サンタとの遭遇
初投稿です。少しでも楽しんでいただければ幸いです。
サンタクロースを見た。
クリスマスイブの夜、僕は本当はアルバイトをしている予定だった。だが店長さんが、
「クリスマスくらい良い人と過ごすといい」
と、大変ありがたいけれど良い人なんていない僕には皮肉にしか聞こえない気遣いをしてくれたおかげで、予定がなくなってしまった。
我が家のベランダでひとり、孤独に打ち拉がれながら見上げた空があまりに綺麗だったので「サンタさん……僕、可愛い彼女が欲しいです」と思わず呟いた時だった。
夜空を駆ける光が見えた。無駄に視力の良い目を凝らすと、赤い服が似合うアンチクショウが乗ったソリと真っ赤なお鼻のトナカイだった。
赤い光に包まれ、滑らかな軌跡を描き空を走っていた彼らは、次第に高度を下げていく。
そして数秒後、どかん、と何かが爆発したような音がした。発生源はサンタクロース(?)が飛んで行った方向だ。
しばし黙考。そして出た答えを口にする。
「飛んでたんじゃなくて、落下してたのか」
少なくとも僕が知っている限り、サンタクロースの伝承に赤い光なんて無い。きっと大気中を高速で落下したことにより生じた摩擦熱で発火していたのだろう。
答えが出てすっきりした僕は、自分が幻覚を見るくらいに寂しかったという事実に直面し、ヘコんだ。
だから外に出たのである。自分を慰めるための何かを探しに。決して本気でサンタクロースを信じているわけではない。サンタさんは小二で卒業した。このクソ寒い中、何かが落下した方角へ歩いているのも近所で唯一のコンビニがあちらにあるからである。
歩くこと十分。僕は謎の落下現場にいた。たまたま山を散歩したい気分になって歩いていたら着いたのである。
空気が乾燥しているせいか現場はいまだに煙が晴れておらず、視界は悪い。だが空が晴れていて月が明るいのでなんとなく見渡すことはできた。
森の真ん中に小さなクレーターができていた。その中心に何か、確実に石とかではないものが鎮座していた。
いや、正確には鎮座なんて立派な姿ではない。ゴミのように転がっていた。
そこに落ちてたのはソリとデカい袋とトナカイと、北欧系の美少女である。
「生きてますか?」
声をかけてみる。普通の人間ならクレーターができるような速度で地面に落下したら間違いなく死ぬが、ソリとトナカイで飛べる存在を果たして人と思って良いものか。
だいぶ煙が晴れて、携帯電話のライトで足元の確認ができるようになった。クレーターを慎重に降り、女の子のもとに寄る。
近づくと「う……」とうめく声が聞こえた。生きてはいるらしい。傍らに座り、肩をつついてみると彼女は目を覚ました。
薄汚れてはいても、起き上がった彼女は予想以上に可愛らしかった。
鮮やかな金色の髪に青い瞳。サンタクロースという言葉から連想されるようなお爺さんではないが、むしろ眼福なので結構。美少女は世界の宝である。余談だけど、残念ながらミニスカではない。普通の赤いズボンだった。ちっ。
「ここ、は……」
彼女が寝ぼけたように声を出した。それが日本語であることに面食らいながら、独り言だとわかっていても僕は応答する。
「ここは日本の片田舎の山中です。あなたは墜落したみたいですよ」
「!? あなたは……? っ、Where is here!?」
「今さらサンタっぽさにこだわって英語で話さなくてもいいです。女の子な時点で一般的なサンタクロースのイメージからかけ離れていますし。さらに言えばサンタの起源、聖ニコラオスの祭日は12月6日で、配るのはオモチャじゃなくてお菓子。何より聖ニコラオスの産まれはローマ。ローマ帝国の公用語はラテン語、ついでにギリシャ語。どのみち英語はおかしい。……そんなことも知らないとは、貴様モグリだな?」
