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「私が殺害した金森愛とは殺害する直前まで恋人関係にありました」
平沼は語り始めた。目は真っ直ぐ大久保を見ており、自分の話は全て事実だ、とでも言わんばかりに曇の無い目をしている。勿論、そんな曖昧で主観的なモノは捜査には一切関係ないのだが。
「年齢差はありましたが、私は彼女と真剣に交際してきたつもりでした。そんな時、極めて優秀な社員が私の部下となりました。私にとっては部下であり、彼女、金森愛にとっては上司にあたる社員でした。その社員は優秀なだけでなく、同じ男性の私が見ても羨ましい程のルックスを持ち、素晴らしい青年でした。やがて、彼女がその社員に心を惹かれている事に気付いてしまいました」
「痴情のもつれ、と言いたいのか?」
「勿論、嫉妬はしました。ですが、この時は仕方ないと思っていました。彼女はまだ二十代前半。その部下も二十代後半で未来もある好青年。私といるより彼といる方が幸せだというのは明らかでしたから。ですが、私はその頃、仕事での激務に加え、何者かから脅迫を受けており、心身ともに疲れ果てていたので、彼女をすんなりと放す訳にはいかなかったのです」
「脅迫?」
「ええ。今回の事件のキッカケの一つでもあるのですが、実は私は十数年前、仕事で詐欺まがいの取引を行い、莫大な利益を受けた事があります。その事件を知るであろう人物から、毎日の様に脅迫の手紙が自宅に届けられていたのです」
非常に理路整然と話す平沼だが、大久保にはまだ話が見えてこない。苛立ちを覚えたが、せっかく自分から話をしている容疑者をわざわざ遮る必要も無く、大久保は話を続けさせた。
「実は、先程話した優秀な社員が、本社の営業部に異動してきたキッカケが私が詐欺まがいの取引をした相手方との提携事業を成功させた事だったのです。通常、全日本不動産の本社営業部というのは少し優秀な成績を残したくらいで抜擢されるようなハードルの低い部署ではありません。突出した成績を継続して残す事が出来る、言ってみれば営業のスペシャリストの集団なのです。故に、社員の構成は殆どが百戦錬磨で、働き盛りの四十代。三十代で抜擢された日には将来の役員候補とすら言われるくらいです。その中で彼は二十代にして抜擢された。これは長い社歴の中でも唯一の出来事だったのです」
「へえ。それは素晴らしい」
「その社員が私の詐欺まがいの取引の被害者である相手方と取引を再開させた事で、私は当然焦りました。いつ、相手方が昔の詐欺の事を彼に話すか分かりませんから。そして、丁度その頃でした。私に脅迫が始まったのも」
「というと、その優秀な社員という人間が脅迫していたと?」
「それは分かりません。先程申し上げた通り、我々の本社営業部はその肩書きを背負うだけあって、非常に激務です。少しでも成績が落ちれば、またすぐに異動を命じられるので、皆、必死です。彼にそんな悠長な事をする時間があったとは思えません。ただ、タイミングを考えれば、その脅迫と彼が無関係だとは思えませんでした」
「そうだな・・・。その方が自然だ」
「脅迫の事、彼女の事、どちらにも彼に悪意はないかもしれないけれど、今の私の生活を維持させるには彼の存在は非常に邪魔になりました。だからといって、彼は隙の無い男で、機会を待ってもなかなか彼を追いやる術、タイミングは見つかりませんでした。
そんな時です。彼女が彼にこっぴどく振られた、と私に泣きついてきました。当然、彼女が私の元を離れ、彼とそんな仲になろうとしていた事実に腹も立ちましたが、それよりも私はこれを非常にチャンスに感じ、計画を立てたのです。彼を本社から、私の領域から追い出す計画を」
「何をしたんだ?」
「彼女を使い、彼にストーカー、嫌がらせ行為をしました。彼と彼女が裸で抱き合う写真を合成し、社内でそれを問題に上げ、今週にも開かれる取締役会で彼の処分を決める所まで来ていました。そして・・・・」
そう言って、平沼は口をつぐんだ。それまでペラペラと流暢に話していた平沼が言葉につまずいたのはこれが初めてだ。しかし、すぐに平沼は何かを決意したような顔をして話を続けた。
「ある男を頼りました。神崎、という男です」
「神崎?」
「ええ。恐らく、あなた方警察が捜している男です。神崎は名前と顔を不定期に変え、それぞれの名前と顔で大なり小なり犯罪を犯している、いってみればプロの犯罪者です。部下への嫌がらせに関しても、表の顔が大事な私は神崎に任せきりで、神崎と彼女が実行していました」
「そんな奴知らんな」
「神崎、有川、中山。私が知ってる彼の名前は全部でその三つです」
