第十話
朝までともに過ごすことにし、三人は広間でまんじりともせず、クァバルだけが長椅子で大いびきをかいた。
ウィルは女とひざを寄せあいよく話した。女はアリィという名で、三人のきた方角より館を横切りさらにぬけていくと町へ出るらしく、もとはそこでしていた針仕事をみこまれ雇われたという。待遇もよく当初は幸運を感じていたが、ここへ越してからは主人らの変わりように怯えるようになり、しかし一家の眼がおそろしいうえ、天涯孤独の身でゆくあてもなく生きた心地でなかったと語る。
話の間中、自らのことも忘れてウィルは彼女をはげまし、その身の上にいたく同情した。
やがて夜が明けて出立のときがきたが、再び首切台へ向かう心持ちのウィルを、正面入口でクァバルが制する。ついてくる必要はないという。
「一応これでも聖体を拝受し剣をあつかっている身だ。報恩の訓戒くらいは守るつもりでいる。――かまわんだろう?」と相棒のほうをみる。
「ええ、あなたがそれでよろしいのなら。ですがその前に」
とガエンは壁へもっていた槍を立てかける。その腕がふられ、すぐに腰へ剣のおさまる音がし、ウィルは「あっ」と顔の横をおさえてうずくまった。ガエンが足もとより拾いあげたのはウィルの左耳と頭髪だった。
「追いつめた先は千尋の渓谷、抵抗にやむなく一刀当てるや身をくずして彼は転落……これをその裏づけとしましょう。こんなものでも、証がなくてはあの残酷な王は納得しないでしょうから」
「……もっともだ。そういうわけで、いま貴様はここで死んだ。くれぐれも化けて出てくれるなよ――。血止めの薬だ、ぬっておけ。あとの手当はそちらの娘さんにやってもらうんだな」
それ以上は交わす言葉もなく、苦悶の若者へ女が寄り添うと、騎士たちは騎乗し、館を後にした。
町へと通ずる樹木の道をいきながら、クァバルがときおり腹に触れ、落ち着かぬ顔をするのをみてガエンがいう。
「心配なさらずとも、あの食事に妙な仕掛けはありませんよ。そのつもりがあったなら今ごろはわれわれも二階の彼らとのんびりしているはずです。あの晩餐においては主人に嘘はなかったと思いますがね。それとも、あの席に”彼ら”の一部が出されていたとでも?」
と、いつものからかい調子を向けられると、
「いや、そんなことはない……そんなことはこの舌と胃の腑が絶対にゆるさんはずだ。わかっている、気にすることなど最早何もない――」
安堵をさとられぬようクァバルは前へと向き直った。
そしてふと、食事の席においてあれほど饒舌だった主が、一度も自身の妻、あの娘たちの母親について語らなかったことに思い当たったが、また相棒に笑われてはつまらないのでもう何もいわなかった。
それから歳月が過ぎ、カーナの王もとうに代替わりしたころ、住人を失った件の館は完全な廃院となっていた。
雨ざらしに屋根はくすみ、モルタルも剥がれ地肌をさらした無惨な家屋は、”むかしここは人食い屋敷だったのだ”とする子供らの興味の対象でしかなくなっている。
しかしそうした無辜なる退廃が怪事と流血の記憶をすすぐのとは対照的に、そこより遠く西へはなれた小さな町には不穏な変化が起きていた。
エイム・オー・サバリンなる酒造業で成功した壮齢の人物が、家族とともにその静かな織物業の地にきたのは六月の雨の降りしきるなかだった。彼には年若い妻とそして七人の娘がいたが、昨年にはさらに双子の姉妹が産まれたため、町はずれの広い邸宅を買いとったのだという。
この一帯では稀なほどの資産家は愛想もよく、町のためによく尽くし、また幼子らも姉たちと同じく健やかに育っていったが、年頃になってあたりからはどういうわけか一家共々あまり外で姿を見かけなくなった。
噂が立ち始めたのもそのころからで、遠方より訪れる者があってもサバリン屋敷で一夜を越すと皆早朝には発ってしまう。町を出ていく姿をだれも見ないところから、住人たちは一家のことをひそめた声でささやくようになったが、すでに町の実権者となっていたサバリンの事情はそれ以上表立つこともなかった。
それでもときおりの会食などには住人も屋敷へ集い、家族総出での惜しみない歓待をうけていた。そうした際、とりわけ婦人連はいつまでも若々しいままにみえる赤毛のサバリン夫人をほめそやすのが常だったが、これに気づくと主人は決まって欠けた左耳のところに手をあてがい、冷たい表情をして黙りこんでしまうのを客人たちは不思議に思うのだった。
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