「うっ!?」
図星だったのか顔を青くする彼女。オーバーなリアクションで体をのけぞらせる。これだけ動けるのを見ると怪我らしい怪我は無いようだ。
「ところで落ちてからもう15分くらい経ってるけど、平気なんですか? 見つかりますよ」
さあっ、と彼女の顔から血の気が引く。もともと肌が白いので、病人のような白さになった。慌てる子どものような姿を見ていると、なんだか敬語を使うのが馬鹿らしくなってきた。
ちなみにトナカイはまだ寝たまんま。ソリはどういう強度をしているのか完全に無傷だ。
「見つかるとマズいの?」
「………」
無言で彼女はこくこく頷く。
「それじゃ、ウチ来る?」
「はい?」
「緊急避難ってことでウチに来ないか、って言ったの。どうせ両親も『クリスマスくらい彼女とよろしくやりなさーい。私たちは海外を回って優雅に過ごすから』とかふざけたことを抜かして旅行中だからね」
その時に「彼女を連れ込んでアレしちゃってもいいわよん。サンタクロースを晩餐いただくのもオツね」とか言ってたことは秘密だ。
……サンタクロースをいただくってなんだよ。
彼女は少しもじもじして、
「聖夜を性夜に変えるつもり? いやらしい」
「そんな肉食系ならクリスマスに独りなんてこともなかっただろうなあ……」
漢字表記の違いがわかってしまう自分が悲しい。
「じゃあいいや。頑張って隠れてね」
そう言って僕はクレーターの端に腰を下ろす。
「何してるんですか」
心なしか彼女の口調が荒っぽくなっている。それでもやっぱり可愛いけれど。美少女は良いものだ。
「見てるの。サンタさんを見れる機会なんてめったに無いし」
「……そーですか」
苦いものを間違えて食べてしまったような顔をして、彼女が片付けを始める。どういう理屈かはわからないけれど、トナカイとソリは小さな人形に姿を変えた。白い袋だけはそのままだ。
どうするべきか悩んでいるのだろう。彼女はその場にぺたり、と体育座りした。嫌われてしまったのか、僕に背を向けている。
その時、そう遠くない場所から茂みが揺れる音がした。
「おい、多分こっちだ」「一体何が落ちてきたんだ」「本当に隕石かなあ」
「!?」
聞こえてきた話し声に彼女が身をすくめる。会話の内容から察するに、おそらくは近所の大学の天体サークルの奴らだろう。ネチっこくてインテリぶっていることから広く嫌われている。
「ど、どうしよう……!?」
彼女は慌てた様子で辺りを見回す。が、ここは慣れない土地で、しかも山の中だ。どこに逃げればいいかなんてわからないだろう。
ぼんやり考えていると、キョロキョロする彼女と目が合った。道に迷った子どものような目だった。『こんな奴に頼りたくないけど他にアテも無いし』という逡巡が簡単に見て取れる目つきだった。
「さて、僕はもう帰るか。あいつらに見つかるとうざそうだし、秘密の抜け道を使おう」
「!」
我ながらわざとらしい台詞だと思う。非常に説明くさい。
「昔、山で遊んでる時に見つけたあの道なら、誰にも会わないで帰れるだろうし」
僕がすぐにここにたどり着けたのも、山遊びしているうちにいくつもの抜け道を見つけていたからだ。
「誰かに見つかるとやだけど、付いて来られたら仕方ないかな」
僕には演技の才能は無いらしい。そう棒読みして歩き出す。
彼女はまだ迷っている様子ではあったけれど、だんだん近づいてくる足音を嫌ったのか、僕の後ろに小さな足音が付いてきた。
山を出て家の近くで振り返ると、行く当てがなくてなんとなくついてきたのだろう。やはり彼女がいた。バレてないつもりだったのか、ばっちり目が合ったのに電柱の後ろに隠れた。
