第六話
つかえの棒が一度で飛び散り、続く二撃目が破城のいきおいで木戸を解放する。
一瞬、そこに見えたのは歩廊の闇ばかりだったが、クァバルがするどく叫んだ。
「顔をあげろ、上だッ」
月明かりのとどかぬ天井一面に、巨大な影がへばりついている。
シッと何かがこすれるような音が鳴り、反射的にクァバルは頭上に剣をふった。かすかな手応えがあったが、しかし影は高く離れた位置より移動した様子がない。
天井の影が動きの気配をみせる。途端クァバルは総毛立ち、
「窓だッ! 外へ行け!」
固まっているウィルをクァバルは強引に窓のほうにやり、そのまま中庭へ蹴り出した。
ガエンの手元より素早く槍がのびる。狙いは正確に標的の位置をとらえていたが、しかし天井にいたものはすでに身を転じ、クァバルへと躍りかかっていた。
騎士の身を覆わんとする影を、クァバルの渾身の縦一閃が迎え撃つ。
今度は重い手応えがあった。影は床へ降り立つや、警戒するように跳びすさる。
だが、はげしい動揺があったのはむしろクァバルのほうで、瞬間ひるがえっては脱出した二人を追い外へ跳んだ。
窓外より十五ヤードほどはなれた位置にはガエンがいて、そこへ駆けつけるやクァバルは剣を月灯りにかざした。手応えのあった二刀目はたしかに異様の本体をとらえていたが、しかし感触は斬撃のそれではなかった。みれば刀身の輝きは常よりもにぶっていて、刃の全体に白く付着しているものがある。指でふれると固く粘り、これが剣の冴えをうばったものだとわかった。
「あの一刀目だな……ガエンよ、俺の剣がこのざまだ。やつ、妙なものをとばしてくる。音に気をつけろよ」
「ええ。しかしこれで仕留めます」
この期におよんでも不敵の笑みの男は槍を置く。そしてぬかりなく持ち出していた鹿革袋より短弓をとって構えた。飛び道具をもちいる騎士なぞは恥を知らぬと卑劣漢よばわりされる時世だが、薄暗いいさかいの絶えぬ主君をもつ身とあっては手段を問うていられない。これに使う矢は携帯を容易にすべく短くされているが、やじりには附子の毒が仕込んであり、集団相手の暗殺やまた辺境の獣を討つさいなどによく重宝していた。
真円に近い月はいま彼らの背面にあり、中庭のうしろ半分は館の影に埋めつくされている。
「おぼっちゃんよ」クァバルは周囲へ気をやりながらウィルにいった。「次にアレが姿をあらわしたら、隙をみて馬屋へはしれ。セングレン――俺の黒馬だが、あれの前脚を二度たたいてから鼻をなでてやれ。そうすれば背中をゆるしてくれる。乗って逃げろ」
怪訝な表情をみせるウィルに、クァバルはあご下の汗をぬぐって続ける。
「王はなにより貴様の身柄をおのぞみだからな。万にひとつもここで消えてもらうようなことがあっちゃ困る。なあに、心配せずとも明日までに俺たちがもどらんときゃ、別のやつらが貴様をひっ捕らえにくる手筈さ。もっとも、あの王のもとへ連れていかれることを考えれば、いまの状況のほうがよっぽどましかも知れんがな」
野獣じみた眼光をぎらつかせ、本気とも皮肉ともとれぬ声音でいう。
「……あ、あれは、さっきの影はいったい何なのだ?」いまのウィルには先のことより、正面の窓の闇が何よりおそろしかった。「獣か? 獣であればむかし、五旬祭の出しもので人よりも大きな白猿をみたことがある、もとは、エジプト人の旅商が飼っていたやつだ。家の屋根よりも高いポールをてっぺんまでよじ上って、すごい声を出していたが……あれはそういうものなのか? しかし、さっきのやつはそれよりもずっと大きかった……いやちがうっ、あれは、あの姿は獣というよりも……」
甲高い声に言葉はさえぎられた。二階の窓から、ジョン・ラハクが残忍な顔をのぞかせ、拳をふりあげ耳ざわりな哄笑を響かせる。
「丁重に遇せよ!」主は下品な笑いまじりにいう。「およそ六十日ぶりのもてなしだ! 厚くつくして存分に満ち足りていただこうではないか!」
狂ったような姿にウィルの眼が引きつけられる。だが、騎士たちはその逆へ素早くふりむくや、ガエンの手からは矢が放たれた。
逆光で黒色にそまった館へ一矢が飛び、硬い音とともに壁にはじかれる。
ウィルもようやく気づいた。これまで背を向けていた濃い暗闇のなかに、黒くうごめくものがあることを。
その地面を這った姿はたしかに人でも獣でもなかった。
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