稲妻が走るような衝撃を受けた。確かに平沼の言う通り、警察はその男を追っていた。違法薬物売買、賭博、窃盗、そして殺人。数多の犯罪行為を犯しつつ、今も身元すら掴めない稀代の犯罪者だ。まさかこんな所で繋がりを持っていたとは。
「驚いたな。お前、とんでもない人間と繋がってるんだぞ」
「分かっています。神崎とは仕事の取引から付き合いが始まりました。最初は勿論、そんな危険な人物だとは知りませんでした。神崎は不動産ブローカーを名乗っていて、多くの案件を私に持ってきてくれたのです。その多くが、莫大な利益を生む一方、グレーな案件ではありましたが」
「グレー?」
「ええ。例えば、妙な占有者がいる物件や、周辺相場の半値位で取引した物件、明らかに暴力団が関わっている案件、そして先程お話した例の詐欺まがいの事件も神崎からの案件でした。その案件では私も会社側に大分追及され、それなりの処罰を受けたので、神崎とはそれ以降取引をしていませんでした。
そして、話を戻して、先程の社員を追い出す事について、私は再び神埼を訪ねました。その時、神崎は有川と名乗っていましたが、私の依頼はすんなりと受けてくれました」
「奴は何を?」
「ターゲットである部下の婚約者を対象に嫌がらせをしたと聞きました。詳しい内容は聞きませんでしたし、いつも奴はそれを教えてはくれません。しかし、効果はありました。職場で毎日部下とは顔を合わすので、明らかに疲労、そして苛立っていましたから」
「その部下は警察に訴えなかったのか?」
「恐らくは。ただ、自分達で犯人を突き止めようと動いていたみたいです。その中で、神崎は一人の人間を殺害しました。それが恐らく、飯田、という男性です」
「恐らくと言うのは?」
「殺害した事を事後で聞いたからです。そして、誰を殺害した、という報告も受けていません。神崎からは私や神崎の事を探っている邪魔な人物を殺害した、と言われただけなのです」
「なるほどね。檜山探偵と桜川氏も同様か?」
「それに関しては知りません」
「知らない?」
「ええ。同じ様に神崎が独断で殺害したのか、それとも神崎以外の誰かが犯人なのか。神崎から二人を殺害したという報告は受けていませんから」
「報告はいつもあるのか?」
「ええ。神崎はその辺りは律儀な男で、些細な事でも逐一報告はしてきます。その報告がない事から言って、私はその犯人は神崎ではないと思っています」
「なるほどな・・・。それで、金森愛を殺したのは何故だ」
「金森愛、彼女が亡くなったマンションは私が人の名を使って借りたマンションでした。彼女はそこを隠れ家としていました。私の指示とはいえ、彼女も部下に嫌がらせ行為をした張本人です。彼女が逮捕されれば私の事を必ず喋ると思いました。その頃には私と彼女の関係は非常に脆くなっていましたから。現に、彼女は遺書を残していました。世間に全てを明らかにする遺書を」
「遺書?」
「あの日・・・私は彼女のマンションに行きました。彼女は、ドアノブにロープを架け、首をくくっていました。慌てて私は彼女を助けました。彼女は気を失っていましたが、息は間違いなくありました。その彼女の姿を見て、私は後悔しました。言ってみれば、私が部下に行った行為は全て、部下への嫉妬が原因です。また、彼女が私の口車に乗り、私の行為の一旦を担ったのは彼女も同様に部下に対する、また、部下の婚約者に対する嫉妬心があったからでしょう。
そんな些細な感情一つで、人が死に、そして今、目の前で大切に思っていた人間が命を落とそうとしていた。一瞬、本当に一瞬ですが、全てを償って、いつか彼女と二人で人生をやり直したいとすら思いました。しかし、彼女の遺書を見て、再び私の心に悪魔が顔を出しました、彼女は、神崎とも肉体関係を持っていた。遺書には私の存在など脇役に過ぎず、部下への羨望、憧れ、後悔、そして嫉妬。そして、神崎との一時的な快楽、安堵、やはり後悔。遺書の中身はそればかりでした」
「それで殺したのか?」
「はい。もはや彼女の中に私はいなかった。そんな彼女といつか人生をやり直したいと一瞬でも考えた事が無償に悔しかったのです」
「下らん。それこそ嫉妬以外の何物でもないだろうが」
「その通りです。それからの私は単なる犯罪者です。神崎と違い、証拠等の隠し方も分からず、ただひたすら現場から去りました。その後は現場に何か落とさなかったか気になって気が狂いそうになりました。そして、その時、みなみという女から電話があったのです」
「今回の被害者か」
「被害者?とんでもない。刑事さん。私が話したい本題はここからです」
平沼は不気味な笑顔を浮かべた。