彼女は細身ではあるけど、電柱よりは横幅がある。赤い衣装が所々はみ出している。
「いくらクリスマスでもその格好は目立つと思うよ」
「~~っ」
やはり無理があることには気づいていたのだろう。あっさり姿を現す。羞恥に赤らんだ頬がグッド。
「ここが僕の家。僕以外には誰もいないしお茶くらい出せる。そして僕は草食系。どうする?」
「……おじゃまします」
こうして僕はサンタクロースを家に連れ込んだのだった。
「えっと、まずは助けてくれてありがとうございます。わたしは冬白聖良と申します」
「や、ご丁寧にどうも。僕は神谷由季と言います」
彼女――冬白さんをリビングのソファに座らせ、お茶を淹れると丁寧な挨拶が待っていた。膝を揃えて背筋を伸ばした姿はなかなか凛々しい。
思い切り日本人な名前だが、髪や目の色は日本人じゃない。ハーフだろうか。
「ありがと」ともう一度お礼を言ってから彼女がお茶をすする。僕は「あ、おいし」と呟く冬白さんに訊きたいことがあった。
「ところで冬白さん、あなた本当は何なの?」
「何、って?」
「僕だって、まさか本当にサンタクロースだとは思ってない。だからと言って冬白さんが普通の人とも思えない。爆薬じゃああんなクレーターは作れないだろうし。それに爆心地で寝てた理由も説明つかないし。だから、どういう存在なのかなって」
「人間じゃないってあっさり受け入れちゃうんだ」
「むしろメテオな勢いで落下してきた人を人間だと思い込むほうがおかしいと思うけど。あれじゃあパズーも粉々だ」
「あ、わたしもラピュタは好き」
カップを手のひらで包むように持つ冬白さん。どうやらもうサンタクロースを騙るつもりはないらしい。
「んー、あなたは口が堅い人?」
「軽い人。けど人に話して正気を疑われる話題かどうかは判断できる」
「そ。それじゃあ嘘みたいなほんとの話をするね。わたしは量産型サンタクロースです」
「量産型?」
思わぬ言葉に頭が混乱する。量産、ということは彼女はロボットか何かなのだろうか。サンタの技術が凄すぎる。
そんな僕の懊悩を察したのか、冬白さんは笑って話を続ける。
「量産型とは言っても人間よ。本物のサンタクロースから力を借りてるだけのね」
「え、サンタさんって実在するの?」
「するよ。とは言っても人間じゃないけど」
「……ごめん。話がうまく理解できない」
空を飛んできた彼女は自分を人間だと言う。そしてその空飛ぶ力をくれたサンタクロース(本物)がいて、そのサンタは人間じゃないと言っているらしい。サンタの元は人間のはずだけど。
「サンタクロースっていうか、より正確にはサンタの役をする人がいるの。サンタクロースって伝承は世界中のあちこちにあるからプレゼントを配りきれなくて、わたしみたいな臨時サンタを作るの」
ということらしい。考えるのが面倒くさくなってきたのでそういうものだと受け入れることにする。
「プレゼントを持ってるようには見えないけど」
「それはそうよ。わたしたちが配るのは夢だから」
「夢?」
「そう。みんなに本物のプレゼントを作るなんてできないから、物のプレゼントはご両親にお任せしてるの。わたしたちはその晩に幸せな夢を見せてあげる。これなら家宅侵入もしなくていいし」
「なるほど」
マンガもアニメもゲームも好きだからある程度はぶっ飛んだ話にもついて行けるつもりでいたけど無理っぽい。サンタ実在を受け入れるだけで精一杯だ。
「ちなみにソリとトナカイはレーダーや衛星をかいくぐれるステルス仕様」
「すごいな!?」
「さらに超音速でカーブも自由自在」
「サンタさんが人類の敵じゃなくて良かった……」
