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嫉妬の連鎖  作者: ますざわ
第1章 狂いだす歯車
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5

 不愉快な気分のままで一日を過ごすのが嫌だったので、瀬崎は谷本を昼食に誘った。金森愛や平沼の話をする為に、会社から少し離れていて、ランチでも個室が利用出来る少し高めの和食屋を選んだ。

「愛ちゃんの話だろ?どうせ」

 谷本は会社を出た途端に言った。谷本京一は瀬崎の同期社員だ。同期社員ではあるが、営業畑の瀬崎とは違い、谷本は事務畑の人間だ。全日本不動産では、新入社員は全員最初は営業社員として採用される。業界最大手であると共に、業務やノルマの厳しさも業界随一と言われる全日本不動産に籍を置く社員は、一流企業に就職出来た、と喜ぶのも束の間で、二年も経つと大半がリタイアする。そして、そのサバイバルに生き残ったとしても、入社から二年経つと営業マンとしてエリート街道を進むことを命じられる人間と、事務職に転身する者に分けられる。事務職と言っても、本店営業部の契約社員や、支店の事務職員とは違い、本社内にセクションを設け、人事や経理、総務など仕事のレベルは高い。

 だが、結局は彼等には《営業で芽が出なかった落ちこぼれ》というレッテルが貼られてしまう事が昔からの慣習で残っており、本社で勤務してるとはいえ、給与面でも営業部社員とは大きく差があるし、人事部や経理部の専門家になったとしても、所属長に抜擢されるのは大して知識もない営業部上がりの中年で、彼ら専門家は所詮は課長や係長止まりなのだ。

 実際に谷本は総務部を二年経験した後、今年四月、瀬崎が本店に異動になる時期と同じくして、人事部に異動になった。谷本の社内での評判はすこぶるいい。役職の割に合わない仕事もこなしている。ところが、会社としての評価は今もまだ平社員だ。これが営業部であれば瀬崎同様に年齢に関係なく、評価はされていただろうに。それでも谷本は、毎日毎日数字に追われたり、転勤転勤で最愛の二人の子供に迷惑をかける事のない本社勤務を素直に喜んでいる。


 そんな谷本と瀬崎が話をするようになったのは、彼等が全日本不動産に入社して二年が経った頃だった。彼等の同期組は二年経つと僅か二十五人にまで減っていた。そしてその生き残った者達の、営業と事務のふるい分けがされた日、生き残った同期二十五人は飲み会を開いた。

 当然、営業にふるい分けされた者は会社に評価されてるとあって歓喜の酒となる訳だが、事務にふるい分けされた者はそうはいかない。中には、今日のその結果を受け、事務畑で生きるくらいなら退職するとまで決意した者も何人かいた。そんな中で、事務にふるい分けられても前向きで、営業を続ける連中とも笑って酒を飲む谷本に、瀬崎が興味を持った。

 谷本は実に分かりやすい人間だった。瀬崎の能力がなくとも、谷本が何を望み、何を嫌うのか、その表情を見ればすぐに分かるだろうという程にだ。その飲み会の席でも営業マンとして生き残った連中への妬みも無ければ、ヤケクソになったような態度でもない。本当に心の底から笑っていたのだ。 裏表が全くない。瀬崎はこれまで何人もの心理を読み取ってきたが、谷本ほど裏表のない人間は初めてだ。オセロのように裏表がはっきりと存在する瀬崎にとって、彼は魅力的だった。勿論、打算的な瀬崎にとって、非常に心理が分かりやすく、コントロールをしやすい谷本が、事務部門でエキスパートを目指していることに将来的なメリットを見据えているのも事実ではあるのだが。

 そんな非常に単純でもある谷本を、瀬崎はいとも簡単に彼の懐に入り込み、互いに友情を認め合い、親友とまで呼び合える仲に至った。以来、瀬崎は裏表のない谷本を観察し、貴重なサンプルを入手すると共に、時には社内の未公表情報や極秘情報を得る事が出来ている。


 そんな谷本への対価として、瀬崎は自身の能力を唯一谷本にだけ話している。谷本に関して言えば、あえてその力を共有することによって得るメリットの方が遥かに大きいと感じたからだ。最初は単純に「すごい!」と驚いた谷本だが、瀬崎のその能力を目の当たりにする事が増えてくると、「俺以外にはその能力の話はしない方がいい」と、苦言を呈した。

