第七話
「蜘蛛――……」
つぶやいたウィルの横で風がうなった。ガエンより放たれた第二射は、しかしこれもむなしく地へと突き刺さる。
とらえていたはずの標的が、直撃の寸前信じがたい速度で左へ跳び、矢をかわしたのだ。
「おいッ、走れ!」
すくんでいた身をクァバルに押され、よろめく勢いのままウィルは厩舎へとかけだした。
これに反応した蜘蛛へ、毒矢が続けざまに飛来する。片膝の姿勢に変じた射手が、地へおいた矢を間断なく発射しはじめたのだ。
おそるべき手練の早業だったが、だが怪物の動きはさらにそれを凌駕していた。
奇怪に躍動する八脚で這い、横跳びにかわし、館の壁面にとり付いては必倒の毒矢をことごとく避けていく。
いよいよ矢種つきかけるころ、闇のなかの動きが一瞬とまった。
矢を回避せんとした蜘蛛の眼前へ、突如クァバルの剣が投じられたのだ。
この隙に怒涛の速射が飛ぶ。
「やったぞガエン! 命中だッ!」
蜘蛛は身を転じて壁にとんでいたが、その横腹には深々と矢が刺さっていた。
「アァッ!」と、暗闇で叫び声がし、蜘蛛の体の一脚が落下する。
即座に本体も地面へ降り立ち、鋭く発せられた音をガエンは察し、とっさに弓を眼前でふった。
「なるほど……蜘蛛の粘糸」
みれば先の剣と同じく、粘質の糸が弓に絡みついている。
ガエンはこれを手放すと、足元の槍をとってかまえた。表情からは笑みが消えている。
「毒は? おい効いてねえってのかッ?」舌打ちし、クァバルは腰の短刀をぬく。
「そのようです。しかしそれより――」
七脚となった蜘蛛は動かずにいるが、その全身からは明らかな怒気が発せられていた。
短い静寂ののち、怪物が闇のなかより躍り出で、ガエンは腰を沈めて力をためる。
だがその月光のもとにさらされた姿をみるや、槍手の意識は動揺し、必中のはずの迎撃がわずかにぶれた。
交差する殺気――。
一瞬後、頭をのけぞらせ地に打ち倒れたのはガエンであった。
あおむいて動かなくなった相棒を眼の端にやりながらも、クァバルは視線を正面の白い姿から外せなかった。
汗がつめたく頬から落ち、荒くなる呼吸を無理にも整えようとしたが、無駄だったので大声を出すことにした。
「じつに――ああ! じつに大した娘たちだな、ジョン・ラハク!」
狂気の主は二階の窓より腕をひろげて応じ、そして中庭にいるのはたしかに彼の娘たちだった。
姉妹らはいま一糸まとわぬ姿態を月光へさらしている。
そしてふくよかな腕や艶めかしい腰、美しい首、腿、臀部などを、白く複雑にくねっては絡ませあいひとつの形を成している。――おぞましい蜘蛛の姿を。
爪先をそろえた一人一人が強固な脚をつくり、蜘蛛のあごにあたる部分には逆さまの顔があった。あれはおそらくモルガナだろうと、クァバルは妙な笑いがこみあげてきたが、赤い唇が突きだされたのを見て反射的に右へ跳ぶ。
空気を裂くあの音とともに粘糸が吐かれ、これを避けると同時に転がっている相棒の槍へ左手をのばす。だがその甲に冷たい感触がし、自由をうばわれた手はむなしく空を切った。モルガナではない、別の顔から糸が吐きだされ、騎士と蜘蛛とをつないでしまったのだ。
短刀をにぎる右拳で強引に糸を断ち切るが、そこへまた別の糸が飛び付き、つづけて腕へ、脚へ、帷子へとも絡みついていく。
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