あはは、と頭悪い会話に冬白さんは笑っていたけれど、急に「はあ」とため息をついた。
「どうしたの?」
「いやあ、情けない話なんだけど……もう墜落をみられちゃったくらいだし、いいか」
そう自嘲する。顔は苦笑いだが、言葉は重い。
「今年はもう夢を配れないし、サンタもクビかなって」
彼女の話を要約するとこういうことらしい。
曰く、落下した衝撃は確かにあって、全身が軋んでること。
曰く、弱った体ではサンタという激務は果たせないこと。
曰く、サンタ道具を使えるのは一部の家系の限られた人だけで、一度失敗したら誰かに役割が譲られること。
「子どもたちには悪いけど、もうまともに飛べそうに無いしさ、サンタはクビ。幸い衣装だけは無事だから、ゆっくり飛んで帰るよ」
「冬白さんはさ、サンタを続けたいの? 激務なんでしょ?」
「できるなら、続けたいよ。ずっとなりたくて、ようやく任せてもらえたんだから、途中でやめたくない」
「それはなんで? とか聞いてみていい?」
「……ずっと、憧れてたんだ。サンタクロースってみんなに笑顔をあげる人でしょう? クリスマスには世界中の子供たちがサンタさんを待ち望んでる。みんなに必要とされてる」
そこまで言って冬白さんは視線を落とした。
うつむく顔には自嘲があった。
「わたしは、そんなサンタクロースになりたかったんだ。きょうだいの中でもみそっかすで、誰にも期待されないわたしでも、サンタクロースになればたくさんの人に必要としてもらえると思って」
冬白さんは顔を上げて笑ってみせた。
美少女の笑顔は魅力的なものだ。
けど、この顔は見ていて腹が立つ。無性にイライラしてきた。
そんな下手ッくそな作り笑いも見抜けないような間抜けとでも思ってんのか。
バカにすんな。笑うならちゃんと笑いやがれ。
「でも、ダメだったみたい。せっかくサンタさんになれても、役割をほとんど果たしてないうちに墜落してさ。これじゃあサンタさんを待ってる子たちを逆にがっかりさせちゃうね。あはは、わたしはそんなのばっかりだ。誰かに必要としてほしいなんて、身の程知らずだよね」
黙っていたら冬白さんはいつまでも自分をけなし続けるだろう。
そんなもん聞いていたくもない。何が悲しくてクリスマスに他人の愚痴を聞き続けてやらねばならんのか。
「衣装を気にしてたってことは、それは何か特別な衣装なの?」
話の流れをぶった切って質問をする。怪訝な顔をしながらも答えてくれた。
「サンタクロースの代役をこなせる体にするためのグッズのひとつで、これを着ている間は寒さもソニックブームも防げるの。トナカイやソリも同じ。それがどうかしたの?」
「それなら行けるな。僕が代わりにサンタをやるよ」
「へ?」
「冬白さんはサンタ役を辞めたくない。けど体は傷ついてるから役目を果たせない。なら他の誰かがこっそり代役をすればいい」
「けど、サンタって激務だよ? 時差を計算して夜のうちに夢を配らないといけないし」
「ふっ、それがどうした。そのテの計算は大得意だし、何より友達が彼女とイチャコラしてる中、孤独なクリスマスを過ごす苦しみに比べれば! ていうか彼女がいる奴なんざ友達じゃない!」
思わず熱く語ってしまった。彼女も間抜けな顔で引いている。
そうさ。働いていれば孤独な 夜を過ごすよりも気が紛れる。両親が帰ってくるのは年末だから、冬白さんにゆっくり休んでもらっても差し支えないし。
「あ、でもサンタグッズを持ち逃げされたら大変か」
「ソリもトナカイもイブの夜とクリスマス当日の夜しか動かないからそれは平気なんだけど。……それじゃあ、お願いしてもいい?」