 今回の金森愛の件に関してもそうだった。婚約者がいて、異動してきたばかりなのに、サンプルが欲しいというだけで社内の女性に近づくことは危険だと前々から注意はされていた。瀬崎自身が苦手意識を持つ、理論よりも感情が大部分を占める色恋沙汰に関しては、時に谷本の考えの方が正しい事が多々あった。実際、今回も谷本の意見に従っていれば、という結果になってしまった。


「確かに平沼部長からとりあえずという形で口頭だけど、愛ちゃんの退職報告は受けたよ。しかも俺が」

 席に着くなり瀬崎は先程の平沼との会話を谷本に話したところ、やはり谷本の耳にも入っていたようで、瀬崎の吸うタバコの煙を手で払いのけながら谷本は言った。谷本はタバコが嫌いという事を瀬崎は知っていたが、それでも目の前でタバコを吸うし、谷本は谷本でわざとらしく煙を手で振り払う。一見すれば揉め事になってもおかしくないような光景だが、彼等二人にとっては日常の光景だ。

「まぁこうなることは俺は大体予想してたけどね」

 分かったような口ぶりで言う谷本に瀬崎は突っ込む。

「予想出来てたのか?」

「いや、まさか合成写真を作って、平沼部長に送り付けていきなり退職なんてのは予想してなかったけどさ。何かしらトラブルになるとは思ってた」

 それは予想とは言わない。瀬崎はその言葉を呑み込んで、タバコの火を消した。

「まぁ事実じゃないんだろ?」

「勿論だ。金森と付き合ってなんかいない。無論、体にも俺からは指一本触れた事はないね」

「じゃあ、あとは平沼部長がどうするかだよな…」

 社員や契約社員が退職する場合、その社員が所属する部署の所属長が《退職希望報告書》というものを作成しなくてはならない。何故会社を辞めるのか、それを所属長が退職希望者にヒアリングして、報告書としてまとめるのだ。今回の金森愛のケースでは、平沼がそれを書くのが、社内の規定だ。

 この報告書に金森愛の言う通りの記載をして、写真を載せられると、瀬崎にとって非常に分が悪い。この報告書は各部署の所属長を経由し、各役員、最後は社長まで回覧されるからだ。まさかその全員に事実と反するんだ、ということを弁明しにいく訳にもいかない。

「でも、大丈夫だと思うぜ?退職って言ったって契約社員だしさ。お前がリストラ対象者で会社から見れば切りたくてウズウズしてるような人材ならともかく、社歴に名を残すような優秀な人材だぞ?部長にしたって、そんな報告を上げれば下手すりゃ火の粉がふりかかる問題だぜ?」

 それはそうだ。瀬崎もそう思っている。契約社員の金森愛と、本社営業部付の正社員の自分。不祥事の事実や、それを決定付ける証拠があるならまだしも、本人の証言だけ、しかも証拠として利用するはずだったものが偽造までされていた。平沼にはきちんとそれを立証している訳だし、ここまですればどちらが正しい話をしているのか、明白なはずだ。仮にこれで平沼が報告書でも金森愛に有利な記載をし、瀬崎が反論する機会でも与えられたら、平沼の評価に傷がつく話になるだろう。そこまでして、金森愛の味方をする理由がないはずだ。

「それこそお前なら分かんないのかよ。平沼部長が本当にお前の言ってる事を信じてたのかどうか」

「それがさ、久しく人に焦らされたことなんか無かったから、まずあの状況を回避するので精一杯でな。部長の心理を読み取るまでの余裕はなかったんだよ」

 実際は試みた。確かにいつもより集中力は乱れていたが、平沼の心理を読み取ろうと、彼を観察した。ところが、今朝の平沼はいつもの平沼ではないように感じた。思い出すのは違和感ばかりだ。これが自分の集中力の問題なのか、元々平沼の心理を読み取るのが難しいからなのかはわからないが、違和感だけしか感じとることは出来なかったのだ。勿論、今になってもその違和感が何が原因だったかは見当もつかない。

「まぁ報告書が回ってきたらお前もそれを読むことが出来るように何とかしてみるよ」

 瀬崎にとって、現時点で人事部で大騒ぎになっていない事と、平沼の報告書を手に入れる事が出来るという事が確定しただけでもこのランチは有意義なものだった。



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