第五話
「あまり楽しまれていなかったようで。あなたともあろう人がご婦人がたに一声もかけずとは」
宿坊へもどってからのガエンの言葉に、寝台へ重く腰を落としたクァバルは苦々しげな顔をして、
「よくもいう。ああいった手合い、しめった没落貴族の娘なんぞはむしろ貴様の領分だろう。なんだ、さすがの色男どのも、ああもべっぴんどころに揃って出られては臆するところでもあったか? それとも――……」
そこまでいってクァバルはふと押し黙る。
「ここは妙です。何かがおかしい」
「……フン、豪奢な食事と女に音楽、まるで寝物語に聴いた聖戦時代の宴さながらだ。マア相当の変わり者一家であることにはちがいない」
「ええ。それにあなたを初めて目の前にして、あのようにおののかなかった女性などみたことがありません」
最初にモルガナに会ったときの話だろう。いわれたクァバルは眉間にしわよせ琥珀の眼をぎろりとさせたが、実際、当人にしてもそこで同じく違和感を抱いたのだから怒るわけにもいかない。
「それとあの、赤毛の女だ。ありゃ一体何者だ?」
その言葉にウィルも顔をあげる。向かいのベッドへ座り話を聴き流していたが、脳裏には夕食のあのときからずっと、かの人の白い顔が鮮明にあったのだ。
「あの女のせいだぞ、そもそも俺たちがここにいるのは。情けなくも森に迷い、凝らしていたこの眼にあの痩せぼそった姿が見えたのだ。わが愛馬もその右眼でしかと確認しているはず。しかし追った先にはもう影も形もなく、代わりに見えたのはここの蒼い屋根だったというわけだ。まあ、おかげで、こうして満足な食事と寝床にありつけたわけではあるが」
ウィルは、食卓で向けられた暗いまなざしを思い浮かべる。――あれは救いを希求する眼ではなかったろうか? 彼女のほかに使用人はいないのか? なぜあのようにひどく扱われているのだろう? ……あの薄い唇が一言も発さなかったのは会話をゆるされていないのか、それとも言葉自体を話せぬのかもしれない。ああ、いや……なんにしても、あの場で自分は名前をたずねておくべきだったろうに――。そう、ロザリオとともに触れた女の指のつめたさを思い返すと、青年の胸はなぜか騒がしくなった。
と、重く車輪のひびく音がして、窓の外がにわかに騒々しくなる。ウィルがのぞくと、中庭をへだてた向こうに見える本館入口に、二頭立ての馬車が止まり、降りてきたのはやはりこの家の娘であるらしい。馬車が去っていくや、ぞろぞろと出迎えがきて、
「おお、ワンダ!」主人の高い声がした。「随分とおそかったな今日は。だがしかし、これで姉妹九人がそろったというわけだ」
その場の明かりは館内よりもれるもののみで、住人には闇がかぶさりほとんど影法師のようになっている。表情のうかがえぬそれらがそろって宿坊を向いて動かなくなると、そのいい知れぬ異様さに打たれ、ウィルは腹の底から冷たいものがこみあげてくる気がした。
「あなたがいなくても、われわれに静かな眠りはゆるされないようで」
いつのまにか、青年の横にきていた長髪の騎士がウィルにつぶやくと、背後からはその相棒の荒い舌打ちが聞こえてきた。
夜半、静寂が破られる直前までクァバルはおのれをリチャード一世の臣下であるとしていた。父と子と聖霊の名において剣をあずかり、エルサレム奪還の任に燃え、百年以上も前の隊列に加わっていたのだ。
まぶしい陽光のもと、海沿いの行進をさえぎる二万の敵軍をまえに獅子心王の檄が飛ぶや、その姿の雄々しさに彼の心は熱くふるえた。
「かかってこい! サラセンの悪魔どもめ!」
さけびざま斬りかかった刃は、あやうくガエンの頭を真っ二つにするところだった。間一髪、槍の柄で器用にいなされる。
「お静かに、残念ながら偉大なるクルドの英雄はとうに亡くなられています」
気がつけば陰気な夜の修道院だ。相棒を呼び起こしたガエンはすでに武装しており、蝋燭に火は灯されず、窓からの月明かりのみがベッドに腰かけたウィルをうかばせている。見張りを交代してからどれくらい経ったのか……クァバルは頭をふって夢魔を払うと、すみやかに五感をとぎすました。
と、木戸の叩かれる音がした。入口にはかんぬきがなく、代わりに二本の棒をつかえさせている。さらにもう一度ノックの音がして、完全に覚醒したクァバルはあらためて剣をとると、ウィルに部屋の隅へいくよううながした。
音が止み、男たちの息づかいだけが暗い静寂に続く。
少ししてウィルが騎士たちの警戒を過剰に思い、「杞憂ではないのか」と立ち上がりかけたところ、衝撃が響いた。
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