「まかせろ。冬白さんはゆっくり休んでて。母さんが気を利かせてくれたからね。冷蔵庫に独りで食べるには絶望的なサイズのケーキとか、どう見ても二人ぶんの料理とかあるからね!」
母さんは無駄に鋭いので、僕に恋人がいないことなんて確実に見抜いてる。なのに明日用に準備してあるクリスマスメニューは二人前。もちろん母さんは僕が食べ物を粗末にするのが嫌いなことも知っている。きっと二人前の料理を平らげて、不必要なほどに満たされた腹で心の虚しさを噛み締める僕を想像して笑っているに違いない。外道め。
「なんか黒いオーラが立ち上ってるわよ」
「おっとごめん。あ、代わりの服を持ってくるよ」
「……あ」
なぜか顔を赤らめてもじもじし始めた彼女を置いて、僕は自分の部屋へ急いだ。
適当にフリーサイズの部屋着を見繕ってリビングに戻ると、扉を開けた時に冬白さんがビクッと小さく跳ねた。やはり顔が赤い。風邪でも引いたのだろうか。
服を彼女の隣に置く。その時にも冬白さんは僕のほうを見ようともしない。むしろ目を背けられている。
「僕は外にいるから、着替え終わったら呼んで」
不審には思ったけれど、女の子にはいろいろあるのだろう。深くは聞かないことにする。
五分ほど経って僕はリビングに戻った。なぜかサンタの衣装は綺麗に畳まれている。
冬白さんはグレーのスウェットに身を包んでいた。かなりやる気の無い服装だけれど、さすが美少女。どんな服でも可愛らしい。
彼女の話を聞く限り時間に余裕はない。僕もさっさと着替えないといけない。
「待って……!」
赤い衣装に伸ばした手が、掴まれる。
「ほんとに、着るの……?」
「着なきゃできない仕事なんだろ?」
「えっと、わたしの衣装だから小さいかも」
「まあスカートじゃないだけまし。見たところ全体的に余裕がある造りだし、着れないことは無いでしょ」
今にして思うと、衣装がミニスカじゃなくて本当に良かった。男のミニスカなんて見苦しい格好は誰も得をしない。恥をかく僕が損するだけだ。
「えっと、だからぁ……」
「時間が厳しいんだろ? 早くしないと」
「あっ!」
多少強引に彼女の手を払い、衣装を手に取った。
あったかかった。
ちょっぴり湿ってた。
反射的に全身がフリーズする。体と対照的に沸騰した脳味噌で考える。
あったかい。ちょうど人肌くらいの温度。この服はついさっきまで冬白さんが着ていたもの。かなりの高度を音速以上で飛ぶソリの上が寒いことは想像に難くない。つまりこの服はかなり保温能力が高い。そんな服で山道を入れて一キロくらい歩いたらさぞ暑いだろうなあ……真冬でも汗かくくらい。
冬白さんが焦ってた理由がわかった気がした。
「~~~~~っ! このバカ、デリカシー皆無男っ! だからモテないんだ!」
どうしよう。僕はたいがい口が回るほうだけど、反論の言葉が見当たらない。
「……どうすべき?」
「わたしに聞くな! だからデリカシー無いって言うのよっ」
「着ないほうがいい?」
「もう良いわよ……。もう触られちゃったし、頼んだのはわたしだし……あきらめる」
なんかその言い方だと僕がえらくひどいことをしたみたいに聞こえる。
「ええと、ごめんなさい」
「謝んなくていいから、早く着替えてきてください」
「……はい」
微妙にいたたまれない気分になった。
着替えてみると、やはり若干苦しくはあるものの問題無い程度だった。残ってた体温のおかげでひどく心苦しいけれど。
リビングで冬白さんには「似合わない」と爆笑された。まあいつまでもヘコんでいられるよりはいいか、と思って黙って笑われてたけど、あんまりしつこいので腹が立って、服の匂いを嗅いでやった。真っ赤になった彼女に思い切り殴られたけど、後悔はしていない。汗臭いどころか柑橘系の良い香りがした。返す前にこっそりもう一回嗅いでおこう。
