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平沼の話はまだまだ事件の核心をつくものではない。亮はそう思っていたし、恐らく瀬崎だって同じ筈だ。それなのに何故瀬崎はもう終わらそうとしていたのか、亮にはそれが分からなかった。それでも、納得が出来るまで反論せず、瀬崎の指示通りに警察に電話をかけようとしている自分が情けなく思えたが、瀬崎に「わかった」と答えておいて電話をしない訳にもいかない。亮は渋々電話を手に取り、一一〇をダイヤルした。
「どうしました?」
一一〇をダイヤルすることなど滅多にないので架ける方は緊張するが、電話を受ける側は実に機械的だ。
「じ、女性が一人襲われそうになっている所を見てしまって、それで、その、犯人を今、取り押さえてるんですが」
状況が状況だけにあまり冷静に話すのも不自然と思い、焦っている演技をした。瀬崎とのやり取りで頭がモヤモヤしているせいで変に頭が冷静なこともあって、自分のその大根演技に笑いそうになった。
「場所はどこです?」
「渋谷です!渋谷のバーで、クリスタルってお店の中にいます!近くにビジネスホテルがあります!入り組んだ場所なのでそこまで私も行きます!」
「いや、あなたが現場離れて大丈夫なのですか?」
「連れがいますんで!」
「分かりました。すぐに警察官を向かわせます」
渋谷の繁華街だ。五分もすれば警察はやってくるだろう。電話を切って、すぐに目印としたホテルへ歩き始めた。
平沼とのやり取りを思い返す。
考えてみれば、平沼は殆ど喋っていない。喋っていたのは瀬崎だ。瀬崎の推理にも平沼はイエスもノーも言わなかった。あのやり取りの中で、瀬崎は事件の何が分かったのだろうか。確かに、瀬崎の頭脳は亮のそれとは全く違う。その瀬崎の考えている事を亮が推測するなんて出来る訳がない。
あのやり取りの中で分かったのは、平沼は昔、取引で詐欺まがいの行為をし、その取引先と瀬崎が懇意となった事、そして恋人関係にあった金森愛が瀬崎に奪われそうになった事、この二つに対する嫉妬心が瀬崎への憎悪を膨らませた。そして、これが直接的な動機になったのは言葉で認めはしなかったものの、あの狂った行動こそ瀬崎の推測が真実である事を物語っていた。
だが、これはあくまで瀬崎に対する嫌がらせ行為についてのみの話だ。飯田、檜山、桜川を殺害した事とはあまり関連性が無い。
そして、この殺人事件を起こしたのは瀬崎の言う通り、平沼の仕業ではない。有川だろう。だが、有川の情報は平沼とのやり取りの中では皆無だった。今、恐らく瀬崎が平沼を追求しているのだろうが、警察が来る僅か五分程度の時間でどこまでの情報が聞きだせるのか。せめて、聞き出してから平沼の身柄を警察に引き渡すべきではないのだろうか。そんな風に考えていると、亮の耳にパトカーのサイレンが聞こえた。思ったより早い。まだ五分も経っていないのではないか。亮は再び演技をして、慌てて手を挙げたフリをした。
「通報された方ですか?」
制服を着た二人の警察官が亮に声を掛けた。
「そうです!こっちです!」
亮が小走りで警察官を案内すると、警察官も小走りで亮の後を追う。パトカーが止まっただけでも注目が集まったのに、警察官二人を引き連れて走るとなると必然的に注目を集めた。
「状況は?」
走りながら警察官が亮に聞く。状況?それは地獄絵図ですよ、ある意味ね。そう答えたかったがそういう訳にはいかない。
「犯人が暴れてしまって」
取り押さえられた事によって暴れたものと警察官は思うだろう。実際は全く別の理由で暴れていたのだが。
「応援要請しよう」
一人の警察官がそう言うと、若い方の警察官が無線機のようなもので応援を要請した。
「ここです!」
亮がそう言ってクリスタルへ続く階段を駆け下りる。ドアを少し開けると、中からガラスが割れる音がした。また暴れているのか。
「せざきいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!」
カウンターの近くで平沼が叫ぶ。瀬崎は距離を取って、客席のテーブルを壁にしてかがんでいる。その瀬崎の周りにグラスや空き瓶、そして椅子などが散乱していた。何が起こっているのだろうか。
考える間もなく、警察官二人が飛び出した。
「やめろ!!!」
「動くなぁ!!!」
刑事ドラマのようにいきなり拳銃を突きつけたりはしなかった。いくら仕事とはいえここまで狂った人間にほぼ丸腰で突入しなければいけないのも大変だ、などと呑気に思った。
警察が来た事に気付いた平沼は手に持った酒瓶を警察に投げつけた。一人の警察官の足に当たったが、それに怯まず突っ込み、あっという間に平沼を押さえつけた。
「手錠!!手錠!!!」
若い方の警察官が慣れない手つきで手錠を取り、平沼の手にかけた。しかし、それでも平沼は暴れ続ける。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
「大人しくしろぉ!!!}
「がああああああああああああああああ!!!!!!」
「こらぁ!!!」
さっきまで静かだった店内に怒号が響く。一体何があったと言うのだ。
「兄貴」
瀬崎の方に駆け寄ると、瀬崎は頬と左手から血を流していた。
「破片で切った」
「大丈夫なの?」
「ああ。大した事はない」
「何があったのさ」
そう聞くと、瀬崎は無言になった。亮が店を出て、今に至るまで僅か五、六分だ。たったそれだけの間に何があったのだろうか。
「せざきいいいいいいいいいいいい!!!!!」
平沼は何故か瀬崎に怒りを爆発させており、収まる気配が一向になく、殺意が突き刺さるように伝わってくる。あと数分遅ければ、瀬崎は平沼に殺されていたかもしれない。
警察官が呼んだ応援が来たのはその更に数分後だった。数人の警察官が店内に入ってきて、平沼を羽交い絞めにした。そうなってようやく平沼は暴れることをやめたが、まだ叫ぶことはやめない。
「許さねぇ・・・・せざきいいい!!!!てめえぶっ殺してやるぁああああああああああ!!!!」
警察官が連行する為に無理矢理平沼を立たせた後も、平沼は瀬崎に対して叫び続けた。そして、警察官が平沼を連れ、店を出ようとドアを開けようとした瞬間、平沼は言った。
「あいつを捕まえろぉおおお!!!!!あいつは悪魔だああああああ!!!!!」