸いだが、虚ろの灯りもいずれ吹き消さねばならぬのがつらいところですな。しじまには猪、隣人には一塊の灰、夜には黄金色の血をもって別れの接吻とし、いまは万有のなぐさめたらんと共に手を打とうではありませんか!」
何事かを返す気力もクァバルにはもはやない。
と、蜘蛛が歩みを止めた。
気付いてクァバルもはっとふり向くと、館の陰から躍り出てきたのは確かにおのれの黒馬だった。
高く蹄を鳴らし、息巻く獣は鼻をさげ、額を突きだした突撃のかまえで敵へと駆けてくる。
蜘蛛はとっさに打ち払おうとしたが、二脚を失した体勢に先ほどまでの威力はない。激突をうけ、こらえきれず異形の巨体は横倒れし、黒馬もまた腹部を打たれ転倒した。
同時に馬の背へ張りついていたウィルが地面をころがってきた。
「オオッ――槍だッ! そこの槍をとってこい!」
ふらつきながらも立ちあがり、ウィルはそばにあったガエンの槍を重たげにひきずってくる。
蜘蛛も姿勢を立てなおし、これまで以上の憎悪を噴きあげるや、猛然と地を駆ってきた。
「あァ、あんた腕が……」
「だまって槍の先をやつに向けろっ」
ウィルがなんとか両腕でもちあげると、同時に蜘蛛が跳ねた。
「ふッ――」
頬へ息をため、クァバルは鋭く息をはくや槍の石突・柄の底をブーツの爪先で蹴り飛ばす。
眼をむいたモルガナがおそろしい叫びを発すると、重槍がその歯をくだき口腔をつらぬいた。
つづけて姉妹たちの悲鳴があがり、蜘蛛は獲物にふれることなく地表を滑っていく。
すぐにクァバルはウィルの手を借り、帷子にひっついた左腕を強引にはがすと皮膚も赤くめくれたが、気にせず短刀を探して拾いあげた。
蜘蛛のもとへと歩み、槍が姉妹たちを串刺しにしているのをみる。ほとんどが即死している。
と、息のあった一人がかっと血泡まじりの粘糸を飛ばしてきたが、クァバルはかわそうともせずそれを胸元へ受けると、躊躇なく女の眉間へ刃を刺し、蜘蛛の絶命を確認した。
お読みいただきありがとうございます。
あと二話で終わる予定です。
感想や疑問やアドバイスなどありましたら、よろしくお願いします。