「それじゃあ冬白さん、行ってきます」
僕は今、庭でソリに乗っている。冬白さんにソリの操縦について簡単なレクチャーを受け、いよいよ飛び立とうとしているのだ。
すぐそばでスウェットの上にさらに半纏を装備した冬白さんが見送ってくれている。
「いってらっしゃい。代役、お願いします。それと、何かお礼したいから。一日遅れになっちゃうけど、クリスマスプレゼント。見たい夢、決めておいて」
「あ、それじゃあ夢はいらないからさ、ちょっと頼みがあるんだけど」
「……エロいのはダメ」
「僕はそんなイメージなのか!? そんなんじゃなくて、僕が帰ってきたらあああぁっ!?」
そんなイメージなのか、と叫んだ時に軽く手が動いてしまって、綱がトナカイに出発の合図を送ってしまった。
僕は、最後まで言い切る前に飛び立っていた。
翌日。12月25日。日本時間で午後十時。僕はだいたい24時間ぶりにようやく帰ってきた。
全身ボロボロである。心も追い立てられる恐怖でズタズタである。
僕は出発してすぐに西側に向かった。時差の都合上、夜が続かないから東回りはやめておくように言われていたけれど、冬白さんの担当区域は主に東アジアだ。日本からならどのみち西に飛んだほうが速い。
間抜けな僕が気づいたのは、担当区域の西端に着いた時だった。
冬白さんは、ソリとトナカイはクリスマスとイブの夜しか使えないと言っていた。
それは、どこの時間を基準にした『夜』なのだろうか?
冷静に考えてみたところ、恐ろしい答えが導き出された。
もしも『夜』が特定の時間帯を示しているなら、冬白さんはタイムリミットを教えてくれただろう。少し時差を計算してみたところ、日本はもう正午近かった。しかし、今も僕は飛んでいる。
つまり、日が出ていない状態のことを『夜』と呼んでいることになる。
それは太陽と追いかけっこをすることを意味していた。しかも急ぎすぎても夕方になってしまうので、僕はつかず離れず飛び続けなければならない。もちろん東に飛べばもう昼。僕は飛べなくなってしまう。
約24時間、僕は人に見つからないような超高度を高速で飛び続けた。食べ物も用意してあったのだろうけど、おそらく墜落したときに落としてしまったのだろう。寒さとあいまってかなり辛かった。寒すぎて鼻がバカになって、もう一度衣装の匂いを嗅ぐことはできなかった。
ようやく家が見えてきた。冬白さんも外で待っていてくれたらしく、誘導灯代わりの懐中電灯を持ってこちらに手を振っている。
家の庭にゆっくりと着陸する。が、朦朧とした意識では集中できずに失敗、かなり盛大にコケてしまった。
「だ、大丈夫!?」
「だいじょばない……何か、あったかいものください……がく」
「ちょっと、由季、由季ーっ!?」
冬白さんが名前で呼んでいてくれたことを最後の記憶に、僕はまた意識だけで飛んだ。
目が覚めると、目の前に冬白さんの顔があった。膝枕をしてくれているのか、顔が上下逆さまに見える。
「ん……、あ、ここは……」
「自分ちのリビングよ。まったく、未遂でも死亡フラグなんて立てるもんじゃないわよ?」
「死亡フラグ?」
「ほら、出る時に僕が帰ったらーなんて言ってたじゃない。多分あれが、僕が帰ってきたら、け、結婚してくれ、とかだったら凍死してたんじゃない?」
「……あ! 今何時!?」
僕は慌てて起きて時計を確認する。膝枕終了。
「一時間くらい寝てただけ。まだ日付も25日だよ」
「良かった……。クリスマスプレゼントをもらい損ねるところだった」
肩を撫で下ろす僕を見て、冬白さんは呆れ顔だ。
「そんなに欲しいものなの? もう一回言うけど、エロいのは却下ね」
「だからそんなんじゃないって。むしろ見方によっては僕がプレゼントをあげる側になるくらいだ」
「由季があげる側?」
彼女があからさまに不審がる。まあプレゼントを貰う側がプレゼントあげるというのだから無理もないだろう。
毛布を剥がして居住まいを正す。そして気付いた。
服が、サンタのコスチュームから部屋着に変わっていた。
硬直する僕を見て冬白さんはなぜか言い訳っぽい口調で説明してくれた。心なしか顔がまた赤い。
「あの服は防寒、保温性能はいいけど、やっぱり濡れた服だと体が冷えるから……ね?」
「脱がせた、と?」
「うん。ついでに風邪を引かないように体を拭いたよ」
「………」
僕は黙って部屋着のズボンをずらし、下着を確認する。
黒いはずが、灰色だった。
冬白さんと目があった。彼女は「てへっ☆」と目を逸らした。顔は耳まで赤くなっていた。
「この痴女っ、エロいことしてるのは冬白さんじゃないかっ」
「痴女ゆーなあ! 由季が風邪引かないようにしてあげたんじゃない。わたしだって、その、あれを見るの初めてだったし……」
「その情報は人の下半身を剥いた理由になってない!」
「お、男の子なんだからいいじゃない」
「僕はあらゆる男女差別に反対だ……はあ」
若干ピンク色になった空気を消すためにソファの上に正座する。冬白さんも逸らしていた顔をこちらに向けた。
「それでお願いなんだけどさ、一緒に夕飯を食べてくれない?」
「それがお願い?」
「うん。昨日言った通り、二人前のクリスマスメニューがあるからさ、手伝ってくれると嬉しい。あ、もしかして昨日食べた?」
「かなり豪華だったし、由季の今日の夕飯かな、って思ったから食べてないよ。けど、本当にプレゼントがそんなことでいいの?」
「いいよ。むしろそんなことがいい。クリスマスの夜に独りで豪華な食事とか、たぶん虚しさで死にたくなるし」
去年のクリスマスは可愛い、いかにも女の子ウケしそうなケーキを食べたっけ……独りで。ワンホール。あれは二重の意味で苦しかった。
夕飯を美少女とご一緒できるだけで僕には十分なご褒美なんだけど、どうにも冬白さんは納得していない模様。
「んー、なんか釈然としない。あ、そうだ。由季、ということでメアド交換しよう」
「どういうことで!?」
「いーじゃない。ほら、わたしはプレゼントをあげるんでしょ? だったらお返しってことで、メアドと電話番号教えて」
「別にそれくらい構わないけどさ」
構わないどころか大歓迎だ。美少女の連絡先とかご褒美のレベルを越えている。
……とは言っても、恋人じゃないんだよなあ。
台所で夕飯の準備をしながら、昨日と同じセリフを呟く。
「はあ……サンタさん、可愛い彼女が欲しいです」
「ん? なんか言った?」
「何でもないですー」
まあ、今年のクリスマスは孤独なご飯じゃないぶん大躍進と言えるだろう。
「冬白さん、チキンライスとオムライス、どっちがいい?」
「んー、やっぱりオムライス。それと由季さあ、冬白さんって呼びづらいでしょ? 聖良でいいよ」
大躍進の引き換えに試練が増えた。女の子を名前で呼ぶなんて、小学校低学年以来だ。
聖良にせかされて由季はオムライスを急ぎ作る。
クリスマスの夜、降り始めた雪にも気付かずに二人は夢中で話した。
始めは聖良と呼ぶことに遠慮がちだった由季もだんだん自然に名前で呼ぶようになっていく。
聖良も「うわっ、こそばゆい!」とか言いながらも由季に「聖良」と呼ばれる度に、頬がとろけたように緩んでいる。もっとも本人は無意識で、自覚してはいないのだが。
しんしんと雪降る聖夜に語らう二人。
サンタクロースはそんな微笑ましい二人を見守っていた。